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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年7月20日 (水)

世の中むつかしい!

 Solitudeさんがご自分のブログ「そうか、私は自閉症だったのか・・・」で、こんなことを書いて下さっていました。

「これは、悲しいね。 アスペなんか消えろ!寄ってくるな!っていう人達より、真剣に考えてくれる人や、 寄り添ってくれる人のほうを病ませてしまうなんて。
 そのことに対するジレンマに苦しんでいたけど、良いブログを見つけた。 「アスペと定型~アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える」」

 もしこのブログが少しでもお役に立つことがあるのなら、ほんとに嬉しいことです。

 と同時に、この前半に書かれたことについて、改めてその重たさをひしひしと感じているところでもあります。

 以前、「アスペルガーという自己理解と他者理解の不思議な例」という短い記事で書いたことにも関連しますけれど、私のパートナーもやっぱり、自分自身をアスペルガーだと確信する前の時期には、私の方のことをおかしな人間(障がい者?)だと思い続けていたそうです。

 あ、もちろん私がおかしなへんてこパンダ型非常識人間であることは間違いないんだけど…… (^ ^;)ゞ ま、ここはそういう意味では無くって(うーん、言い方難しい (^ ^;)ゞ )

 Solitudeさんが書かれてるように「アスペなんか消えろ!寄ってくるな!」という人たちは、その差別的な対応で、アスペの人を傷つけたり苦しめたりするわけですよね。で、周りがそれで固まっていてキツイ場合には、アスペの人は「自分がおかしい」と理解することを強制されることになっていくでしょう。私のパートナーも自分がアスペルガーだという確信を持って以降、かなりの間、「全部自分が悪かったんだ」という思いに捉えられてしまった感じでした。私は何度も「そうじゃなくて、ズレに気づけなかったことが問題だったんだから」と言いましたけれど、「自分は障がい者である」という強烈な社会的な枠組みはそう簡単に「自己否定」の気持ちを和らげてくれないのですね。

 私はと言うと、相手が強者で弱者を不当に傷つけているように思える場合などは別として、基本的にはそういう「障がい」という社会的な枠組みが持つ差別の力みたいなものは崩していきたいと思うし、違う特性を持ち、異質な個性を持った人間同士が、なんとか一緒に生きていく道を探っていきたいと思うタイプの人間です。

 だからアスペルガーかなと思う人にもまあそういう接し方をしていくんです。もちろん「あなたはアスペルガーに違いない」とか、そんなことは言う訳じゃないし、ただ、ほんとに困難なコミュニケーションの仕方について、なんとかお互いに工夫してやりとりしようと努力する。

 ところが、このとき、場合によってほんとに悲惨なことが起こりうるのだと知りました。そういうコミュニケーションはこちらにとってもすごくしんどいことが連続するわけです。当然その相手の人にとってもそうなるでしょう。お互いによくわかんなくて混乱するわけですし。

 で、私の方はそれは「アスペルガー問題がからんでいるから、その状態を足場になんとか改善を」と思って工夫することが、自分はアスペルガーだという観点を持たない相手の人にとっては、たんに苦しいだけのコミュニケーションをこの人は無理強いしようとしている、と理解してしまうことがあるようなのです。そして上にパートナーのことで書いたように、「おかしいのは相手だ」という理解がそこでできてしまう。

 そうするとSolitudeさんが書かれているような悲劇が起こります。アスペの人を差別したり排除したりしようとする人ではなく、(おそらく)アスペが絡む困難を乗り越えようとしてコミュニケーションを取ろうとする方の人に対して、「この人はおかしな人だ」という判断が成立してしまい、場合によって攻撃されてしまうことがある。

 なんか、二重三重の悲劇という感じがします。

 やっぱり改めて思うんですが、「差別的な枠組み」としてのアスペルガーとかいうこととは違って、異質な個性としての「アスペと定型の間のズレ」の問題がそこに「共有されているんだ」ということが、お互いに理解されていない場合には、ほんとに関係の改善って難しいんですね。一方的な「配慮」は結局なんの「配慮」の意味も持てずに、「小さな(というか大きなと言うか)親切、大きなお世話」になってしまう。

 もちろん「あんたアスペだから、関係調整しましょう」とか、そんなこと相手にいきなり言えるわけ無いですしね。それこそひどい差別的な対応になってしまう。かといって見ていて「ああ、このひとはそれで苦しい思いしてるな」と感じてしまう人を放っておくのも、なんか可哀想でつらいですしね。

 世の中難しい! ……(-。-;)


 

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コメント

はじめまして、まもと申します。
たまたまこちらのブログを拝見しまして、コメントさせていただきます。
夫の立場から配偶者のアスペルガーについて述べられているケースはなかなかありそでないですし、今後はときおり寄らせていただきたいと存じます。
さて、うちは同居の義母が結構バリバリなアスペルガーで、妻にも部分的にアスペルガー的なところが見受けられます(私も定型かというと自信がありませんが)。
同居してからは、さすがにアスペ問題を避けて通れなくなり、「アスペルガー」という言葉を使うこともやむを得ないと判断して妻に切り出したはいいものの。。
いまだに「精神病扱いして」とか「何か迷惑がかかってるの」と言われる状態です(T_T)
まあ、職場でも、上司や部下にアスペ的な人を見つけることに不自由しない環境ですが、私の経験では、本人が問題意識がない場合、いくらこちからかどうにかしようとしても、無駄に終わってしまうことがオチなようですね。残念ながら。。
アスペの人の家族がまず認識すべきは「理解しあえることを諦めること」と何かの本にありましたが、そのとおりなのかもしれません。
保護者的な立場を貫く決意がなければ、距離を置いておくほうがいいのかもしれないなと思うこのごろです。寂しいですが。

まもさん

 はじめまして。
 
 定型(だと自分で思っている)夫の立場で書き込んで下さったのは
 常連のjoさんと私に続いて三人目かな。
 あと、やはり常連の繭さんはアスペルガーということなので、
 その夫さんは同じ立場になりますね。
 こういう立場はどうも世間的には少数派に属するようですが
 どうぞよろしくお願いします。

「保護者的な立場を貫く決意がなければ、距離を置いておくほうがいいのかもしれないなと思うこのごろです。寂しいですが。」

 これは定型の側から見るとほんとになんか核心に迫るような大問題ですね。

 あと、「アスペと定型のズレ」という問題を共有できるかどうか、
 どうやったら共有できるのか、ほんとに難しい悩ましい問題です。
 私の所はあるいみ私が自己崩壊を起こしてようやくその時が訪れた、
 という感じでしたけど、それでは困りますものね。

 でも、そうでなくてアスペルガーの方本人からそういう問題の 
 理解をするようになられる場合も確実にあることも知りましたし、
 (繭さんの例もそうです)
 何か道はあるのではないかと思いたいところです。  

また拙い経験を共有していただきたいと思います。

この山で、私が一番最初に取り付いたのが、役所の社会福祉士でした。もうかれこれ○年も前になります。貯金や技術も残っていた頃のこと。その人は、私の長い長い長い長い長い話を2度ばかり聞いてくれて、どこか相談できるところはないのか、と泣きつく私に、支援センターやら医療機関の情報をくれたのですが、その時のこと。
「そういう所へ行くのもひとつですが、いかないで別居すると距離を置くとかして解決するということも選択肢ですよ。どうしても、とおっしゃるならこれから医療機関等も紹介しますが、そうなるとかなり長くかかるので覚悟が入りますよ。」
というような内容でした。当時、私はというと、
「へ?」
という感じでした。配偶者が何かわからないけど何かの精神的な問題を抱えているのだろうと思っていましたので、(問題があれば、医療機関等へ行って解決を求めるのが一番の近道じゃないの?なんで?長くかかるというのは、どういうこと???)と感じていたのですけど、その人の言ったことの意味は、後年、徐々に姿を現してくることになりました。その哀れむような目で私を見ていた表情も今になってみれば意味がわかります。いかにも有能な社会福祉士さんだったので、あの2回の面接で我が家で何が起きているのか、その先の可能性としての道筋も、かなり見通せていたのだろうと思うわけです。

今、振り返って考えると、「あんたオカシイ!私マトモ!価値観の違い!はい、終わり。」という形に持って行けてたら、おそらく両者にとって、家族全員にとって一番傷が浅かったのだろうと思います。とっくの昔にどんな形であれ破壊の後の再スタートを切って、建設的な方向で(破壊の後だからその方向しか残っていないはずだから)動いているはずの今なんですよね。

投資がかさんで、損切りができなくなった状態を、コンコルドファーラシーとかいうんでしたっけ。

joさん

 「損切り」の話、実際シビアですね。
 いつか、今損に見えていることが大きな宝にならないとも限らないけれど、
 でも今それが損に見えることの意味が大きいんですもんね。

 奥さんは奥さんなりに苦しいんだろうし、
 そこが「じゃあ一緒にどうにかしよう」という方向になかなか進まないのは
 どうしてなんでしょうね。
 実際、うちでもずっとそうだったわけですし。

 それと、
 どこにも悪意が無いことが分かってしまって、でも深く傷ついているのも間違いなくて、
 という状態って、ある意味で一番しんどいかも知れないですね……
 しかも傷ついてるのはお互い様と見えたりすると……

 みおさんが書かれていたように、どこかで思いっきり自分の傷ついた思いをはき出す、
 ということもホントに大事なことだと改めて思う今日この頃です。
 それがあって初めて次のステップがありうるような……


みなさん

 ところで、他の皆さんにも合わせてのちょっとしたご提案ですが、
 コメントではなくて、記事の方を時々お書きになるお気持ちはないですか?
 コメントでかなりまとまったことを論じて下さることもよくあるので、
 なんか記事にした方が議論もしやすいし、色んな方の目にもとまりやすいし、
 ブログももっとふくらみが出るかなと思うんです。

 もし「記事を」と思って下さる方があれば、
 左のパンダの絵の下の方に「メールの送信」があるので、
 そこからメールで送っていただければ、私の方で記事枠でアップします。
 ぼちぼちご検討いただけると嬉しいです。

 

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