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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 「見え方」「感じ方」のズレについて | トップページ | 「見切り」をどこに置くのか? »

2011年6月 7日 (火)

細い糸

カレンさんの娘さんについての話がすごく印象的でした。

ひとつには、カナータイプの自閉の子の場合はほんとにアイコンタクトが難しいですが、私の印象ではそれは「避けている」というよりも「興味ない」という感じが強いように思います。「相手の目を見ることに意味を感じていない」という感じかな。でも私のパートナーもそうですし、アスペルガーの人は私の知る範囲ではアイコンタクトはあるんですよね。そこでとくに不自然さを感じないし、もしそれが少ない場合には「視線を避けている」とか、「性格が内気だ」とか、そんなふうに感じられるようなレベルでの少なさになります。

定型でもアイコンタクトをかなり避ける人がいるし、そういう意味でまあ個性の範囲内みたいな印象なんですね。さらに言えば日本ではアイコンタクトを基本的には避ける傾向が強いから、欧米の人なんかとは全然違いますし、だからと言って日本人はみんな自閉だという話にはならない。そのレベルで気にならない程度にアイコンタクトが少ないことはあるかもしれない、と言う程度で、ほとんど気にもなりませんでした。

アイコンタクトを使ったコミュニケーションができず、言葉の獲得に大きな問題が出てくるカナータイプの子と違って、娘さんは普通(以上?)にお話しをできるようになったのでしょうし、そういう意味ではアイコンタクトが普通にできても、そのことは私は全然不思議はないと思えるのですが、実際にそうだったんですね。

もうひとつすごく印象的なのは、やっぱり二日間のことで一時的にでもがらっと変わってしまったと言うことでした。私とパートナーとの関係でも、定型同士なら乗り越えていくように思えるちょっとしたコミュニケーションの問題で、それ以降それまで開かれていた気持ちがさっと閉じてしまうような、そんな印象を持ったことが何度かあるからです。それまでは「自然」な感じの気持ちの交流ができていた部分が、彼女からの働きかけをこちらが一度受け止め方に失敗するだけですっと失われてしまう、そんな感じだったんです。

定型同士の関係なら、そこで「なんで受け止めてくれないんだ」ということについての葛藤がその後も割に尾を引きながら、お互いに調整していくんだと思うんですが、そうならずにすっとそこで身を引かれてしまう感じ。それで「あれ?大したことではなかったのかな?」とそのときは思うんだけど、その後だいぶ経って気がつくとその部分で心がもう永遠に閉ざされてしまい、あたかも最初から存在しなかったような感じになっている。

カレンさんと娘さんの場合はその後の数時間の関わりでまたもとに戻ったと言うことですが、私の場合はその後10年単位でその状態が続き、そこがちょっと戻ってきたのはほんとにごく最近のこと、私の方も考え方や接し方が大きく変わって、関係を作り直してきて、この数ヶ月以内という感じなんですね。それも少しずつですけれど。

なんというか、印象的に書くと、アスペの人は人とつながろうとする気持ちのものすごく繊細で細い糸を持っていて、それがわりと自然なつながりを生み出すことがあるんだけど、それはあまりに繊細で細いために、ほんの少し強く引いたり、乱暴に扱ってしまうと、すぐに切れてしまい、もうなかなかつながり直すことなくそのままいってしまう、そんな感じがどこかするんですね。一旦切れた糸はその糸口を探すこと自体がものすごく難しい感じ。

もちろん定型的な感覚からすれば、アスペルガーの人の発言がものすごく乱暴に思え、傷つくことも多いということも事実です。とくにたとえば家庭内での「権力関係」がそこにあって、一般社会の状況とは反対に定型の人の方が弱い立場に置かれたりしている場合には、そこで一方的に近い形で苦しみ続けることもあるんだと思います。みみさんもそのあたりに触れられているのかなあと想像しました。そういうことの結果、定型の側からつながりを断たざるを得なくなる状況に追い込まれることがあるのも当然だろうと思います。

と同時に、アスペルガーの人が、もちろんすべての人なのかどうかは全然分かりませんが、少なくとも何人かの例ではものすごい繊細さを持って生きているということが、最近なんだかリアルに感じられつつあります。たとえ繊細さが発揮される部分が定型と違っていたとしても、だからといって繊細さを持たないなどと言うことは言えません。ただ定型とはずれた部分があると言うだけのことでしょう。

そう思ってたとえば繭さんの写真ブログなどを見て、その繊細な感覚に最初は驚くばかりでしたけれど、今では驚くよりもむしろ当然のことのように感じられるんですね。そう感じるようになったのには繭さんがご自分の感覚のものすごい敏感さについて説明してくださったことも影響していると思います。ある意味定型的に「鈍感」になれない部分で定型的な世界にうまく適応できずにその「過剰な刺激」に振り回され、苦しまれているところがある。そんな感じがします。

そしてもうひとつ、たしかに繊細さの在り方はずれているかも知れないけれど、たとえば繭さんの写真に定型の人間も驚き、感動したり癒されたりするということも大事なことかなと思えます。もちろん実際には感動している部分に微妙な違いがあったりする可能性はいくらでもあるんだけれど、でも「同じ写真を見てそれぞれ感動している」ということは間違いないですよね。

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コメント

明日からしばらくここに来られないし、行先が娘のところなので、考えること思うことが次から次です。しつこいカレンですみません。

アイコンタクトのこと、パンダさんの奥様のことをどこかで読んでいたので、そのあたりから「あれ?」と思っていたのです。

夫は、会議とか食事会とか飲み会とかいう場ではアイコンタクトあるのですが、そうでない場面では目が合わないことが多く、それを拒絶の合図と私が受け取っていたことが、落ち込むことの大きな原因のひとつでした(今では慣れましたけど・・・(^^)・・・)。

ま、夫のことにしても、娘のことにしても、アイコンタクトがあるゆえに、なかなか気づかなかったというのは、自分でもビックリ、「へぇ、へぇ、へぇ~!」という感じです。

夫に言わせると、娘は「学習能力がとても高い」そうで、私は、ほんの1か月ぐらい前まで、その言葉を、客観的に状況を判断しているその様子とか、大人のような感じで物事を見ているところがある、という、そういう意味だとばかり思っていました。

でも、そうなんですね・・・アイコンタクトも含めて、いろんなものを学習して・・・なんて頑張ってきているんだろう、と親ばかまる出しですが、もう本当に愛しく思います(夫のときも、その頑張りがよくわかって、「いい人だなぁ」と感じたのですが、夫は強いから守りたい感じとは違いますもんね・・・笑)。

自分には、人の表情やアイコンタクトを意識して観察したという経験がないので、それらも含めて「学習する」という感覚が、ほんと、わかっていなかったということですね・・・。

(でも、英語圏の人や聴覚障害のある人とのかかわりの中では、そこにふさわしい表情とかジェスチャーとか手話の強弱などを意識して学習したので、アスペルガーの人もそのような感じで「学習」してきたのかな、と思えば、よくわかります。)

不謹慎かもしれませんが、今、タイムマシンがあって、もしやってみたいことをひとつだけやってみられるとしたら、定型の息子の赤ちゃん時代に戻って、"2日間"だけ家を空けてみたいです。どんな感じになっていたのでしょう??? 娘と同じような状態になっていたのか、別の状態になっていたのか???

(母乳オンリーだった息子とは、断乳するまで文字通り1日も離れたことがないのです。)

ちなみに、娘が10か月のとき、やむにやまれぬ事情があって(若い両親の勝手ではありましたが)、夕方から夜にかけて娘を他人に預けたことがあります。

その時には、その預けた人から電話がかかってきて、「早く戻ってきてください。お子さんが泣いて泣いて泣き続けて、ミルクを一口も飲みません」と・・・。

大慌てですぐに迎えに行って抱っこすると、それだけで安心してスヤスヤと眠った娘です・・・未熟な母親でしたが、こんな子どもにここまでなんとか育てられてきました。

皆さんぞれぞれに、たくさんのヒントをありがとうございます。


なんだか、「順列組み合わせ」みたいですね。

私の息子は若干アスペ寄りの定型だと思うのだけど、「アスペ(かも)な夫×(アスペ寄り)定型の息子」だと2日は良くても、1ヶ月はダメでした。

あと、私の夫は定型からみたら「そんなささいなことで」というようなことで、私に腹を立てて以来、10年以上も私を恨み続けています。自分の思うように行かなかった時点から、一歩も先に進めていない感じです。世間的に見れば、女性問題、金銭問題で夫が私にしたことは世間的にも法律的にも100万くらい悪いんですけど、世間的に見たら1くらいの私の落ち度が(世間的にみたら、そんなことで妻を責める夫の方が「情けない男」とむしろ責められる)、夫には1億とか1兆くらいの「ひどい事」になっちゃってて、どうにも身動きできないみたいです。

女性問題も金銭問題もお相手の両親が悪かったり、金銭教育をしてくれなかった両親が悪かったり、それこそ、あちらの掲示板でどなたかが書いてたような「自分が転んだのは(足下に石があるのに気づかなかった自分じゃなくて)そこにある石のせい。石が悪い!」というような感じ。

私のキャパでは「これは障がいのせいなんだわ。どうしてこういうディスコミュニケーションが生じているのか、ひとつずつ解きほぐしていけば、きっと分かるわ。この人のこと、もっと知りたい!」とは思えないです。

このあたりも、「定型側のキャパ×相手の魅力(苦労してでもその人のこともっと知りたい。あるいは、知ってみたらもっと好きになった)」というのの、「順列組み合わせ」ですね。私は左項も右項も値が小さいって感じ。

〉カレンさん

こちらに返事させて頂きます!
ご主人の話を聞いて、なるほど…と思って読みました。
色々教えて下さって、ありがとうございます!
他者の意見や情報はとても貴重ですね。
やっぱり、同じ所もある反面、微妙に違ったり、こうかな?と思っても、全然違う所もけっこうあるんですね。
当たり前と言えば、それまでですが、私が思う事と違う考えや事実も、お話を聞けて、良かったです。

カレンさんが、先に書いた…ASの方のお話…私がよく母に思っていた事がそのまま書いてあったので、〈もしや私はやはり…?と〉笑ってしまいました。

「話しかけるとうるさい、黙ると黙ればいいんじゃない、笑えば調子に乗るな、泣けば泣いてごまかすな、困ればもじもじするな…」まだまだあります…。否定の嵐。
どこで、何をして、どう振る舞っていれば、「良し」となるのか、
どうやったら、私の話を聞いてもらえるのか、家の中では、居場所や振る舞いに困惑しっぱなしでした。
私が話かけては怒らせる…悲しませる…と思い、「あ・の…」も言えませんでした。
どこを見て、どんな顔(表情)をしていれば親は満足(怒らない)なのか…考え過ぎて、顔面がこわばって、マヒしそうでした(笑)
私なりに色々考えても、怒らせてばかり。という過去が私にもあります(汗)
でも、一応家庭以外では大丈夫でした!
周りが合わせてくれたのかも知れませんしね!
それに、ASでなくても、子供は案配を知らず、親に忠実、言葉に忠実、言葉をストレートに取る…という特徴がありますしね。
〉パンダさんへのコメント

私や相手はどの位置にいるんだろう…どれが定型なんだろう?といつも位置関係に困惑します。
アイコンタクトは、私も出来ない…訳ではないと思います。
全く興味がないか、同意できないか、何かを察して、同情できないので避けたり困惑している…ような気がします。
ウィンク(愛情)以外のアイコンタクトは、ある意味、一方的に顎で使われているようなものなんじゃないでしょうか…
細い糸で思い出しましたが、
ASは目に映るものしかわかりにくい、目に見えない相手の心などわかりにくい、と言われますが、定型はどうなのかな?と思いました。
相手に対して、形や目に見える態度、愛情、同情、共有や共感を求めがちだし、それで一安心する。
定型は、目に見える太い糸で繋がってないと安心できないような…?
ASの人は目に見えない繊細な細い糸だけど、繋がっている糸を頼りに、とても大切にして生きているのかな?なんて思いました。

KSさん

お久しぶりです。息子さんの"解凍"のお話、いつかあちらで読んだことがあるような気がします。いつものことながら、KSさんの形容は、なかなかリアルでシビアです(笑)

順列組合せのような、ドミノ倒しのような、新しい課題発見のような・・・なんだかいろいろですね。

KSさん、お相手の話をいくらかでも順調に進めるためには、難しいとは思いますが、ぜひぜひ心穏やかに、できれば出会ったときに穏やかに話せたような状況に近い環境を準備して、怒りとか悲しみとか憎しみ排除したところの、ビジネスライクな話し方に徹してみてください。話し方のモデルとしては、ラジオの落ち着いた柔らかい声の女性アナウンサーのような話し方がベストだと思います。(キャリアウーマンには必要ないアドバイスかもしれませんが、いろんな経験から、こういう発声とか話し方はいいような気がします。)

みみさん

あれこれと思い巡らせることがたくさんおありのようですね。自分だけの見方では限界がありますから、ほんと、ほかの方から情報をいただくことは貴重だと思います。

いろんな見方をしていくと、自分や家族のことがいろいろと見えてきますよね。

ではでは、今日は早めに寝ます。おやすみなさい。

KSさん

 ちょっとお久しぶりです。

 「「定型側のキャパ×相手の魅力(苦労してでもその人のこともっと知りたい。あるいは、知ってみたらもっと好きになった)」というのの、「順列組み合わせ」ですね。」

 算数の弱い私は「順列組み合わせ」というのが実はぴんと来てないんですが (^ ^;)ゞ
 それ以外の所はなるほど~、と思いました。
 この図式、定型とアスペのカップルに限らず、定型同士でもアスペ同士でも、いろんなカップルに広く通用しそうな感じがしますね。
 いずれにせよ定型側のキャパには周囲の人たちの考え方とか、男女の別とか、お子さんの有無や状態とか、すごくいろんなものが複雑に絡みそうに思います。決して個人だけで決まるものではないなといろんな方の話を聞いていて実感します。

みみさん

 「私や相手はどの位置にいるんだろう…どれが定型なんだろう?といつも位置関係に困惑します。」

 相手の方が見えにくいだけではなく、自分の立ち位置も揺れ動く状態だとすれば、それは困惑しますよね。二人で宇宙遊泳しながら、相手が今何センチ動いたか見定めろ、ということを要求されるような、そんな難しさがありそう。せめて自分の方は地面に寝っ転がってじっくり相手の人を見られる状態ならいいんでしょうけれど。

 「ウィンク(愛情)以外のアイコンタクトは、ある意味、一方的に顎で使われているようなものなんじゃないでしょうか…」

 うーんと、たとえばお互い目を見て話し合う、みたいなこともアイコンタクトに入ると思うので、私の感覚では「一方的に顎で使われている」という感じはあまり持たないです。「目は口ほどにものを言い」とか「目は心の窓」いう言い方がありますけど、目を見ると相手の気分や関心の方向、程度、自分への姿勢などがある程度は伝わってきますし、コミュニケーションの調整にとってはすごく大きな手がかりになりますしね。

 「定型は、目に見える太い糸で繋がってないと安心できないような…?」

 これは定型の側はあんまりないんじゃないかな。人によるかも知れないけど。ただ目に見えない太い糸は感じられないと不安になると思います。そこのところでアスペと定型の感じ方にズレが起こりやすいのかも。

 

〉パンダさん

パンダさん…私の書いたアイコンタクトは、違う意味のアイコンタクトの方でした!紛らわせて、失礼いたしました(汗)

アイコンタクトは、単なるコミュニケーションですよね。セットのようなものだけど、話自体とは関係ない。
あなたに目を向けている、あなたの話をしっかり聞いている、というメタ認知的な意味の、単なる、更なるコミュニケーションにすぎない。もっと更にとなれば、相づちをうってみたり、うなづいたり、となりますが、それも、本来は、リアクションの一種に過ぎず、同感と言う意味と同時に、相手に満足を与えるための共感性、協調性表示。

そういうの、うちの主人なんかは、疲れちゃうので、あまり好まない傾向にあるように思います。
(媚びやオーバーリアクションの部類に入っちゃう)
だから、外で出来る人も、家ではやらないんじゃないでしょうか…
あくまで会話は会話であって、話して、聞いてれば、O.K.でしょ、という感覚なのかな…

うちの子供の話ですが、赤ちゃんの頃、物凄い人見知りでした。初めて会う親戚や友人が来ても、毎回、毎回、目を反らし、身体まで突っ張って反らし、火がついたようにギャーっと泣いて、相手が子供を見つめ話しかけると、優しい微笑みであっても、目を避け、ギャーっと…。落ちついきても、横目を通して、見られている事を恐る恐る確認し、またギャー…っと。
注目や、見られている事がすごく気になる、不快又は恐怖みたいな様子でした。
「この人、こっちを見てるよ〜・また見てるよ〜」という感じで泣いている感じでした。
横目で確認しながら、火がついたように、あまりにも泣くので、遠慮して帰ると、ケロッとします。
泣きながらも、この人大丈夫…?ホント?大丈夫?となるまで、10回以上は会わないと、なかなか受け入れてくれませんでした。2才位まで続きました。
そのあとは、徐々に、人見知りどころか、初対面でも、なつっこく、人間大好きになっていって、アイコンタクトもできますが、小さい頃の人見知りは、半端ではありませんでした。
何を考えているのかな?と不思議でした。だって、相手は、玩具を買ってきたり、誰もが、とても、とても優しい笑みで、話しかけるのに、あの拒否反応の裏は、どういう理由があったのか、謎です。

そして、再び、主人の話。
うちの主人も、好きな人、嫌いな人がはっきりしていて、
嫌いな人に対しては、男女、初対面、そうでないに関わらず、完全無視です。
目も合わせなければ、視界にも入れません。近付くなオーラ全開です。
嫌い…というより、何か感じるんだそうです。それは、言葉で表せるものではなく、雄犬と雄犬同士の、ドッキングして目があっちゃった時の雰囲気や感覚なんだそうです。あなた、職場でもそうなの?と聞いた事がありますが。
職場では、ちゃんとわきまえてます!職場の人は、みんないい人だし!という返事でした!
やはり、目は口ほどにものを言う…目と目には、もともと、生き物の、興味深い何かが隠されていると感じま〜す。

久しぶりです、まふゆです。
細い糸、というタイトルにひかれてコメントします。
読み物程度に読み流してください。

話が一度「細い糸」からそれてまた戻ります。

彼と私は同じ職場です。机を並べていたころは、彼のびっくり行動に驚きつつ、友人に指摘されアスペ傾向に気付きつつ、素直で飾らない部分を大切にし、こちらが年上なので「場」をつくる努力をしていました。またよく「定型との翻訳」のような形で相談に乗っていました。
彼もそのうち安心したのか、仕事でも人間関係でも大きな成果を出せるようになり、自信をつけたように当時は見えました。
毎朝、お昼時、会議中、私の表情をそっと覗き見ていた姿が忘れられません。
朝昼晩のアイコンタクトがあると安心するようです。

ただ、当時から気になったのが女性関係が派手(?)な部分でした。外見がちょっと今風なこともあり女性が頻繁に寄ってくるのですが、私がいる目の前でも平気でいちゃつくような素振りを見せたり、私が仕事で困っていても、女性とおしゃべり中は気づかず騒ぐということが続きました。(これは彼は友人に注意されたようですが)

今にして思うと「対人関係への自信」のなせる行動と思いますが、私が他の男性と仕事をしていると、寄って来て露骨に嫉妬して不機嫌になるのに、逆は気づかない、当時はそれが不思議でした。

その後の席替えで感情が行き来する際にいろいろ誤解が生じつつも、やっと彼と落ち着いてきました。(彼は友人には付き合っていると言っていたようです。)
穏やかで良い関係が築け、彼の不器用さを一生理解する覚悟ができてきた矢先、私が体調が大変悪い日に急ぎの仕事で青い顔をしているときに、私の体調の心配もせず、また女性と派手に騒いでいました。

冷静に、『この人と一緒にいると一生こんな悩みを持つのかな・・・』と、その瞬間最後の気持ちがふっと消えたのを覚えています。※不思議なことに男性とは騒がないんです。


「細い糸」を紡ぐようにして、何かあっても自分の気持ちを手放さなかったつもりでしたが、年上という引け目もあり、そのまま存在を消すように彼とのつながりを絶ちました。
彼からの必死の修復の気配も感じたのですが、それはキャッチしないでそのままにしてしまいました。(私の机の上の仕事を、夜のうちに彼がやった形跡などがあったりして不思議な事件が続きます。)

今も同じ職場にいますが、彼はその後大きな仕事に何度も失敗し、クレームも多く、休みがちで、何をしても空回りという状態です。女性に依存的なのは相変わらずですが。

私も、彼の優しさは分かるので、手助けも考えるのですが、「私が彼の翻訳、憩いの場になる」→「彼、自信をつける」→「彼、女と派手に遊ぶ」→「困ったとき助けにならない」のは私も病気になりそうだなあと思っていたころ、次の本を見つけました。

「アスペルガーのパートナーのいる女性が知っておくべき22の心得」
http://www.spectpub.com/22.aspx
イギリスの翻訳本ですが、この本にしっかり書いてありました。
女性とのいちゃいちゃも、困ったときに助けにならないことも・・。


「定型側のキャパ×相手の魅力」
が問題になっていますが、まず私自身の「誰かの役に立ちたい」という私のAC傾向がまずひとつあって、
そのほかに、彼の魅力(優しさ、素朴さ)はあっても、パートナーとして男性に求めるもの(頼りがい、思いやり)が見つけられないジレンマがあります。

というわけで、私は彼を見限ることで、この問題から卒業してしまうのかと考えつつ、誰もが持つ「人に認められたい気持ち」が、脳の障がいという形で周囲に誤解され、不幸にして自己肯定感を得られない人たちが世の中にいること、を考えることとは離れられないのかなと思います。

結婚生活という長い道のりを超えられて来た方はなおさら困難があったと思います。
ブログ、これからも読み続けます。

みみさん

「あくまで会話は会話であって、話して、聞いてれば、O.K.でしょ、という感覚なのかな…」

 如何にもアスペ的な合理性、という感じがする話ですね。定型的には「身も蓋もない」と感じてしまうことが多いと思いますが。

「やはり、目は口ほどにものを言う…目と目には、もともと、生き物の、興味深い何かが隠されていると感じま〜す。」

 目の玉を覗くとその人の脳が見える、っていう話、聞いたことありません?要するに瞳の奥の網膜っていうのは脳から直接神経が伸びてつながっている出張所みたいなところだから、網膜を覗くのは脳の一部を覗くようなものなんですって。おお、神秘!!……?


まふゆさん

 お久しぶりです。

「というわけで、私は彼を見限ることで、この問題から卒業してしまうのかと考えつつ、誰もが持つ「人に認められたい気持ち」が、脳の障がいという形で周囲に誤解され、不幸にして自己肯定感を得られない人たちが世の中にいること、を考えることとは離れられないのかなと思います。」

 前にコメントを下さったときは、いろいろ迷われている時でしたよね。それからいろいろあって次のステップに進まれたということのようですが、ほんとにこの問題は「唯一の正解」のない問題だなと思います。それぞれの人の思いや状況に応じて、それぞれに個性的な答えを模索していくことが大事で。

 実際ここにコメントを下さる方にもほんとにいろんな状況の中で、色んな方向に向けて進んでいらっしゃる方がいて、それぞれの方がそれぞれの深い思いを語ってくださっています。まふゆさんのように「この問題から卒業」するという方向に進まれながらなお、このブログを読み続けようと考えて下さるというのはとても嬉しいです。

 ここで語り合うのはもちろん定型とアスペの関係が中心ですけれど、でもその問題は実はそこに留まらず、お互いに個性的に違った生き方を持っている人同士がどうやってその違いを抱えながら一緒に生きていけるのか、という大きな問題のひとつなんだと思うんです。だから、そういう意味では生きている限りこの問題には「卒業」はない。そんな姿勢でこのブログを考えていきたいと思っています。だからそういっていただくことが嬉しいんですね。

 またこれからも時々(じゃなくてもいつもでもいいですが(^ ^;)ゞ)コメントをお願いします。

アイコンタクト、私の場合は相手の目を見つめて話をしますが、目の表情はあまり読めません。ただじーっと見てしまうのですが、最近、それは相手に圧迫感を与えるらしいと知りました。
小学校か中学校辺りで、「人の話を聞くときは、相手の目を見ましょう」と言われたのが始まりだったような気がします。

元々は、家に帰ると、キッチンに立つ母の背中に向かって、延々とその日のことを話していた子供でしたし、実家での「会話」は皆そのように、誰かが一方的に話すことで成り立っていました。
今でもリラックスしていると、相手がこちらを見ているのかどうかはお構いなしに話し続けてしまい、夫から「相手の反応を待って。相槌を打たせて。トイレくらい行かせて」と苦情が入ります。

自分が話しているときは、視線をそこに留めているに近いです。
世間モードでは、意識して話を区切って、その間に相手の表情や反応を見ます。話している間は、話す内容で頭が一杯なので、見ていても「見えて」いません。重要な話ほど、区切る回数を増やすことで対応しています。
相手の話を聞いているときは、それなりに意識して反応しているつもりです。

>定型同士の関係なら、そこで「なんで受け止めてくれないんだ」ということについての葛藤がその後も割に尾を引きながら、お互いに調整していくんだと思うんですが、そうならずにすっとそこで身を引かれてしまう感じ。それで「あれ?大したことではなかったのかな?」とそのときは思うんだけど、その後だいぶ経って気がつくとその部分で心がもう永遠に閉ざされてしまい、あたかも最初から存在しなかったような感じになっている。

私にも似たような反応があります。
夫や定型の人たちを見ていると、一度痛い思いをしても、果敢に(と私には見えます)同じポイントでも関係を続けていて、すごいと思うと同時に、自分は何故こんなに大げさに痛がっているのだろう…と思っていました。

いくつか自分のことで思うのは、
・印象の強い記憶が、時系列に関わりなくいつまでも残り易いこと。
・最後(最新)の記憶の影響力が大きいこと。
・相手との関係や、相手そのものの印象をトータルで見ることが不得手で、関わり全体の中で調整することが出来ないこと。
・上記と同じ理由で、あれはあれ、これはこれ、のような細かな単位内で調整しようとする為、痛い思いをしたものを回避することで安定をはかる傾向が強いこと。
逆に、ひとつ痛いことがあっても、他の部分は影響を受けないので、「このことのここは嬉しいけど、こちらは嬉しくない」といった考え方をします(色の混ざらない点描画的な感じ)。

私は一度大切に思った人は、簡単に縁を切ったりしませんが、太いつながりを求めているというのとも違うみたいです。
友人は、頻繁に会わなくても大丈夫ですし、勿論会ったら嬉しいです。
夫とも、最初の頃はその辺りで揉めました。私は好きなら沢山会いたい…ということに直結しないみたいです。好きだったのですけど(^ ^)
そういえば、ホームシックもほとんどなったことがありません。

細くて切れやすい部分もありつつ、丈夫で長持ちな部分もあり。
何かの繊維のコピーみたいですね(笑)


カレンさん

今頃は娘さんと、沢山お話をされているのでしょうか。
ちょっと娘さんがうらやましいと思っています(^ ^)


みみさん

みみさんの、産まれたときからずっと数珠つなぎの感覚って、どんな感じなのでしょう。
私の夫もそういったことを言っていました。
なんだか、生きている実感の持ち方とかにも影響がありそうですね。
私の記憶は、一応時系列で把握はしていますが、一枚ずつ取り出して眺めるアルバムのような感じです。

繭さん

「小学校か中学校辺りで、「人の話を聞くときは、相手の目を見ましょう」と言われたのが始まりだったような気がします。」

 視覚障がいの友だちの話でも、親から「話している人に顔を向けて話を聞き、話しなさい」と教えられたということを聞きました。そうしてみると、相手に顔(視線)を向けて話すと言うことは意外に後天的な要素が多いのかも知れません。

「夫や定型の人たちを見ていると、一度痛い思いをしても、果敢に(と私には見えます)同じポイントでも関係を続けていて、すごいと思うと同時に、自分は何故こんなに大げさに痛がっているのだろう…と思っていました。」

 この文章で私の長年の謎が一つ解けました (^ ^;)ゞ
 私の場合、一度痛い思いをしても(失敗しても)、その先に楽しそうなことがあれば次には同じようなことを繰り返そうとするんですが、そうするとパートナーから「あれだけ失敗してまだ懲りないの?学習能力がないんじゃない?」とか言われ続けていたんですね。
 で、私の方は「そんなちょっとしたことでやめるのもったいないじゃない」と感じつつも、「俺って学習能力ないのかなあ」と思っていたんですが、そういうことだったのか!

 「(色の混ざらない点描画的な感じ)」

 この比喩が私にはすごくわかりやすい感じがしました。熊谷さんと綾屋さんの本で「つながらない身体」という話を読んだ頃から、そのあたりが気になり始めたんですけれど、まだまだぴんとは来ない中で、この比喩で理解が「半歩前進」という感じがします。カナータイプの自閉の子のことばは比喩表現がとても難しかったと思うんですが、そのことを思うと、こんなふうに「比喩」で理解がある程度共有されそう、ということ自体も興味深いです。

 「私は一度大切に思った人は、簡単に縁を切ったりしませんが、太いつながりを求めているというのとも違うみたいです。」

 この感じもパートナーのことを考えるとよく分かる気がします。それとカナータイプの自閉の子だって、お母さんとか、家族とか、特定の人への愛着はしっかり作られていきますし、そのことがとても大事な意味を持つように感じます。ただ、その愛着の表現とか、発揮のされ方がすごく違うんだけど。

うーむ、そうすると、私の目には「あっさりと努力を放棄する。尊敬出来ない」とうつる夫には、夫なりの理由や苦しさがあるのかしらね。私には10の努力ですむところが、夫には100万くらいの負荷だったりとかね。

夫は知能指数は超がつくくらい高いし、カンもいいし、自分のペースでやれれば集中力もものすごくあるので、努力しなくても(いや、それは傍目にそううつるだけ?)ある程度のとこまでやって来られたのだけど、正規で就職して、仕事も人間関係やチームワークを含め、マルチにこなさねばならなくなった頃から、少しずつ地滑りしてったような気がします。今振り返れば・・・ですけど。

でも、もしかすると、「自分の能力以上のことやってると、人はだんだん定型的行動が出来なくなっていく」というだけのことかもね。joさんがおっしゃってたことと通じるかもしれないけど。

10の能力の定型は、9の能力発揮ですむところで生活してれば周囲に気遣う余裕もあるし、生活まわしていけるけど、昇進したり、介護が入ってきたり・・・と負荷が増えて20も30ものことをしなければならなくなり、無理を重ねていれば、「気遣い」なんてしてられなくなっちゃう。

そういう人たちには、別のサポートが必要なのに、いっしょくたに「発達障がい」にされちゃうと、その人たちへの適切なサポートの方法の開発も、本物(?)の発達障がいの方たちへの適切なサポートの方法の開発も、両方が遅れちゃうかもしれないですねぇ。

私が通ってたカウンセリングの診療所にも、最近の発達障がい流行(?)のせいで、「私は発達障がいじゃないでしょうか?」ということで診療を受けにくる人がすごく多いんだけど、ほとんどの人(9割以上とおっしゃってた気がします)は発達障がいではないそうです。

私、以前、綾屋さんが子どもさんたちに(最初の結婚の)離婚の理由を語る本を読みました。その時は、発達障がいのことは知らなかったので。綾屋さんがご自身の発達障がいについて語っておられる部分については、「へぇ、そういう障がいがあるのかぁ」ぐらいにしか思ってなかったのだけど。

良い出会いがあって、幸せになられて、良かった。綾屋さん、すてきな方ですもの。その本の最後の方に新しいパートナーとなられた方の話も少し出てました。

私は、いまのところ離婚をなんとか処理するので手一杯で、「その先」ましてや「再婚の可能性」なんて考えられないですが、綾屋さんも「これは頑張ってもうまく行かない」関係を放棄されて、「頑張ればうまく行く」関係を手に入れられた訳で、自分の「見切り」をどこに置くのか・・・というのは、大事な問題ですね。

狸穴猫さんも最初の結婚は解消されてる訳ですしね。それがあったからこそ、「今の幸せ」がある。

たった一度の人生、やっぱり明るく楽しく生きたい。よぉっく思案しなくちゃ・・・と思います。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。

こちらも気になったので、
コメントさせて頂きました~

---以下引用(定型:パンダさん)----

>私とパートナーとの関係でも、定型同士なら乗り越えていくように
>思えるちょっとしたコミュニケーションの問題で、
>それ以降それまで開かれていた気持ちがさっと閉じてしまうような、
>そんな印象を持ったことが何度かあるからです。

-----------------------------

このパンダさんが「気持ちがさっと閉じてしまうような」について、
私は、パートナーさんの感情が分かるような気がしました。
(私は彼女とお会いしたことないので、あくまで主観ですが・・・)

パンダさんとの間にあった出来事が、101回目だったのかもしれません。

100回武田鉄矢さんのプロポーズを断った浅野温子さんでも、
101回目のプロポーズには応じた。というのとは逆バージョンで、

彼女は、今まで100回同じような出来事に出くわし、
なんとか100回目までは、どうにかしようと努めてきたけれど、
101回目のパンダさんとのやり取りをきっかけに、
「もう・・・だめだ・・・」と、解決することを諦めてしまったのかも。

私には、そういった事が数限りなくありました。

相手からすれば、たった少しの事だったのかもしれませんが、
その1つで、今までの全てを解消してしまうような・・・

そんな事が数限りなくあったように思います。
または、単なる物事に対するプライオリティの差かもしれません。


ここから先は、最近お話している内容と繋げて説明してみます。

※分かりやすいように沢山今までのコメントを引用させて頂きますが、
  気分を害されたら申し訳ございません。
  今まで皆様が積み上げてきた意見を活かしたい為に引用しました。

まず、このテーマにての、カレンさんの発言、

---以下引用(定型:カレンさん)----

>自分には、人の表情やアイコンタクトを意識して観察したという経験がないので、
>それらも含めて「学習する」という感覚が、
>ほんと、わかっていなかったということですね・・・。

-----------------------------

という意見と、「いらぬお世話」にてのパンダさんの発言、

---以下引用(定型:パンダさん)----

>定型の場合はその物差しが「他の人とも一致しているかどうか」をとても気にして
>ほとんど無意識的に他の人と調整していますから、
>そうやって「これは普通だ」ということを感じるようになると、
>なかなかそこを外れたことについては柔軟に理解できなくなってしまう
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-7913.html

-----------------------------

という、カレンさんとパンダさんのコメントから察するに、
定型が無意識で処理してることが、アスぺには「意識」しなくては「出来ない」、
という風にとれませんか?

「定型が無意識で処理していることをアスぺは意識して処理しなくてならない」
を裏付ける証拠として、繭さんが説明してくださった、

---以下引用(アスぺ:繭さん)----

>今ではだいぶ慣れてきて、感情と表情は一応それなりに連動しています。
>この感覚は、自転車やブラインドタッチを練習した時とよく似ています。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-90c4.html

-----------------------------

が、あり、

それを、「あぁそんな感じかぁ」と理解したパンダさんは、

 ★キーボードの『Ctrl』を押しながら『F』を押すと検索出来ます。
   下記URLを開き、『自転車』で検索すると、
   パンダさんの自転車の例えが出てきます。

「「リハビリの夜」:当事者だからこそ」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-64f5.html

「気遣いの矛盾」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-a699.html

「必要とされると感じること」
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-fc96.html

等にて、パンダさんが「自転車の例え」を用いるに至りました。

さらに、
「定型が無意識で処理していることをアスぺは意識して処理しなくてならない」
ことを、裏付ける証拠として、

---以下引用(アスぺ:玄さん)-----

>曖昧な部分があった場合、可能性のあるだけ想定パターンを用意し、
>パターンごとに同時平行でストーリーを把握をしなくてはならなくなるので、
>不明点が複数出てくると想定パターン数が跳ね上がり、
>頭がパンクしそうになります。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-90c4.html

-----------------------------

という意見を読むと、
定型が無意識で処理していることを、無意識で処理できないアスぺは、

玄さんのように、(私も)、分析的に物事を捉えるという方法しかなくなる・・・
といえるのではないでしょうか?

また、パンダさんが、私とは、
定型っぽい、会話が出来ていると思って下さった理由も、
このパターン推定にあると思っています。

様々なパターンを考慮しながら、反応を見ながら、
ディスカッションを進めている・・・

それは、定型からみれば、至って普通のことであるのだけれど、

アスぺからしてみれば(私としては)、
様々な仮説や予測を推定した上で進めるしか手段がなく、
会話とは囲碁や将棋のようでもあります。

自転車の例えでいうならば、私にとってコミュニケーションとは、
自転車の乗り方を言葉にし続けているようなものであり、

結構・・・頭の中の負荷を感じるものだったりもしました。


と、ここまでを聞いて、パンダさんは、私の辛かったであろうことに着目し、
「共感してあげなくては」と思うのではないかなぁと思うんですが、

そうではなくって、
(本当はこんな事は言いたくないのですが説明しないと前に進めないから)

こういったことをしているということだけ理解してもらえれば十分なのです。
(ここまで読んで下さりありがとうございます。)


そして、理解を深めて頂くために、別の話をしますと・・・
アスペルガーのdiscrepancyの原因はこれもあるのではないかと思うのです。

WAISのIQテストは、訓練次第で向上可能です。

常に頭を使って、囲碁や将棋をしているとすれば(会話)、し続けていたら、
言語性IQは上がって当然なんです。

アスペルガーは平均よりも高いIQを示すことが多いのは、
日常的に、囲碁や将棋をしているとすれば(会話)、当然のことなのです。

何度かにわたって説明し、パンダさんに聞いていただいている説明は、
私の仮説ですので、間違っている可能性もあります。

あるのですが、

ここまで、読んで、「二つの見え方、一つの現実」の私のコメントに
ご回答いただけると嬉しく思います。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-6a53.html

分かりずらい部分は、聞いて下されば、いくらでも説明させて頂きます。


こちらのコメント返信は無くって大丈夫です。
パンダさんに、たくさんのお願いをして、忙しくしたい訳ではないので。

アスペルガールさん

>パンダさんとの間にあった出来事が、101回目だったのかもしれません。

 これはなるほどと思いました。
 パートナーとの関係でそうだったのかは私には分かりませんが、
 そういう視点で見ていくことはすごく意味がありそうです。

 そしてこの話はアスペルガールさんが強調してこられた
 1,0の判断傾向にも通じる話になりますよね。
 定型的な感覚からすれば、0.5で調整を図るステップがなくて、
 いきなり1から0に移行してしまう感じだと考えると分かりやすいです。

 定型的にはそういう調整過程がないように思えるものだから、
 いきなり切れてしまうという印象になります。

>定型が無意識で処理してることが、アスぺには「意識」しなくては「出来ない」、
という風にとれませんか?

 はい、そう思います。このところのアスペルガールさんとのやりとりでの
 私の考え方も、その視点からのものが多かったように思います。

 ここでちょっと興味を持ったことがあります。
 私としてはそこでアスペルガールさんが上のように書いて下さったことを
 前提にして私の応答をしていたつもりだったのですが、
  (まあ、私が誤解をしていなければ…… ですけれど (^ ^;)ゞ )
 そこはアスペルガールさんには伝わりにくい書き方だったようですね。
 なにがその伝わりにくさの原因になっているのか、
 ちょっとこれから気をつけてみたいと思います。

>下記URLを開き、『自転車』で検索すると、 パンダさんの自転車の例えが出てきます。

 これ、お恥ずかしい (^ ^;)ゞ
 よく子どもに「お父さん、その話もう5回目」とか言われるんですが、
 自分が面白いと思った話は、なんか何度でもしちゃうみたいです (^ ^;)
 自分の記憶力のなさに泣けます (T T)

>と、ここまでを聞いて、パンダさんは、私の辛かったであろうことに着目し、「共感してあげなくては」と思うのではないかなぁと思うんですが、そうではなくって、(本当はこんな事は言いたくないのですが説明しないと前に進めないから)こういったことをしているということだけ理解してもらえれば十分なのです。
 
 ここも「ふーん、そういうものなのか」となんだか不思議な感じがします。

 「共感してあげなくては」とは思わないのですが、
 思わず書いてしまうこともあるし、あるいは「共感を示したい」とは思うんですよね。
 半ばは反射的に自然に出てしまうことばです。
 逆に書かないことの方がなんとなく不自然に感じたりすることもあります。

 うーんと、だからやっぱり定型的な人間関係では
 「共感を示す」ということは「理解し合えている」ことの確認になるし、
 それはお互いのつながりや信頼関係の確認の手段になるんでしょう。

 それに対して、アスペルガールさんの信頼関係というのは
 「パターンの安定性」みたいな感じで捉えられるものなのですよね?

 もちろん定型の信頼関係でも「この人は自分のことを考えてくれる人だ」とか
 「この人は私を裏切ることはない」という確信のようなものは、
 その人との関係の積み重ねで、経験によって強まっても行きますから、
 その意味では「パターンの安定性」という面もあるにはありますが、
 その表現だけでは言えないところもありそうです。
  
 それからまだ私がちょっとよく理解できていなさそうなのは
 「こういったことをしているということだけ理解してもらえれば十分なのです。」
 と書かれたところなんですが、
 それはたとえば「ああ、分かりました」とか書けばOKという感じでしょうか?
 また「十分」ということの意味は、「満足する」といったような意味でしょうか?


 と、ここまで書いて「もしかすると」と思ったことがあります。
 それは、定型が相手の人を「理解する」というときには、
 その相手の人の「感情的経験」の「追体験」=「共有(共感)」までを含んで
 「十分」な程度まで到達する、という感覚が結構あるかもしれない
 ということです。
 
 少なくとも私の場合は、そういうところが感じられないと、
 なんだか理解が中途半端という感じがしてしまうんですね。

>ここまで、読んで、「二つの見え方、一つの現実」の私のコメントにご回答いただけると嬉しく思います。

 うまく応答できるかどうか分かりませんが、なんか書いてみますね (^o^)
 また変だったら教えて下さい。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。

ちょっと尋問みたいな文章になり過ぎて、
気を悪くさせていないか心配だったのですが、ご返信頂けて良かったです。

---以下引用------------------

>「共感してあげなくては」とは思わないのですが、
>思わず書いてしまうこともあるし、あるいは「共感を示したい」とは思うんですよね。
>半ばは反射的に自然に出てしまうことばです。

-----------------------------

そうなんですね( ゚Д゚)!!!!!
びっくりです。

私は、過去のパンダさんとのやり取りを思い出し、
今までのパターン的にこうだったから、
今回もこうだろうという予測を立てなくては出来ません。

 反射的=無意識には、出来ないのです。


---以下引用------------------

>それに対して、アスペルガールさんの信頼関係というのは
>「パターンの安定性」みたいな感じで捉えられるものなのですよね?

-----------------------------

ご名答(´▽`*)

だから、たった、「1」(少し)でも、安定性が崩れると、
そこで、その人との関係はENDってことにしたくなることが多かったです。

それが、定型から見れば、「細い糸」でもあるのかもしれません。

---以下引用------------------

>もちろん定型の信頼関係でも「この人は自分のことを考えてくれる人だ」とか
>「この人は私を裏切ることはない」という確信のようなものは、
>その人との関係の積み重ねで、経験によって強まっても行きますから、

-----------------------------

私はコレが無かったです。
信頼が「関係の積み重ねで、経験によって強まっても」が分からない。

本当に分からないんです。

だから、たった、「1」(少し)でも、安定性が崩れると、
その人との関係はENDにしてしまいガチでした。

冷酷・・・という風に思われても仕方がありません。
でも、私にとっては、パターンが安定していない=恐れなのです。

「1」(少し)でも、安定性が崩れると、
その人に、関わることすら、恐くなります。


---以下引用------------------

>それからまだ私がちょっとよく理解できていなさそうなのは
>「こういったことをしているということだけ理解してもらえれば十分なのです。」
>と書かれたところなんですが、
>それはたとえば「ああ、分かりました」とか書けばOKという感じでしょうか?
>また「十分」ということの意味は、「満足する」といったような意味でしょうか?

-----------------------------

取りあえず、「ああ、分かりました」のみで、私の場合は大丈夫です。

何故なら、「分かってくれた」かどうかは、その後の発言によって、
「分かってくれた」か「分かっていないのか」を判断するしかないからです。

>また「十分」ということの意味は、「満足する」といったような意味でしょうか?

については、取りあえず、話しを理解しようとして頂けた確認のみでOKで、
「分かってくれた」かどうかは、その後の発言によって、
「分かってくれた」か「分かっていないのか」を判断するしかないから、

直ぐには、「分かってくれた」か「分かっていないのか」を、
確認することが不可能なのです。


---以下引用------------------

>定型が相手の人を「理解する」というときには、
>その相手の人の「感情的経験」の「追体験」=「共有(共感)」までを含んで
>「十分」な程度まで到達する、という感覚が結構あるかもしれない
 
>少なくとも私の場合は、そういうところが感じられないと、
>なんだか理解が中途半端という感じがしてしまうんですね。

-----------------------------

これを知れて感激って感じです(●´ω`●)
そうなんですね!

わぁ~びっくり、そうだったんだぁ。。。

そういった事が出来ない私は、その後のその人の発言を観察し、
また、さらなる、効果測定を行わなくてはなりません。

例えば、学校のテストで記述式のテストってありますよね。
設問について、400字以内で書きなさい、みたいな問題。

記述式テストでは、
先生が、生徒の書いた文章をみて、理解出来ているか、
理解できていないのか、を判断し、点数がつけられます。

だから、生徒が、「分かったフリ」をしていては、得点はとれません。

自分は分かっていると思っていただけの生徒は、
採点された回答をみて、「あれ?、分かってなかったんだ」と気づかされます。

これは、「分かった」という、「言葉」では、「その人の主観」では、
本当に分かっているかどうかは、分からないといえる例えだと思っています。

だから、パンダさんには、共感は無くても大丈夫ですので、
「二つの見え方、一つの現実」へのコメントをお願いしました。

その人の文章を見れば、
私の伝えたいことが、伝わったのか、伝わっていないのかが分かるので。

もちろん、コレは、私の「理解力」という能力が足りていないだけの場合もあります。

だから、一概には、

---以下引用------------------

>私としてはそこでアスペルガールさんが上のように書いて下さったことを
>前提にして私の応答をしていたつもりだったのですが、
>(まあ、私が誤解をしていなければ…… ですけれど (^ ^;)ゞ )
>そこはアスペルガールさんには伝わりにくい書き方だったようですね。

-----------------------------

パンダさんの書き方が悪いということも無いのです。

今回のパンダさんのコメントは、
私にとって、とても、「気づき」を得ることが出来ました。

ありがとうございました。

「二つの見え方、一つの現実」に頂いたコメントには、
明日には返信させて頂きます~

お仕事も、ブログコメントも、お疲れ様でございました☆彡

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