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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年6月15日 (水)

対話的なバランス

 ある方に「アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得」(ルディ・シモン スペクトラム出版社)という本を頂きました。著者は「ニューヨーク在住の文筆家かつアスペルガー症候群の教育者」と紹介されていて、ルディさん自身は本の情報源を次の三つだと言われています。

 ・私個人の経験
 ・私のウェブサイトを通じて連絡をくれた男性と女性へのインタビュー
 ・ASの人のためのフォーラム

 つまり、彼女自身のパートナーがアスペルガーなんですね(補足:実は彼女自身も40歳代でアスペルガーという診断を受けているようです)。で、22ある章には、それぞれその章のテーマ、たとえば「孤独あり」とか「人前での愛情表現は、おそらくなし」、「コミュニケーションはいつだって難題」、「ベッドではあなたよりも消極的」、「たいへんなときに、そばにいてくれない彼」、「『彼はしょせん、男なのよ』という周囲の声」など、定型の当事者が出会うような具体的な困難について、まずその概要を紹介し、彼女から見たその理解を書き、それから「彼いわく」という形でアスペルガー当事者の発言を2~3引用し、その後そういう事態をどう受け止めたらいいか、どう対処したらいいかの対策を書き、最後に「ポジティヴノート」という形で、一見マイナスに見えるその事態をポジティヴに受け止め直す視点を提案する、という形になっています。

 短いものですが「彼いわく」という、アスペルガー当事者の声を載せてあったり、定型の側からは否定的に見えやすい事態について、その積極的な面をあえて考えてみるという姿勢をとっていたり、「定型の側からの一方的な決めつけはしない」という姿勢を頑張って貫こうとしていますし、例のアストンさんもこの本に寄せた序文の中で「ASの男性との関係について書かれた本は沢山出ています。しかし、ルディ・シモンによる本書ほどASの男性とASでない女性の両方の見解を深い洞察力と理解をもって正確に記したものを私は読んだことがありません。読み進めるとわかることですが、どの章も現実的かつ肯定的で、偏見がありません」と書かれています。


 私のパートナーは女性ですから、この本とは逆のパターンですけれども、書かれている困難な事態については、やっぱり共通点がとても多いですね。「ああ、やっぱりそうか」と改めて思えることがたくさんありました。

 読み進める内に、でもちょっと息苦しくなる部分がありました。それは「大変だけど、でも頑張って前向きに受け止めていこうね。ちょっと視点を変えることで、マイナスにしか思えないことも、プラスに見えるところだってあるかもしれないし。相手に期待しすぎずあきらめて、辛すぎるところあまり無理をしないで、気をそらして別のことをしたり、一人になったり、別の友だちとつきあったりして補いましょう。」というような感じの文章が続くことです。たとえば次の文章。

 「ASには、しばしば、うつや無力症、不安がついてきます。処方箋を書いてくれる医師もいますが、薬の効き目は一定の間しか続きません。彼にとってやりがいが感じられることを探し、激励したり側面から支えるようにしてみてください。ただし、押しつけてはいけません。彼の怠惰について小言を言ったり、批判するのはよくありません。観劇、旅行、秋のドライブなどは控えましょう。そういう社会的な活動は、アスピーが得意とするものではありません。ここまでくれば、あなたの忍耐力はもはや聖人並だと思います。その忍耐を保って、あとは、あまり考えすぎないように時間を他のことに費やしてみてください。」(11.「長い間ふさぎこんだり、まったく無気力になる」の「対策」部分)

 特にアンダーラインのところなど、「わ、しんどい!」と思ってしまいました。私は聖人になるのはちょっと(死んでも)無理ですし。原文を知らないのでもしかすると私の理解と本当はニュアンスが少しズレるのかも知れませんが、まあずっとそういう感じで書かれているところが多いので、そんなに大きくはずれないでしょう。

 とはいえ、お互いの努力が大事という感じのことは何度か言及されているし、そのためには「アスペルガー」という共通理解が力を発揮することも書かれているし、そして最後には次のような言葉で結んでいるし、アストンさんの言うように、定型当事者である彼女の経験をふまえたバランスの取れた本だと思います。

 「『彼は、そして彼との関係は、本当に努力してつなぎ止める価値があるだろうか』 これはあなたにしか答えられない質問です。答えは、あなたがどれだけ彼を愛しているか、どれだけ相性がよいか、そして二人がどれだけ思いやれるかにかかっています。 どんな関係でもメインとなる成分は幸福であるべきです。あなたも彼も、他の人たち同様に、幸福に値する人間なのです。あなたと彼が、二人の幸せをみつけられますように。」

 
 その上で、私はこういう「バランス」の次に大事なことは何かと考えるんです。というのは正直なところ私にはやはり物足りなさも残るのでからなのですが、それはここで実現している「バランス」、アストンさんが「深い洞察力と理解を持って正確に」という「バランス」は、やっぱり「定型の目から見たバランス」になってるような気がすることが原因だと思います。

 もちろん定型の人間は定型の感じ方や物の見方から完全に自由になることなんてできませんから、定型の側から語ればそれが「定型の目から見たバランス」になることは、もう逃れられない運命です。聖人や神様になれるわけじゃないですし。そういうの、医者とか専門家とかでも同じでしょう。まあ医者とか専門家を聖人や神様と思う人はいないかもしれませんが (^ ^;)ゞ、でも現実にはなんかそういうふうな姿勢で書いたり診断したりすることが多いですよね。

 じゃあ、そういう無理難題を越えるにはどうすればいいか、ということなんですが、結局「自分は自分の視点でしか見られない」という現実を受け入れる事じゃないでしょうか。いや、だから「それしかできないからそれでいいんだ」と開き直るという意味ではありません。「自分にはそれしかできない」からこそ、「相手の視点を求める」必要があるという意味です。

 「あなたのこの行動、私が定型的に見たら、こう感じてしまうんだよね。」とアスペの人に言ってみる。アスペの人だって逆にどこまで行ってもアスペの見方を完全には逃れられませんから、「いや、アスペの私から言えばこういうことなんだけど。定型のあなたがどうしてそういう変な風に見るのかな?」と問い返す。

 どうしても視点がずれた者同士が、そのどちらかの視点を一方的に絶対正しいものとすることなく、ズレを前提にしてバランスを作っていくには、そんなやりとりが大事なんじゃないでしょうか。つまりこのブログの中で少しずつ作られつつあるような、そんなやりとりが。

 
 そんな願いを持っている私にとっては繭さんの次のコメントは結構(良い意味で)衝撃的でした。社会的にはなかなか肯定されない立場に立たされてしまっている少数派のアスペの方が、そこでアスペであることに卑下するのではなく、ここまで対等に自己を肯定しながら多数派と考え合う可能性がちゃんとあるんだと知って。

 「私はアスペルガーでも、人格障害でも、定型発達でも、中身そのものが変わることはありません。それをどう呼ぶか、どう説明したら、安心して歩み寄れるのか…ということなのかな、と思っています。勿論、治療可能な疾患であれば、私にも重要度が増すのですが、アスペルガーは工夫と改善が主ですし、私は自分の世界の視え方が好きなので、そこが「治療可能」としても、治すつもりはありません(笑) 私は私です。」

 お互いに、そういう自己肯定を前提にし、そしてそのことの結果として相手を肯定し、そういう人間同士としてのバランスができること、それが私の願いですね。そのためにも「私は私」であり、そして「私は私」でしかない、ということをどこまで受け止められるかが大事になる気がします。

 そういうバランスは、定型の人が一方的に語ることでも、アスペの人が一方的に語ることでも達成しきれない。もちろん「語る」と言うことそれ自体に定型とアスペの間に独特の難しさがあることを前提に、「語り合うバランス」を模索すること。私がこの本に(も)感じた「物足りなさ」はそこの部分に踏み込めていないことなんだと思います。

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コメント

質問なのですが、定型の方たちは世界の視え方も周囲の影響を受ける柔軟性があって、かなり変わり易いものなのでしょうか? 以前、私の夫がそのようなことを言っていて、びっくりしたのです。

私も全く変わらない訳ではなく、少しづつ影響を受けて変わりますが、趣味的な好みや美醜といった感覚的なものはとても影響が少ないです。
自己肯定感の低さを私がぼやいているときに、夫に「繭さんはそれでも自分が失われないから不思議だよね」と言われて意味が分からず、聞き返した答えが上のようなものでした。

以前にパンダさんがどこかで書かれていたこと「子供の頃から、感覚・感性的なものを周囲に合わせて調整していく(だったような)」これも同じようなことなのかと思うのですが、私にはちょっと想像が付きません。多分記憶に残らないほど昔に、環境の影響の下に形成された筈なのですが…。それ以来、好きなものはずーっと好きなままです。

前置きが長くなりました。
もし定型者が環境によって感覚・感性のレベルまで柔軟に対応できるのだとしたら、パンダさんが私のコメントに衝撃を受けられたのが理解できると思いました。
「頑固」「こだわり」といった言葉がちらついています(^ ^;

私は自分が根本的には「変われない」ことを前提にしていますが、もし定型の人の多くが「変われる」ことを前提にしているのだとしたら、そのズレは大きいです。是非知っておきたいと思いました。

「変われない」私の基本的な対応策は、自分と他人を同一視しないことです。
その人が望んでいることが、その人にとっての最良であることを基本にしています(急病などは除く)。

だからなのか、時折話題に上る「ひとりにさせてほしいと言われて苦しむ」というような葛藤は日常生活ではほとんどありません。その代わり、言葉に出して確認することは多いです。
夫が弱っていたら、「今はどんな気分? ひとりでいる? それとも一緒にいる?」などと聞きます。私にはそこまで雰囲気で察することが出来ないので、言葉は大切です。
聖人並みの忍耐力を夫に要求することは避けたいです…。

先程、帰宅した夫にこちらの記事の話をしていました。
その中で、パンダさんが何故私のコメントに衝撃を受けたのかがよく分からなかったことなどを話したら、夫曰く「何故か分からないと思うそこが、パンダさんの驚いた元だと思うから、分からなくて当然なんじゃないかな」と。

分からなくて、少しぐるぐるしています(^ ^;
パンダさん、お手透きの時に、衝撃の理由を教えて下さいませんか?
順序立った文章などは大丈夫なのですが、気持ちや心の反応などが時折、虫食いのように分からない時があって、現実世界では聞きづらいのですが、教えていただけると、とても嬉しいです。

繭さん

「定型の方たちは世界の視え方も周囲の影響を受ける柔軟性があって、かなり変わり易いものなのでしょうか?」

 上に書かれた繭さんのことを基準に考えると、かなり変わりやすいんでしょうね。
 たとえば流行とか、どんどん変わるじゃないですか。
 あれって周囲の人たちの雰囲気に影響されちゃうんですよね。
 で、流行が去ると「あれ?なんでそんなに良かったんだっけ??」とわかんなくなる。

 小学生とかも「牛乳キャップ集め」とか「お酒の蓋集め」とか、「カード集め」とか、
 はやりがあるけど、あれも時期が過ぎればすーっと消えてしまう。
 周りが「これ格好いい!」とか言ってると、なんとなくそんな気になるんですね。

 海外旅行とか行くと、最初の内、そこの国のお金がまるで玩具銀行の玩具のお金
 みたいに見えますけど、使っているうちにだんだんと「お金だ~」という実感が
 湧いてきます。高額紙幣とかも「値打ち」が感じられるようになるし。

 そういうのも言ってみれば周りの雰囲気に飲み込まれてそう感じてしまうわけです。
 (そういうのはアスペの人はないのかな?)

 とにかく、半ば無意識に周りの雰囲気に染まってしまうというのは相当ありますね。
 あとから「変わった」ことについて理屈を考えたりすることはあっても、
 結構無理矢理の後付みたいな感じだったり。

 「好きなものはずーっと好きなままです。」

 これ、逆に質問なんですが、食べ物の好みとか、子どもの時と
 大人になってからで変わったりしないんですか?
 私の場合、たとえば子どもの頃に大嫌いだったジャガイモ、牡蠣、ピーマン、
 山椒、納豆……などは、今は平気か大好きかですね。
 「この味は大人にならないと分からない」などと嘯いてるわけです。
 

繭さん

 お手すきのパンダです。
 今先のコメントにお返事したら間髪を入れず、次の質問が来てました (^ ^;)ゞ

「パンダさんが何故私のコメントに衝撃を受けたのか」

 これ、書き方が少し悪かったかも知れませんが、全然悪い意味の「衝撃」ではなくて、
 自分自身がそこまで実感として想像していなかった重要なことを
 バシッと繭さんが言われていたことに「すげー、実際にほんとにそう思えるんだ!」
 という感じで驚いちゃったと言うことと、

 もうひとつはこれまで繭さんは「自己肯定感のなさ」の方を強調されてて、
 そういう繭さんのイメージをすごく持ってたので、
 ここまで堂々と「私は私」「治療などしたくない」と力強く断言されたことが
 ある意味想定外だったし、それから「格好いい!」「すげ~」と驚いたという感じですね。

 なんか、そこまで堂々と自己肯定をしてくださると、
 ほんとに対等なやりとりになると思うんですよ。
 そういうことが可能なんだ、ということを見せていただいた気がして、
 そこもまた今のところの予想を超えていたので、良い意味で「衝撃」。

(ちょっと記事本文にも言葉を足しておきました)

ツッコミコメントでもよろしいでしょうか?

パンダ兄さん、「アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得」の著者ルディは、アスペルガー当事者でパートナーがいて、3番目のパートナー(マイク)が定型さんです。

日本語訳された最初の本を読んでいたら、ルディがアスペルガーのパートナーかと思っていました。

最近、2冊目の本(アスパーガール)の日本語訳本が出て、読んで見たらビックリしました。ルディ自身の経験談を書いてあるのですが、彼女がアスペルガー当事者で子供(娘)がいて、バツ2(2回結婚して離婚している)で、今のパートナーは定型さん側の人だと書いてありました。

最初に訳された本だけ読んでいたらわからなかったのですが、自分の経験とサイトに寄せてきた自閉さん男女へのインタビュー(リサーチ)、自閉さんのフォーラムで、自閉さん関連本3冊出版しています。※もう1冊はファンタジーを書いています。

『アスパーガール』はオススメです。スペクトラム出版社刊です。

参考までにルディのウェブサイトを挙げておきます。

http://www.help4aspergers.com/index.html

ではでは。

パンダさん、早速の解説を、ありがとうございます(^ ^)
記事の追記部分も、とてもよく分かりました!

なるほど~と読ませていただいて思ったのは、多数派・少数派ということそのものへの印象にも、(少なくとも私は)ズレが大きいのかもしれない、ということでした。

私の頭の中では、多数派:多い、少数派:少ない
一般的考えは、 多数派:優勢、少数派:劣勢 でしょうか。

少数派であることによる不便さは沢山あるのですが、それが感覚的な不安感へ、すぐには結びつかないことが多いです。遠回りで不安になることは結構あります。
反対に、多数派に属することの安心感も、鈍いように思います。

改めて考えてみたのですが、私のアスペルガーらしき傾向で、自分も周囲も困ることは「よろしくない。改善したい」と望んでいますが、アスペルガーの可能性や少数派であること自体に、私は劣等感を持っていません。
現実世界での生きづらさや、ネット上でアスペルガーが叩かれているサイトも見ていますが、そこから自分を否定する気持ちにはつながって行かないみたいです。
すごく凹みはしますけど(^ ^;

私の自己肯定感の低さは、かなりの部分で母親が源泉で、それが周囲の現実と高低どちらにも乖離していることが悩みです。周囲に否定されるからとか、肯定されるからという影響ももちろんあるのですが、自分の中の母の声の方が今のところ強いです。

感覚的には、生まれながらの身分制度の世界に、自分だけ低い身分ではまり込んでいるような心持ちです。そこには理由はあるようで、ないのです(しいて言えば、「私」だから)。
最終的にそれを取り込んだのは私ですから、母の声に負けずに、取り除きたいと思っています。

アスペルガーの配偶者に悩んでおられる方の中には、配偶者の不思議な程の自信のありようについて語られることが見受けられますが、私と同じ理由で逆に肯定感が強く出ていることもあるのかも、と思ったりします。

>なんか、そこまで堂々と自己肯定をしてくださると、
 ほんとに対等なやりとりになると思うんですよ。

そうなのですね(^ ^)
夫とのやりとり、特に「お話し合い」では、この肯定感の部分が出ていると思います。そんな感じで、お互いに一歩も引かずに延々と…となるのです(笑)

夫に「繭さんは、本当は自分に自信があるんだよ」と、穏やかな言葉・喧嘩中の言葉、両方で言われたことがあるのですが、そういうことだったんだ…と改めて思い出しています。

>たとえば流行とか、どんどん変わるじゃないですか。
 あれって周囲の人たちの雰囲気に影響されちゃうんですよね。
 で、流行が去ると「あれ?なんでそんなに良かったんだっけ??」とわかんなくなる。

やはり、定型の人たちは変化に対する柔軟性が高いのですね。
私も影響を受けますが、少しづつ、ゆっくりです。

流行については、今も昔も波に乗れないことが多くて、「なんだか楽しそうだけど、楽しさがわからない…」と遠巻きに見ています。反対に、流行がツボにはまったときは、周囲が飽きてもしつこく続けていて、気付くと誰もいなくなっていたりも。
幼い頃に「流行に流されるなんてみっともない」と言う母親の声を聞き続けていたので、自分でも文化的なものなのか、影響の受けにくさなのか、不明です。

女性は特にファッションの流行が早いですから、十代・二十代の頃はついて行けないことがコンプレックスでした。最近は年齢的に周囲の声も静かになりましたし、自分の好きなものが流行ると、いそいそとそれらを買い込んで、それが廃れたあとも使い続けています。その年によって、当たりとはずれがあって、当たり年は予算を増額します(^ ^)

>そういうのも言ってみれば周りの雰囲気に飲み込まれてそう感じてしまうわけです。
 (そういうのはアスペの人はないのかな?)

なきにしもあらずです。
学生の頃は、クラス中が盛り上がっている中で、まったく付いて行けずに、むしろ「なんか怖い」と思って固まっていたりしました。今も、スポーツの応援などの盛り上がり方は、正直怖いです。あと選挙も。
誰かが怪我をしたりして、周りがパニックの時に、一人冷静なこともあったりします。
時間を掛けての変化でしたら、一緒に楽しめます。

お金については、「価値」と「印刷された紙」と両方の視点があります。
外国通貨は、玩具銀行の感じが強くなりますね(笑)旅行中の一週間程度だと実感が薄いままです。
今でもお札を見ながらしみじみと、「みんなタヌキだから、この紙に価値があるんだなぁ」と思って、タヌキのつもりでお金を大切にしている部分があります。
もし宇宙人がレポートしたら、「地球人の多くは、ある種の繊維片を彩色し、何よりも価値のあるものとして大切にし、お互いに交換し合っている」なんて妄想して遊んだりもしています。

食べ物の好みは、好きなものが追加されることはあります。
一番好きな食べ物は、トマトとチョコレートで、幼稚園前から王座不動のままです。

子供の頃に苦手だったもの、ピーマン・春菊はある日突然好きになりました。
苦いもの・辛いものは、段々大丈夫度が上がって来ています。
相変わらず苦手なのは、わさび漬け・奈良漬・肉の脂身・甘すぎるもので、今も食べると鳥肌が立ちます。あと、炭酸飲料は喉が痛くて苦手です。

好みの全体的な傾向は、余り変わらないです。
子供の頃から煮物や野菜が大好きで、今は自分が作るので、むしろ傾向は強まっています。

Rpsamonde姐さん

 「ルディは、アスペルガー当事者で」

 え゛え゛え゛~ w(゚o゚)w

 う、嘘でしょう~ とびっくり (*o*)

 「日本語訳された最初の本を読んでいたら、ルディがアスペルガーのパートナーかと思っていました。」

 そうですよね!
 だって、たとえば

「性的な関係がうまくいっていても、彼は一人で眠りたがるかも知れません。同居しているかどうかは関係有りません。あなたは拒絶されたように感じて戸惑うでしょう。……あなたから離れ、ソファやベッドの端で高らかにいびきをかく彼をよそに、あなたは自分が何か嫌われるようなことをしたのだろうか、彼に飽きられたのだろうか、と思い悩んで眠れないかもしれません。落ち着いて、論理的に考えてみてください。原因はあなたではなく、アスペルガー症候群にあるのです」

 とか書いて、そのあとにポジティヴノートとして

「彼がソファで眠れば、ベッドを独占できるではありませんか。眠れない夜には本を書く時間もできるはず(私がこの本をどうやって書いたか、もうおわかりでしょう)。」

 とか書いてあるし、どう見たってアスペルガーの夫がソファで眠っているときに、眠れなくて定型の著者がベッドでこの本を書いた、としか読めませんものね……。

 この本で著者は嘘をついてると言うことでしょうか?
 うーん、もしそうなら、アスペルガーの人がここまで定型の視点に立って文章を整理できる、ということ自体驚きで、私のアスペルガーの人の理解の仕方について持っていたイメージを、もう一度作り直さないといけないですね……。

 「アスパーガール」の「内容紹介」を見ると、

「アスペルガー症候群の女性「「アスパーガール」本人(10代から50代まで)や親御さん、教師、医師、臨床心理士など支援にかかわる専門家たちが、アスペルガー症候群の女性の特徴を知り、思春期から壮年期までの人生のさまざまなステージで直面するいろいろな困難や課題について、アドバイスやヒントを提供する座右の書。多数の当事者女性と数人の親御さんへのインタビューから得られた経験に基づく様々なニーズや解決法、アドバイスを満載している。」

 等と書いてあって、ここでも著者がアスペルガーということは書いてありませんでしたが、今度機会があったら確かめてみますね。

 まあ、仮に彼女がアスペルガーであったとしても、ここで書いたことの骨子については特に変更する必要はないとは思いますが、ああそれにしてもびっくりした~ (^ ^;)ゞ

繭さん

「少数派であることによる不便さは沢山あるのですが、それが感覚的な不安感へ、すぐには結びつかないことが多いです。遠回りで不安になることは結構あります。反対に、多数派に属することの安心感も、鈍いように思います。」

 なるほど~!

 やっぱり定型は「徒党を組む」ことが重要なんですね。集団にいることで自分を守ったり発揮したりする。それでそのためのいろんなテクニックを発達させているわけです。群れる動物はみんな何らかの形でそういうテクニックを作り上げてますけどね。チンパンジーとかもすごいみたいだし。直接おつきあいしたことはないけど(^ ^;)ゞ 「多数派に属すると安心感を持つ」というのも、そういうことと関係すると思います。「助け合い」とかもそういう話になるし。

 あ、もちろん定型の中にも「百万人と言えども我一人行かん」みたいなそういう人もあるけど、それは「俺が正しいんだから、誤った道を歩む者は考え直してみんな俺についてこい!」ということですしね。群れることを重視していないということとは違うし。
 
 「改めて考えてみたのですが、私のアスペルガーらしき傾向で、自分も周囲も困ることは「よろしくない。改善したい」と望んでいますが、アスペルガーの可能性や少数派であること自体に、私は劣等感を持っていません。」

 なるほどなるほど。この区別は結構重要そうだな。

「現実世界での生きづらさや、ネット上でアスペルガーが叩かれているサイトも見ていますが、そこから自分を否定する気持ちにはつながって行かないみたいです。すごく凹みはしますけど(^ ^;」

 人からの評価で凹むということと、自己否定がつながらない、というのも、やっぱり「人に影響されるかどうか」という問題ですよね。だとすればすごく一貫してるんですね。

「私の自己肯定感の低さは、かなりの部分で母親が源泉で、それが周囲の現実と高低どちらにも乖離していることが悩みです。周囲に否定されるからとか、肯定されるからという影響ももちろんあるのですが、自分の中の母の声の方が今のところ強いです。感覚的には、生まれながらの身分制度の世界に、自分だけ低い身分ではまり込んでいるような心持ちです。そこには理由はあるようで、ないのです(しいて言えば、「私」だから)。

 好みが変わりにくい、ということでしたが、そういう好き嫌いや愛情などに関することについて、最初に身につけたことをこれも一貫させる、という生き方が自然になっているんでしょうか。後に周りの影響を受けて変化することが少ないということで。

「アスペルガーの配偶者に悩んでおられる方の中には、配偶者の不思議な程の自信のありようについて語られることが見受けられますが、私と同じ理由で逆に肯定感が強く出ていることもあるのかも、と思ったりします。」

 ということですよね。とすれば、定型の場合、思春期くらいで外向的な人が内向的になったり、内向的な人が外交的になったり、がらっと性格が変わっちゃう人が(特に女性で)結構多いような気がするし、自己肯定感についても経験でかなり変化すると感じるんですが、自己肯定感が高い人も低い人もそれに関してアスペルガーの人は一生かなり安定し続ける傾向があるんだろうか?

 わあ、ちょっと面白すぎて、お返事がどんどんながくなっちゃいますね。とりあえずここまでで……。

あんまりめずらしくないですよ。びっくりに値しないかも。

僕の妻はエイリアン 「高機能自閉症」との不思議な結婚生活
2005 新潮社 泉 流星

定番ですけど、これは読みました?定型さんが自動的にやることを手動でやってるからこそ、そういうものが書けるってことかと思ってますけど。ちょっといろいろあって、、、しばらくROMるつもりです。

おお、何時間かのでものすごいコメント数・・・!

ここでパンダさんが書かれていること、私も同じように思うことが多いです。最初の頃、アスペルガーについての本を読んで抵抗を感じた理由が、「定型」からの高飛車とも感じられる見方や文言でしたし(当初は子どもについての本しかなかった、ということもあるのでしょうが)。

アストン博士の本や吉瀬先生の本は、できるだけアスペルガー本人とその周囲の人に寄り添おうとする本で、その「周囲の人」としては実際にとても助かったのですが、その中で最も私にとって重要な意味を持ったのは、

アスペルガーの人と定型の人の具体的な脳の働き方の違いについての説明や、アスペルガーの当事者が語る、ご自身の感覚や考え方の部分でした。脳の働き方や身体の感覚が違うから、アスペルガーの人と定型の人の関係の中ではすれ違うことが多いのだ、とすごく納得することができたのです。

そして、それがより具体的にわかり始めたのが、ここで繭さんやRosamondeさんから、ご自分の感性や身体感覚や考え方についてのお話を伺うようになってから。特に、もしここで繭さんからのお話をお伺いしていなかったら、私は娘のことには気づかないままだったかもしれません。

(夫の感覚や考え方については、今まで2人で話した範囲においてはある程度知ってはいるけれども、まだ知らないこと・わかっていないことの方が多いかもしれません。)

パンダさんが書かれている「聖人」については、いろいろ思うところもありますし、皆さんのコメントを読んで思ったこと感じたこともたくさんありますが、そのうち追い追い・・・。

たくさん本のご紹介もいただいているし、読みたい本もいっぱいです(^^)

繭さんの質問に私も答えてみます。定型と思っている自分の経験に過ぎませんが。
私は学生の頃からヒット曲やロードショーよりもインディー音楽や単館映画が好きで、そういう意味では少数派ですが、少数派なりのまとまりがあって、その中では影響されまくりでした。自分がいいと思っても、これを好きと思っていいのか?逆に、あれの良さが分からないとダメなんじゃないか?とか。そういう訓練をしているうちに、いつの間にか自分の本来の趣味なのか影響の結果なのか区別がつかなくなった部分はあると思います。もともとマイナーなものを好きになったのは、DV家庭で世間一般の幸せの価値観から外れたから、アンチなものを求めてたからだと思うのですが、結局、アンチにはアンチの世界の価値観がありますから。価値観の定まらない思春期は特に影響されたと思います。
歳をとるにつれ、自分が好きなものが確固たるものになってきて楽になりました。

以前、ちょっとふざけた芸能コラムで、ひと昔前の広末涼子人気のことを集団ヒステリーと書いてったのですが、そういうのはありますよね。(可愛くないという訳じゃないですよ。でも、あのフィーバーぶりは凄かったです。)

自己否定と自己肯定については、私は夫の根拠のない自信が不思議でした。自分を責めないし、劣等感もない。運動神経いい?と聞くと「悪くはないな」と自信たっぷりだったけど、よく聞くと運動会でビリから二番目だったとのこと。ビリにはならなかった、と得意げでした。夫は、愛情たっぷりだったかどうかは疑問ですが、成績がよく両親の期待にガチッとはまって育ってきたからじゃないかと分析してます。この辺りのことは私のブログの方にも書いてます。

繭さんの自分を変えたいと思わないという気持ちは、本当、清々しいです。拍手したくなります。

最近、私は夫の親や上司から説教されて、自分はダメなのかとちょっとモヤモヤしてたけど、自分が本当に大切だと思う人に恥ずかしくない自分であればいいんだ!と勇気がでました。

joさん

 「僕の妻はエイリアン」はまだ読んでないです。今注文しました。
 これはアスペの奥さんがダンナに扮して書いたものですね?レビューなどを読んでると、「22の心得」とはちょっとスタンスが違うようでには感じましたけど。
 
 今ちょっとネットで見ていたんですが、ルディさん、本は書くはコメディアンはやるは、ジャズシンガーはやるはの多才な人で、40代でアスペの診断を受けて、自分のことを「アスパーガール」と好んで呼んでるらしいですね。いや、今回はほんとに驚きました。

 私のパートナーは本を読んで気が重くなった感じらしいです。「あれができない、これができない」ということが並べ立てられているのを読んで。ただ「アスパーガール」の方は、アスペルガーの女性を応援するように書かれたものらしいので、また印象が違うかも知れません。Rosamondeさんお勧めですしね。

 なんにしろ予想もしないところでいい勉強になりました。

 またROM専からのご帰還を楽しみにしています。


チロさん

 「繭さんの自分を変えたいと思わないという気持ちは、本当、清々しいです。拍手したくなります。」

 に私も賛成の一票を。

joさんへ

ロムに入られるということですが、ひと言お礼を言いたくて書き込みします。

今月に入った頃から、やっと、joさんがずっと言われていたことと自分の身の周りで起こってきていたことが結びつき始めました。

先天的・後天的・反応性・鬱・身体感覚・視野狭窄・注意欠陥・音に対する反応(反応のなさ)等々のことが、「あー・・・!」という感じで、自分たちのいろいろと繋がってきた感じです。

途中にはもちろん、繭さん・Rosamondeさん・Anさん・joさんの奥様・パンダさんの奥様のお話がいろいろあったからこそのことなのですが、

特に、joさんがお子さんについて最近書かれていた「太鼓の音にさえ反応せず振り向かない」のひと言で、まるで太鼓の音を聞いたかのように「ドーン!」と一挙にいろんなものが繋がり始めたのです。(それこそ、今になってやっとの反応です。遅くてすみません。)

夫のことだけを考えているときにはよくわからなかったのですが、

皆さんのお話を伺う→娘のことがわかってくる→joさんが言われてきたこともわかるようになってくる→そこからさらに夫、私、娘、息子のこともわかってくる→・・・

そんな循環ができてきたような気がしています。
(この循環の図式の他に、実際にはもっといろんな要素が複雑に絡みますが。)

正直、joさんのお話は私には少し難しくて、まだまだ理解できていないこともありますが、今回は、とにかくお礼を言いたくて。

いろいろ教えてくださって、ありがとうございます!

Rosamondeさん

「これって、大人の発達障害? 人付き合い、家事がうまくいかない理由」、拝読しました。
当事者の、しかも女性の立場の内容は、より身近なことにまで触れる内容で、いろいろと参考になり、「なるほど…」や「うんうん、そうそう」と思いながら読ませていただきました。

第二弾も予定されているとのことで、楽しみにしています(^ ^)
「アスパーガール」も読んでみます。


パンダさん

>やっぱり定型は「徒党を組む」ことが重要なんですね。集団にいることで自分を守ったり発揮したりする。それでそのためのいろんなテクニックを発達させているわけです。

群れの利点は沢山ありますね。動物などは色々な群れ方があって、それが本能レベルで守られるのが驚きです。人間の群れ方は高度ですね、個人個人が群れ全体の状態を多かれ少なかれ把握して、その時の状況に合わせて判断して、かつ、リーダーがいる時はそこに従う。本能と学習との併せ技ですね。

>自己肯定感についても経験でかなり変化すると感じるんですが、自己肯定感が高い人も低い人もそれに関してアスペルガーの人は一生かなり安定し続ける傾向があるんだろうか?

私の場合は、周囲の価値観を取り込むのが遅いと思います。
同時に、一度入り込むと、ひとつの価値観にこだわってしまうこともあり、いづれにしても、周囲の価値観とずれてしまう結果になります。

いわゆる「空気が読めない」にあたる所だと思いますが、私は自分がなにかまずいことをしたことは、それなりに分かるのですが、「何故周囲がそれにそのように反応するのか」の部分が分からないことが多くて、フォローが難しいです。
それでも、少しづつ取り込んで、影響を受けています。そういう意味でも、安定して変化の少ない環境は、後から追い付くことが出来るので、安心感が増すのだと思います。

自己肯定感は、本人の自覚と周囲の反応の相互作用が強い(本人に肯定感があると、周囲も肯定的な受け取り方をする)ように思うので、かなり意識的に変える必要を感じています。

>わあ、ちょっと面白すぎて、お返事がどんどんながくなっちゃいますね。

私にとっては普通のことを面白がられるのが、なんだか面白いです(^ ^)
反対に、パンダさんの書かれる定型的普通のことが、私には不思議で面白いです。


チロさん、ありがとうございます(^ ^)

>自分がいいと思っても、これを好きと思っていいのか?逆に、あれの良さが分からないとダメなんじゃないか?とか。そういう訓練をしているうちに、いつの間にか自分の本来の趣味なのか影響の結果なのか区別がつかなくなった部分はあると思います。

訓練や学習で取り入れるセンスということでしょうか、訓練を重ねるうちに、段々良さが分かって来たりするのですね。「自分の本来の趣味なのか影響の結果なのか区別がつかなくなった部分がある」というところ、なるほど…と思いました。

考えてみると、善悪や倫理観などもそうやって学習したものですね。私にもそういう部分がありますが、固まるのが早かったように思います(石頭です…(笑)。

私は思春期後半は絵画展によく行っていたのですが、色々と見続けていると、段々それまで分からなかった良さが見えて来るようになったりということがありました。いつの間にか影響を受けていることは、結構あると思います。

ただ、解説や絵画の歴史を頭に入れて…というのがいやで、頭を空にして見続けるということを意識的にしていました。そういうところは昔から反抗的でした(^ ^;
そういう意味では、今好きなものたちを樹形図のように遡って、子供の頃の好みにまで辿ることが出来ますし、根幹の好みは変わらないでいます。

そういえば、人の口調や文調に影響されることは結構あるのですが、全体的にというより、語尾や口癖などをいつの間にか取り込んでいることが多いような気がします。
流行り言葉・若者言葉は違和感があって苦手なものが多いのですが、「自分流行語」はよく流行っています。

>ひと昔前の広末涼子人気のことを集団ヒステリーと書いてあったのですが、そういうのはありますよね。

広末涼子さん人気はすごかったですね…。芸能関係の盛り上がりは、大概いつも蚊帳の外にいます。
小中学生の頃は、芸能人を知らないだけで非難されることもあって、困惑でした。
「見れば格好良さがわかるから!」と言われてテレビを見ても、ひらひらやキラキラの衣装で歌い踊る男性集団の良さが全く分からず、「どうしよう…」と思ったことを懐かしく思い出します。翌日「誰が好き?」と聞かれて、唯一覚えていた名前を言いましたっけ。

村上春樹さんの1Q84もすごくて、それまでの小説は完読でしたが、発売前の盛り上がりや、書店での見たことのない程の山積みに近付けず、いまだに読んでいません。


チロさん、パンダさん

拍手、賛成、ありがとうございます。すごく嬉しいです。
「変われない」ことによる摩擦や悩みも沢山ありましたが、「私」をして来てよかった!と思います(^ ^)
こちらで沢山の良い影響を受けられたお陰です。

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