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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年5月15日 (日)

なんで「ふてぶてしく」感じるか?

 今日も散歩しながらパートナーといくつかのことを話したんですが、私が最近彼女の身体の動き方などを見ていると、そのときの調子が分かる気がしてきた、ということも一つの話題でした。

 アスペルガーの人は自分の状態(特にマイナスの状態)を意識するのが苦手、という話を何度か読んだり聞いたりしたように思いますが、ここでもやはり私がそういうと、「え?」という感じで、彼女は自分では分からないということでした。

 で、具体的にこんな感じの動きになるように思う、と説明しながら、そうやって自分の身体の動きなどに注意を向けると、もしかして自分の調子の変化に気づきやすくなるんじゃない?と聞いてみたんですが、そんなの無理だと言うんですね。

 それで、たとえ話として、スポーツで先生や先輩や指導者から自分の動きの良くないところを具体的に教えられ、モデルを示されたら、最初はぴんと来ないかも知れないけど、繰り返しているうちに、ああそうかと意識できるようになったりするだろう、という話をしてみたんですが、そこで即座に出てきた答えは「私は(体育などの時間に)そういう教えられ方をして出来たことがまったくなかった」というものでした。

 「はあ、そう」と、なんというか、ちょっとある意味感動しながら、「それでも、(もともと運動が苦手なので)苦手意識が強いからできなかったことは印象に強く残っているだけで、よく考えたら小さな事でも出来たときもあるんじゃない?」と聞いてみると、そういえば、ということで「水泳の息継ぎは出来るようになった」とか「自転車は乗れるようになった」ということを思い出しました。

 でも、息継ぎにしても自転車にしても、私自身の体験からすると、人からコツを教わって出来たと言うより、自分で試行錯誤をしているうちに、突然コツが分かって出来てしまう、というものの気がするんですね。だとすれば上の話とはちょっと違う。

 これがアスペルガーの人にとってどの程度一般的なことなのかは分かりませんけれど、自分の身体の動きと相手の人の身体の動きを重ねてイメージしてみる、ということが少なくとも私のパートナーは苦手なようです。すこし言い方をかえると、このことは「自分の身体の動きを他人の目で客観的に見る」ということが苦手、ということにもつながるように思うし、もしそうだとすれば、「自分の調子を自分で気がつくのが難しい」ということにもそれがどこかつながっていく感じもするんですね。

 これは子どもが言葉を獲得していくときの話になりますが、「相手のまねをすること(模倣すること)」というのが、その過程でとても大きな、大切なステップになるようです。カナータイプの自閉の子どもなどはここでほんとに躓いたりする。もちろん全然出来ないわけではないし、その延長にやがてカナータイプの自閉の子どもに独特の言葉も獲得していきますけれど、かなり苦手で独特であることも確かです。

 なんかそういう「他人の身体を自分の身体に重ねてイメージし、まねをすること」ということがアスペルガーの人の場合でもかなり難しいことがあるのかなあと、ちょっと納得するような気持ちになりました。

 もうひとつ、その話題の続きで面白かったのは、パートナーがチームでやるスポーツが全く苦手だったという話に関係することですが、チームプレイが苦手ということ自体は、アスペルガーの人の多くは井戸端会議も難しいわけですし、すぐに分かる感じがします。サッカーなんかでもそうですが、沢山の人の動きや意図をお互いに察知し合いながら、先を見て行動をしていかなければならないわけですし。

 で、面白かったのは授業でソフトボールか何かの試合に出さされるときの話で、自分は全然下手で他の人に迷惑をかけるからとできるだけ迷惑のかからない、外野とかを守るようにするんだそうです。そのときに、球もそんなに飛んでこないし、退屈なのでうつむいて足で地面に漫画を描いていて、よく怒られたと言うことでした。

 ちょっと驚いて、そりゃ怒られるよ、と思い、なんでそんなことをしてたのかと聞くと、だって外野だから、球が飛んできたら声がかかるから、そしたら取りに行ったらいいし、と言うんですね。それまではやることないから漫画でも描いてたんだと。なんか本人としては「すごく合理的なことをやっていた」という思いであったようです。

 それで、一応、外野と言っても、常にバッターを見ていて、ボールを打った瞬間にはもうどっちの方に球が飛ぶかを予想してそちらに移動し始めなきゃいけないんだよ。声がかかってからでは遅いんだ。という説明をしたんですが、「へえ、そんなもんなんだ。考えたこと無かった」という感じの反応でした。

 本人としては別にやりたくてやっている事ではないわけですし、自分ができないこともよく分かっているから他の人の迷惑にできるだけならないように、球が飛んでこないところを守っているわけですし、で、球が飛んでくるまでは暇だから、声がかかるまで地面に漫画を描いて時間つぶしをしている。ということで、まあとても「筋が通った話」だったのでしょう。だから何を怒られているのか、その本当の理由はぴんと来なかったようです。

 これを定型の側からみれば、事態は全然違う風に見えますよね。「あいつはなんて不真面目な子どもなんだ。みんなで頑張ろうともしないで、勝手にさぼっている。注意をしてもなかなか直らない、ふてぶてしい奴だ」という感じに見えるでしょう。そうすると、まあ怒りの火に油を注ぐような行動が繰り返されていることになります。

 もしそうだとすると、本人としては「みんなのことを考えて、つつましく行動している」つもりのことが、周囲の定型の人間からすれば「実にふてぶてしい反抗的な態度」に見えてしまい、言ってみれば「堂々と宣戦布告をされている」ようなものに感じられるという結果になるんだと思います。そしてそう見えてしまうと「こいつは多少たたきのめしたくらいでは堪(こた)えない奴だから、徹底してやっつけてやらないとだめだ」と周囲に思われてしまう可能性が出てきます。そして激しい攻撃=いじめにつながっていく。

 当然、そうされた方は訳が分からないことになります。そして「なんで自分はこんなにいじめられなければいけないのか」という思いが蓄積されていく。もともと闘う意志なんてないわけで、ただ「つつましく」行動しているだけなんですから。

 そう考えると、私とパートナーの間にこれまで生み出された訳の分からない軋轢についても、かなりわかるところが出てくるような気になりました。この他にもまた興味深いズレの話があったんですが、今日の所はこのくらいにしておきます。

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コメント

夫ではないのですが、以前の同僚(アスペだと思います)を思い出しました。謙虚なのかふてぶてしいのか分からない感じでした。記事を読んで、彼は仕事に自信がなく人の指示に従うことが最良だと考えていて、それが自ら動かない協力的でない行動として私には見えたんだと納得。頑張ってる振りとか、とりあえず誠意を見せるとかしないんですね。
それにしてもパートナーとそんな風に話せる関係、すごいですね。カレンさんとこもそうだけど、いい人といい人が結婚したんだろうな、と思います。
私が自分を利己主義だと思うのは、自分は夫と離れて子供と幸せになろうとしていて、夫婦円満というWin‐Winの関係が不可能な現状で、それは百パーセントのハッピーなんです。夫の望みは、円満でないにしろ(?)三人で暮らすことだったので、夫にとっては機嫌の悪い私と別れられるメリットはあるだろうけど百パーセントハッピーではないはず。離婚は痛み分けではなくて私の一人勝ちになってしまう。子供には私が必要だというのも私にとっては好都合になってしまってる。そういう意味です。

チロさん

> 頑張ってる振りとか、とりあえず誠意を見せるとかしないんですね。

 ということについてなんですが、どうもパートナーの話を聞いていると、「頑張ってる振り」とか「とりあえず誠意を見せる」(でもできないことは分かっている)というのは「不誠実ではないのか」と感じるらしいんですね。なんていうのか、それは相手を騙すことになると思うようなんです。最初そういわれてぴんと来なかったんですが、繰り返しそういう種類の話をされるうちに、まあそう言えなくもないな、と思うようになりました。

> 離婚は痛み分けではなくて私の一人勝ちになってしまう。子供には私が必要だというのも私にとっては好都合になってしまってる。そういう意味です。

 ああ、なるほど。そういう意味でしたか。まあ、でもまずはお子さんのために必要なことと考えられるわけだから、結果としてそれがチロさんにもプラスの方向だったとしても、それはラッキーとでもいうべき話のような気がします。チロさんが自分のためにお子さんを利用したわけではないですし、利己、というのとはちょっと違うようにやはり感じました。
 もっとも、そういうこととは別に、やっぱり結果として自分の方が望みが満たされ、相手の方はそれに比べると満たされない、という違いが気になる、というお気持ちは分かる気がします。そのあたりは、簡単に頭で割り切れない部分かもしれないですし。まあ、現実問題としてはまずはお子さんの足場をしっかり作ってあげることが何より優先ということは動かないでしょうけれど。 

ここのテーマの内容、夫から聞いていた子ども時代の話とすごく一致するような気がします。もっとも、夫の場合は、キッパリ、野球とかソフトボールには最初から参加しない、という選択をしていたことが多いようですが(^^;)

と、ここで、昨日書いた「いい人」とも関連するのですが、たぶん、夫はチロさんが上で書かれている「いい人」とは全くイメージが違いますね~。

夫の場合は基本的に「自分に自信がある」「できることはする」「できないことはできない」と、すごくはっきりしているので、「頑張っているふり」「とりあえず誠意を見せる」みたいなことは、絶対にありません。

ちなみに、こういう男性って、定型の女性が多い集団の中では、とってもいいまとめ役になって重宝されたりもします(笑)

はじめまして
>「みんなのことを考えて、つつましく行動している」つもりのことが、周囲の定型の人間からすれば「実にふてぶてしい反抗的な態度」に見えてしまい

これはつらいですね。周囲の定型の人間は、ありもしない悪意を感じとってしまっているのですね。
私は、「頑張ってる振り」とか「とりあえず誠意を見せる」をされると腹が立ちます。

davsさん

 はじめまして。ようこそ。
 
> これはつらいですね。周囲の定型の人間は、ありもしない悪意を感じとってしまっているのですね。

 ほんとにそうだと思います。本人には悪意がないのに、他人から見ると悪意にしか見えない、という形になってしまう。お互いに相手のことが理解できなくて、いらだちや怒りが積み重なっていく。不幸なことだと思います。

> 私は、「頑張ってる振り」とか「とりあえず誠意を見せる」をされると腹が立ちます。

 「頑張ってる振り」をして「騙そうとしている」と感じられると、定型の側も腹が立ちますね。そのあたり、少し微妙なのかも知れません。考えてみる必要がありそう。 

あ「こころとからだ」だ。拍手!(コメントは、もうちょっと考えてから)

>「自分の身体の動きを他人の目で客観的に見る」

この意味が、よく理解できない私は、多分これが苦手ということなんだと思います。
私は手先は器用な方ですが、体全体を使うのは下手で、気が付くと足に青あざが出来ていることがよくあります。しかも、いつぶつけたのか覚えていません。

時々夫の見ている前で足などをぶつけているらしいですが、その時は私が気にも留めずに歩くので、夫は「痛くなかったのかな?」と思っているそうです。
後でお風呂に入った時などに気付くことが多いです。何故か、見付けてしまうと痛い気がしてきます…。

それから、体から力を抜いていたり、姿勢を変化させていない時など、身体感覚がなくなったり、手足などの位置が変わって感じられることがよくあります。
そういう時は、ぴくっと力を入れると、どこにあるのか分かりますが、稀にひどいときは力の入れ方も分からなくなったりします。
アスペルガーの本で知りましたが、こういう感覚は、定型の方には全くないのでしょうか?

井戸端会議も、チームプレイも、とても苦手です。特に球技が苦手でした。

>本人としては「みんなのことを考えて、つつましく行動している」つもりのことが、周囲の定型の人間からすれば「実にふてぶてしい反抗的な態度」に見えてしまい、言ってみれば「堂々と宣戦布告をされている」ようなものに感じられるという結果になるんだと思います。

こういう風に考えると、理解できる反応が、私に対しても起きました。
集団的意識に対して否ということは、相手を否定することと受け取られてしまうみたいですね。
ただ自分はそれが好きでないだけだったりするのですが。

逆の時(周囲は好きでないけど、私は好き)は、好むこと自体を否定されなければ、気にならないので、こういった感情的反応は理解できるようになるまで時間が掛かりました。
通常の会話では、「私はそれが好きでない」=「あなたがそれを好むことを、私は受け入れ難い」という意味で使われる場合が多いと気付いてから、補足を加えるようになりました。

>頑張ってる振りとか、とりあえず誠意を見せる

これは私には出来ないです。もししたら、自分がいやになるのでしません。
なので、本当に頑張って、誠意を見せようとはしますが、結局パンクします。
周囲からは「もっと力抜きなよ」と言われますが、そうすると、「誠意がない」と言われてしまうことになり、程よくが出来ません。

夫とは「自分、不器用すから…(高倉健さん風)」と言い合っています(笑)

チロさん

チロさんの百パーセントハッピーが、ご主人にとってはそうでないし、逆もまた然りだからこそ、離婚を考えられることになったのではないかと思います。
それ以上のお互いの幸せの責任は、それぞれご自分で負うもののように、私は思います。

チロさんが利己主義と感じられるのは、チロさんの誠実さから来るように思いますし、心苦しい気持ちは分かる気がしますが、私には利己主義な選択には見えませんでした。

相変わらず、ふてぶてしさを発揮しております。

いまだに自分の動きと他の人の動きが合っていないことが多くて。よく、壁などに体をぶつけています。

自分のふてぶてしさぶりを発揮して、今年の自閉症スペクトラム学会第10回記念研究大会に自主シンポジウムの企画し、通ってしまいました。

私が企画したお題と言うのが、『自閉症スペクトラム支援士がライフサポーターとして成人ASD者の家族支援とは?』です。アカデミックな研究大会にダメ元作戦で大人の自閉さんの家族(特にパートナー)にも支援が必要ですよと一言言いたくて企画書(企画書風と言った方がいいのかもしれない)を事務局に送ったら受理され、9月に司会者として1コマ(1時間30分)を仕切ることになりました。

パートナー問題にも関心を持って欲しいと思っていた私は、「これで風穴を開けたるわい」と言う勢いのふてぶてしさが通ってビックリしましたけど。

今年のATACも自閉さんのパートナーのことを発表することを“ふてぶてしく”企んでいます(爆笑)。

繭さん、パンダさんに利己主義とはちょっと違うと言ってもらって、自分ではまだウ〜ンという感じですが、パンダさんの「子供にとって」の部分、繭さんの「だから離婚」の部分、すごく納得できました。ありがとう!

定型の私も就職したばかりの頃は、お世話になってないのに「お世話になります」が言えなかったり、「どう?仕事慣れた?」と聞かれるたびに考えこんで「まだです」とか「慣れました」とか答えてました。少しして気づいて、家でノートに「お世話になります」「お蔭様で」を何度も書いて練習しました。(ホントに定型?)付き合い残業とかも馬鹿馬鹿しいと思いつつ、それで人を評価して機嫌がよかったり悪かったりする人がいることがわかって、先に帰るときはある程度すまなさそうにすることも学びました。
すみません、ちょっと用ができたので、とりあえず送信します。続きはまた後ほど。

繭さん

> それから、体から力を抜いていたり、姿勢を変化させていない時など、身体感覚がなくなったり、手足などの位置が変わって感じられることがよくあります。
そういう時は、ぴくっと力を入れると、どこにあるのか分かりますが、稀にひどいときは力の入れ方も分からなくなったりします。
アスペルガーの本で知りましたが、こういう感覚は、定型の方には全くないのでしょうか?

 これは、たとえば足がしびれて感覚が無くなったときとか、手が極端に冷えて、これも感覚が無くなったときとかには自分の身体が自分の身体でなくなったように感じることがあります。ただ、そういう特別の場合を覗けば、「身体から力を抜いていたり、姿勢を変化させていないとき」などにそういうことが起こった経験は私はなかったと思います。

 このあたりについてはjoさんがなんか考察してくれるのかな?

Rosamondeさん

 なんか次々にご活躍なんですね!
 いかにも「たくましい関西の人!」という印象があります (^_^)
 関西は障がい者支援の問題でもずっと先進的でしたしね。
 Rosamondeさんのような方がいっぱいいらしたんだろうと思います。

チロさん

 相手の方より少し「取り分が大きくなる」とチロさんが感じられていること(相手の方はどう感じられているのかは分かりませんが)について「利己主義」と感じられているのだとすれば、まあそこはこれまでいろいろ苦労を重ねてこられたことへのご褒美くらいに思われても良いような気がします。これからお子さんと新しい暮らしを始めていくのに、そのくらいの「資産」を余分に分けてもらっておいても決して罰は当たらないでしょう。

 それにしても「ホントに定型?」というエピソード、面白いですね。続きを楽しみにしています。
 

続きです。
二十代半ばの頃、友人からもうすぐ結婚するという人を紹介されたてき「へぇ〜」としか言わず、後で友人からああいうときはおめでとうというものだと諭されたこともあります。私としては、その人がどんな相手と結婚するかも知らず、めでたいかどうか分からなかったので「へぇ〜」だったのですが。今は、私がいいと思うかどうかは置いといて、大半の人は気に入った相手と結婚するのであって非常にめでたいことだし、親にうるさく言われて渋々であったとしても幸せを願って祝うのだと分かります。
こんなふうに定型も、最初から自然にできるわけではなくて学ぶんだと思います。私は学ぶのが遅い方でしたが、だいたい大人になるまでに暗黙のルールに気づくのでは?
言われる定型も「お世話になります」や「おめでとう」を鵜呑みにはしてないが、相手は自分に対して社会的ルール(マナー)を守って接してくれているという安心を感じます。儀礼ですね。敵じゃないよ、あなたとよい関係でいたいと思ってますよっていう。デートでおごるとき彼女に一応財布を出すフリくらいはしてほしい、という男性の意見ありますよね?実際払うかどうかは関係無いんですよ。
日本は特にそういう儀礼が多いかもしれませんね。それでお互いの首をしめてる場合も。私も海外に暮らしたことあるので内心、試合中にガム噛んでもいいじゃん、音楽聴きながら仕事してもいいじゃんと思いますが、日本では周りを不快にさせることも知ってるのでやりません。
私は、頑張ってるふり、とりあえずの誠意は、大事なこと、親しい人には使いません。主に仕事で、どうでもいいことで上司の顔を立てたりするときに使います。(まだまだ下手ですが。)上司も多分、分かっていて、はっきり言って茶番です。でも、その茶番をやらないとトラブルになったりするんですよね。
それと、外国は外国で日本とは違う茶番があるのかなと思います。アメリカの過大な愛情表現とか。

繭さんの身体感覚、赤ちゃんや幼児の感覚が残っているのかも?逆に赤ちゃんは鋭い感覚(小さな音に反応したり、些細な違いに気づいたり)もあって、どっちが優れてるとは言えないけど、定型成人とは感覚が違うのでしょうね。

Rosamondさんが家族の問題をあちらこちらで発信してくださっていること、本当に頼もしく、ありがたいです。がんはりすぎて身体壊さないようにしてくださいね。

>パンダさん
お久しぶりです。プロバイダー変えたためか、しばらく投稿しても反映されませんでした。興味深い考察、時々読ませていただいています。

>Rosamondさん
頑張ってますね。Rosamondさんの研究によって、支援体制が社会的に整うといいなぁと思います。研究発表のご成功、お祈りしてます。身体いたわりつつやってくださいね。

>チロさん
うまく行ってる人もいるから、なおのこと自分を責めたりしちゃうけど、繭さんがおっしゃってるとおりだと思います。

「自分の限界を越えない」は結局、自分のため、子どものため、最終的にはご主人のためにもなると思います。「うまく行くもの」をそうそうに手放すこともないけど、「うまく行かないもの」を「うまく行くはず」と信じて頑張りすぎると、結局は、自分もダメージ受けるし、まわりの人たちにもダメージ与えることになると思います。

でも、気持ちはすごくよく分かる。私も同じような状況だから。

チロさん

 もしかしてチロさんって、「あなた天然ね!」とか言われることありません? happy01
 結婚する友人への祝いの話、可笑しかった!
 チロさんも海外生活経験者なんですね。あれは大きな体験ですよね。単なる旅行と生活するのでは全く、全然、完璧に、完膚無きまでに、ほんとに違う。これってたとえばアスペのパートナーとの関係で悩んでいる定型の人が、経験無く外から見てるだけの別の定型の人にそれを相談しても、その悩みの深刻さをなかなか理解してもらえなくて……っていうのと似てるかも。なんでしたっけ、その結果定型の側がなんとか症候群みたいのになるというあれ。うーんと、ど忘れした (^ ^;)ゞ 境界性の人との関係で悩んでる人の場合でも同じようなことが起こりますけどね。

 KSさん

 お久しぶりです!
 なんかせっかくの投稿がうまく行かなかったということですみません。なんの問題だったんでしょうね。特に私の方にはココログからそういうトラブルについての報告とか説明とかはなかったように思いますが、他にもそういうケースがあると困りますね。
 
> 「自分の限界を越えない」は結局、自分のため、子どものため、最終的にはご主人のためにもなると思います。「うまく行くもの」をそうそうに手放すこともないけど、「うまく行かないもの」を「うまく行くはず」と信じて頑張りすぎると、結局は、自分もダメージ受けるし、まわりの人たちにもダメージ与えることになると思います。

 これ、ほんとに大事なことですよね……、と思えるようになるまでにほんとに時間がかかりました。私の場合は。しかもそう思えるようになってもなかなかそこがうまく対応できない不器用さで (T T)
 多分「うまく行くかどうか」という境目って、自分が沢山失敗して身を以て修得したとか、そういうことでもない限りは、自分一人で考え込んでいてもなかなか見えてこないのかも知れないですね。いろんなひとに意見を聞いて少し客観的に考えてみるようなことをしないと。
 それができないと、結局どんどん鬱がひどくなってもうどうしようもないところまで追い詰められてしまう、ということになるような気がします。少なくとも私の場合はそんな感じかも。だからこのブログでいろんなみなさんの経験とかを教えていただけて、ほんとに助かってます。
 

 

パンダ兄さん:

>なんか次々にご活躍なんですね!
 いかにも「たくましい関西の人!」という印象があります (^_^)
 関西は障がい者支援の問題でもずっと先進的でしたしね。
 Rosamondeさんのような方がいっぱいいらしたんだろうと思います。

私は“ふてぶてしい”くらいのたくましさがないとこの世界ではやっていくことができません。今から10年前に診断が下りたのだが、大人の発達障害者なんてありえなくて、大人になったら治っていると言うのが常識とされていた時代でした。ほぼ毎年1回ペースで、「どうしようもない」などと言う想定外扱いされまくって、公の場に出ようと思ったのが、想定外扱いされた悔しさから来ています。

自閉さんのパートナー支援に対しては、日本で取り組んでいる人は少ないです。大人の発達障害者に対しての支援は就労を中心として進み始めているが、自閉さんのパートナー支援は想定外扱いです。仕事していて結婚している当事者のパートナーには何も問題なんてないのが未だ常識とされているみたいです。

そう言う想定外さを崩してやろうかと思って、私から色々と仕掛けて(けしかけていると言った方がいいのかもしれない)います。

1ヶ月間も寝込んだ原因の1つが、これ以上どうすることができないと支援者職の人たちが言われたことでした。良心的な人は、私が(ブログやHPやTwitterなどで)そう言う問題などを発信してほしいと言われています。たかが一個人の発信で変わるかどうかわかりませんが、何かしら声をあげないと、この人たち(私たち)には支援が必要な人じゃないからとスルーされてしまうことが10年間の経験で味わいましたから。

私は動ける限り発信し動いていきます。

チロさん:

>Rosamondさんが家族の問題をあちらこちらで発信してくださっていること、本当に頼もしく、ありがたいです。がんはりすぎて身体壊さないようにしてくださいね。

お気遣いありがとうございます。

私は頼もしくありません。ただ、誰かがやってくれるだろうと思っていたら誰も動かない状態(2年以上)が続いて、私がやるしかないと思っているだけです。前例がないのなら前例を作るだけです。だにぃさんや私の友人たちが口を揃えて言っていたのが、「貴女は開拓者で、二番手だったらダメになる」と。

頑張るって、我をはるじゃなく、自分や人の顔を晴れやかにする(笑顔になる)ために動くだけなのです。

KSさん

>Rosamondさん
頑張ってますね。Rosamondさんの研究によって、支援体制が社会的に整うといいなぁと思います。研究発表のご成功、お祈りしてます。身体いたわりつつやってくださいね。

お気遣いありがとうございます。

9月の名古屋では研究発表じゃなく、自主シンポジウムの企画を企画して自閉さんのパートナー支援の第一歩が名古屋から始まっていくと言う感じにしたいです。

(自閉さんのパートナー)当事者たちの生の声を発信する場を作ることなので。9月のは完全に私は裏方(黒子)に徹します。

と言うことで。

私も、ちょっとテスト!

2、3日前に、あ~あさんの、カナダとか環境とかのお話のところにコメント書いたのですが、スパムがどうのこうのと出てきて「見える数字を写してください」というのが5、6回続き、

結局ギブアップしました。ちょっと急いでいたので、「確認」しないまま「送信」にしたからかもしれません。

これは入るかな?

入った、入った! 私の場合は、「確認」をクリックせずに、いきなり「送信」にしたのがいけなかったのでしょうね。

Rosamondeさん

ふてぶてしく(笑)ご活躍ですね。
ご本、注文しました。
読ませていただきます。

パンダさん、チロさん

身体感覚の話、自分にとっては当たり前のことだったのですが、改めて夫にも訊いてみたら、彼も「感覚がなくなることはない」と言っていました。
私は身体の境界感覚があいまいなのですね。
多分同じ理由で、無人の部屋でリラックスしていたり、広い景色をみていると、自分の体が、その部屋や景色と同じ大きさに感じられることもあります。

チロさんの仰る、赤ちゃんや幼児の感覚が残っているのかもしれないお話、そうかもしれません。
3歳頃、寝付く時にいつも、全身にびりびりと静電気が走るような感覚があって、それを我慢しながら布団に寝ていた記憶があります。成長と共に収まったのですが、熱などの時は復活します。
神経の淘汰が遅れているのかも、と思いました。

Rosamonde姐さん

> 私は“ふてぶてしい”くらいのたくましさがないとこの世界ではやっていくことができません。

 これ、ほんとにそうなんだろうなあと思うんですね。

 昔関西で若い頃見たんだけど、電車に乗ったら、中に車いすに乗った脳性麻痺の人と、その車いすを押しているお兄さんがいたんです。で、そのお兄さんが側に立っていたおばちゃんになんか話しかけたんです。突然でおばちゃんびっくりしてたんだけど、その車いすの人がどこどこの駅まで行きたいから、そこまで連れて行ってちょうだい、という要求らしいんですね。で、一通りしゃべったら、そのお兄ちゃん、おばちゃんの承諾も得ずに次の駅でさっさと降りて行ってしまった。

 おばちゃん、目を丸くしてたんだけど、そのうち、なんかしょうがない感じになって、ぼちぼち車いすの人に話しかけたりしてたし、結局連れて行ってあげたんでしょうね。私は途中で降りたから結末は分かんないけど。

 あれって、多分「身体障害者が自由に外出できるように」という「運動」だったと思うんですね。いきなりしらない人に強引に委ねてしまうと言う形での。さすが関西!と、なんだか愉快だったです。


繭さん

> 多分同じ理由で、無人の部屋でリラックスしていたり、広い景色をみていると、自分の体が、その部屋や景色と同じ大きさに感じられることもあります。

 この話、すごい面白い! いや、いろんな意味ですごく刺激的な話です。
 これ、「無人」というところが大事なのかな?

 定型の場合は、ちょっと比喩的ではあるけど、自分の身体が相手の人につながっていくというか、境界が曖昧になったり、あるいは境界を共有する感じになったり、あるいは相手が自分の一部に感じられたり、自分が相手の一部に感じられたり、そんな感覚を持つことがあると思うんです。そういう「自分の体が外に(他人を含め)拡がっていく」ことが定型的な人間関係や仲間関係にかなり重要なんではないかと思うんだけど、アスペの人も、少なくとも「無人」の場合には自分が拡がる感覚自体はあるんですね!

パンダさん

なんとなく、パンダさんが面白がりそう、と思っていました(^ ^)
夫と暮らし始めた頃、自室でぼーっとしているときに、夫に部屋に来られるのをいやがって、彼と「お話し合い」になったことがあったのですが、そのときに彼にはそういう感覚がないことを知って、説明に困りました。
私が「意識が部屋一杯に広がってる時に、急に人が入って来たら、びっくりするでしょう!」と言っても、全く通じませんでした(笑)

私の場合は、基本的には無人の場合がほとんどです。
景色とつながっているとも言えるし、自分がはみだしているという感じでもあります。
視界に人が映ると、我に返るというか、一瞬で戻ります。
自分の境界に押し戻されるような感覚です。

そういう意味では、人とつながった感覚は…と考えると、そういう景色や世界を一緒に体験して、つながっているような感じがしたときに、その人とつながっている感覚になります。景色などを媒介するのだと思います。
だから、つながりたい人には、自分が好きな(つながれる)景色や絵や宝物などを見てもらいたくなります。

写真を撮っているときも、よくはみだした感覚になります。
花の気分とか、落ち葉になって落ちていく感覚とか、空につながっている感覚とか、楽しいです。
そういえば、動物や昆虫は大丈夫です。こちらに吠える犬とかはだめですけど。

どなたか、アスペルガーの方が書かれている本で、そんな説明の本があって、気になっていたな…と思って調べてみたら、パンダさんご紹介の本の作者と同じ、綾屋紗月さん、熊谷晋一郎さん共著の「発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい」でした。

繭さん

> 人とつながった感覚は…と考えると、そういう景色や世界を一緒に体験して、つながっているような感じがしたときに、その人とつながっている感覚になります。景色などを媒介するのだと思います。だから、つながりたい人には、自分が好きな(つながれる)景色や絵や宝物などを見てもらいたくなります。

 !!!
 なんか、アスペルガーの方の世界を理解できた感じになってしまいました! (^ ^;)ゞ
 いや、ほんとには分かってないと思うけど、なんかいろんなことが
 つながって感じられるようになったんですね。

 こちらにほえる犬がだめというのもそれでよく分かります。
 部屋にいきなり入ってこられたらびっくりする、「意識が部屋いっぱいだから」
 というのも分かる感じがする。
 うん、なるほど! そうなんですね!

 どの程度この話がアスペの方に一般的なのかは分からないけれど、
 そうですか、熊谷さんたちもそう書いているんですね。

 なんか、「アスペルガーの人もひととつながりたいと思っている」
 ということが、感覚的に分かり始めた気がします。
 熊谷さんたちじゃないけど「つながりの作法」に違いがあるんだけど、
 つながりたいという願いは同じなんですね、きっと。

 なんかちょっと感動。 (たんなる早とちりかも知れないですが (^ ^;)ゞ )
 

パンダさん

>つながりたいという願いは同じなんですね、きっと。

はい、たぶん(^ ^)

上に挙げた本は未読なのですが、紹介文に「私には植物や空や月とならば、つながっている感覚がある」という一文があって、そのうち読んでみようと思っていました。
綾屋さんの体験は、私よりもかなり強い感覚のようで、興味深いです。

書評リンク
http://www.bk1.jp/review/475072

繭さん

 書評リンクありがとうございます。
 綾屋さんが書いた本の一節が紹介されていますね。
 すごく印象的なので、こちらに転載しておきましょう。

  今でも、私にはときどき猛烈に「人恋しい」気持ちがやってくるし、
  いまだに「いったいあの楽しそうな様子とは、
  中にいるとどういう感じがするものなのだろう」という、
  楽しそうな集団への素朴で強烈な憧れが沸き起こる。

  このようにヒトとつながることへの憧れを抱くのは、
  もしかしたら、私がつながる満足感を知っているからかもしれない。

  私には植物や空や月とならば、つながっている感覚がある。

  心がかよい合い、開かれて満ちていく楽しさや充足感がある。

  それと同じように、もし人びとが集団のなかで、
  「自分が集団の一構成員として、
  主体的に輪の中に存在していることを自覚し、
  やりとりを重ねるうちに楽しいという気持ちが自然に湧き上がり、
  気持ちを他の構成員と共有する」という体験を
  味わえているのだとしたら、
  うらやましくてたまらないのである。

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