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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年7月 3日 (日)

必要とされるということの意味

 チロさんがこう書かれていました。

 「KSさんのお母さんがホットケーキを焼いてくれたことを嬉しく思いながらも楽しいと感じなかったこと、なんとなく分かります。つながりが感じられないのは、思いを共有できてないからなんだと思います。」

 「思いを共有できない」ということ、定型の側の何人もの方からそういう言葉を聞いたように思います。

 みおさんがこう書かれています。

 「私も夫が私を必要としてくれてるのは何となく分かっています、頭では。でも、私じゃなくちゃダメという気持ちにはなれません。」

 そしてカレンさんも

 「我が家の場合、アスぺルガーのことを共有し、それぞれが、それまで自分の概念として思っていた「人間」とは全く別の人間だということがわかり、それによって、まずは私の怒りが徐々に消えていき、それによって、夫の怒りも消えて行き、それによって、”そこそこ”or”以前よりはずっと”「うまく行くようになりました」という状態にもなり・・・ でも、「でも」です・・・やっぱり、ここで問題にされているようなことは、私たちも今でも解決できていません。」

 定型の側から見たときに、パートナーが自分を必要としてくれているという感じが持てないこと、そのことによる苦しみや絶望感などを語られる方もまた少なくなかったように思います。アストンさんは著書の中で、アスペルガーの男性の特徴として、「つった魚にえさはやらない」という感じの事を書かれていたように思います。結婚まではすごく一生懸命に自分を喜ばせようとしてくれていたのに、結婚したとたんに全くそういうことが無くなってしまう。


 一昨日、パートナーにこのあたりのことを聞いてみました。まずは自分自身の問題として、自己崩壊の前は「自分は彼女にとっては意味のない存在だ。拒絶されている人間だ」と思わざるを得なかったこと、その後も頭では「必要とされている」ということを理解し始めながら、実感としてなかなかわからないことを話し、一体そこで「必要とされる」って、どういうことなんだろうかと時間をかけて尋ねてみたわけです。

 やはり言葉にして答えるのは難しいようで、逆にこう問い返されました。「なんでそういう問いがそれほど重要なのか。一緒にいるために何か理由が必要なのか。定型の人は、なにかはっきりと言えるような具体的な利益があるから相手と一緒にいるのか」と。

 私もそれにどう答えたらいいのか困りましたが、ひとつには「自分が必要とされていると感じることで、自分の価値を感じることができる」という話をしました。これは今までも他の問題にからめて何度か繰り返して説明してきたことですが、改めて。そしてどういうときに自分が必要とされていると感じるか、具体的な場面を考えて、説明していきました。

 たとえば出張から帰ったとき、笑顔で「おかえり!」とうれしそうに言ってもらう。「お風呂湧いてるよ。ご飯先にする?まずお風呂に入る?」とか聞いてもらったり、荷物を片付ける前にまずおみやげを取り出して渡してあげたら「わー、何買ってきてくれたの?」とかいろいろ聞いてくれる。「自分を待っていてくれる、自分の行為に期待してくれる」という、そんなささいな例です。

 前にも少し書きましたが、うちではまず「おかえり」の言葉も聞こえないことが多かったのです。本人は「言った」と主張するのですが、聞き取れないのです(これはどうも「言ったつもりになる」というか「頭の中で言った」ということが実際に「言った」記憶になってしまっているらしいことが後にわかってきました)。表情はひどく不機嫌で(これも本人は全くそういう感覚を持っていません)、必ずと言っていいほど、まず何かの文句、小言が出てきます。おみやげを出してもよろこばれたことはまずなく(実際には好きな食べ物だったりするのですが)、ほとんど見てもくれず、もちろんそれについて会話が進むこともない。シャワーの多い旅の後で家ではゆっくり湯船につかりたいと思って帰ってきて「お風呂は入れる?」と聞くと、「え?お風呂いるの?」とやはり不機嫌そうに言われる。そんなときに逆に「ああ、私は求められていないんだ。うとましく思われているんだ。」と感じるんだという風にも説明しました。

 このあたりについては、以前繭さんが説明して下さったことでも想像できますが、実はパートナーは一種のパニックになっているようです。しばらく私がいない、という状態が続き、それに慣れていたところで、急に(もちろん予定は分かってはいるのですが)一人人間が増える。そのことに慣れ直さなければならない。ある種、不安な状態で、防衛的になっていて、それが攻撃的にも見える、という感じであるようです。彼女が笑いながら説明してくれたのは、私が帰ってきたとき、荷物のことで頭がいっぱいになるんだ、ということでした。荷物を片付けなければならない(といっても実際は多くの部分は私が片付けるのですが)、洗濯物をとりだして洗わなければならない、などなど、もうそのことで頭がいっぱいで、ほかのことは考えられなくなる、と。

 これは定型の私の勝手な解釈ですが、それも本当に荷物のことが問題なのではなくて、一種のパニック状態の中で、不安を収めるために、それに対処するための行動をなにかまず探すのではないかと思います。そして「旅行」という日常とは違う、異常な状態を一刻も早く解消するために、「荷物を片付ける」ということが思いつかれ、そうすると不安を全部そこにふりむけるかのように、頭がそれでいっぱいになる。そうやって不安に対処しようとしているのだと。

 他にも逆にパートナーの行動で「自分が求められているように感じた」数少ない例を説明しました。前回書いた「プチ家出」のときの話などがそうです。

 そのあとだったと思うのですが、「<必要>と感じていることについて、定型の人はなんでわざわざその説明が必要なのか」という彼女の疑問について、「だって、それをそう感じられないことで苦しんでいる定型の人たちが実際に少なくないと思うから」という話をしたんですが、彼女はめずらしく、あまり時間をおかずに、しかもよどみなく、なぜ定型からアスペがそういうふうに思われるようなことになるのかについて、あくまで自分の見方だけど、とこんな説明をしてくれました。

 アスペにとっては、一人の安定した世界を守ることがとても大切なことで、そこに他人が入ることはその安定を破壊されることで通常大変なことなんだ。だから、その自分の世界に、わざわざ自分の安定を一度崩してまでその人に入って欲しいと思うことは、それだけでもう他の人とは全く違う「必要」な人として認めていることなんだ。女性の場合は「家庭に入る」ということで、経済的な面などで安定するという部分もあるけれど、男性の場合は就職をしている人ならもともとそこも安定しているわけで、その上で一人暮らしの安定を崩してまでも相手を必要としているということになる。

 それを聞いて、ちょっと唸ってしまいました。

 昔、「ほやほや」だったころ、こんなことを言われたことがありました。本好きの彼女が本を読んでいるとき、そばにいてその本をのぞき込んだりしていたら、「今まで自分が本を読んでいるときは、他の人にはそばにいてのぞき込んだりして欲しくなかった。あなたが横にいるのが平気なんだけど、そういうことは初めてだ」と。

 それは「思いを共有する」とか「楽しみを共有する」とかいう世界とはちょっと違います。彼女の世界の中に私が「いる」ことを許されていること、そのことを求められたこと、そのこと自体が彼女にとっての「必要」ということの意味ということでしょうか。それを許されているのは世界で私一人なのですから。

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コメント

すみません、また記事の本質からは離れるかもしれませんが、気になったことがあって。

パンダさんの奥さんにとってパンダさんが特別な存在で、奥さんの世界に入ることが許されているということが奥さん的には「繋がり」の証である、というのはなんとなく分かりました(実感できないので、頭で分かった気になっているだけですが)。
奥さんのお話の中で、男性は収入もあって一人でやっていけるのに敢えて結婚して自分の世界に人を入れるんだから…という趣旨のところが、素直にそう思えないんです。男性にとっても結婚のメリットはあって、夫の場合は独身をからかわれるのをかなり気にしてたので、私は「結局、戸籍に載せる相手が欲しかっただけなんじゃないか」と卑屈になってました。それと、えげつない話で申し訳ないですが、「風俗行くより便利」なんじゃないかとミジメな気持ちによくなりました。私は夫とあまり変わらない収入があって別財布、家事は私が多くやるという状況だったので、余計に都合のよい女感がありました。
逆に男性だと俺はATMか?という虚しさを感じるかもしれませんね。

奥さんの言わんとすることは少し分かります。ごく若い頃、男の子の自転車の後ろに乗せてもらったときに、一人で乗ったほうがずっとラクなのに重い私をわざわざ乗せてくれることがとっても嬉しかったのを思い出します。でも、私はその感覚を夫との結婚に感じることは難しいし、そう感じられない人は多いんじゃないかと思いました。
そこが、やっぱり「繋がり」を感じたいていう定型の感覚なんですかね?
それか、私が卑屈すぎるのか?

パンダさんを通して奥さんの考えが聞けてるのはありがたいです。私は夫とそんな話ができる信頼関係を作れませんでしたから。もちろん、アスペだけで一括りにはできないけど、夫を理解するうえでとても参考になります。夫に悪気がないことも、私が嫌だと思う夫の性質がアスペのせいばかりでないことも分かりました。

また長々とすみません。簡潔にまとめることができなくて。

>パンダさん
私もチロさんと似たようなこと思った。
「必要とされること」が大事じゃないとは言わないけど、パンダさんの方が奥さんを必要としてるんなら、それだけでもいいんじゃないかな? だって、英語では、「好き」って言う時、"I need you"って言うでしょ?

そのあたりって男女の違いなのかな? でも、英語で"I need you"ってたいてい男の方が言うよね。

>パンダさん
後から思ったのですが、「ただいま」と言ってもらえなかったというのは、パンダさんが「必要とされていない」じゃなくて、「帰った時にあたたかく迎えてもらいたい」っていうパンダさんの必要(ニーズ)が満たされなかったってことじゃないかしらん。

ソフトボールだったか野球だったかの外野のお話は、なんだか微笑ましくて(私も子どもとしてその場にいれば、「何やってんのよ!」と思ったと思うけど)、奥様、可愛い人だなぁって思いました。そういう奥様の可愛いところがパンダさんは好きなんだからいいぢゃん!と思ったりする。

私、最近どんどん自分がアスペルガー化してきてる気がするんですが(定型の「言い方」への「こだわり」が謎になってきたり)、物言いがストレートすぎたらごめんなさい。

アスペ化するKS仙人 (^_^)v

「後から思ったのですが、「ただいま」と言ってもらえなかったというのは、パンダさんが「必要とされていない」じゃなくて、「帰った時にあたたかく迎えてもらいたい」っていうパンダさんの必要(ニーズ)が満たされなかったってことじゃないかしらん。」

 いや、今から思えばおっしゃるとおりなんです。彼女が僕を必要としなかったときはないんだと思うんです。ただ、定型的な感覚で「自分を必要としてくれていたら、こういう反応は無いはずだ」と感じてしまう反応が目白押しで、その逆は感じられない状態だったので、純朴で素直(または単純ともいう)な私としては、その反応をそのまま正直に受け取ったわけですね。それ以外は思いつけなかったんで orz

 他方で私の方が彼女に共有を求めていたことは、事態の悪化と共にますます求められなくなっていった。KSさんのいうニーズが満たされない状況がどんどん積み重なっていったわけです。

 ニーズは満たされないは、拒絶はされるは、と思える状況で、私だけならまだなんとかするけど、心配していたように子どもがほんとにしんどい状況になってしまって、それが最終的なダメージになって自己崩壊に至った、ということなんだと思います。

 今は三つとも状況が劇的に変化するか、あるいは見方を変えられるようになってきているし、何よりこのブログでみなさんからの「おいしい」お話しを一杯ちょうだいしているので、今日医者にも言われましたが、おかげさまで回復基調です。

だんだんと数年前の記憶が、脳の奥の方から蘇ってきました。

夫にとって私が必要なのかどうなのかを尋ねたとき、「必要とか必要でないとか、俺に尋ねる必要なんかないだろ(怒)!」と言われ、

その当時はとても落ち込んだのですが、

その数年後(?)わかったことによると、「〔夫が私を〕必要としていることなど、当たり前すぎて口にするまでもないし、当然〔私も〕わかっていることだと思っていた」らしいです。


ところで、KSさん、

あちらの掲示板で、お母様のことを書かれたとき、「さもありなん」なんてアッサリ言い過ぎてしまったことを、今になって申し訳なく思っています。

私の場合、周りを見れば視野のどこかに必ずアスペルガーの人がいる、という状況が今や普通のことになっているため、KSさんのお母様のことも、私としては、わりと普通のことのように感じられてしまって。

KSさんのその後のショック状態や昔のお話を伺って、ちょっと軽く考え過ぎていたかもしれない、と反省しています。ごめんなさい。

前の記事と合わせてコメントします。

私は夫といるとリラックスするのですが、人といてリラックスすることって、とても少ないです。
近くに人がいると何かしら緊張して、自分の世界に入っていくことなんて出来ません。人が風景と化すような環境では少し違いますけれど。
だから、記事のパートナーさんの言葉
「アスペにとっては、一人の安定した世界を守ることがとても大切なことで、そこに他人が入ることはその安定を破壊されることで通常大変なことなんだ。だから、その自分の世界に、わざわざ自分の安定を一度崩してまでその人に入って欲しいと思うことは、それだけでもう他の人とは全く違う「必要」な人として認めていることなんだ。」
これには全くもって同感です。

私の場合は、夫にハグしに行ったり、「好き」と言ったり、よく纏わりついてぺたぺたしているので、「なんとも思われていない」とは夫も思ってはいないだろうと思っていました。

実際に、夫にとってはどうなんだろうと思っていたところ、記事を読んだ夫の方から話をしてくれました。
「必要とされている実感はあるけれど、必要の仕方が独特で理解するのに時間が掛かった」そうです。
実感が持てたのはどの位前からなのかと質問しましたら、「ここ2年くらいかな」と。
出会って10年程なので、8年掛かったということになります。

うまく説明できるか分かりませんが、私にとっては、好きな人とのつながりは、必ずしも直接本人と向き合っている時に最も強く感じるものではありません。
その人がいる(側にではなくて、自分の世界に)と、文字通り「世界が変わって視える」のです。
逆の言い方をすると、そういった影響を感じた時に「この人が好きだ」と実感します。
それが私の「つながり」です。

>カレンさん
私のまわりも、ふと気づいてみれば、「あれれ、この人もアスペルガー?」と思うような人はいっぱいいます。ある人は「すごくいい友人」だったりもするし、ある人は「職場の困ったちゃん」だったりもする。

以下に書くように深刻ではありますが、「さもありなん」と言ってくださったことは、むしろ私の気持ちを軽くしてくれたので、気にしないでくださいね。

>パンダさん&みなさま
アスペルガー「だから」ダメということはない・・・ということは理解しているつもりですし、私、繭さんもRosamondeさんも好き。

が、時としてアスペルガーの人が持つ「破壊力」というものに改めて愕然としている・・・というのが正直なところ。

父が正気を少しずつ失って暴力に絡めとられて行ったこと、子どもになってからも大人になってからも母によって私の心が傷けられて出血し続けていること、機能不全家庭に育ったために人の愛し方を知らないこと、そもそも私の家が機能不全家庭になってしまったこと、その原因の大きな要素が「ハハはアスペルガー?」だったということ、そのことは衝撃です。

私が機能不全家庭に育ったことは、私の結婚相手の選択や結婚の破綻につながっており、それも元を正せば「ハハはアスペルガー?」につながるということ、そのことの残酷さにも打ちのめされています。

そして、母は決して「悪意をもって」行動している訳ではないこと、多分、ものすごく必死に一生懸命に、何とか「普通」にやろうとしていること、しかし、その結果は、他人の心に土足で入って踏みつけるような「効果」を持ってしまうこと、それが「厳然とした事実」として私の前に「日常」として今も存在していること、その目の前に立ちはだかる壁の厚さと固さに、私は四肢の力が抜けてしまったような感じがしています。

もちろん、何もかもを母のせいにしようという訳ではありません。私自身がもっと賢かったり、精神力が強かったり、社会の状況が違っていたり、父がjoさんやパンダさんのような優しい強さを持つ人だったり、誰か大人が介入してくれたり、色々な条件が変われば違った結果もあったでしょう。

だけど、私の人生の「苦しさ」「辛さ」の大きな部分が「善意のアスペルガー」だったということが、私を打ちのめしています。やるせない。

アストン博士は「アスペルガー」と「パーソナリティ」を分けて考えるようにとおっしゃいます。「アスペルガーだから悪い」ということはない、と。もとにある性格が増幅されるのがアスペルガーなんだって、おっしゃいます。

夫については、これはある程度納得出来る。夫は性格が「悪い」ということはないけど「弱い」。なんでも他人のせいにして、自分の人生に責任を取ろうとしない。

が、母は「性格が悪い」とか「弱い」訳じゃないんです。本当に一生懸命に真面目に生きているんです。仕事も家事も真面目に取り組んできたし、どちらにおいてもとても優秀です。私は母を尊敬しています。私が今日あるのは母のおかげです。

でも、母が私の人生にもたらしたものの「破壊的側面」というのも計り知れない。

「知識」があれば、そして、母自身がその「知識」を自分の問題として認めれば、事態は違っていたかもしれない。

もう母は年だから、今さら、「あなたはアスペルガーかもしれません。あなたが生きづらさを感じてきたのはそのせいかもしれません」なんて言うのもどうなんだろ、と思ったりもするし、逆に、「自分が頑張っても頑張ってもなんだかみんなから受け入れられないのはなぜだったのか?」というのを知った方が母にとっては幸せなのだろうか、少なくとも残りの人生はもう少し生きづらさが減るんだろうか・・・などと、考えては、ため息が出ます。

私自身も、今、頑張って「癒し」をやってるけどACから脱却するには数年はかかりそう。あちらの掲示板にも書いたけど、私、恋愛・結婚以外ではそれなりに充実した人生送ってるし(それに関しては母のおかげというのはおおいにあります)、「ま、いっか」とも思うし、「贅沢を言ってはバチがあたる」とも思うけど、恋も知らずに死ぬのかぁ・・・と思うと、やはり少し淋しい気がするのは正直なところ。

ごめんなさい。怒りにまかせてぶちまかせてください。

以前、「親としての罪悪感」のコメントにパンダさんが以下のように書いてくださいました。

「KSさんは今、お父さんがどうしても持つことができなかったその「選択肢」を手にし、それを発揮することができたのですね。そう思うと、そのことがどれほど大きな「前進」であるかということをなにかリアルに感じられるように思えます。ご両親の悲劇を決して無駄にはされていない、という思いがしてきます。私の勝手な思いこみかも知れません。」

実はね、私、カウンセラーさんから「子どもというのは親が実現出来なかったことをやろうとして、親と同じような問題を抱えた結婚をする。そういう問題を起こしそうな人を選んで結婚する」って言われたの。「そ、そんな〜!」と思いました。冗談じゃない、私の人生が「そんなこと」のためにあったなんて。「そんなこと」のためにここまで苦しまなくてはならなかったなんて。だって、ACとかDVに関する知識がもっと流布してれば、私、ここまで無駄に苦しむ必要なかったのに。

自分が人生を「不必要に」無駄にしたことに今すごく腹が立ってる。夫とのトラブルで私がどれだけの時間とエネルギーを使ったか、どれだけ疲れたか・・・ということを考えると、「あーあ」と思います。

もし、私がもっと早期にACを治していれば、こんな無駄は必要なかったんです。私が大学生の頃、「家に暴力があって外を歩いていてもドラマを見ていてもガラスが割れる音がすると身体が動かなくなる」ってカウンセリングに行った時に、「それだけ恐い思いをすれば、身体にそういう反応が出ても当たり前です。それは心理学の用語では『恐怖』と言います」って言われて終わり・・・じゃなくて、その時にケアや助言を受けることが出来ていたらって。

私個人の人生で言えば、息子に出会えたことは私の人生の中で一番幸せなことです。この息子に出会うためには、この夫でなければダメだった訳で、その意味では私はこの結婚で良かったと思うけど、それは、私個人の人生の尺度で見た場合。

社会全体という尺度で見れば、すでに私が大学生の頃に、私と同じような環境で苦しんでいた子どもが沢山いたはず。私がその時にACをある程度治して、この夫とのトラブルのために使った膨大な無駄な時間とエネルギーを、その子どもたちの福祉のために使ってれば、「私の不幸」という無駄が生じず、その子たちの不幸という無駄が少し減った、その子たちが自分の結婚できっと体験したであろう無駄な不幸が減った・・・。そう思うの。

私の不幸は「人災」だったと思う。心理学者や精神科医の研究の段階が私の「現実」を救えるところまで発達していなかったという点で。

社会全体で見たら、私は独身のまま、私と同じように悲しい思いをしていた子どもたちを救うためにこの無駄を使いたかったと思う。

そしたら、息子には会えなかったけど、でも、世の中のためにはその方が良かったように思う。

でも、もう、これは「起こってしまったこと」。

よく、「人生無駄なことはない」って言うけど、無駄なことはある。知識があれば防げることはいっぱいある。

しかし、悔しいから、せめてこの「無駄」を活かすことはします。

アストン博士のワークショプに行くための英語の勉強のモチベーションにもします。近年、どこの職場でも発達障がいの人は多いから、労務管理上の「技」としても使ってやるわ。私の出世にも役立つかもしれないけど、結果的には職場の福祉も向上するでしょう。

今すぐは難しいけど、もう少し落ちついたら、なんらかの形で私のような子のための支援の活動にも参加するつもりです。

チロさん

 「奥さんのお話の中で、男性は収入もあって一人でやっていけるのに敢えて結婚して自分の世界に人を入れるんだから…という趣旨のところが、素直にそう思えないんです。男性にとっても結婚のメリットはあって、夫の場合は独身をからかわれるのをかなり気にしてたので、私は「結局、戸籍に載せる相手が欲しかっただけなんじゃないか」と卑屈になってました。それと、えげつない話で申し訳ないですが、「風俗行くより便利」なんじゃないかとミジメな気持ちによくなりました。私は夫とあまり変わらない収入があって別財布、家事は私が多くやるという状況だったので、余計に都合のよい女感がありました。」

 そうですね。パートナーが例に出したのは、「女性が家に入る」パターンの例の方だと思います。逆に言えばチロさんのような例もあるんだと思います(というか、実際にあるわけですし)。

「逆に男性だと俺はATMか?という虚しさを感じるかもしれませんね。」

 これ、ピンポーン! でした (^ ^;)ゞ
 自分に愛情を求められていない、存在を拒否されている、と思わざるを得なくなったとき、「じゃあなんで彼女は別れたいと言い出さないんだろう?」と考えると、チロさんの言われるような理由くらいしか思いつかなくなっていったりするんですね。
 あと、医者に「相手がアスペなら変化はあきらめるしかない」と思われていた頃、医者はこんなことをいっていました。もし奥さんが定型の場合なら自分は「夫はATMだと割り切る方がいい」というアドバイスをしたりする、と。
 「心がつながらない」と思うと、あとは相手を何か機械のように考え、適当にあしらってコントロールする方法を考える、という姿勢しか思いつかなくなるんだろうと思います。で、実際問題、「心」が色んな面でお互いにわかりにくい形を持っているので、そうなりやすいし、そうなっても無理はない、というところがあるんでしょうね。その道の「専門家」である医者でさえ、当初はそういう言い方だったのですし。

 
KSさん

 「でも、母が私の人生にもたらしたものの「破壊的側面」というのも計り知れない。」

 はい。私もすごく似てます。恩恵もすごく受けているんです。悪気もないと言えば無い。けれども「破壊性」もまたものすごい。一方はアスペ、一方は境界性という大きな違いはありますけれど。

 「「知識」があれば、そして、母自身がその「知識」を自分の問題として認めれば、事態は違っていたかもしれない。」

 これも母親がそうだと理解できたのは自分が40歳になってからで、そのときはもう自分と自分の家族のことで一杯一杯になってきていましたから、とりあえず「避ける」ことしかできませんでしたね。今も基本的にその延長上ですが。

「もう母は年だから、今さら、「あなたはアスペルガーかもしれません。あなたが生きづらさを感じてきたのはそのせいかもしれません」なんて言うのもどうなんだろ、と思ったりもするし、逆に、「自分が頑張っても頑張ってもなんだかみんなから受け入れられないのはなぜだったのか?」というのを知った方が母にとっては幸せなのだろうか、少なくとも残りの人生はもう少し生きづらさが減るんだろうか・・・などと、考えては、ため息が出ます。」

 これもまさに、今私がため息をつく部分でもあります (゚o゚).........
 今はまだ家族内の関係調整と、自分自身のケアにエネルギーが必要で、母親にまで力が到底回らないのですが、回るようになったとしても、果たして今から何が可能なのか。問題の難しさが身に染みているだけに、やっぱり「ため息」なんですね。

昨日、書いたコメントの続き(関連)ですが。

話は大いに横道にそれてしまいます。すみません。

9月の日本自閉症スペクトラム学会研究大会で発表することになっているのですが、昨日の晩に事務局から電話がかかってきて、話題提供者と指定討論者の重複が認められないという電話。

パートナーにもサポートが必要ということを発信しようと思って、何とか協力してくださる方たち(数は少なくて)のおかげで、何とか動けることができました。

パートナーにも目を向けて!という声の多さで動き始めたと言うことです。『私たちパートナーも忘れないで!』という必要さをヒシヒシと感じて誰も動かないのなら、私が動こうと自分から仕掛けました。

今日の午後2時くらいに(スペクトラム学会研究大会事務局長から)と話をすることにしています。

だにぃさんと相談しました。

人数を増やさずに話題提供者&指定討論者のスライド移動ならいいのだが、話題提供者&指定討論者がそれぞれ絶対3人でないといけないといわれたら、9月の自主シンポジウムを辞退しようかと思っています。

パンダ兄さんの前の日記のコメントで書いたけど、自分も大変、家族も大変、託児もない上に自腹を切って名古屋へ行くことは過酷です。いくらプライバシーを配慮しても自分の心や体をえぐってノーギャラで公の場でお話しするのもとてもしんどいことなのです。パートナーの世界で堂々と公の場に出られる人はとても少ない。今回の自主シンポジウムは最小の人数になってしまいました。逆を言い換えれば、パートナーの支援世界でこういう場に出せる人たちしかいないと言うことです。

最近、自分の家族が自閉さんと知って、どうしようという嵐の中に放り込まれている中で、発表してくださいというのは私にはできない。お金を出すから発表してくださいとお願いするのは私にはできない。

私の不手際からこんな事態になってしまいました。

自主シンポジウムを無事に成功したい、話題提供者や指定討論者たちも私の思いを汲んで、パートナーにもサポートがいりますよと身を削っている人たちです。

午後2時の話の次第では、研究大会の自主シンポジウムを辞退(なかったことにする)ことを考えています。

みなさんの思いを発信する機会をなくしてすみません。

関係のないコメントですみません。とても辛いです。

KSさん

 入れ違いにKSさんの新しいコメントが入っていました。

 前にjoさんに「子どもは親を選べない。親は子どもを選べない。自分は自分を選べない。」というようなことを書きましたけど、もうひとつ「自分は生まれる場所と時代を選べない」というのも加わるんですね……。

 KSさんの書かれたことを読みながら、今まで自分の理解が及ばなかった沢山の人たちのしんどさがだんだん感じられるようになってきた気がします。それはある意味で、自分自身も似たような状態を(形の違いはあるにしても)過ごしてきたのだけれど、そこで受けてきた傷のある範囲の部分については、それをあまり感じないように押さえつけてきたのかもしれません。自分自身で押さえつけてきたところだから、他の人がそこで苦しんでいたとしても、それを感じ取ることができなくなる。そういうことなのかもしれません。

 KSさんは、まさにそこに向き合い続けてこられたんだなと、そんな気がしました。

Rosamonde姐さん

 今日お話し合いがあると言うこと、

 ここに書いて下さったような「大変な状況」をそのまま訴えられたらいいのではないでしょうか。「そういう事情があるから、なんとか配慮して下さい」と頼んでみたらいいと思います。

 主催者の方もできれば発表して欲しいと思っていらっしゃるのではないかと想像します。頑張って粘ってみて下さい。ご健闘をお祈りしています!

KSさんのコメントを、自分のことのように思いながら読みました。
母には悪意がないどころか、善意に基づいて傷つけられたこと。母も必死だったこと。愛されていたこと…。
なのに、どうして私は愛されている実感が持てないのだろうかという疑問。

十代の頃からしばしば、悪夢にうなされて来ました。それが日常の眠りで、その間の日中は普通に過ごして、暗くなると恐くて眠れなくて、でもいつのまにか眠っていて、全身が凍り付いてまた目覚める…の繰り返しでした。
悪夢の頻度は歳と共に減りましたが、二年程前、AC自覚の後に見た夢を強烈に印象しています。

真っ白な壁に、私は父と母をピンで留めて、彼らを切り開き、それを展開してピンで留め、更に細部を切り開き、ピンで留め…。
一心に、私は何かを捜しているようでした。夢の中で淡々と、ただ延々と作業を続けていて、見付からないその何かを求め続けていることだけが分かっていました。

目覚めてから、しばらくは動けませんでした。
その後、私は何を捜していたのだろう、と思うと同時に理解しました。あぁ「私」を捜していたんだ、と。
彼らの中に、「娘という立場の生き物」ではなくて、「繭という人間」がいるのかを、私はずっと知りたかったのだと思いました。

現実に今、私が母と話をしたら、私は母の言動を細かく切り開いて、彼女を追い詰め、そこに「自分」を捜そうとすると思います。それは同時に、母を大きく傷付ける行為になるでしょう。
あの夢は、そこには「私」がいないことを暗示しているように思えました。
もう、あきらめるしかないのかと。
そして、そこが私のACの出口なのかもしれないと思いました。

私もKSさんと同じ年頃にカウンセリングに行って、失望して帰った体験があります。
丁度両親が離婚したばかりで、家庭を会社の犠牲にした父への怒りと悲しみが納まらなくて、上記のような悪夢にうなされる日々でした。
私が家のことを話し終えると、カウンセラーから「それはね、あなたがお父さんを許せばいいのよ」と言われました。
どうやって? それが出来なくて苦しんでいるのに!

私にとって以前は「結婚=恐怖」でしたが、夫と結婚して、「これが結婚なら、してよかった」と今は思っています。
それでも絶対に出来ないと思うことが、子供をもうけることです。これは夫と結婚する上で、彼に約束をお願いしたことでした。(正確には、お付き合い前の段階で話しており、それが問題であれば見合わせて欲しいと伝えていたことでした)

今も昔も、私は自分のことで一杯で、社会のために、子供たちのために、活動する気持ちを持つことは出来ていません。
それでも「絶対に、私のこの連鎖は絶ってやる」と誓っています。憎しみなのか、悲しみなのか、希望なのか、ごちゃまぜの感情ですが、それだけは絶対にと思っています。

夫は子供が好きなほうです。私が健全であれば、喜んで子供を望んで、可愛がったと思います。
選択は、常に彼の自由になるようにと思っていましたが、結果、それが彼に大きな負荷を掛けてしまったとも感じています。

だからでも、けれどでもなく、私は夫と幸せになることを頑張ろうと思っています。


カレンさん

>夫にとって私が必要なのかどうなのかを尋ねたとき、「必要とか必要でないとか、俺に尋ねる必要なんかないだろ(怒)!」と言われ

私も同じことを夫から尋ねられたことがあります。
その時は、そんな質問をされたことと、させてしまう程に夫を空しく思わせてしまったことに、ショックを受けました。
なんだかもう、怒りながら、泣きながら、怒鳴るようにして「なんでそんなことを、私の口から言わせるの?」と言ったことを覚えています。
普段は「言わなければ、分からない」と思っているのに(^ ^;

「必要とされる」か否か、よりももっと深刻に(多数派定型なら)「攻撃されている」と感じる言動が多いのが問題です。

暴力だけでなく、不愉快そうな表情や、無視、言葉で罵倒、ため息、などもDVの定義にも児童虐待の定義にも含まれています。論理的にダブルバインドな要求もおそらく拷問に近い効果があるケースが多いと思う。

表情や言動の自己モニター機能の弱さは、家族が共存する上でたいへんなネックになっています。パンダさん「社会ではなんとかやっているのですよね?」と問われてましたが、勤め先は何度も変わりました、1ヶ月でやめてきたときもありますが、幸い現在の職場はわりと続いています。それなりに学習したのでしょうね。でも苦労しているみたいです。並々ならぬ我慢をしているようです。高機能型の悲劇はそれが不可能ではないことでしょうか。定型ならあたりまえにできる我慢だったりするんですけど。だからよけい家ではタガが外れたような状態で自制ができないようです。

今朝、いつもの朝の登校出勤(させる)ドタバタの中で気付いたことを書きとめてみます。それは、客観的視点を欠いた自己中心視点で発せられる言動の中に、(定型的には)悪意に満ちたとげとげしい言動が、善意にくるまれた地雷のように多数埋もれているということです。

ホンの一例を披露すると、それは子供に向かって「動作がのろい」という事実の描写であったり、「早くしないと(学校に遅刻するので)社会の落ちこぼれになるぞ」というアドバイスであったりする(AS的!)。自分が30秒黙って待ってあげる忍耐力がない(ADHD的!)ために、「遅刻したら可哀相だから子供のためを思って」という善意の言い訳でくるんで、子供のボタンを全部留めてしまったり、靴をはかせてしまったりして、自分でするチャンス、練習する機会をことごとく奪っています。そして果ては、ひどい言葉で罵倒して見放すということを繰り返しています。練習させずに、できないことを罵倒する:ダブルバインドでがんじがらめにして劣等感を植え付けることになっているのですが、もちろん本人は気付かない。(客観的視点欠如!)

生活のほとんど全ての局面での、そういうこと全てが、(私から見れば)ピントのずれた善意に端を発しているから自ら止まるはずもないし、止めることもできない。止めるとモラハラの矛がこちらに向きます。(ジャイアン型AS!)これでは子供の自立と依存のバランスが悪くなることは必定です。(共依存!)

相手(子)を否定することになってることに母親は気付かないけど、それでは、絶対に子は成長できないです。そのような関わり方では、3歳時点で2歳の発達しかしてできなかったことに私には何の不思議もありません。(発達遅滞!)

そうではなくて自分が肯定的モデルを示すという発想には、どうしても切り替わらないのが不思議でなりません。母親が出勤5分前に朝食を終えていない(始めてさえいない)ことが日常であるのに、子は登校10分前にまだ朝食を食べていたりしたら罵倒される、というのが我家です。母親自身、出勤の10分前に天ぷらを揚げ始めたり、5分前にシャワーを浴び始めたりするという意味不明の時間感覚の弱さがあるのに、そういう自分が全く見えていないで、モラハラが繰り出される(無意識の自己投影でしょうね)。子の自我があやふやな頃は、意味不明なので発達がうまく進まなかったですが、ようやく自我ができてくると、そういうお母さんには反抗心でいっぱいになり、刺々しいやりとりの応酬です。挙句の果てにお母さんは家の中を台風一過のような状況にして飛び出していくわけです。

私が後に出勤する日には、それから後かたづけがたいへんです。
私が先に出勤する日には、母子の凄惨な日常が繰り広げられているらしいです。

配偶者と2人だけの頃は、配偶者を子供のように扱うことで情緒的にフォロー(帰結が私にも及ぶ場合でも、失敗にも目をつぶって尻拭いだけ)するか、さもなければ、大人として扱い、干渉しないで放っておくことがどうにか可能でした、帰結が本人だけに及ぶような場合ですね。期待値をめいっぱい下げることで対応していた状態だったのでしょうね。子供を含めた関係性の中では、当然、それでは済まないです。子供への影響を踏まえた言動が期待値となってくるので。

決定的なのは、うまくいくコミュニケーションのモデルを示すことが、お芝居ですらできないということ。日常的にまずいコミュニケーションのモデルを示すことになっていることですね。そうなると、+モデルを示せないなら、-モデルを示さないために、+も-もないシングルペアレントという選択肢も正当性を帯びてくる気もします。

KSさん、Rosamondeさん

私も、同じようなことを考えてきています。これまでの、自分の&自分たちの壮絶な闘いや苦しみ、それが子どもたちに与えてきた影響等々を考えると、

そこで経験してきたことを、

絶対無駄にはしたくありません。どこかで同じような苦境に陥っている人たちに、還元しないではいられない自分がいます。

(自分も抜けきったわけではなく、次々に新たな課題は出てくるし、たぶん新たな課題とは、その時その時、一生向かい合うことになるのだと思っていますが。)

非常勤となった仕事の中でも、自然(偶然?)、発達障害と関わることも多く、そこでは家庭での経験も大きく役立っていますし、逆に、その仕事の中で得てきたことが家庭の中で役立つことも多いです。

ずばり、発達障害に焦点を当てたボランティアも、昨年KSさんから紹介されて読んだアストン博士の本を読み終わるとほぼ同時に話が来て、そのボランティアも数か月間、実際にやってみました。

ただ、このボランティアは、扱う内容がその本人や周りの人の命にも関わるほど重いものを持っているにも関わらず、ボランティアをするにあたってのサポート体制が確立していないことから、

今の段階で自分ひとりで無償で続けることは困難だと判断し、後ろ髪を引かれる思いで今年度はそのボランティアはお断りしました。

それでも、まだ、そこで出会った人たちのことが気になり、先方に連絡を入れたところ、
「定期的に通うボランティアではなくとも、ぜひ時々会いに来て」と言っていただくことができ、今、とても喜んでいるところです。

時々、いろんなことで、意気消沈したりしながらも、

「起死回生」「転んでもただでは起きない」「塞翁が馬」「災い転じて福となす」「笑う門には福来る」です。

KSさんのアストン博士招聘とか、Rosamondeさんの企画にも参加してみたいですが、まずは、こちらでできることを、私もやって行きますね。

Rosamondeさん、今日の2時ですね。離れたところからですが、エールを送っています。


パンダさん

パンダさんのお父様がどういう方かは、このブログで知っていることだけなので、パンダさんのご両親の話ということではないのですが、

「アスペルガーの夫と境界性の妻」の組み合わせは、とても多いと思います。

最近、女性どうしのランチなどでいろいろ聞くと、「夫から必要とされていない」と感じる妻が、「子どもを守ろう・子どもは私のことをわかってくれる・子どもには私のことをわかってほしい」という感じで、境界性っぽくなっているケースがとても多いことに気づきます。

私の場合、もし、夫とうまく行くようになっていなければ、今頃かなりの割合で「境界性っぽい母親=重い母親」に向かってまっしぐらだったのではないかと思っているのです。

これは、あくまでの私が実践していること、というだけなのですが、

夫のこともあって、アスペルガー関係の知識を母にも話したり本を読んでもらったりするよにしてきているのですが、そのアスペルガーのことは父にもあてはまることがとても多く、

それによって、多少は、母も父への対応が変わってきた部分もあるようです。

高齢でもあるし、これから先、どれだけ変わるか変わらないかはわかりませんが、母からでも父からでも、少しでもこれまでとは違うパターンを取ることができるようになれば、

少しでも両親の小競り合い(?)も減り、少しでも仲良くやっていけるようになり、母が子どもに感情面で頼りすぎることも少しは減るのでは・・・

と、いう感じで、期待しすぎない範囲で小さな試みをしています。母に、この世にいる間に、「お父さんと一緒でよかった」という思いを持ってもらえたら、という娘の願いもこめての試みです。

繭さん

>その人がいる(側にではなくて、自分の世界に)と、文字通り「世界が変わって視える」のです。逆の言い方をすると、そういった影響を感じた時に「この人が好きだ」と実感します。それが私の「つながり」です。

あー・・・なるほど!なんだか、夫が結婚当初から言っていたことと、繭さんのこの言葉がきれいに「つながり」ました。

夫は、新婚旅行のときも、結婚してからも、「こんな世界があるんだ」「自分が今こんなことをしているとは」みたいなことを、しょっちゅう言っていました。

私からすると、夫は、いつどこで何を一緒にしていても、「カレンという人と、今こういうことをしている自分」に酔っているように見え、私と一緒にいるいことが楽しいとか、一緒に楽しんでいるようには見えなかったんです。

それで結婚当初はよく夫に、「あなたはナルシストなんだと思う。いつも自分に酔っているように見える」と言ってもいたし、それが続くと、私の側としては「一緒にいてもひとり」という気分にもなっていたんですよね。

でも、「世界が変わって視える」・・・そんなふうに夫も思っていたのであれば嬉しいですね。もし違っていたら、ちょっとガックリですけど。


>私も同じことを夫から尋ねられたことがあります。
その時は、そんな質問をされたことと、させてしまう程に夫を空しく思わせてしまったことに、ショックを受けました。
なんだかもう、怒りながら、泣きながら、怒鳴るようにして「なんでそんなことを、私の口から言わせるの?」と言ったことを覚えています。

そうですか、やっぱりそういうことがあったんですね(笑)。


>普段は「言わなければ、分からない」と思っているのに(^ ^;

これこれ、そうなんですよ、これで私は夫に怒りました。「普段、『言わなければわからない』っていつも言っている人が、どうして、言わないの?」と。

今思えば、お互いの当たり前とか常識が違っているから「言うこと」「言わないこと」の当たり前とか常識も違っている、でも、それに気がつかなかったから、夫と私も、ずっとかみ合わなかったんでしょうね。

別件ですが、

「結婚する・しない」「子どもを持つ・持たない」は、娘が高校生の頃からしょっちゅう口にしていることです。私としては、どうして高校生の頃から、そんなにも先のことを真剣に考えて話題にするのかあまりピンと来ないままに、ともかく話だけは聞いていたのですが、

ごく最近、繭さんのお話をこちらで聞いたり、直接娘から話を聞いたりしながら、やっと、なぜ娘があんなにも「結婚」や「子ども」のことを早い時期から意識していたのか、何を悩んでいたのか、何を考えていたのか、少しずつわかるようになってきました。

最近では、いつかチョロッと、「今のお父さんとお母さんみたいにやれるなら、結婚してもいいかな」なんて・・・ほんとに、チョロッと、言っていたこともあります・・・まだ学生だし、揺れているみたいなので、本人も私も誰も先のことはわかりませんけど。

将来結婚するもしないも、娘本人にまかせるしかありませんが、娘が将来結婚するとしたら、繭さんとご主人のような関係が理想だなぁ、と思うこの頃です。繭さんのおかげで、いろいろと心強いです。ありがとうございます(^^)

joさん

 なんだか具体的に伺うほどに、びっくりするくらいよく似てることが多いんですね……。
 とはいえ、今は違いの方に焦点を当てて考えています。

 前にも少し書いたようにもちろん違いもあって「出勤の10分前に天ぷらを揚げる」とか、
 そういう基本的な時間感覚の混乱みたいな事は私のパートナーはなさそうです。
 そういう点で子どもを混乱させてしまうということは多分無かったような気がするし、
 逆に私にはどうしてもっと融通が利かないのだろう?と辛く感じるレベルで
 「厳格にそれを守らせようする」ので、子どもがしんどい思いをした、という感じです。

 そうか。なんというか、私のパートナーの場合は、「必死で守るべき安定した世界」
 はできていたんだと思います。
 で、子どもや私はその枠に閉じこめられる感じになってしんどい思いをする。
 (もちろん完全にそれは彼女の善意で行われることです)

 そこのところでjoさんの奥さんの場合は「必死で守るべき安定した世界」を作ろうとして、
 ご自身も混乱し続けている状態にある、という印象を受けます。
 で、お子さんがその混乱の中に巻き込まれて大変になる。
 そう考えると、これまでjoさんが書いてこられたことが、
 少しわかりやすくなる気がしました。

 私が職を離れることはなかったのに対して、joさんが職を離れる決意をされたのは、
 そういう違いがあったからではないでしょうか。
 変な言い方になりそうですが、私は仕事をそのまま続けながら悩む、という形で
 なんとかごまかしてきた(もちろん成功はしなかったのですけれど)。
 でもjoさんはすべての力をそこに注ぐ必要があり、お子さんのことを考えると
 それ以外の選択肢はなかった。

 うーん、joさんが

「自分の主観のズレを補正しながら、「やっぱり自分の感じ方の方がマシじゃないか」と足場を確認して「発狂」を防止しながら生きています。」

 と書かれたことが、なんだかよりリアルに感じられるようになってきました。
 そうなるとますます「自分にとって自分の主観は正しい(または大切だ)」ということは、
 絶対譲ってはいけない一線であるように思います。

 それは「相手にとってもそうだ」ということとは違うわけですけれど、
 やっぱりjoさんにとって足場とすべき出発点はそこにしかないと思うんです。
 家族の関係の調整にとっても、奥さんがものすごく不安定な状況の中では、
 結局それこそが足がかりになるのではないでしょうか。

 お子さんが厳しい混乱状況の中で、しっかりと育ってこられたのも、
 joさんの「正気」への必死の努力があったからこそという気がします。

カレンさん

 ありがとうございます。

「これは、あくまでの私が実践していること、というだけなのですが、夫のこともあって、アスペルガー関係の知識を母にも話したり本を読んでもらったりするよにしてきているのですが、そのアスペルガーのことは父にもあてはまることがとても多く、それによって、多少は、母も父への対応が変わってきた部分もあるようです。」

 家の場合は母親の強烈な境界性的「侵入」に対抗して自分を守るために、
 もともと感情的な人付き合いは苦手であった父親が、ますますその傾向を強め、
 がちがちの防壁を作って対抗しようとし、
 そのことで「共感」や「受容」を得られない母親はますます強行になり、
 また他方で父親の代わりに私にその「受容」役を求め続けてきた
 という感じだと思います。

 父親がアスペルガー、というふうなことまでは感じないのですが、
 ですから、「後天的」に「アスペルガー的」になったところはありそうですね。

 で、比較的最近、父親には母親が境界性だと思うということを説明しました。
 そういうことを知っておくだけで、父親には支えになる部分は確実にあると思います。
 ただ、関係が変わるということは到底無理ですが。

 母親には一般的に「こういう個性を持ってるからいろいろ苦労もすると思う」
 というような説明を試みたことはありますが、
 「境界性」という言葉は出さずに、ですし、そこは境界性の人特有の感覚の鋭さで
 「何か隠している」ということはするどく感づきますから、
 今のところは「疑念」が深まってしまっただけ、という感じもします。

 母親の破壊性が私に向かうのならまだいいのですが、
 むしろ私を「奪われた」ことで攻撃は私のパートナーに向きやすくなるし、
 結果的に関係を破壊しようとするような行動パターンになりますし、
 子どもが母子関係で激しく悩み、弱っているときに、
 一見「共感する」ような語り方で、結果としては子どもの母親への思いを
 ずたずたにして、ほんとに危険な状態に追い込み、
 私も必死で子どもを支えなければいけないような状態になることもありました。

 これも境界性の人の特徴だと思いますが、
 そういう行為の背景に、決して満たされることのない
 激しい不安、孤独感などがあることは直感的によく分かるので、
 母親のことを可哀想という思いはあるんですが、
 残念ながら今は家族を守るのに精一杯ですし、
 そのあとも何が可能なのか、ほんとにわからないです。

 我が事ながら、実際、まあ壮絶なことだなあと思いますね (^ ^;)ゞ
 あの夫婦も老境に入ってなおほんとに大変だと思います。

 「母に、この世にいる間に、「お父さんと一緒でよかった」という思いを持ってもらえたら、という娘の願いもこめての試みです。」

 そういうカレンさんの願いが届くといいですね。ほんとに。

joさんのご家庭のお話、私の育った状況を思い出します。
私の母は、時間感覚は問題がなかったですし、日常がそれなりに安定していたので、他に介入する大人のいない状況でも私は育って来られたのだと思います。

強迫的に失敗をおそれる余りの、脅しとも取れるアドバイスや、いかに子供が出来ていないのかを思い知らせる為の事実の描写…よく分かります、日常でした。
ささいなことでも失敗のチャンスが与えられないというところも同じです。
うちの場合は、母自身もそれらを忠実に実行していたので、そういう教育を受けた子供の視点からは破綻が見えず、反発や反抗、「いやだ」と言うことをすべて封印されていました。一見正論なので、逃げ場がないのでした。

>そうではなくて自分が肯定的モデルを示すという発想には、どうしても切り替わらないのが不思議でなりません。

私の母の場合は、子供を考える時の視点が大きく二つに分離していたように思えます。「大人とは別の生き物」「自分や自らの子供時代と同一視」この間を飛んで、頻繁に行き来していたように見えました。
私の母は、子供がその延長線上に成長し、自分と同列の大人になるという「実感」がなかったようでした。だから、こうすればうまく行くという「将来」を子供に見ず、「問題」に着目して執着していたのかもしれない、と思います。

大人と子供は違う生き物だから、子供は大人とは別の枠に従って生きるべきである(大人に出来ていないことも要求)。
今現在の自分が出来ているから、同一視している子供が出来ないことが受け入れ難い。
子供時代の自分が出来ていなかったから、自分の子供が出来ていることに違和感を感じる。そんな感じでした。

>ぶつぶつ言ってる文句の中に、「私は家政婦か?」「私は召使いか?」というのがよくある

これもうちにもよくありました。
なにか、「押し付けられることをしてやっているんだ」と言うのが「好意の表し方」という感覚の部分があるようです。以前は私もこういうところがありました。
「すごく頑張って、あなたのことを優先しているのよ」という過剰な意思表示…だったような気がします。

家事をしている時に、夫から「そんなにいやいやなら、やって貰わなくてもいいよ。それよりもにこにこ笑ってくれた方がずっといい」と怒鳴られたり、優しく言われたり。
「行為よりも心持ちの方が重要なの??」と、はじめは理解に苦しみましたが、自分でもそちらの方が心地よいことに納得してから、徐々に「楽しく思いやる」ことが出来るようになって来ました。

ここまで書いて来て思うことは、当時は私自身もこれらを普通と思って育ったことです。
もし、両親が離婚するようなことが起きず、一見安定した家庭のままで私が成人し、結婚し、出産していたら、私は自分の育った家庭を何の疑問も持たずに「再現」していたと思います。

私は小学生から偏頭痛、自律神経失調症(めまい・のぼせ・動悸など)、入眠困難。中学生から腰痛(ぎっくり腰も)、消化器に潰瘍などの症状がありましたが、これらは母に言わせると普通のことで、母自身も似たような子供時代だったと言っていました。
ほとんどの症状がストレスを指し示していたと、私も最近になってやっと気付いた次第です。
気付かなかったら、それが「普通」と思い続けていたと思います。

育った環境の固着を、アスペルガーの特性が促進するといった感じでしょうか。

カレンさん

>夫は、新婚旅行のときも、結婚してからも、「こんな世界があるんだ」「自分が今こんなことをしているとは」みたいなことを、しょっちゅう言っていました。

私も全く同じことを思ったり、言ったりしています(^ ^)
私がこういうことを言っている時は、「夫の世界に触れているんだなぁ」とか「夫の影響を受けているんだなぁ」ということをしみじみと実感していて味わっている気持ちです。

夫には「一人であさっての方を向いて楽しんでいる」ように見えたらしく、私も「ナルシスト、自分大好き」などなど言われました(間違ってはいないですが(笑)
相手と向き合っていると、相手の言動を受信することで一杯になってしまうので、それを味わうのは、どうしても相手を見ていない時になるのかもしれない…と、自分では思っています。

すごーく格好良い言い方をすると、「霊感を与えてくれる人」とか「ミューズ」といった呼び方をするような感覚と、よく似た感じ方だと思います。
相手と関わることによって、自分ひとりでは決して生まれない感覚が触発されるような。

カレンさんは、夫さんのミューズなのではないかと思います(^ ^)
だから私は、好きな相手には自己肯定感を強く持っていてほしいのかも…と、今気付きました。

>最近では、いつかチョロッと、「今のお父さんとお母さんみたいにやれるなら、結婚してもいいかな」なんて・・・ほんとに、チョロッと、言っていたこともあります・・・まだ学生だし、揺れているみたいなので、本人も私も誰も先のことはわかりませんけど。

一番身近なところで結婚の良さを感じられるのは、娘さんに本当によかったなぁと思います。
私はどうしても、他所の家庭の幸福そうな様子を、自分の可能性に感じることが出来なくて、結婚への抵抗感はとても強くなってしまいました。
夫からは最近になって『「結婚だけはしたくないの」と泣きじゃくる女性がこの世にいるなんて、思いもしなかった。僕は人さらいか? と思ったよ』と言われました(^ ^;

>将来結婚するもしないも、娘本人にまかせるしかありませんが、娘が将来結婚するとしたら、繭さんとご主人のような関係が理想だなぁ、と思うこの頃です。繭さんのおかげで、いろいろと心強いです。ありがとうございます(^^)

読んで、赤面(赤体かも)しました。他のコメントでも、何度もしています(*^ ^*)
娘さんはきっと、私たち夫婦よりもずっと柔らかに、人と理解し合われるように思っています。
私の経験が少しでもお役に立つのでしたら、とても嬉しいです(^ ^)

カレンさん、追記です。

写真への拍手とコメント、ありがとうございます。
ちゃんと届いています(^ ^)
天とつながった花の色を、感じていただけて嬉しいです。

繭さん、ありがとうございます。

今からちょっと出かけるのですが、繭さんのコメントを読んで、こちらもとても嬉しくなりました。帰宅してから、また読み直しますね(^^)

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