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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年6月23日 (木)

アスペ的「安定性」との向き合い方

 チロさんのコメントに「パンダさんの奥さん(自分を責めてしまう)と私の夫(俺の何が悪いんだ?)ではタイプがかなり違いますが、こちらの必死の訴え(相手からすると攻撃だったり騒音だったり)が届かない感じは共通するのかな?と感じました。攻撃だと捉えてるなら避けるのも当然ですが。」と書かれている部分がありました。

 ここでのやりとりのなかで、定型の側から見たアスペの配偶者のイメージとして、「自分を責める」というパターンと「相手を責める(自分は悪くない)」というパターンと、なんだか全然正反対に感じられる二つのものが出てきて、「あれ~?」と思ったりしてちょっと混乱したことがあるのですが、改めて考えてみると「自分」か「相手」か、そのどちらかだけ、というふうになりやすくて、しかもそこがなかなか変わりにくい、というふうに考えると、そこは定型のパターンとは違う、アスペの人に共通したパターンなのかも知れません。

 繭さんの「好みは安定していてがなかなか変化しない」という話の所でも考えたことですけれど、この「自分を責める」タイプか、「相手を責めるタイプ」か、ということはもちろん定型の中でも「どっちかに偏りがち」みたいな感じでその人の個性のひとつにもなっていますけれど、それも生まれながらに最初から決まってしまっている、というのでもないのではないかという気がしますし、そのことはアスペの人でも同じではないかと。

 つまり子どもの頃、どんな環境で育ったか。肯定されて育ったか、否定されて育ったか、ということがすごく影響するのではないのかなあと思うんです。で、定型の場合はそこが大人になってからでもまた環境によって結構変わったりする。たとえば結婚によって初めて自分が肯定されて、すごく自分自身への見方が変わるとか、親との関係に大きな変化が起こり、自分を受容できるようになるとか、あるいは宗教の場合なら「神に受け入れられて救われ、自分を肯定できるようになる」とか。自分の罪はイエスが十字架に架けられることで代わりに背負って下さっている、とか(信者じゃないので怪しい理解ですが)、そんな形も考えられる。

 でも、アスペの人の場合、子ども時代に作られた方向は、大人になっても基本的なところでは定型よりもはるかに変化しにくいのかもしれないと、そんなことを思うようになりました。

 だからたとえば「自己評価が低い」という話についても、定型の私の感覚から想像して「こういう風に接すればもっと自分に価値を感じられるようになってくれるのではないだろうか」と思えるような接し方がほとんど全く意味を持たない(ように感じられる)といったことが起こる。その結果、一生懸命に相手の支えになろうとする努力がひたすら空回りするだけで、無力感から逆にこちらの自己評価が危うくなっていくということも起こる。

 子ども時代にそういう接し方をされていれば、自己評価の在り方も全く違ったのかも知れません。でも大人になってからは、少なくとも私の定型的常識のレベルで考えた方法と努力ではそうそう変わるものではない。

 仮にそうだとすれば(本当にそうなのかは分かりませんけれど)、定型の側の自分にできることは「自己評価が低い」ことを「可哀想だ」などと考えてそれをなんとかしようとすることではなく、それ自体を相手にとっては大切な個性のひとつ、生き方のひとつとして受け止めて、そのことを前提にいい付き合い方を探していくことなのかも知れません。

 もちろん定型的な感覚では「可哀想」とか「こまったこと」とか、否定的に受け止められやすいことについて、それを「大切な個性」という風に受け止め直すと言うこと自体、そんなに簡単にできることではないでしょう。場合によってはそんなことは無理、ということもあるかもしれないし、さらに場合によってはそういうことはすべきではない、と言う場合もあるかもしれない。

 なんか、その辺はまたとてもややこしそうですが、でも少なくとも今の自分とパートナーとの関係にとって、何かそういう見方の切り替えが意味を持ってきているのかも知れないと、そんな気もするのです。

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コメント

う〜ん……
ちょっと、横からチャチャを入れるようですみませんが…
記事を読んでいて、気になった事がありました。

読んでいると、パンダさんは、「俺の何が悪いんだ?」というチロさんのご主人の言葉を、「自分を責めるタイプ」と「相手を責めるタイプ」のうちの、「相手を責めるタイプ」、に入れていますよね。

悩みをもつみなさんは、今の段階で、ASパートナーの言葉をどんな風に解釈しているか、わかりませんが、「オレの何が悪いんだ?」を、
「どうせまたオレが悪い事にされるんだろう」(自分を責めるタイプ)とか、
「なぜオレが悪いのか説明してくれよ」というふうに、こちらで色々解釈したりしないんでしょうか?

なぜ「相手を責める」に決めて、辿り着くのか…もしかしたら、それは、相手の言い方による場合の他に、こちらの捉え方によって、という場合も視野にいれなければ…

相手の言葉の意図を、こちらでどう解釈するかで、責められた、あしらわれた、否定された、悪く言われた、怒られた、と様々なんだと思いますが…。

質問された、嘆いていた、聞きたがっていた、話し合おうとしてる、とか、解釈の視野に入れてみたら…また道も広がるんじゃないのかな?

疑問文は相手への否定、否定は相手への攻撃と決めて覚えてきていたら、そこは、ACの良くない特徴なのかもしれません。(と私は自分の事を思いました)

パンダさん、みみさん
私のコメントを取り上げてくれて、ありがとうございます。

確かに、私もAC気質があるみたいで(最近、気付いた)、相手の言葉をそのまま受けとって過剰に反応するところがあるので、夫の言葉にも過剰に反応してたかもしれません。そして、夫がどういう思いで言葉を発しているか、本当のところはわかりません。経験と思考錯誤、ここでの勉強(?)などにより大分推測できるようになったと思ってますが、それが正解かどうか。。。

今現在の理解ですが、私は夫の言う「俺の何が悪い?」 を「俺は何も悪いことしてない!」という意味だと解釈してます。卑屈さから出る逆ギレではなく、「俺は悪くないよ。悪いと思うなら、どこが悪いか言ってみろ?ほら、言えないでしょ?」という風に私は感じてます。

今までの色んなやりとりから私が夫について感じたことは、悪気がなければ、結果として迷惑をかけたり相手を悲しませても自分が悪かったと考えないらしいということです。「だって知らなかったから仕方ない」「悲しむと思わなかったから」と悪びれず、気がつかなくてゴメンとはなりません。

そういったことをいくつかのエピソードとともに、こちらや自分のブログに書いていたので、パンダさんはそれを読んでコメントしてくれたんだと思います。

ただし、一般的に言う「相手を責める」というのともちょっと違うように思います。「俺の何が悪い?」の言外に(悪いのはそっちだろ!)というのがないようなのです。俺には関係ない、という感じです。
例えると、1コしかないパンを何も考えずに食べてしまい、相手が「それ1コしかなかったのに、私の分がないじゃない?」と言う。そのとき、自分を責めるなら「何も考えずに食べた私が悪かった」となり、相手を責めるなら「そこにパンがあったから食べて何が悪い?」の後に「半分残すように言わなかったそっちが悪い!」となるところ、夫は「そこにあったから食べただけで、俺は悪くないよ。一個しかなかったの?ふ〜ん、残念だったね。俺は食べたけど、おいしかっよ。」という感じなのです。(極端な例えですが)

相手に自己責任を求めるという意味では、相手を責めてるとも言えますが。

夫と私の両方がいて子供に怪我をさせてしまったとき、私は自分がついていながらちゃんと見てなかったと自分を責めましたが、夫はまったくそんな様子はありませんでした。泰然としてました。私は、父がそういうときに母を責めるタイプだったので、そのとき夫が私を責めなかったことに安堵してました。が、よく考えると夫も一緒にいたのに、他人事のようで変でした。

考えてみれば、夫は「ちゃんと起こしてくれないから遅刻した」というように自分の失敗を他人のせいにするようなことはありません。

私が夫について感じたことは、周りで起こることに当事者意識がないということです。まるで、一人で生きているように見えました。

最近読んだ野並ツナさんの漫画「旦那さん(アキラさん)はアスペルガー」の中に、ツナさんが投げる言葉の矢がアキラさんの身体で跳ね返りも刺さりもせず通り抜けていく図があるのですが、そんな感じ。

私も自己否定的なパンダさんの奥さんの話など読むと、私が夫を見て勝手に作り上げてたアスペのイメージと違っていて分からなくなってたのですが、パンダさんの考察にのっかって考えてみると、こちらがいろんな言葉を投げても、相手がこだわっている思考に影響を与えることが難しい、ということで少し納得いきます。
あくまで、今現在の仮説ですが。
また長々とすみません。
もし、私の認識が歪んでる、とか、別の見方があるよ、ということがあれば教えてください。

「おいしかったよ」と書くところ、「た」が抜けてました。「おいしかっよ」って中途半端な九州弁みたい。。。

「おいしかったよ」と書くところ、「た」が抜けてしまいました。「おいしかっよ」って中途半端な九州弁みたい。。。

みみさん チロさん

 チロさんの

 「ただし、一般的に言う「相手を責める」というのともちょっと違うように思います。「俺の何が悪い?」の言外に(悪いのはそっちだろ!)というのがないようなのです。俺には関係ない、という感じです。」

 を読んで、ああ、そっか!と思いました。
 なるほどね~。そうなんですよね。
 そこ、ついつい「こちらを責める」と延長して受け止めてしまうのが
 いかにも定型的なんですね。改めて自分のずぶずぶの定型ぶりに気づきました。

 「 私も自己否定的なパンダさんの奥さんの話など読むと、私が夫を見て勝手に作り上げてたアスペのイメージと違っていて分からなくなってたのですが、パンダさんの考察にのっかって考えてみると、こちらがいろんな言葉を投げても、相手がこだわっている思考に影響を与えることが難しい、ということで少し納得いきます。」

 ほんと、一筋縄ではいかないというのはよく分かります。
 このブログ続けていて、私はそういうことで混乱することの連続です。
 でもそのことがすごく大事なんですよね。
 自分の見方がいかにせまく、固かったのかがどんどん分かってくる。

 「アスペ」で何でもかんでも括ってしまうことの怖さを教えてくれることでもあるし。
 逆に「お前定型だから」と全部定型のせいにされてもこちらもいやですもんね。
 「定型である前に俺は俺なんだ!」と言いたくなるかも。

パンダさん、前の暖かいコメントありがとう。涙出そうになりましたわ。

ところで自罰傾向と他罰傾向ってそんなに安定しているものなんですか?そうだとしたら、両極端を行き来する(ように私には見える)うちの場合は、境界性とかそっちの方なんだろうか?ADHD的(すぐ忘れる、途中で放り出す)とアスペ的(しつこい、頑固)の両傾向も併せ持ってる(ように私には見える)ので、発達…ってそういうもんだと思ってたですが。二次的に境界性とかが出てしまってるんだろうか?

掃除の強迫性のときにコメントしましたが、パンダさんちは律儀さが超ハイレベルなだけで、それに付随するいろんなことも律儀だっていうし、それだったら多少しんどいでしょうが「ちがい」として「個性」として、対応は可能だと思うんですよね。こちら側の感度調整で。実際その状況にならないと、「ちがい」の程度によっては調整可能かどうかわかりませんけど。でもね、うちの場合は超ズボラとハイパー律儀が一個人に同居してる感じ。

子供の検査項目でもあったけど、数唱は抜群なのに記号になるとぜんぜん頭に残っていないみたいな、定型的視点からは「これがここまでできるのに、ほとんど同じことでしょうと思われるこれがなんでこんなにできないわけ?」というのがあるんですね。ほんと理解に苦しむわけです。しかもそういった特徴が安定的なら適応のしようもあるんでしょうが、体調やらによって大きく変化するので、お手上げなんです。つまり、そこは気をつけてやれば技術的にはできる…だけど自動操縦ではないから、そのつどものすごい頑張って努力で達成してる感じなんです。だから行動の達成が非常にもろい感じ。信頼性に大きく欠ける。

でも非常に悪意がないから、そこを突っ込むことでこちらのガス抜きができない、場合によってはそのストレスがこちら側で自分の内側に向いてしまったりするんですよ。事によっては家族が危機にさらされる。壁を叩いたのはそんなときでしたね。

朝から重い話で申し訳ありませんが、

私自身の体験からすると、

「全部私が悪いんだ」という自罰と「そんなふうに私に思わせた周りのせいだ」他罰は、結局同じものだと思います。人によって、自分に向かう方が簡単か相手に向かう方が簡単か、に分かれるだけで。

「周りは私をこんなふうにしか見ていない・わかってくれない・どうせ私が悪い・そんなふうに周りが私を思わせる」というのは、ひとまとまりで、その時その時の状況で、どの部分を言葉にするかの違いでしかなかったと思います。

あと、私が「責め」だと受け取っていた夫の「なんで~わけ(怒)?」「本当に~わけ(怒)?」等々ですが、

これは、本当に怒っているときもあったとは思うのですが、怒っていると受け取ったのは定型的女性の感覚であって、よくよく聞いてみると、夫にしてみれば「理由がわからないから聞いてるだけ」ということもとても多かったです。

こういう質問って、小さな男との子が言うのと、たくましい大人の男性が低い声で強い語気で言うのとでは印象が違うし、そのとき定型とアスペルガーの思考パターンの違いに気づいていない状態だと、

「大人のアスペルガーの人の質問=定型にとっての責め」となり、最初は小さな風であったものが問題が、あっと言う間に他の家族まで巻き込む竜巻になってしまってしまうのだと思います。

ここは、定型の側も、アスペルガーの人の「無表情」や「激しているように見える」、というところだけにとらわれず、ニュートラルな心で、相手の言葉の「真意」を聞くよう心かげることが必要だと考えています。

相手が大人だから難しいのですが、「真意」に気を付けるようになると、大人の姿をした人からでも、「どうして?わからない。ね、どうして?教えて」という、子どもと同じような気持ちで発せらている声が聞こえるようになります。

なんらかの理由で、こちらに余裕がなくなると、つい「ムカっ・・・(-"-)・・・」となりますが。

ということで、私の「修行」は、まだまだ、たぶん、一生続くでしょう(苦笑)。

チロさんのおっしゃる「当事者意識がない」についても、思うことがありますが、今は時間がありません。

うちの子どもたちがチロさんやjoさんのお子さんの年頃のときは、「何かがヘンだ」と思いながらも、仕事・家事・育児に追われて、心の余裕が全くありませんでした。台所に立っても、とにかく時間に追われていたので、キリキリカリカリ料理をしているようなお母さんだったと、今苦い思いで振り返ります。

チロさん、joさんのように、今のうちからかまってあげられること、すごいと思います。お子さんたちのお姿を想像しながら、当時の私の思いも込めて応援しています。

joさん

「ところで自罰傾向と他罰傾向ってそんなに安定しているものなんですか?」

 定型が定型の人の個性を見る感覚では「安定」になるでしょうけれど、定型からアスペの人を見ると「固定」と言った方が実感に近いですね。もちろん私が経験しているのは限られた人ですから、それがどこまで一般性を持つのかは全然分からないのですが、定型の目からはいわゆる「こだわり」みたいに見える「固さ」につながる感じもするんです。

「そうだとしたら、両極端を行き来する(ように私には見える)うちの場合は、境界性とかそっちの方なんだろうか?ADHD的(すぐ忘れる、途中で放り出す)とアスペ的(しつこい、頑固)の両傾向も併せ持ってる(ように私には見える)ので、発達…ってそういうもんだと思ってたですが。二次的に境界性とかが出てしまってるんだろうか?」

 境界性のイメージは私は少し違うんですが(こちらの方は経験も比較的豊富です)、でもいずれにせよ、joさんがこれまで書いてこられた奥さんの様子を拝見していて、そこの部分は私のパートナーなどの場合と違うように感じたんですね。それは例のスペクトラム上の位置の違いの問題として理解ができるのか、もうちょっと違う側面を持つ問題なのか、ずっと気になっているのですけれど。

「でもね、うちの場合は超ズボラとハイパー律儀が一個人に同居してる感じ。」

 ここだけだと、「注意の範囲が定型に比べて限定されやすい」という問題としても理解できそうな気はします。注意の範囲に入るところはハイパーに律儀になるけど、それ以外は全く気がつかないから、というような感じで。

「子供の検査項目でもあったけど、数唱は抜群なのに記号になるとぜんぜん頭に残っていないみたいな、定型的視点からは「これがここまでできるのに、ほとんど同じことでしょうと思われるこれがなんでこんなにできないわけ?」というのがあるんですね。」

 詳しくは分かりませんが、数唱のような音声の記号の場合と、絵画的な記号の場合に限って言えば、情報処理の仕方が違うでしょうし、それが関係するかも知れないですね。なんか右脳と左脳とか、よく言うあのあたりの関連とか。

「しかもそういった特徴が安定的なら適応のしようもあるんでしょうが、体調やらによって大きく変化するので、お手上げなんです。つまり、そこは気をつけてやれば技術的にはできる…だけど自動操縦ではないから、そのつどものすごい頑張って努力で達成してる感じなんです。だから行動の達成が非常にもろい感じ。信頼性に大きく欠ける。」

うーん、本人は頑張ってるんだなあとは思いますが、こちらからすれば安定したやりかたで対応できないからすごく大変ですよね。

「でも非常に悪意がないから、そこを突っ込むことでこちらのガス抜きができない、場合によってはそのストレスがこちら側で自分の内側に向いてしまったりするんですよ。事によっては家族が危機にさらされる。壁を叩いたのはそんなときでしたね。」

悪意のないズレのしんどさそのものという感じですね。そういう感じだと、カレンさんご夫妻のようにその都度話し合ってひとつひとつお約束事を作っていって関係を調整するとか、そういう積み重ねもまた難しいんでしょうね。うーん、話し言葉での確認の共有は難しい場合、紙に書いて貼っておく、といった方法でやっている人もあったと思いますが、joさんのことだから、すでにそういうことは一通り試行済みでなおかつ、ということなんだろうなあ。

でも、お仕事はされているわけですよね。だからそこに必要とされる最低限の「お約束の共有」みたいなことは成り立っていると言うことでしょうか。

「全部私が悪いんだ」という自罰と「そんなふうに私に思わせた周りのせいだ」他罰は、結局同じものだと思います。人によって、自分に向かう方が簡単か相手に向かう方が簡単か、に分かれるだけで。

カレンさん

「「周りは私をこんなふうにしか見ていない・わかってくれない・どうせ私が悪い・そんなふうに周りが私を思わせる」というのは、ひとまとまりで、その時その時の状況で、どの部分を言葉にするかの違いでしかなかったと思います。」

 そうですね。ほんとにそう思います。
 定型はそのあたり、状況などによって変化していくし、そこに他者が積極的に関与していくこともできるように思えるんですが、そこのむつかしさを私は感じるんですね。


「あと、私が「責め」だと受け取っていた夫の「なんで~わけ(怒)?」「本当に~わけ(怒)?」等々ですが、これは、本当に怒っているときもあったとは思うのですが、怒っていると受け取ったのは定型的女性の感覚であって、よくよく聞いてみると、夫にしてみれば「理由がわからないから聞いてるだけ」ということもとても多かったです。」

 いやあ、ここがね、ほんとにわかんなくて苦労しますよね。チロさんのコメントの話でもやっぱりそこで引っかかってしまったし。まさに「修行」です。

・自罰:自分が基準に反した時(≠他己肯定)
・他罰:他人が基準に反した時(≠自己肯定)

上記のような感じで、私は両方あります。昔はどちらも強くありましたが、最近は少なくなった気がします。
私の場合は、基準が自分向けと他人向けとダブルスタンダードになっていて、それが問題なのだと思います。同じことでも、他人がした場合はOKで、自分の場合はNG…。逆もあります。

定型の人でも、そういうことはあると思いますが、ゆるやかに連続していて、互換性があるのかな、と思います。
私の場合は分離傾向が強くて、意識してすりあわせをする必要を感じていますが、なかなかむずかしいです。自覚が生まれてから、もう二十年位経ちますが、とてもゆっくりな変化でした。

それでも以前は、「自分を肯定したいと思うなんて、とんでもない。分不相応だ。そんなことを望んでいいのは、そういう価値のある(要するに自分以外の全ての)人間だけだ」と本気で思っていたのが、こちらで「私は私」と言っているので、ずいぶん変わって来たなぁと、しみじみ思います。

その一方で、以前はプライドも変に高かったです。周囲から「それで十分大丈夫だよ」と言われても、自分はそれに満足しないって、自己評価が低いと言えますが、変にプライドが高いとも言えます。(こだわりの部分は、これとは別に健在です)
高じると、周囲の人の自己肯定意識を否定することになって…いたのでしょう。
当時はそんなこと考え付きもしませんでした。

ここまで書いて疑問に思ったのですが、
私のイメージする「自己肯定」は、最終的には、自分の中で自分の存在を認めることです。
定型の人の「自己肯定」は、最終的には、他者の中における自分の存在を認めること、なのでしょうか?

勿論、私には他者から認められたい欲求があります。けれど、最もつらかったのは、「他者から認められたいと思っている自分」を許せないことでした。
人から悪い部分を非難されるのは「本当のこと」なので、それで傷付くことすら自分に許せず。勿論自己弁護なんて持っての外。
今振り返ると、めちゃくちゃだったと思います。もう二度とあの心境には戻りたくありません。

>「なんで~わけ(怒)?」「本当に~わけ(怒)?」

この誤解、アスペルガーの人が定型の人からこう言われたことに対して理由を説明してしまい、相手の怒りを買う…という例を見ますが、反対のパターンですね。

カレンさんが自己評価を下げてしまっているときに、夫さんが怒っていた(ように見えた)こと、私にもそういうことがあります。
「なんで私はこんなにあなたのことを認めているのに、肝心のあなたは自分を評価しないの? 納得できない」と思うとヒートアップします(^ ^;

〉パンダさん チロさん

昨日、バーッと読んで、ASの理解の一つとして、バーッと書いたら、何かパンダさん一人に突っかかるような書き方になっていました(汗)すみませんでした<(_ _)>dollardollardollar

みみさん

みみさんが咄嗟に思われたこと、みみさんが掲示板の方でも前から言われていたことでもあり、私が同感するところでもありでした(^^) あまり時間がない中、一生懸命に書かれたことななのかな、と思って私は読みました。パンダお兄様が度量が大きくていらっしゃるので、全然OKなのでは、と勝手に思っています(笑)


パンダさん・繭さん・みなさん

そうなんですね、私の他罰的・自罰的というのは、定型的なものなんですね・・・!
そのへんの感覚が、アスペルガーの人とでは違うということが、上のコメント読んで&これまで夫が言っていたこととが結びつきました。

チロさんが書かれていた、アスペルガーの人は因果関係がわかりにくいということについて言うと、我が家でも、

「夫がしたこと→悪い結果」というように直結していれば、「自分のせい=自分の責任=自分が悪かった」となりますが、

「夫がしたことと→A→B→C→悪い結果」と、途中に他のプロセスが入ると、「Cのせい=他の人のせい=他の人の責任=他の人が悪い=自分は悪くない」となります。

なので、アスペルガーの人の場合は、「自分のせい」「自分が悪い」思うことが少ないのかな・・・と、思ったりもしますが・・・うーん、でも、そこはやっぱり、生活の中で直接知っているのは夫だけなので、よくわかりません。

私自身が感じる「自己肯定感」は、以前は「他人から見ての肯定感」オンリーでしたが、今は「自分から見ての肯定感」の方が主です。でも、私は、あまり人の感覚とか考え方を否定はしないかなぁ。

いつかjoさんがお子さんに対しての言葉として書かれていたように「ああ、君はそう思うんだね」とか、「ああ、あなたはそう思うのね」という対応が多いです(実際、そう思うので)。
で、そのあとに、自分の思いや考えを相手に伝える、ことが多いです。

夫は、「自分から見ての肯定感」オンリーのように見え、自分が肯定感を持てないような環境をつくる他者に対して、ものごく厳しいです(・・・と、私は見ています)。そこまで厳しく対応しなくてもいいのでは、と思ったりもしますが、

これは、「自己肯定感」のように見えて、実は、「生きてくる上で身につけざるをえなかった過剰防衛」でもあるのかなぁ、などとも思います。夫本人のみぞ知る、の領域なのかもしれませんが。

カレンさんの

「全部私が悪いんだ」という自罰と「そんなふうに私に思わせた周りのせいだ」他罰は、結局同じものだと思います。

を読んで、自罰も他罰もそこに問題があるということを前提にしているということに気づきました。パンの例で言うと、自分だけが食べて相手が食べられなかったことに問題を感じているから、相手が食べられなかったのは、自分のせい、または、言わなかった相手のせい、となる。それが、相手が食べられなかったことに問題を感じていなければ、自罰も他罰も起こらないんだ、と理解できた気がします。

私の夫とパンダさんの奥さんの違いは、男女の違い、育てられ方の違い以外に、そういうこともあるのかもしれないと思いました。つまり、夫にとって私の問題は他人事、パンダさん奥さんは子供の問題を自分の問題として感じている。
私の夫は、子供のことも他人事のようで(男であること、1歳のときに別居して離れてすんでいることがあるので、ある程度仕方のないことかもしれません。)、そこが大きな違いかもしれないと思いました。あくまで憶測ですが。

joさんのお話は、いつも読んでいてjoさんの苦労がひしひしと感じられます。joさがとても聡明な方だというのも感じます。そのjoさんがここまで悩まれるjoさんの奥さんがどのような方なのか?イメージするのが難しいです。私の想像の範囲を超えてしまっています。
joさんのご家庭と比べたら、私と夫の生活はそんなに大変なものではなかったように思います。しかも 、私は母親という特権を使って早々に逃げ出してます。
以前から思っていたのですが、joさんに限らず、ここに集っている方たちは聡明さと善良さをもってしても長い間大変な苦労をされ、その経験をもとに語られています。そこに私のような「甘ちゃん」が混ざっていいのかどうか、迷いつつ、みなさんの寛大さに甘えて、初歩的な疑問や思いつきを書いています。(しかも、いつもクドイ。)
なので、もしかすると見当外れだったり、いまさら?なことを長々と書いていて読むのが面倒だったりするかもしれません。ごめんなさい。でも、私自身は、こちらで皆さんのお話を読むことができて、また、聞いてもらえて、本当に助かっていますので、もうしばらく甘えさせてください。よろしくお願いします。

カレンさん

「パンダお兄様が度量が大きくていらっしゃるので、全然OKなのでは、と勝手に思っています(笑)」

 ささいなことなのかも知れないのですが、ここはどうしても違和感が残ってしまうので、正直におはなししておいた方がいいように思いました。

 明かな揚げ足取りや、相手の人格を否定するような非難とか、そういうものでないかぎり、疑問に思ったことや問題に感じたことを正面から提起して下さった場合、可能な限りはちゃんと受け止めなければならないとは思っていますので、そこを「度量が大きい」と書いて下さっているのかなと思います。

 そのこと自体は全然度量に欠ける自分を知っているので、気恥ずかしい思いや申し訳ない思いはあっても、違和感ということではないのですが、「全然OK」と書かれてしまうところに違和感が残りました。

 「勝手に思っています」と書かれているので、もちろん「それはカレンさんの個人的な判断ですよ」という限定付きな訳ですけれど、そうだとしても、やはり「全然OK」かどうかは当事者である私が答えるべき内容に思えるのです。

 実際、みみさんご自身がご自分で見て(内容ではなく)書き方に不十分さを感じられ、わざわざ謝って下さったわけですが、実際に私も最初に読ませていただいたときはなにか詰問されたような印象を受けて、「え?なんで?」という思いがありました。

 詰問(かどうかはわかりませんけれど)だとしても、それ自体はそうされて当然の場合があります。内容がそれに値するものだと私にも理解できれば、それは当然のことと思い、甘んじてそれを受け止めます。

 ただ、今回の場合私には「疑問点の提起」ではなくて、詰問されて当然と思えるような内容があったとは思えなかったのですね。一般的にはそこでみみさんが指摘して下さっている「他の見方もあるのではないか」ということは私自身繰り返し大事だと言い続けてきたことなので、「いつもそう言ってるのに、今回はそこを外してるじゃないですか」というような感じなら分かるんですが、「なんで他の見方をしないんですか」という形で一般的に責められてしまったように感じたものですから、当惑してしまったのです。

 その後、チロさんが私のずっこけた解釈を具体的に指摘して下さって、それは私にもすごくよく分かりましたので、ああそうか、みみさんがひっかかったのは、具体的にはこういうことだったのかも知れない、と理解したので、そうお返事をしました。

 でも、やはりみみさんから一般的に詰問されたように感じて私なりに傷ついた部分は残っていましたし、なぜみみさんがそのような言われ方をされたのか、そのことにはどうお応えしたらいいのかをずっと迷い続けていました。そしてその後にみみさんご自身から「何かパンダさん一人に突っかかるような書き方になっていました」という書き込みを頂いたので、みみさんの本心はどうだったかは別の問題として、文章の書き方から詰問のように感じたこと自体は単に私個人の思い違いというわけではなかったんだな、と少し安心しましたし、そのことについてみみさんがわざわざ書いて下さったことに、どう私としてお返事をしたらいいかを考えていたところでした。

 というわけで、実情としても「全然OK」ではなかったのですし、そこは大事にお返事したかったところなのです。

 ささいなことなのかも知れないのですが、何か私にとっては大事な部分があるような気がしていて、変に誤解を積み重ねてもいけないので、思うところを正直に書いてみました。

〉カレンさん

気を使って頂いたのに、更なる誤解を招き、すみません。
私の解釈では、カレンさんが私宛に書いて下さった事は、
みみさんが…とか、パンダさんは…とかではなく、誤解などがあっても、これからもこのブログをより良いものにしていきましょうね!という感じで、最終的にはそう受け取らさせて頂きました。

〉パンダさん

パンダさん、誤解と苦痛を与えていたようで、すみません。

ここは、ASと定型のコミュニケーションを考えるブログですから、本来なら流すべき事なんでしょうが、(実際は私も一般社会では、ん?と思っても、人に指摘はあまりせず、流しています)
でも、このブログでは、私は流すべき事でも、いつも思った事を書かさせて頂いています。
流してそのまま話を進めていては、このブログの意味がないと思うので、そうさせて頂いてましたが…(・・;)

その私の意図を、パンダさん始め、どれだけの人に理解されているか?という所に、少し疑問を感じたりはしますが、
みみさんて、くどくて、頭がカチコチで、変な人…と思っている方も、もしかしたらいても全然おかしくない、自由だし、仕方ないな、という前提でいつも書いています(*^_^*)
(誤解のないように書いておきますが、私の考えが正しい、相手が変と思っている、という意味ではありません。人と人だから、色々あって当然という意味です)

でも、パンダさん、今日の訴え、何度も繰り返し読んで、理解しようと努力したのですが、私にはちょっとパンダさんの言いたい事はなんとなく把握できたのですが、ちょっと疑問が残りました。(T_T)理解に至らなかった事、ごめんなさい。

なぜ理解にいたらなかったか、理由を書こうと思ったのですが、私の話でパンダさんを更に混乱させてはいけない…と思い、ストップしていますが、具体的に書いた方がいいですか?書かない方がいいか…迷ってしまいます。
でも、大切なパンダさんを傷つけた事は、事実なので、本当にごめんなさい。
またよろしくお願いします

まずは、パンダさん、本当に申し訳ありませんでした。

実は、私も「全然OK」を書いた瞬間、そして読み直した時、そして、上のコメントを投稿した後、それぞれ、心のきしみというか違和感(そして、「あ、しまった」という気持ち)を感じてはいたのです。

朝、それこそあまり時間がない中で書いてしまったので、

「このまま投稿するのはちょっと・・・、でもここまで書いたし・・・、でも何か違和感があるまま投稿するのも・・・」、と、瞬間グルグルと考えながら、時間切れとなり、ついそのまま投稿してしまいました。

私の感じた違和感は、

・「全然OK」という言葉そのものに対する違和感。

・「全然OK」かどうかは、パンダさんご自身という当事者にしかわからない。それなのに、私がそのようなことを言ってしまった、という違和感。

・そもそも、みみさんの謝罪の対象はパンダさんであったのだから、それに答えるとすればパンダさんであって、私が答えるべきではなかった、という違和感。

中でも、一番下の違和感が、私の中では一番大きいです。違和感というよりも、心から「しまった」という反省です。

というのも、このようなことは日常生活の中で私が他の人からされて最も嫌な思いをすることのひとつ、そして、人に対して最もしないように心がけねば、と思っていることのひとつだからです。

にもかかわらず、結局、そのようなことをしてしまった・・・上に書いたような違和感と反省と後悔を断続的に感じながら今日1日過ごし、気になりながらPCを開けたところ、

パンダさんからのお言葉をいただいていたので、あらためて反省しています。すみませんでした。そして、正直なお気持ちをあえて伝えていただいたことを、ありがたく思っています。

小さな違和感の積み重ねがどのようなことになっていくか、小さな違和感を感じたときの対処がどれほど大事なことか、私自身よくわかっているので、お伝えいただいたことを真摯に受け止めたいと思います。ありがとうございました。

(それこそ、今、また時間不足で言葉足らずになってしまったかもしれませんが、とにかくまずは謝罪の気持ちをお伝えしたいので、投稿します。)

カレンさん

 どうもありがとうございました。
 私が感じたことをそのまま感じていただけたようでほっとしました。
 
 もともと子どもの頃から気楽に楽しく、アホアホモードでやりとりするのが好きで、
 今は子どもたちにもあまりのアホぶりにいつも馬鹿にされています (^ ^;)ゞ
 
 ただ、みみさんが敢えて謝って下さるような展開だったので、
 さすがにそこはアホアホモードでできませんんでした。
 まあ、それだけ小者ということで、ご理解下さい m(_ _)m

 ということで、またアホアホモードに戻りたいと思います (^_^)


みみさん

 申し訳ありませんが、ちょっとご主旨が分からなくて、
 少しゆっくりどういうことなのか、考えさせて下さい。

 どこまでうまくみみさんのおっしゃりたいことをつかめるか、自信はありませんが、
 少なくとも何がわからないのか、と言うこと程度までは分かった上で
 お返事をしないとみみさんにも失礼になると思いますし、
 しばらく時間がかかるかも知れませんが、すみません。

 こちらはまだ真面目モードで……

あ、パンダさん、また紛らわしい書き方しちゃいました
パンダさんが、カレンさん宛てに書いた事(パンダさんとカレンさんの問題)は、100%納得していますよ!

私が理解に至らなかった…というのは、パンダさんの私への心情についてです。
カレンさん宛てへの、パンダさんの心情の変化を読んでいて、私に言いたかった事はどのような事か、なんとなくわかったけど、??疑問が残り、理解に至らなかった…という事でした。

最初に、私が誤解を招く書き方をしてしまったせいで混乱を巻き起こしてしまいました。ごめんなさい。
みみさんはパンダさんにというより私に、もっと他の見方があるよ!と教えたかったのでは?
だから後で「パンダさん一人に」という表現があるのでは?
みみさんの指摘を受けて、私は、普段から決めつけがちであることは反省しつつも、夫に関しては純粋に自分の悪いところを知りたがってるとは解釈できないことをみみさんに伝えたくて、また、そう言われれば一般的に言う他罰とも違うと感じ、今までその辺りは書いていなかったのでちょっとクドク書きました。
それが、チロは最初からちゃんと分かってたし、ちゃんと書いていたのに、パンダさんが他罰と受けとった、みたいな雰囲気を作ってたら、申し訳ないです。そのつもりはなかったのですが、そういう風に読めたかもしれません。

もし今、パンダさんとみみさんの思いに行き違いがあるとすれば、上のような理由かな?と思いました。だったら、それは私の書き方がよくなかったせいなんです。

見当違いだったら、ごめんなさい。

〉チロさん
どうかご自分を責めないでください!
「パンダさん1人に…」というのは、チロさんも!という事では全くありませんので、ご安心してね。

私は、正直、変な事や、特に変な書き方をしたつもりは、全くありません。
(もし私が気付かない所があれば、指摘をお願いしたいです)
パンダさんの、私の書いた後のチロさんに対するコメント、それとその最後に、「定型である前に…俺は俺なんだと言いたくなる」というような文章から、私は、これは私に発信した言葉かも?と解釈したし、私が書いた事が、おそらくパンダさんに全く伝わらず、ただただ、パンダさんを不快にさせてしまったかも…と感じましたし、その後、お返事も頂けなかったので、気分を悪くさせたと過程して、「気分を悪くさせたかも」と謝罪の言葉を書いた次第です。
そして、ここらへん、伝わるかどうか、私の書き方、皆さんの解釈が、難しい所だと思いますが、(私も上手に書けないので、悪くとらないで欲しい事を願いますが)
ここは掲示板なので、私は書く時はいつも、同じような悩みを抱えている方がたくさん読んでいるのを前提として書いていますが、
AS配偶者理解派、非難派という点で、私の書いた事で、納得できない方もたくさんいるだろうなと思う時は、実際よくあります。
私はパンダさんの記事に、まった!をかけた訳ですが、パンダさん1人に書いた訳ではなく、非難派の方に向けて理解を求め、自分の意見を書いたつもりでもあるので、「パンダさん1人に…」という書き方になりました。
でも、私は意見を通そうとは全く思いません。意見を一度だけ、聞いてもらいたいだけです。一度でいいのです。
あとは、流すのも自由、忘れるのも自由、できれば頭の片隅に入れておいてほしい、という程度ですので。

でも、チロさんは、最初から、話自体は通じてくれたな…と私は思って読んでいましたよ。チロさんがご主人を理解するか、離婚するかは、また別の、チロさんが決める問題であって、
離婚問題を抱えているのにもかかわらず、私の話の内容を聞き入れて下さった事に、私はとても感謝しています。

〉パンダさん
この件で、あまり頭を悩ませないで下さいね。
パンダさんが大丈夫であれば、私への返答は、全然気にしなくて構いませんし、流して下さっても私は全然構いません。
私として、パンダさんを混乱させ、辛い痛みを与えてしまった事、本当に申し訳ないです。
ブログを中断させてしまいました。
みなさんもパンダさんのブログ、楽しみにしているのに、中断させてしまって申し訳ありません。次のパンダ節が早めにやってくる事を待っています!

みみさん

 ちゃんとしたお返事はまだまだ無理ですが、
 ひとつだけ、最後に頂いたコメントでちょっとびっくりしたことがあって、
 誤解は解いておいた方がいいと思いましたので、今はそのことだけ。
 
 私が、

> 「アスペ」で何でもかんでも括ってしまうことの怖さを教えてくれることでもあるし。
> 逆に「お前定型だから」と全部定型のせいにされてもこちらもいやですもんね。
> 「定型である前に俺は俺なんだ!」と言いたくなるかも。

 と書いたことをみみさんは自分に向けられたと感じられたとのことですが、
 まったくそういうつもりはありませんでした。
 もちろん、みなさんが読む内容ですので、そのおひとりにみみさんが
 いらっしゃるのは当然ですけれど、特にみみさんに向けて書いたのでもないし、
 みみさんのことを書いたつもりもありません。

 ここで書いたことは、「アスペの人のやっていること」をすべて「アスペ」で
 説明してしまう、というのはおかしいし、アスペの人にとってもいやだろう、
 ということを説明するために、「立場を変えれば、定型の自分がやっている
 こと全部を、「それは定型だからだ」と決めつけられたらいやだよね」
 と書いたわけです。そんなことをもし言われることが有れば、
 「俺は定型である前に個性を持った一人の人間なんだ」と言いたくなるでしょう、
 というたとえ話です。その中にみみさんのことは全く入ってきません。

 なぜみみさんがそれをご自分に向けられたものとして感じられたのか、
 私にはよくわからないのですが、そういうことであったのだとすると、
 私の文章がいろんなところで、何か誤解を生んでいるのかもしれません。
 そのことも含めて(時間はかかりそうですが)少しずつ考えてみます。

 あ、そのことと、ブログの記事の執筆は関係有りませんので、
 それが原因で執筆が止まるようなことはありません。
 そこはどうぞお気遣いなさらないで下さいね。


チロさん

 沢山のお気遣いどうもありがとうございます。
 私はチロさんからいろいろ大事なことを教えていただきましたけど、
 チロさんのせいでやりとりがおかしくなったとかは全然感じませんでした。
 どうぞそこはお気遣い無く、また鋭いコメントをお願いしますね。
 あ、鋭いのだけでなく、楽しいコメントも大歓迎です。
 アホなコメントはもっともっと大歓迎です (^_^)v
                   ……全国アホ連合総裁 パンダより

みみさん

パンダさんへの返信としても書きましたが、こちらこそ、途中割り込んだ形になってしまって、申し訳ありませんでした。

みみさんの、これまでの流れの中での今回のお話に対する私の思いや、みみさんとパンダさんお2人の間に割り込ませてもらうにあたって、車線変更時に後続車に対してハザードランプを点滅させるような気持ち(すみません&ありがとうの気持ち)を表そうと、あの数行を書いたのですが、

その中身が適切ではなかったことは、パンダさんのご指摘の通りであり、私が上に書いた通りです。

お気遣いありがとうございます。

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