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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年6月 3日 (金)

「世間モード」と「自分モード」

ここでも常連コメンテーターのお一人、Rosamonde姐さんが最近出版された「これって、大人の発達障害? 人付き合い、家事がうまくいかない理由」(佐々木加奈 PHP研究所)を読みました。

 ご夫婦で発達障がいと診断され、またご自身は他にも身体的な病気を抱えながら、発達障がい問題に理解を求めるための講演やいろいろな活動に頑張っていらっしゃるRosamondeさんが、ご自分の経験をベースに、いろんな関連する本も参考にしながら、ほんとに具体的な生活上のひとつひとつの工夫にわたって、わかりやすく書かれています。

 いろんなことを思いながら読みましたが、一番感じたことのひとつは、「ああ、生きるってこういうことなのかなあ」という、そんなことでした。部屋の片付け方の工夫、洗濯の仕方の工夫、買い物の工夫、おかずの盛りつけの工夫、服の買い方の工夫、ストレスがたまったときの工夫……。書かれていることには定型の人の多くは、何気なくこなしてしまっているようなこともあるし、「あ、これ、自分にも使えるな」と思えるものもあります。

 逆にいうと「これは定型の人間には全然関係ないことだな」と思えるものは、あんまりないんですね。毎回意識しながらやっているかどうかの違いはあるにしても、やっていること(やろうとしていること)はあんまり変わらないし、ただそのやり方が少し違うかも知れない、という程度の感じです。言ってみれば、「生きる上で必要なことを、毎日ひとつひとつかみしめてやられている」ということなのかもしれません。

 熊谷さんの本を読んだときの感想にもつながることですが、そこではやっぱり「私のからだ」や「私の生活」、「私の気持ち」が一番の出発点だし、そこをひとつひとつ丁寧にみつめ、ケアし、工夫し、そして他の人とのつながりを考え、また行動されていく。

 定型の人間は、回りの人たちとの関係調整をものすごく重視しながら生きていて、そこが定型とアスペの違いだ、と見られ、それが「できない(苦手な)」ことがアスペルガーの「障がい」なんだ、と考えられることも多いと思うのですが、たとえば定型の自分自身のことを考えてみると、ある意味では「周りの人たちとの関係」を「重視しすぎる」ことで、逆に一番の原点であるはずの「自分」をちゃんと見つめることが「できない(苦手な)」状態になっているのかも知れません。

 Rosamonde姐さんがこんなことを書かれています。

 「パニックになったときは、一人だけの落ち着ける時間をもつことが必要です。発達障害を持つ人で、自分の内側に拡がっている世界と、自分の外側に拡がっている世界が一致しないという人によく出会います。自分の世界ではのんびり過ごしていても、一歩外に出たら、世間のスピードや感覚に自分を合わせていかなければなりません。この切り替えがなかなかできず、人よりも苦労します。世間のスピードに慣れることは、発達障害の人にとっては、大変難しいことなのです。
 ……たとえ「自分モード」から「世間モード」に切り換えることができたとしても、「世間モード」の時間でいられる時間は限られています。ウルトラマンみたいに三分間しかいられないというわけではありませんが、その人によって時間が決まっていて、その時間を過ぎると、大きなストレスになります。
 もちろん、「世間モード」に切り換えて、社会生活を送ることは必要ですが、その時間を支えているのは「自分モード」の時間なのです。「自分モード」の時間をゆっくり一人だけの時間として楽しむことが、発達障害の大人にとっては、何よりも心の安定につながります。」

 「世間モード」の自分(時間)を支えているのは、「自分モード」なんだ、ということ。そう言われてみればあまりに当たり前に思えることが、どうして私には新鮮な感覚で迫ってくるのか。ほんとに面白いことだと思います。そして改めて繭さんやカレンさんのコメントなどを思い返してみると、ああ、そういうことなんだなあと思えたりする。

 これは熊谷さんの本のどこかに書いてあったことかもしれませんが(……もう忘れてる (^ ^;)ゞ)、別に「自分モード」が不可欠なのは、アスペの人に限ったことではなくて、地球上のほぼすべての人がそうなんですよね。つまり、「眠る」といことが不可欠だという意味で。夢を見るのも自分勝手な自分の世界を作っているわけですから、その中で「世間モード」で困っちゃったり悩んじゃったり、ストレスをためたりしていることをなんとかしようとしている。

 ごく稀に全く眠ることができないという「障がい」を抱えた人を除き、ほぼすべての人が眠るときは完全に「自分モード」なわけですし、そして眠らないと生きていけないわけです。(眠らせない実験というのがありましたが、参加した人は結局精神状態がおかしくなって、最後まで実験が続けられなかったとうこともあったと思います)

 ただ、定型とアスペの間では、この「自分モード」の保ち方に違いがあって、お互いに相手の感覚が分かりにくく、うまくバランスを取ることが難しいということはあるんでしょうね。joさんが書かれているように、そもそもそういう安定した「自分」というものが相手の人の中に見いだしづらい、ということもあるかもしれません。それは「ない」ということなのか「あるにはあるけれど、とても見いだしづらいような質の違いがある」ということなのかは私には分かりませんけれど。

 ああ、それと、本の中ではRosamondeさんのダンナさんも活躍されています。こちらでは「ダイ兄さん」と呼ばれている方でしたよね?いつものコメントの雰囲気とはまた違うRosamondeさんの文章も拝見して新鮮でしたが、今までRosamondeさんを通してしか知らなかったダイ兄さんについても「へえ、こんな見方をされて、こんな文章を書かれる方なんだ」、と、これもなんかとても新鮮でした。

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コメント

>逆にいうと「これは定型の人間には全然関係ないことだな」と思えるものは、あんまりないんですね。毎回意識しながらやっているかどうかの違いはあるにしても、やっていること(やろうとしていること)はあんまり変わらないし、ただそのやり方が少し違うかも知れない、という程度の感じです。言ってみれば、「生きる上で必要なことを、毎日ひとつひとつかみしめてやられている」ということなのかもしれません。

「むむ…なるほど」と思いました。定型の方から見ると、意識せずにこなせていることがきっと沢山あるのですね。
たしかに、同じ人間ですから、甘いものが辛くなったり、冷たいものが熱くなったりという程まで違うわけではないですし、程度の大小なのかもしれません。なんだか、面白いです。

私は読み終えて、自分が夫から「不器用な体質」と言われるのも仕方がないなぁ(苦笑)と思いました。

服のラベルや素材、照明の色や明るさ、テレビやPCのディスプレイは真っ先に明るさダウン、商業施設ではたまに他の人の聞こえない音が大音量で聞こえるし(耳をふさいでダッシュ)、寝る前の時間の過ごし方に過敏だし(うまく行かないといつまでも眠れない)、スーパーマーケットでは目が泳ぐしフリーズするし、嗅覚が過敏なときと鈍感なときがあって困るし、見えなくなるし、聞こえなくなるし、目に入りすぎたり、聞こえすぎたり、5分と1時間の違いがわからないときもざらだし、夫が泊まりがけの出張から帰ってくると微妙に怯えて逃げるし(最短一泊)、記憶も混乱しがちで…あぁ、手のかかる体質だ…としみじみ思いました(笑)
すみません、面白半分に思い当たった症状を並べてみました。

「自分モード」ですが、定型の人は「世間モード」の中でも上手に「自分モード」を混ぜることが出来ているように見えます。
私の自分モードは先日書いたような、意識が流れ出ている状態なので、一人の時でないと、出来ないことがほとんどです。

>そもそもそういう安定した「自分」というものが相手の人の中に見いだしづらい、ということもあるかもしれません。

これが感じ取れたら、対人関係の不安がかなり減るのに、と思います。
実家にいた頃、ずっと母に「あんたなんかが…」とか、人に褒められても「お世辞に決まってるじゃない」などと言われ続けて来たので、余計にゆがんだ認識なのだろうと思います。
高すぎず、低すぎず、程よく自分を認識できるようになりたいです。

みみさん

どこでお返事しようと思いながら、ここまで来てしまいました。

アスペルガーの人の特徴、繭さんがとても簡潔に書いてくださっていたので、それ以上にあまり書くことはないのですが、

逆に、みみさんが書かれていた中で、「これはアスペルガーの人の特徴というわけではない」ということろを挙げてみますね。

いくつかあったように思いますが、今、そのページを見られないので、はっきり覚えているところだけにしますが、

アスペルガーの人は笑います。ごく普通に。しかも、声を上げて本当に楽しそうに。

夫にしても娘にしてもそうですが(夫の親戚にしても)、よっぽど疲れているときは別として、笑っていることが多いです。これは、男性の特徴なのか、うちの夫の特徴なのか、辛いこと・嫌なことを引きずりにくく、思いっきり楽しむことをとてもよく知っている人です。

そういう意味では、夫は楽しみ方の先生(笑)

繭さん

私も感覚過敏のところがあるので、肌触りとか光の明るさのことなどはよくわかる気がします。でも、よくわからなくて、しかも、娘には小さい頃からしばしば起こってきたのが
「スーパーマーケットでは目が泳ぐしフリーズする」という感覚。

これは、夜お祭りに行った帰り、薄暗い中微妙な光がともっているショッピングモールの中その他、夕方や夜に起こりがちでした。

「なんか、こ、こわい・・・」と言いながら、突如目の焦点が定まらなくなったり、フリーズしてしまって目を見開いたまま何かに怯えているような状態がしばらく続いたりで、

私としては、いったい何が娘の身に起きているのかわからず困惑しました。いまだによくわかりません。

「突然、死の恐怖のようなものを感じる」と言っていたときもあり、「前世で何かあったのかなぁ?」とか「ほんの赤ちゃんの頃に、何かそんなコワい目に遭わせたかなぁ?」とか考えたこともありますが、結局、今でも、はっきりしたことはわからないままです。

近々、娘のところに会いに行くので、思い出したらこのあたりのことも尋ねてみようと思いますが、繭さんの感覚として、目が泳いだりフリーズしているときには、いったい繭さんの中では何が起こっているのか、もし説明がつくようなことであって、無理のない範囲のことであれば教えてください。

カレンさん

目が泳いだりフリーズしている時のことを考えてみました。

私の場合は、2つの状況で起きることが多いです。
1.目に見えている状況で混乱しているとき。
2.フラッシュバックを起こしているとき。

 1は、前述のスーパーマーケットなどで起きるものです。
私は視界いっぱいに、同じ模様の繰り返しや、鮮やかな多色のものが並んでいる様がとても苦手なのです。どこに焦点を合わせてよいのか分からないような感覚(しばしフリーズ)で、平衡感覚が怪しくなり、くらくらします。

でも、店では買いたいものを探さなければいけないので、少し落ち着くまで待って、それから棚を見ます。全体をぱっと見て探せないので、棚を一段づつ見て、目的の品を探します。
似たような商品が並んでいるので、どれを買うか軽く混乱して、またフリーズします。夫が言うには、棚の前で途方に暮れているように見えるらしいです。

同じような視界の混乱は、ブロックタイル貼りの広場や、駅の階段で人がいなくて見渡せるとき、大きな水溜りや池に雨が降っているときなどに起こります。
あと、薄暗い中に明かりがぼんやりと灯っているような場所は、フリーズはしませんが、遠近感が分からなくなったり、身体感覚があやふやになって、よろけたりします。

これらは酔ったような感じで、不快感や不安感はありますが、慣れていますし、恐怖とまではならないです。買い物を楽しむことも出来ます。

 2は、PTSDで言われるフラッシュバックに似ているような感覚で、突然起きます。きっかけは些細なことが多いですが、同じ状況で必ず起きるわけではなく、普段は大丈夫なことがほとんどです。

私の場合は、隣の部屋からくぐもって聞こえる話し声や、何かの言葉、目の前の風景、人のちょっとした仕草などに激しく反応したことがあります。目の前の景色や感情が、過去に飛んでしまったような感じになり、過去の心象風景を再体験します。

時間は数秒~数分程だと思うのですが、身体を固くして、目の焦点が合わなくなり、目も耳も過去に向いていて、現実は認識がむずかしくなります。終わると、徐々に又は一気に力が抜けて、意識も現実に戻ります。
軽いときは落ち着くまでじっとしていたり、重いときは泣き叫ぶこともあります。
調子が悪いときは、軽いフラッシュバックが数日に渡って起きることがあり、とても消耗します。思い出す内容が、そもそも恐怖や望みのない感情なので、こちらの場合はとても怖いです。

あと、何かを思い出したり、関連付けて思い付いたりするときも、基本的にフラッシュバック様です。なので、楽しいことも同じように思い出したりしますが、上記ほど激しくも長くも続きません。インパクトの違いが大きくて、負の記憶はとても疲れます。

自分の記憶なのですが、どんな索引が付いているのか分からなくて、自分でも関連付けの理由が謎のことが多いです。人と話している時に、自分にとっては関連付けられて思い付いたことが、他の人と合わないこともよくあります。(突然つぼにはまって笑いたくなった時などは、結構困ります。)

上記2つとは別に、娘さんのお話を伺って思い出したのが、パニック障害の発作にも似ているかも、ということです。
私の乏しい知識では、1を激しくしたような感じで、苦手な状況(閉鎖空間や満員電車など様々)において、動悸やめまい、呼吸困難などがあり、死の恐怖を感じるらしいです。

ざっと書き出してみましたが、なにか参考になれば幸いです。
ご不明のことなどありましたら、お知らせ下さい。

繭さん、とても詳しくお話してくださってありがとうございます。

1.「目に見えている混乱」 2.「フラッシュバック」、 パニック障害のような症状、
とわかりやすく分類して説明してくださったことで、娘の赤ちゃん時代からこれまでのいろんな場面のことを理解しやすくなったように思います。

娘の場合は、生まれた直後から「なんだか、大人のようにものを考えているような赤ちゃんだ」という感じがしていました。そして、娘が機嫌よくしているための条件は、新米の母親にとってはそろえるのが難しかったのですが、今のお話を伺うと、やっぱり何か、とても感覚的に敏感なところがあったように思います。

そして、ものすごく早い段階から知的にもいろんなことがわかっていて、知的な思考を持って、私や周りの大人がすることを観察していたようなところがありました。保育園時代には、すでに、世の中の不条理にも気づいていて、そのあたりを、子どもながらに語っていましたね・・・。

感覚の面では「混乱」を起こしやすく、ものがよくわかっていただけに辛いことも多く、そのために「フラッシュバック」を起こしやすい・・・そう考えると、理解できるような気がします。

パニック障害についても、1.2.と関連したところで起こっているのかなぁ、という感じです。今の今まで、パニック障害ということと娘の症状とは結びついていませんでしたが、そういう可能性もあるのでしょうね・・・。

夫の不注意で、よく落下させられたりケガをさせられたりもしていたので、そのあたりのことも関係あるような気がしていますし、(今思えば、夫は一生懸命やっていたし可愛がっていたのですが、夫にとっては小さな子供の世話は難しい、とあの当時知っていれば、私もそれなりの工夫ができたのでしょうが)、

他にはやっぱり、夫と私の争いの影響が一番大きいでしょうし、共働きで忙しすぎて、本当には娘の心と向き合えていなかった、ということもあるでしょうし・・・。

それから、繭さんが書いてくださった1.2.とパニック障害は、書いてくださった詳しい内容を読むと、私にもかつて起こっていたようなことでもあります。同じではありませんが、よく似ているという感じです。

ひょっとしたら、そういう心境の時って、自分では見えないので自覚していませんでしたが、目がうつろだったりしたのかもしれませんね・・・。そう言えば、一時期友人たちから「遠い目をする」とか「また、遠い目をしてるよ」とよく言われた時期があったのですが、繭さんや娘の、「焦点が合わない」「フリーズする」と共通するところもあったのかもしれません。

おかげさまで、考えをずいぶん整理することができました。ありがとうございました。近々本人にもいろいろ聞いてみようと思いますが、その前にもう少し自分でも考えを整理してみようと思います(^^)

繭さん、チロさん、カレンさん、ありがとうございました!

繭さん、なんとなく、わかりやすかったです。
もし、繭さんが、意識は点の集合体…なら、私の場合は、意識はどうしても数珠になってしまいます。産まれてから、今まで?!私の意識は切れない糸で繋がっているんですね…
よく、「あの時(過去)があるから、今がある」なんて言いますよね。良い時も、悪い時も、そんな感じ、です。全て繋がります。自分で繋げちゃってるのかもしれないですけどね!
今回も、主人などの事でも、この違いは何なんだろう???とよく考えるのですが、よくわかりません。自分が正しいとも思わないし(繋がりすぎて嫌な時もあります)、繭さんなどが変とも思わないし、ふつう?定型?と言われる人達ってのは、どんな感じなのかな?って、それを思います。

カレンさん、私の書き方が悪かったかもしれません。
うちの主人も、テレビを見たり、家族や馴染みの友人と、自分の好きな話(趣味)などをしている時等は、単発でびっくりするぐらい笑います。笑うツボは殆ど噛み合いませんが、よく?!たまに?!笑っています。
でも、例えば人と初対面のあいさつや、お出掛け、お買い物や外食に行った時、上記以外の時は、雰囲気づくり的な「笑み」などはほぼありません。
無表情で淡々と済ませたり、淡々と食べたり、淡々と見たり…(自分が行きたい!一緒に行こう!と言った店でも)…
これが、私は無性に違和感や異質感を感じます。(私は透明人間・一緒にいてもひとり)
主人は、どこかで誰かに必要以上に気をつかう事は、疲れる、できない、無理にしたくない、する必要もない考えみたいです。必要以上…はわかりますが、こちらから見ればほぼ無です。(本人的には、少しはやってるみたいです)
でも、最近は、私個人の友人と会った時など、予め状況や逆の立場などを説明して、「あなたも楽しもう!それと、友人や私の立場も考えて欲しい」と主人にお願いして紹介し、私と友人が笑うと、主人も合わせて笑ってくれるようになりました。
最終的にその空間全体が、「自分も楽しい」「相手も楽しかったんだな」「また会いたい」「また楽しいことしたい」と、感覚で覚えてきたようです。
率先して、今日○○さん(私の友人)誘おっか!と言ってきてくれます。
でも、当たり前に…となると、限度があり、なかなか疲れるみたいです。
私は、リラックスして、かつ、人と繋がるように、実践で色々やってみたりするのですが、結局、上記の事は、「気を使え」って言われてるのか、「気を使うな」って言われてるのか自体が問題視で、どっちかわからないようです。
そこらへんが、AS的だなぁ…と感じます。私は、もし自分が私や友人の立場だったら?とか、ムリに気は使わなくていいのよ、とか、両方言うから混乱させている…とわかるのですが…
昔は、私が一切何も言わなければ、不思議な事に好んで行くんですが、友人がいてもいなくても同じ。淡々と…話もせず、笑いもせず、店に入ってから出るまで携帯から目を離さず…、食べて、最後に一言、友人に「あ、どうも。楽しかったです!また是非!はい、どうも。じゃ!」では、私や友人は、楽しかった?何しに来たの?とズッコケそうになります。
「あなたの主人と食事しても、楽しくも何ともない。むしろ機嫌がわるくなる」と私は何度か友人から言われています。
それでも誘ったり付き合ってくれるので、感謝してます。
友人も、気を使ったらいいのか?気を使わなくていいのか?その事に気を使うそうです。
私は友人に、「ごめんね。でも、彼はあれでも、あなたを好きみたいだし、結構楽しんでいるみたい。あなたも、聞きたい事を聞いたり、今日はうちの主人はどんな展開かな?とそれを楽しんでみたら?」「そうね!」なんていう会話をよくします。そうやって、近年では、だんだん主人と私の友人は打ち解けていきお互い無意識的に仲良いです。
でも、私はそれまでに凄く気を使うし、疲れます。
私はそんな友人にすらアスペの話はできません。主人の立場もあるし、私の中で、こちらからアスペの問題を相談しても、理解されず、結果、自分(私)のせいにされるという図式が出来上がってしまっています。そんな嫌な思いは、勘弁です。
私のACで掻き立てている部分があるにしても、主人は関係なくASなのです。
以前などは、そんな経緯の途中で、私が否定すれば
・気を使えとか、使うなとか、わからないはっきりしてくれ。
・結局(私は)自分の立場を重視している事になる、結局自分中心でないと気が済まないんだ。
と、返ってくる言葉は決まっていました。間違ってはいないんだけど…ムムム?…ですよね。
結局、私は口論が嫌だったり、私も決めつけて否定されたくないので、相手の気持ちを汲んで、否定せず、確かにそれはそうね…、と言いますが、
「確かにそうね」と言うと、それで通ってしまい、主人中心の元通りの結末…

結局、私が何を言いたいかと言うと…
凄く大変なのはお互いなわけですよね。
でも問題なのは、そこまでASの人はなかなか繋げて考えれない。
こちらに、心の負担がくるわけです。
そういう時に、ASに対する違和感や否定感をもの凄く感じます。

1対1では相手に合わせて理解して、納得しながら大目に見ても、社会に一歩出たり、第三者が入ってくると、かなり難しいのが現状です。

個人の尊重は絶対ですが、人や社会とうまく繋がる事の大切さと難しさを感じます。微妙に話がズレましたが…

最近のパンダさんの記事のコメントも含めて…
主人は以前、心について、「自分は、人と比べて省エネタイプにできている」(疲れに対する耐性をもっていないので、疲れないために)と言っていました。
出来る事、出来ない事、自分モードなどは理解出来るのですが、心や気持ちの面が絡む相互問題になると、困る事や、まだ理解出来ない未知の事はたくさんあるのが事実です。

みみさん

>でも、例えば人と初対面のあいさつや、お出掛け、お買い物や外食に行った時、上記以外の時は、雰囲気づくり的な「笑み」などはほぼありません。

あー、これは、初対面の挨拶を除いては、夫もあまりありませんね。
ただ、「楽しむ」ことをとても知っている人なので、「雰囲気つくり的な笑み」はなくても「自然な笑み」が出ていることが多いように思います。

夫は、「つきあいたい相手」と「つきあいたくない相手」がはっきりしているので、自分に好意を持ってくれる人の前では自然に笑みが出る、自分に対してなんらかの不快なバイアスをかけて見ている(と夫が感じる)相手には全く愛想のない態度を取る、とはっきりしています(なので、夫がいやだと思っている相手は、必要最低限以外、夫には近づけないそうです・・・苦笑)。

誤解のないようにあえて書いておくと、以前にも書きましたが、夫には好意を持ってくれたり信頼を寄せてくれたり助けてくれたりする人も多く、結局、夫の付き合いはそのような人たちとの付き合いになる&私と共通の友人知人が多いので、人付き合いの中で、あまり困ることはありません。

でも、みみさんも書かれているように、もともと私の友人だったり知人だったりする人と急に引き合わせることになると、やっぱり夫モードがかなり出るので私が気を使うことになります。

実は最近もこういうことが実際にあったので、それをきっかけに「夫と事前にうち合わせをすることなく、急に私の側の友人などと合わせることはしない」というルールを新たに夫と私の間で決めたところです。

>最終的にその空間全体が、「自分も楽しい」「相手も楽しかったんだな」「また会いたい」「また楽しいことしたい」と、感覚で覚えてきたようです。

これは夫も言ってます。人とのイベントにしても、家庭の中のイベントにしても、「してみたら楽しかったから、またしてもいい」とか「ぜひしよう」とか。

>私はそんな友人にすらアスペの話はできません。主人の立場もあるし、私の中で、こちらからアスペの問題を相談しても、理解されず、結果、自分(私)のせいにされるという図式が出来上がってしまっています。そんな嫌な思いは、勘弁です。

このへんは、わかります。私も、以前にはいろいろありましたから。

ただ、私はこの2年間で、個人的に会うような親しい友人たちにはだいたいアスペルガーのことも話してきているのですが、今のところ、アスペルガーのこと&そこで起こる人間関係の中での問題を、打てば響くように理解してくれる人・なんとなく理解してくれる人・よくわからないけれど否定はしない人・やんわり否定する人・ものすごい拒絶反応をする人に分かれていますね、今のところ。

他の問題にしてもそうなのでしょうけれど、結局のところ、本人とか周辺の身近な人といった当事者、せっぱつまって真剣にその問題と向き合った経験のある人でないと、なかなか理解は難しいのでしょうね(逆に言うと、そういう人どうしなら理解できる可能性あり、ということですよね、パンダさんのこのブログとか掲示板とか)。

>凄く大変なのはお互いなわけですよね。
でも問題なのは、そこまでASの人はなかなか繋げて考えれない。
こちらに、心の負担がくるわけです。
そういう時に、ASに対する違和感や否定感をもの凄く感じます。

このへんのところが、たぶん、アスペルガーの人でも個人個人で違うような気がしています。全体としては、繋げて考えられない人の方が多いのかもしれませんが、

少なくとも夫や娘を見ていると、理解と努力ですごく歩み寄っている感じがするんですよね。あと、私の満足とか笑いの沸点(?)がかなり低いのかもしれないということも関係しているかもしれませんが・・・???

うーん、みみさん、ごめんなさい、やっぱり本当にわかるのは自分が体験したことだけなので、みみさんのお気持ちに沿うような答えはできていないような気がします(^^;)

>1対1では相手に合わせて理解して、納得しながら大目に見ても、社会に一歩出たり、第三者が入ってくると、かなり難しいのが現状です。

これが、うちの場合は逆だったんですよ、全く。

上のコメントにも書きましたが、夫は社会的にはとても順調にやってきているし、夫のはっきりした言動やその他の特性・性格、いい面として生かされているようなところがすごくあります。

あ、でも、みみさんが言われているのは、「夫婦として」社会に出たり第3者とつきあったり、ということなのかな? もし、そうであれば、うちも上に書いたような問題は最近でも起こっているし、今でも、そのたびに新しいルールを作っているところです。

>主人は以前、心について、「自分は、人と比べて省エネタイプにできている」(疲れに対する耐性をもっていないので、疲れないために)と言っていました。

このへん、この前、聴覚障害のある方と長時間話したことで、夫のことも自分のことも、あらためてよくわかりました。

短時間ならばべつにどうということもないけれども、長時間になったりアルコールが入ったりすると、だんだん本来の自分モードが出てくる、ということを再発見したのです。

あの場のことで言うと、聴覚障害のある方は、だんだと「ご自分本来の母語=日本語音声を伴わない独特の語順である日本手話」が出る頻度が高くなり、私の方は、だんだんと手話を使った会話に疲れてきて、手話の読み取りへの集中が難しくなる・・・そんな状況を、どこか頭の隅で客観的に観察していました。

そして、これって、夫と私の間でも同じだなぁ、と。

一緒にいる時間が長くなると、たとえそれが楽しい時間であろうと、やっぱり自分モード
にならざるをえない・アルコールが入ったりして理性の働きが弱くなったり、心身の調子が落ちて余裕がなくなったりすると自分モードに入りやすくなる(これは、障がいの有無にかかわらず、程度の差はあれ誰でもそうだと思いますが)。

なので、どちらかが、「自分あるいは相手が、『自分モード』に入ったことに気づいたら、スッと距離を置くとか、余裕のある方がちょっと相手に合わせるとか・・・そんな工夫が必要だと、再認識した先週でもありました。(工夫の具体的な中身は、目下検討中です。)

超亀亀コメントですみません。

本、ブログに載せてくださってありがとうございます(感謝)。

パンダ兄さん、だにぃさんを「ダイ兄さん」ではございませんわよ。だにぃさんで結構でございます(爆笑)。

拙著(これって、大人の発達障害?)の原稿を書いたのだが、編集段階でボツになったところがあるので、ボツになった部分は第2冊目以降の本にでも書いていこうかと思っています。

ではでは。

Rosamonde姐さん

 おひさです。
 また体調を崩されているのかと心配していました。

 「だにぃさんを「ダイ兄さん」ではございませんわよ。だにぃさんで結構でございます(爆笑)。」

 あ、あ、失礼しました (^ ^;)ゞ
 なんかちょっと違うような気もしたんですが…… m(_ _)m

 でもなんで「だにぃさん」なんですか?
 ダディの変形?

パンダ兄さん、ダディの変形ではなく、だにぃさんの由来はダニエル・スターにちなんでいます。

実は、私はキティラーなので(爆笑)。キティちゃんと言うことで、だにぃさんにしています。

体調の方は梅雨と言うことで、疲れやすいです。昨日も今日も熱が出ています。

と言うことで。

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