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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年7月21日 (木)

理解し合えないことを理解し合う

 はじめてコメントを下さったまもさん

「アスペの人の家族がまず認識すべきは「理解しあえることを諦めること」と何かの本にありましたが、そのとおりなのかもしれません。保護者的な立場を貫く決意がなければ、距離を置いておくほうがいいのかもしれないなと思うこのごろです。寂しいですが。」

 と書いて下さいました。

 なんか身につまされる感じがしますけれど、私も初めの頃はかかりつけの医者に「あきらめること」を言われました。けれども「あきらめの悪い」私はどうもそこはしっくりこなくて、ずっとこだわり続けてきたのがこのブログです。そして今は医者も「あきらめろ」とは言わなくなりましたね。

 それで、少なくとも自分の体験から、そしてここでコメントを下さる方達の体験を読ませていただいて、その言葉をこういう風に換えたいと思うんです。

 「アスペと定型には理解し合えないズレがある、ということを理解し合うこと」はできるんだ。というふうに。
 
 そこが共有できれば、ある意味で対等に問題を考え合う可能性が出てきます。もちろんどういう条件があるとその共有が比較的うまく行くのか、そのことはまだまだほんとに大きな謎だらけなんですけれど。カレンさんの場合はなんか一種の宗教体験的な感じもする「自然とのつながり」みたいなことがそこに関係していそうな気がするし、私の場合はそんな高級な事じゃなくて (^ ^;)ゞ 、単に自己崩壊を起こしてもうそれまでの自分も、その自分が作ろうとしていた関係も維持できなくなって、振り出しに戻ったみたいな感じからのことですけど……。まあ、ある意味では「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」かもしれません (^_^)

 逆に言うと、昨日の記事でちょっと書いたみたいに、そこがうまく共有できる足場が作れない場合には、やっぱりほんとに大変なんですよね。「一緒に頑張ろう」というふうになれないから。

 なんにせよその共有ができてくれば、ズレを知らない事による、あるいはズレの理解が共有されない事による怒りは、時間が経てばかなりの部分おさまっていくようです。最近私もパートナーとの間ではそういう怒りや悲しみみたいなのはほんとに無くなってきてますね。

 その分、冷静に問題を考えあう可能性が増えるし、関係を調整したり修復するにせよ、また「これはもう無理だね」とお互いに納得して別れるにせよ、お互い深く傷ついたままで破綻するのではなくて、多少なりとも前向きに対応できるようになると感じます。

 もちろん、そこで関係が修復されたとしても、今山ごもりの修行をされているKS仙人が、お友達のアストンさんから教えてもらっているように、あるいはカレンさんが最近時々ちょっと深刻な感じで語られていると思えるように、そのまますーっとすべてが楽になっていくとか、そういうことはないのかもしれないし、やっぱりそれはそれである意味「あきらめ」の部分を含み込みながらなのかも知れません。だから、定型の側からすると、改めて関係を再出発させることができたとしても、その「あきらめ」の部分で満たされない思いをどうしたらいいのか、という問題が残るかもしれない。

 そのあたり、定型の私から見てそういう問題が次のステップとして浮かび上がってくるかなあと思うけど、アスペルガーの人から見たらどうなのかは、まだ全然わかりません。

 ほんと、次から次から考えること、尽きないですね~

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コメント

私がちょっと深刻に考えていた・・・ということは、私が思っていた以上に伝わっていたのですね。実際、文章を書き終えてからも、しばらく、漠然と考え込んでしまったりしていました。

その考え込み方は、ちょっと寂しかったりもしたのですが、

でもその寂しい気持ちは、もはや夫に向けるべきものではなく、外の世界や他の人との関係の中に向けるべきもの、というか、

今満たされないと感じていることは、外の世界や他の人とのつながりの中に求めるべきものなのだろう、という方向にだんだんと気持ちが動いてきました。

これは、たぶん、家庭が落ち着いて機能し始めたことによって、家の中のことだけにやっきにならず、意識がより外に向かい始めたからでもあるのかも、と思ったりもしています。

そして、たぶん、夫のアスペルガー的思考とか言動を理解しようと、夫の思考や言動をなぞる作業をかなり必死でしていた状態から、そんなに必死でなぞらなくても自然にわかるようになってきたことで、定型的感覚のつきあいを、再び安心してできる状態になってきたのではないか、だから、そういう定型的つきあいを外に求める気持ちが生まれてきたのではないか、という気もしています。

なんか、ちょっと自立心が芽生え始めた頃に「友達が欲しい」と言って幼稚園に通い始めた(と、母に聞いていました)のと似ているのかもしれません。

初めは、なんだか感傷的な負の意味だけでの寂しさなのかとも思い、そのことが私にはちょっと深刻だったのですが、

家が落ち着いてきて、家族それぞれが家を拠点として安心して外で活動することができる・・・安心して離れられてこそ本来の「家」の意味があるのかも、などとも思っています。

夫ひとりに、なんでもかんでも、こちらの願う役割をさせるわけにはいかないし、実際にそれは不可能。でも、家庭だけでは満たされないものがあるからこそ、外の人ともつながって、自立した人間どうしとしてお互い頑張りながら、できないところは補い合って助け合ってやって行きたくなる・・・なんか、ごく自然な心の欲求のような気がしてきています。

「アスペルガー的思考や言動をなぞる時期」には、どこかかたくなに拒絶せざるをえなかったかもしれない関係のあり方が、今、以前とは違った形で再び自分の中で自然に復活し、アスペルガー的思考と定型的思考の自然な折り合いがつき始めているのかもしれません。

最近、この2週間か3週間かで、両親に対する思いもずいぶんとか変わったように思っています。「かたくなに、アスペルガー的思考をなぞることで、両親の、ごく普通の親としての愛情まで、なんだかとても重たいものに感じていたところもあったのだろう」と、ふと気づいたら考えていました。

こういう気持ちに至るまでには、ちょっとしたいくつかのエピソードもあるのですが、「親と言えども、ひとりの人間」として見られるようになり、なんだか一挙に気持ちが柔らかくなったような気がします。これまでのことを、いいこと・悪いこと、いろいろ冷静に考えると、今は、親に対しても素直に「ありがとう」の気持ちが湧いてきます。

よくわかりませんが、長い長い反抗期を抜けて、今、やっと自立した大人として、ひとりの人間としての親のありのままの姿を受け入れられるようになり始めた・・・ということなのでしょうか。まだ、ほんの短い期間ですが、両親に接するときの今の私の言動には、無理がありません。

家の中で何か閉じたような感じがあった時代から、家を拠点として外に開けていく時代へ・・・我が家は新たな変化の時を迎えつつあるのかもしれません。

とてもお久しぶりです。
夫の出張もあり、完全一人の時間を満喫してました(^ ^)v

先日、Rosamondeさんの書かれていた感情修復方法、

1.壊す。気をちらす。
2.1人になる
3.自分の狭い興味関心にのめり込む

1(変形)+2・3全てしてました(笑)
最近、物を壊すのではなくて、いらないものを捨てると気分が良いことに気付いてからは、もっぱらこの方法で、破壊的・創造的気分でがしがし片付けをしています。
普段は片付けが苦手なので、丁度良かったです。

>定型の側からすると、改めて関係を再出発させることができたとしても、その「あきらめ」の部分で満たされない思いをどうしたらいいのか、という問題が残るかもしれない。

これは私も気に掛かっている部分です。
私には、どう頑張っても出来ないことがあると思いますから。
何と言うか、自分のとても苦手な食べ物が相手の大好物で、私はそれを一緒に食べることは出来るけれども、「一緒においしく食べること」が出来ない。そんな感覚のものです。
しかも、相手はそれを「私と一緒に」食べることがとても大切だったりもして。

出来るだけ、一緒においしく食べられるもの(こと)は、よりおいしく・楽しく…と思っていますが、それだけでは足りない部分はきっとあるのだろうと思います。

とてもざっくりとしたイメージなのですが、定型側は「求めるものが得られない」ことが多くて、アスペルガー側は「出来ないことを求められる」ケースが多いように感じます。

私は夫に「あきらめ」を考える程に強い満たされなさを感じることはとても少ないですが、反対に夫は、多かれ少なかれ満たされないことの「あきらめ」を持っているのではないかと思っています。
私にはそれが感覚的に分からない部分があり、ここが行き違いの種などになると、お互いに大変苦しい思いをします。

でも、言葉で分解(説明を求め)してはいけない種類の「気持ち」というものもありますし、本当に繊細な部分だなぁと思います。

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