ズレの大きさという問題
joさんが「うちの例をさらします」と前置きをされて奥さんについてこんなことを書かれていました。
「「あれやっといてね」、と頼んだことはスパッと抜けてたりするし、抜けてたことは後に督促状や追徴金が来て明るみに出る始末で、あげく「あなただって完璧じゃないから忘れることぐらいあるでしょう(怒)」みたいな防衛反応。」
で、joさんとは家庭での体験が共有される部分がいつもとても大きいんですが、面白いことに(?)ここはちょっと違いました。私の恥をさらすことになるんですが、この奥さんのパターン、まるっきり私のパターンみたい (^ ^;)ゞ
私はほんとにそういう事務的なことがだめなんです。無能の極地みたいなもの。ところが逆にパートナーの方はものすごく律儀にこなしますし、私がそういうの抜けてることを知っていますから、時々心配して注意してくれたりもします。ただし本人としては書類作りとか、そういう事務的なことについては苦手意識が強いらしく、非常にエネルギーを使って間違いをしないように仕事をしているようなんですけれども。
印象としてはカレンの夫さんはなんかそんへんばりばりこなして行かれる感じもするし、多分、そういう「苦手さ」についてはアスペルガーの人にはいろんなレベルがあるのではないかという気もします。中にはほとんど問題なく社会生活をこなせる人(あるいはむしろ律儀にこなして重宝される人)もいれば、苦手意識はあるので、すごくエネルギーを使うけど、なんとかそれでこなしている人、そして苦手意識があって、実際に頑張ってもなかなかうまくできない人、さらにはもしかすれば苦手意識もなく、しかもうまくもできないという人もあるかも知れません。
もちろん定型の人にもそういういろんなレベルがあると思うので、そういう同じ「できなさ」にもアスペルガー的な特徴とか、定型的な特徴がそれぞれあるのかもしれません。よくわかりませんけど。
関連してKSさんとみなさんのやりとりで出てきた「記憶」の共有のむつかしさという問題も、いろんなレベルがあるような気がしました。ほんとに書かれたことからの漠然とした、素朴な印象に過ぎないんですが、KSさんやjoさんの(元・現)お相手の方の場合は、かなりキツイ感じがするんです。もし私のパートナーも同じくらいに私とのズレが大きかったとすれば、お互いの関係は今より相当難しかったろうなあという気がします。
前にKSさんがアスペルガーの人の「障がい」のレベルを、定型的な発達のものさしで考えたときに、「もしかしたら、5歳未満の大人とは夫婦関係築くのムリだけど、6歳程度にまで行ってれば大丈夫とかいう臨界点があるのか?」という見方もあり得るのではないかと書かれていました。もちろん「夫婦関係」というのをどういう基準で考えるかとか、その物差しでは測れない部分での相性の問題とか、いろんな要素が絡むと思うので、一律にすべてのケースを同じ基準で考えることは無理だと思いますけれど、でも少なくとも「このカップルの場合にはどこまでは可能か(どっから先は大変か)」というようなことはある程度ありそうな気がします。
そうすると、アスペと定型のコミュニケーションを考える、というときに、一般的にどういうところがどんな風にずれやすいか、それに対してはどんな対処の工夫が考えられるか、ということを考えるだけでなく、それぞれのカップルのズレの大きさに合わせた工夫を考えていく、ということも大事になるのではないかと、なんとなく思うようになりました。
具体的にはまだよくわからないんですが、たとえば同じように「記憶の共有が困難」ということがあったとして、それがどのレベルまで難しいのか、ということについて、ある程度段階を分けることができるかもしれません。そうするとKSさんやjoさんが書かれていたように、記憶の共有というのはお互いの人生の思いでの共有の意味を持ったり、約束の共有という信頼関係に関わる意味を持ったり、人間関係にとってはすごく大事なものだから、その困難さの度合いが強まるほど、それに対する工夫も難しさを増してくることになりそうです。
そう考えると、KSさんが思い出を共有できない(無かったことになってしまう)相手と、人生を共にすることにすごい辛さを感じられたのは自然なことだと思うし、それらの結果として別々の人生を歩むという結論を得たことも無理ないことに感じます。
他方で色んな面で私の所と共通する面を持ちながら、けれども「アスペと定型のズレ」という理解は共有できず、感覚や記憶などの共有の面でも私の所より一段大きなズレを抱えられているように感じられるjoさんの場合、おそらく私のところ以上の苦しみを抱えて頑張ってこられただろうし、それに対するさまざまな工夫もより深いものを模索されているに違いないと思えます。だから「ああ虚しいなあ」というため息をつかれるのも無理はないと思える。
うーんと、何が書きたかったのか、というと、だからたとえばjoさんのご家庭の問題を考えていくとき、一般的に定型とアスペについて考えるレベルだけでは手が届かないところがあって、joさんと奥さんの個性的な特徴みたいなこととか、ズレのレベルのこととか、そういうより具体的なところをじっくりと見つめて考えていく必要があるのではないかという気がするという、なんかそんなことだと思います。
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