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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年7月12日 (火)

怒りについて

 相手に対する「怒り」について、カレンさんとみおさんがなんかすごいやりとりをされています。(うーん、最近特に、記事が完全に皆さんのコメントに頼り切り (^ ^;)ゞ  )


みおさん
「私も前に比べたらだいぶうまくいくようになりました。私の中にあった「怒り」が消化できたからです。」

カレンさん
「みおさんが、「怒りの消失」ということを書かれていましたが、本当に簡単に言ってしまうと、要するに「怒り」(漠然とした不満・不快も含めて)が消えさえすれば、実際なんとかなっていくのだと思います。」

みおさん
「前は常に怒ってる状態で夫の態度で引火して、私の中にある「怒り」がボーボー燃えちゃう感じだったんです。もしくは大爆発です。それでも「怒り」が消えない。「怒り」は夫の事だけじゃなくて、同時進行の実母の介護とか、自分の時間が持てないとか自分が認められていないとか、いろいろ理由があります。それを一つずつ、考えました。私の「怒り」の元になってるのは何なのかなーって。
いろいろあるんですけど、「認められていない」という感覚は大きかったかもしれません。何より自分で自分を認められなくなっていました。だから、今は「まずは自分大事」が大事だなというところに行き着いたんです。
そうして自分と向き合った時にその中に溜まっていた「怒り」をリセットできたんだと思います。だから今は夫とケンカしてもその都度、「今起こってる事について話しましょう」という感じで引きずらないし、ラクになりました。」


 怒りって何だろう?と考えてみるんですが、ものすごくシンプルに考えれば、自分の思い通りにならないことがあったときに生まれる感情でしょうか。知恵の輪をやってうまく行かないときに、だんだんイライラしてきて最後は怒りだし、知恵の輪を投げ捨てたり (^ ^;

 怒りの相手は知恵の輪であることもあるし、コミュニケーションしている相手のこともあるし、自分自身が怒りの対象になることもあるし、いろいろですよね。あ、でもとりあえずここで考えているのは定型の一人の私なので、それがアスペルガーの人にもどれだけ同じような感じかどうかはちょっとわかりません。同じだとすればまたひとつ共有できる足場が増えることになるし、違いがあるとすればまた調整すべきポイントがひとつ見えることになりますね。ということでとりあえずまずは定型の一人の見方です。

 で、「思い通りになる」ってどういうことなんだろう?って考えてみると、なんか自分に「こうなるはずだ」とか「こうできるはずだ」とかいうイメージがあって、それが実際にそうなることですよね。他の言葉で言えば「期待通りになる」とか「予想通りになる」とかでしょうか。

 「期待通りに」ならない、ということは「期待はずれ」ということで、期待の内容が自分にとって重要であるほど、また期待の大きさが大きいほど、それがはずれたときのショックも大きいと言うことになります。

 知恵の輪が相手なら、そのショックを解消するには知恵の輪をぶん投げてみたり、ペンチでぶちこわしてみたり、という「破壊的な攻撃」が生まれることもあるだろうし、「ああ、私ってこんなのもできない、情けない」と自分を責めることもあるだろうし、場合によっては「そもそもこんなものを作った奴が悪いんだ!」と制作者をののしってみたりする人ももしかするとあるかもしれません(それでホントに玩具会社に怒鳴り込んだりするとやばいけど)。

 少しカシコイ対応なら、「これ、ちょっと難しすぎたんだから、もうちょっと優しいのから初めて、だんだんコツを掴んでいけばいいんだ」とか考えて、知恵の輪修行に入るかも知れないし、「どうせたかが知恵の輪にすぎないんだから、別にこんなものできなくたって、私の人生がどうこうなるわけでもないし、気にしない、気にしない」と自分に言い聞かせて「無視」してやがて忘れ去る、というのもあるでしょう。

 では相手が人間の場合だったらどうなるんだろう?
 
 やっぱり、怒りの背後にある気持ちって「あなたは当然こうすべき所でしょう。なぜそうしないの?」という感じじゃないでしょうか。その「当然」が裏切られたと思うとき、怒りが生まれることがある。そこは物言わぬ知恵の輪とはちょっと違いますよね。知恵の輪に対して「あなたは当然はずれるべきでしょう」と裏切られた思いを抱くことはあんまりなさそうだし。

 で、怒ることで相手に「あんた、私の期待を外してるよ。当然すべきことをしてないよ」という警告を発しているのだというふうに見ることもできます。もちろん本人は「怒り心頭」ですから、そんなことを冷静に考えているわけではないんだけど、でも怒りは相手に対してそういう働きをすることができますよね。「え?なんであの人怒ってるんだろう」と怒られた側は考えたりしますし。

 もしそこで怒られた相手の方がその怒りにとりあわなかったりすれば、怒りはさらに激しくなります。だって、最初に「当然こうすべきでしょう」という思いが裏切られただけでなく、その思いを伝えて理解してもらおうとしているのに、「怒られたらなぜ怒られたか考えて関係を改善するのが当然でしょう」という、もうひとつの「当然」も裏切られてしまうわけですから。裏切りの二乗でこれでは怒りが増幅するのも当然。

 「逆ギレ」されたときもおさまらないですよね。「あなたが<当然こうすべき>ことをしないから怒ってるのに、逆に私の方が悪いことにされようとしている」というわけですから、つまり<当然こうすべき>という<当然>を堂々と否定されたようなもんです。相手を非常識と思って注意していたのに、自分が非常識にされそうになる状態です。

 そういうことが繰り返されると、怒る方は当然ものすごく消耗するわけです。
 
 で、この消耗は心身にダメージを与えますから、なんとかしないといけない。方法は多分三つくらい考えられて、ひとつは怒りで相手を破壊してしまうこと(その破壊が内向きになると自分を破壊することになります)。ふたつめはもう一切相手に「期待しない」関係になること。がまんする、とか、もうあきらめる、ということですね。みっつめは「期待のしかたを変えて、噛み合う形にすること」です。

 ひとつ目は最悪相手や自分を死に至らしめるわけですから、これは避けたい。一見すると三つめが一番前向きで良さそうにも見えますが、これは「期待」の中味にも依りますね。自分にとってどうしても自分が自分であるためには欠かせない「期待」であるとすれば、それは「その人に期待することは止める(別の人に期待する)」ということも必要なことになるでしょう。この場合はそうすることのほうがむしろ前向き。で、それが自分にとっては譲れるような期待だったり、考え方を変えれば別の期待で満たされるような範囲のものであれば、みっつめが前向きと言うことになる。それは場合に依りますよね。

 カレンさんが別のコメントで「聞こえない人に「後ろから声をかけたのに振り向かない」と怒っても仕方がない」という喩えで説明されたのは、結局この健聴者の「期待」の中味を聴覚障がい者の現実にあわせて切り換えて、別の方法で期待を実現するということをされていることになるんだと思います。そうすると怒りが消える。怒る必要が無くなるわけですし。

 私と母親との関係を考えると、「自分の期待はそのままでは通用しない」というところまではもう分かっています。だから、それが分からなかった頃に比べれば、怒りは緩和されて、多少なりとも冷静に避ける工夫はできるようになる。でもそれはあくまで避けることに留まり、逆に言えば「どうすれば別の期待の仕方に置き換えられるか」は見えてきていない。だから時折怒りが避けきれなくなるし、基本的には「距離を置く」ということをベースにせざるを得なくなります。

 そう考えると「怒り」の元になる「期待のズレ」みたいなことについて、「期待のズレ」に気づくことが最初の大事なステップで、その次にそのズレをどう調整するか、「あきらめる」のか「がまんする」のか「別の期待のしかたに切り換える」のか、ということが問題になって、それぞれの人の抱えている事情(相手や自分の性格なども含む)によって「距離を取る」ことで「怒らなくてもよい状態を作る」のか、「怒る必要がない関係」を作っていくのか、という解決法があるのかな。で、「完全に距離を取る(別れるなど)」こともできず、かといって「怒る必要がない関係」にもなれない場合には、「がまんする」ということがどうしても入ってきて、中途半端でしんどさが残るのかもしれません。

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コメント

パンダ兄さん、こんにちは。

怒りですか~。

最近日本語訳されたルディの本(アスパーガール)にも怒りのメルトダウンとして1章分書かれています。

自閉さんの世界的な支援者であるアトウッド博士の本(2004年、日本初来日した時の講演の抄録)の中に、興味深いことが書いてありました。

定型さんの感情修復方法はいくらでもあるけど、自閉さんの感情修復方法は3つしかないとのことです。

1.壊す。気をちらす。
2.1人になる
3.自分の狭い興味関心にのめり込む

私の場合は1.の壊す方が多いです。怒ることで壊していくと言った感じです。怒ることでスッキリしていることがありました。

・怒りはその感情を解消する、非常に早く効く方法だということなのです。後ほど説明しますが、感情、情動のマネージメントは実はエネルギーの管理なんです。エネルギーを放出する一番早くできる方法は「何かを壊すこと」です。ところが、もっとゆっくりと、そして、微妙にエネルギーを放出していく方法があるんだけど、それがどうもうまくいっていないようなのです。(アスペルガー症候群の理解と具体的な支援法 P.104より引用)

自分自身のフラストレーションやエネルギーを出すには、怒ることでした。『怒ること』や『泣くこと』でしか自分の気持ちを通すことができない状態が多かったです。

ほどいい『ノー』と言えないから、ギリギリまでガマンして『ブチ切れる(怒る、泣く)』をしないと鬱のメルトダウンするか、大量に薬を飲むか、ご飯を食べまくるか、買い物をしまくか、意識を失って気がついたら病院のベッドにいるかのどれかになってしまいます。

怒りを減らしていくには、ある程度『ノー』が言えること。「助けてください」、「しんどいです」、「手伝ってください」、「(このことは&今回は)パスします」、「すいません、今日は用事が入っているので(セールスなどのお断り文句)」などと『ノー』が言えていないと心が安定しません。

耳から聞こえてくる音声日本語や表情やしぐさなど目に見えない言語を使って意思疎通するのが今でも難しいです。五感&第六感と言う感覚的を使ってコミュニケーションしていいよと言うのが認められてから『怒り』と言う言語を使うのは減っています。あと、髪型やメークやファッションや考え方は人のマネができても自分のお幸せは人のマネができないを知ったことや『規格内』に生きないとお幸せになれないと言う優等生当事者をやめたことも大きいかと思います。

良妻はやめて、鬼嫁、悪妻、ゲゲゲとして生きて行きますと言いまくっています。→『悪妻宣言』しています。

『オタトーク、エロトーク、オヤジトーク、アメトークを解禁しました。ただし、人と場所と時間は選んでいますが』しています。※アメトークはトークを引っかけていて、だにぃさんの目の前で堂々とお笑い番組を観ると言うことですわ。ちなみにだにぃさん、今でも漫才を観るのが怖いと言っています。理由は漫才=2人が終始どつきあい(殴り合い)していると言うイメージがあって、怖くて観ることができないそうです。

Rosamonde姐さん

「定型さんの感情修復方法はいくらでもあるけど、自閉さんの感情修復方法は3つしかないとのことです。
1.壊す。気をちらす。
2.1人になる
3.自分の狭い興味関心にのめり込む」

 ああ、なんか定型の人から見た場合、自閉さんはそんな感じに見えるんですよね。
 この辺、実際に自閉さんというかアスペさんから見るとどう見えるんでしょう。
 私は自分のパートナーとのことを考えると、すごく状態が悪くなっていた頃には
 そんな感じが強かったように思うけど、そうでないときには、
 もっと私と彼女の会話とか、やりとりの中で変わっていくようにも思います。

 繭さん夫妻やカレンさん夫妻もそんな印象があります。

「五感&第六感と言う感覚的を使ってコミュニケーションしていいよと言うのが認められてから『怒り』と言う言語を使うのは減っています。」

 この五感&六感を使ったコミュニケーションって興味があるんですけれど、具体的に言うとどんなことなんですか?

「良妻はやめて、鬼嫁、悪妻、ゲゲゲとして生きて行きますと言いまくっています。」

 これ、いいですね。なんか「頑張って生きてるなあ」って感じがします。しかしゲゲゲとして生きるってなんですか?ゲゲゲの鬼太郎みたいに生きるの?夜は墓場で運動会したり?

 「オタトーク、エロトーク、オヤジトーク、アメトーク」

 は私も得意です。とくにオヤジトークは周りの人たちを呆然とさせたり、周りの人たちに馬鹿にされまくったりしてます (^ ^;)ゞ

私も、夫が「怒りの塊」のようになっているときの状態は、なんらかのフラストレーションが溜まっているときだと思って見ています。以前は、その「怒りのように見えるもの」が、すべて自分に向かっているような気がしていたこともあり、病気をして体調のすぐれない時には、とてもしんどいものでした。

幸い夫は、手を上げるとか物を壊すというようなことは全くないので、そのあたりはいつも安心していたのですが(物を壊したのは私の方だったことも・・・(^^;)・・・)、

「アスパーガール」の中にあった「橋を焼く」のように、自分にとってなんらかの負の感情を持って近づこうとしている〔と夫が感じている〕人については、その人が橋を渡って自分に近寄らないように、自分の後ろの橋を焼き落としているようところがあった、私は感じています。

この頃はずいぶんマイルドにもなってきて、以前とは驚くほど変わった、と私は思っていますが、これについては、夫がから見た私についても同じことでしょう。

(2人で猛獣のように威嚇し合って咆哮する姿は、今自分で想像してコワいです・・・(^^.)・・・)。

でも、私の「怒り」がだんだんなくなっていき、そして、ニュートラルな気持ちで夫に接することができるようになると、夫も「怒り」を持たずに、私が夫の世界に入って行くことを許可してくれたような気がしているのです。

身体感覚のことは、前にも書きましたが、

私の場合は、昨年、夫がどんな夢を見るのかを知ったときに、夫の感覚がどのようなものであるか、かなり理解できたような気がしました。

私の場合は、夢は音声(聞こえたり聞こえなかったり)と視覚的イメージがそろっていて、その視覚の方はカラーで時には驚くほど詳細な映像、また、時には目覚めたときに夢の中で感じた風や触覚まで覚えている、というものなのですが、

夫の見る夢は、人の夢でも、その人の顔は出て来ず、その人の音声(聞こえたり聞こえなかったり)と、その人の気配や雰囲気のようなもの、だけなのだそうです。

最初は、あまりにも私とは違う夢の見方なので、驚きの方が大きかったのですが、これをよく考えたときに、夫が「人」を感じるときに一番大きな要素となるものが「その人の気配・雰囲気」だということに気づいたのです。

表情やボディランゲージは夫にとってほとんど意味がないもの、そうなると、夫にとって、その人を知るということは、それらに頼らない音声、そして、その音声から感じ取るその人の気配・雰囲気・心持ち・・・そんなことに気づいたということです。

そう考えると、4年ほど前から、「とにかくまずは自分自身が元気になろう」の一心でやってきている中で、自然、声にもその気持ちと冷静さが表れるようになり、

(いつもいつも冷静ではないし、実際、喧嘩もしていましたが、以前のようにめげっぱなしということはなくなりました。そういう意味での"冷静"です。)

その結果、アスペルガーの話も持ち出すことができ、その後、少しずつ正のスパイラルに入って行くことができ・・・と言ったところです。

身体感覚が違う分、心とか精神の部分でとても敏感に何かを察知する・・・そういうことが、起こるのかなぁ、と、なんとなく考えています。

ちなみに、私は、いろんな病院での治療中、その治療効果が上がらないとき、「医学的にには、これだけの治療をしていれば、こんな効果が出てくるはずなのに、どうしてあなたにはその効果が出てこないのですか!」と、医師に怒りを持って言われた経験が何度もあります。

治療効果が出ないことを一生懸命頑張っているいる患者である私のせいにされて、とても辛い思いをした・・・

このような経験からも、私は、身体感覚が違うとわかれば、そのことに対して怒ることはできません。我慢というより、納得。そして、「これがダメなら他の方法を考えよう」という、私の性分のようなものかもしれません。

>パンダ兄さん

目で耳のかわりに聴いたりとか、相手の振動でその人がどういう状態なのか(触覚言語)、握手したらわかってしまうとか(触覚言語)と言う感じです。

においも体臭で体調がわかったりすることがあります。

要するに、本来、人が持っているものがそぎ落とさずに残ってしまっていると言うことです。→動物的ですね。

どうも自閉さんが重たいと人が持っているものを持ち続けてしまうことがあるみたいです。→アスパーガール(第8章)でも書かれているが、私自身が化学物質に敏感で苦手になってしまいました。使える石鹸や洗剤やコスメも限られています。今でも女性専用車両には乗れませんし、デパートのコスメ売り場は一番苦手です。デパート、ドラッグストア、ホームセンターはしんどいです。→人前に出ることもあるので、コスメ選びが困ります。コスメ独特のにおいがダメになってしまったので。

あと、ゲゲゲと言うのが、『妖怪』として生きて行くと言うことですわ。夜中に運動会なんていたしませぬ(爆笑)。→睡眠不足は最大級の天敵ですから、夜中に活動は体&心的には御法度でございます。

と言うことで。

〉パンダさん みなさん

記事と関係なく、すみません!

しばら〜〜〜くの間?パンダさんのブログをお休みしようと思います!

盛り上がってるさなか、個人的な事なので、報告は不必要かな?失礼かな?と思い、伝えるタイミングを逃していましたが、
地震や兄の件でご心配をかけた後でもありますので、お礼も兼ねて、ちゃんとお伝えしようと思いました。

パンダさんの持ち前の優しさからブログにハマり、生活の一部にまでなっていて、長らく書き込みなど、参加させていただきましたが、
最近、頭の中が、アスペアスペアスペ、定型定型定型でしたので、ちょっと、夏をささやかに満喫しながら休憩しようと思いました!

お礼を書きたい事はたくさんありますが…長くなってしまうので、まとめてですが、色々ありがとうございました!

引き続き、パンダさんのブログ発展と、みなさんの個々のご健康とお幸せを願っています。

かつて私が「気持ちをわかって欲しい」とか「あなたの、こういう言動で私は傷ついているのだけど、どうしたらいい?」などと夫に言ったとき、

夫は「そんなことを俺に言われても困る。誰か他の人に相談して(怒)」と言われ、さらに傷つき、怒ったり悲しんだり落ち込んだりしたことがあったのですが、

今思うと、そういうことは、夫本人に言っても埒のあかないことだったのでしょうね。

今、怒りはなくなってきて生活自体は落ち着いてきていますし、夫が自分モードでいられるためには、ひとりだけの時間を持つことが重要だともわかってきています。

夫にとっては、「社会的・家庭的役割」から直行で「自分だけモード」に移ればそれでいいように見えるのですが、

私が自分モードでいるためには、「社会的・家庭的役割」と「自分だけモード」の間に、「もうひとつ別の(=定型的な)人とのつながり」が必要なのだと、この頃、切に感じるようになりました。

怒りが減れば生活は穏やかになるし、実際穏やかになってきているし、非常勤の仕事にになったことで、自分の時間もあって「自分だけモード」もある。

でも、やっぱり、何か足りないのは、フル勤務をしていたときにはよくも悪くも毎日あった
定型的な人とのつながり。

仕事そのものも好きだったし、今でも好きだけれど、なぜここまで仕事が好きなのかの理由のひとつに、仕事の場には家庭の中にはない、「大人としての、定型的な人とのつながり」というものがあったからだろう、

と、最近になって思います。

いろんな人とつき合っているのが私らしいと何度も確認してきたし、それは本当なのですが、今のままの生活では物理的に「定型的な人とのつながり」がちょっと少ない、もう少し増やしたい、

などと、怒りとは別の感情で考えるようになっています。

「外に求めるしかない、外に求めるべき人間関係」というものを、複雑微妙な気持ちで考えています。

カレンさん

 「(2人で猛獣のように威嚇し合って咆哮する姿は、今自分で想像してコワいです・・・(^^.)・・・)。」

 お、恐ろしや  ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

 「夫の見る夢は、人の夢でも、その人の顔は出て来ず、その人の音声(聞こえたり聞こえなかったり)と、その人の気配や雰囲気のようなもの、だけなのだそうです。」

 これ、パートナーに聞いてみました。
 「そうかもしれないけど、夢はほとんど覚えてないからわかんない」
 ということでした (^ ^;)ゞ

 「「外に求めるしかない、外に求めるべき人間関係」というものを、複雑微妙な気持ちで考えています。」

 うん、たしかに極めて複雑微妙だ。
 私にはむつかしくて今んところぜんぜんわかりませ~ん。

みみさん

 お返事おそくなったので、もうご覧いただけないかも知れないけど……

 「しばら〜〜〜くの間?パンダさんのブログをお休みしようと思います!」

 ええ、そうなんですか?どっかに修行に行かれるとか?
 KS仙人も修行に行きながらいつの間にか戻ってたり、又居なくなったりしてるので、
 どうぞいつでもご自由にお戻り下さい。
 バージョンアップした次回の「みみ節」を楽しみにしています。

妖怪人間Rosamonde姐さん

 「においも体臭で体調がわかったりすることがあります。」

 おおすごい。私も口臭で体調が分かることがあります、って、お上品な話……

 「あと、ゲゲゲと言うのが、『妖怪』として生きて行くと言うことですわ。」

 ようかいですか!
 で、なんか用かい?

  …… こういうのどうでしょう、オヤジギャク。。。。

私は夫に私をわかってほしかった。
単純だけど、抽象的で難しい。
だけど、これだけです。

怒りは「何でわかってくれないの?」「何で伝わらないの?」
という気持ちから沸いていました。
それは私が夫に「人はわかってもらえるもの」
「伝わるもの」という気持ちを押し付けていたのかもしれません。
私の思い込みかもしれません。
だけど、いまだに諦めきれないのです。

怒りの後はもう何もないのに涙が出てきちゃうし、
吐き気が常にある状態で過ごしていました。
育児や介護、今後を考えて行動するなど、やらなきゃいけない事もあるし
ガッチガチで、すべてがむなしくなりました。
私の人生終わったな・・・と思いました。

だけどブログで吐き出して、いろんな方と話をして
夫の主治医の前で子供みたいに泣きじゃくって、少しずつ復活→怒りも復活。
でも、この時の怒りは前とは違ったかもしれません。
夫に対しての怒りもありましたが、
「何で私が死ななきゃいけないんだっ!」というところでしょうか。
そして、何度も書いていますが今は怒りの塊が落ちて、
やっとやっとスタートです。

夫に「わかってほしい」と思ってた私も
夫の事をわかっていなかったんです。

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