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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年5月 3日 (火)

やっぱり変だ

 今日はカウンセラーをやってる友だちと久しぶりに電話でちょっとしゃべったんですが、このブログも時々見てくれて居るんだけど、「普通は相手がアスペルガーとかわかったら、だいたいもうそこは<あきらめましょう>となるところ、そうならないで、そこを出発点にしてどうするのか、というふうに考えるところがパンダさんらしい」と言われました。かかりつけの精神科医も当初は明らかに「それはもうその点についてはあきらめるしかない」という感じでしたもんね。

 やっぱり客観的には変な奴ということですね。別に卑下するとかではなく、単なる事実として。カウンセリング的対応とか、精神科の常道からもはずれてるんでしょう。いや、別にカウンセリングが万能だとか、精神医学バンザイとか、そんなことこれっぽっちも思ったこともないですけど、まあでもその道のいわば「常道」から見ればそうなんでしょうから、それを外れてるわけですよね。別に良いとか悪いとかの話ではなく。

 まあ、でもこの世の中、変な奴がいるから変化があるし、変化があるから進歩することもある(悪化することもある (^ ^;)ゞ) わけで、別に変な奴でも構わないですし、変な奴には変な奴の生きてる意味があるんでしょう。その点ではアスペルガーの人だって、境界性の人だって、その他のいわゆる「障がい」を抱えていると言われている人たちだって、なんかその人たちなりの役割というか、生き方というか、意味というか、そういうものがあるんだろうなとも思います。ま、ちょっとこの辺、いろいろややこしい問題も絡みそうで、単純には言えないとは思いますが。

 うーん、完全に居直りですね、これは (^ ^;)ゞ

 そう考えると、やっぱりjoさんなんかも極めつきの「変な奴」なんでしょうね。私から見ていて、どうしてそこまでがんばれるんだろう?とちょっと驚嘆する感じもあります。あの頑張りを支える力ってなんなんだろう?「あきらめて、運命を受け入れる」みたいな、そんな感じじゃ全然無いじゃないですか。ひーひー言いながら、でもなんとか次を模索し続けてるし。うん。やっぱり変だ (^_^)

 そうすると、このブログのタイトルはちょっと変えて「アスペと定型(変型)」としたほうが良いかもしれないですね(笑)

 ゴールデンウィーク、みなさん少しはのんびり出来ているのでしょうか。
 ということで、今日は(も?)あんまり内容のない記事で失礼いたしました m(_ _)m

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コメント

おはようございます。
GW中、穏やかな朝日が差す中部屋で、今PC開いたところです。

そんな中で、これが穏やかな話題なのかどうかはわかりませんが(苦笑)、

私は、いろんな病気で数々の(!)病院にかかったり何度も入院したりしたのですが、その中で西洋医学の限界に、言い知れぬほどの絶望を味わいました。

もちろん、中には、とても心あるお医者さんもいらっしゃったのですが、大半は外科的な技術だとかエビデンスのある薬の処方をするだけ、患者見ないでひとつの症状を見るだけ・・・(逆に言うと、外科的な処置とか薬の処方だけは、お医者さんに頼らざるをえないのですが)

大きな病院に至っては、1ヶ月に1度 あるいは、2週間に1度通う中で、そのお医者さんの言うことがコロコロ変わる・・・「○○してください」言ったかと思えば、次のときには「○○しなくていいです」、「仕事は辞めた」と伝えてカルテにも書かれているのに、次のときには「仕事の調子はどうですか」と尋ねられる・・・

こんなことが何か月も続き、最後には「もう信じられない」というような決定的なことがあり、


私は精神的なものについては、お医者さんに頼ることをある時期に、きっぱりと自主卒業しました。

どんなにお医者さんに話したところで、外科的処置とか薬の処方以外のところでは、結局、「自分のことは自分でなんとかするしかない!」と腹をくくり、自分の精神的なものの管理は自分で責任を取るしかない、と思いました。

いろんな方がそれぞれに、いろんな考え方をお持ちでしょうが、私は、アスペルガーのことについても、「自分がどう思うか、自分はどういう方向に進めていきたいか」という自分の判断を頼りにずっとやってきています(もちろん、あちらの掲示板やここでの議論、いろんな本などの助けをおおいに借りながら。)

世間的には力があるとされている医者さんのところを、自分で勝手に卒業するなんて、取り方によってはとても偏屈・傲慢だったりもするのかもしれませんが、

お医者さんになんとかしてもらおうという気持ちを捨てたことは、結果的にはとてもよかった・正解だった、と思っています。

いろんなところで書いたことではありますが、社会や世間の価値観は、時代や地域が変われば変わり、そして、何かが起これば一瞬にして変わるものです。自分の命の価値は自分が知っている、自分の命の価値は他の誰にわかってもらえなくても自然や宇宙がわかってくれているものだと思います。

すみません、朝から真面目に(苦笑)。

配偶者だけの問題だったら、最初は(おかしいな、おかしいな、こんな人いるんかいな)と思いながら、そこに「善意」のような「悪意なさ、無邪気さ」を感じて、そうとう迷いながらも、相当たいへんそうだと思いながらも、続けながら道を模索することにしたのでした。ご破算にするのは、できることを全てやってみてからでもいいか、という考えでした。

子供がきてからですね、その(おかしいぞ)のレベルが一桁以上あがったのは。そこではじめて専門家に助言を受けて、初めの状況(私は定型を相手にしている)の把握がまちがってたことがわかったわけです。(といっても本人は未診断ですが)「変えようとしても大人の発達障害は変わりません」という、みなさんも聞いたはずのお馴染みの専門家の助言です。「変わらないことを前提として生活環境を整えましょう」。。。「え!人の言うこと聞かず、成長しない大人がいるんか!?」いるんですねえ、実際に。年寄りを見てるとちょうどそういう感じもします。変わろうと思わないし、だから実際に変わらないんでしょうね。自分の枠組、それが世間とずれてても、そうしか行動できないし、変えさせるのは半ば気の毒なんですね。あと数年だから、周りがフォローしてあげようか、という感じでしょう。ところが発達、、、はそれがずっと続くわけ。

あきらめて、私が地雷の爆発するゴミ屋敷で生きることを受け入れるか、仕事に出かけて寝るだけに帰ってくるようにすれば、家庭という場が私にとっては限定的になるから、私の精神の健康はどうにか保てるかもしれません。多くの人がそうしてる。でもその環境に100%晒されて育たなければならない子がいること、この子に「あなたはこの環境に生まれたのだから、これを当然と思って成長しなさい」ということは、「大人になって親と同じ苦痛を味わえ」と言うのと同じですから。そこはやはり私にできることがあるうちはあきらめきれないです。もちろんその時点でしなければならないことは、自分の能力を超えてると判断したので、役所を通して専門家に向かって支援要請を発信しまくりました。その結果が、その道ですぐれていると評価されている医療機関への通院であり、公的療育プログラムであり、手帳であり、、、それら資源を使ってもダメならあきらめましょう。

しかしその場合でも、もし子の就労に困難が生じたら、資源を使った記録が、その時代の福祉システムの中で最終的にはセーフティネットにかかる鍵になるということも考えているからです。それは、小学校の成績や記録がみつからず支援が受けられずに困ってる今の発達障害の若者たちを見るからです。

あとから考えればですね、反事実仮想ですけれども、もし早い段階で障害の知識があれば、(配偶者には申し訳ないですが)避けていたリスクです。知識がなかったからはまりました。これは正直な気持ちです。

それから、離婚という選択肢も探りました。子供が未就学の段階では、男であるというだけの理由で、子を守る立場が取れなくなる可能性が極めて高いのです。笹森さんの出演番組をいくつか見た人ならば、発達障害と(無意識の)虐待、ネグレクトがどのように起き得るか容易に想像できると思います。いや、ここでは、経験的にご存知の方も多いんですね。それに専門家の意見を聞きながら配偶者の家族を観察するに及んで、配偶者自身も適切な養育を受けてこないで現在の状態像があるという理解もできるようになり、そこには共感というものではないけれど、私の中の「同情?」も生まれているのです。

そんなわけで、いろいろな可能性を探りつづけて、離婚とか、あきらめて混沌とした生活に埋没するとか、いう選択肢は、現在のところは(途中経過報告として)優先順位がトップ付近にないという、ただそれだけのことだと思います。それにしても失ったものの大きさは、はかり知れません。得たものも同様かもしれないですね、今ははっきりとした形ではわかってませんが。

最後に、ここに書いた全ての記述が私の認知、経験のフィルターを通したものであり、歪みを伴っている可能性があることを指摘してこのコメントを終わりたいと思います。

朝一番に、パンダさんのブログをダーッと読んで、ダーッとコメントを書きましたが、あとで読んでみると、

「5年前に、アスペルガーというものの概念す全く知らないままに自分の身に起きたこと&その時の思い」から、「ごく最近の自分の思い」に一足飛びに行き過ぎていましたね。すみません(^^.)

(今に至っても、私の中のどこかで消化されないままになっていたあの頃の思いが、パンダさんと精神科医さんとの会話で一挙に流れ出てきたのかもしれません。)

アスペルガーというもの(概念・実態)を知っても尚あきらめないのはなぜか・・・というとこを書くのが、ここではふさわしいんですよね(^^;)

・・・と書きつつも、

アスペルガーというものを知って、あきらめるも何もありませんでしたよ・・・!

どこかでも書きましたが、とにかく私は何か糸口が欲しかったのです。その、福音ともいえる糸口が見つかったのだから、あとは、その糸口を頼りになんとかやっていきたい・自分にやれることをとにかくやってみよう・・・それだけでした。

「アスペルガーだからあきらめる」・・・これは、夫と私、そして、何よりも、まずは子供のことを考える当事者(配偶者)としては・・・少なくとも私には考えられない発想です。

アスペルガーというものを知ることがなければ、

寝込んでいたあのまま人生を終えることもあったかもしれない、病気で弱気になったまま&夫とゴチャゴチャもめる姿を見せるだけの親で終わったかもしれない、子どもたちに負の連鎖を、そのままどころかもっと拡大して伝えるだけの親で終わったかもしれない、

でも、アスペルガーというものを知ったから、

無理しなければ元気に生活できる程度にはなり(途中はいろいろあったにしても、大きく崩れることはありませんでしたし)、夫ともコミュニケーションが以前よりもずっとうまく取れるようになり(結婚前と同じくらいに?)、子どもたちにも、少なくとも、負の連鎖の部分をかなり小さくした形でいろんなものを伝えることができ始めた。

実際、

子どもたちが大きくなってきた今、つまり、子どもたちが大人あるいは大人に近い人間として家族以外の人たちとの人間関係を作り始めた今、私と夫のやってきたこと・アスペルガーと定型の違い等々の知識が、さっそく子どもたちにとって役に立ち始めています。

特に、上の子は、その知識を具体的な場面で役に立ててくれ始めたところがあり、「"混沌"と"負の連鎖"を負わせたまま社会に放り出すようなことにはならずにはすんだかな・・・」と、とちょっと安堵しているところです。

(どこかにも書きましたが、子どもたちそれぞれに、当たり前ですが、父親的要素・母親的要素をいろんな面で持っていますから。小さな子どものうちは見えなかったことが、大人になるにつれて、夫的な部分・私的な部分・その子だけの個性の部分が、とても鮮明に見えてきます。)

他のどんな問題でもそうなのかもしれませんが、問題の当事者はそう簡単にあきらめられるものではないのではないでしょうか。第3者であれば「あきらめる」を使えるのかもしれませんし、私の知らないところでは、すぐにあきらめる当事者もいるのかもしれませんが。

もっとも、私も、「できることはできる、できないことはできない、と見極める」という意味では、これまでにたくさん「あきらめて」きていますが。

・・・と、今更ですが、パンダさんやカウンセラーさんや精神分析医さんの言われる「あきらめる」の意味、実は私は、よくわかっていないかもしれません。もし話がズレていたらすみません。

(余談ですが、私自身、他の問題について&第3者として「あきらめてはいかがですか?」というような趣旨のことを人に言ったことがあったことを、今、複雑な思いで思い出します・・・。)

「あきらめる」の意味、難しいですね。
以前の私は夫と結婚したことを後悔しまくり、別の人と結婚していれば…子供にももっといい父親を選んであげたかった…と詮ないことをグルグル考えてました。ある時期から、この人と結婚したことは取り返しがつかないし、子供ができたことはよかったと思えるようになり、そこからどうするか考えられるようになりました。例え悪いけど、事故に遭ったようなもの、怪我を負った身体でどう生きるか。病気も怪我もしたことなかった私は、病気と共に生きる、という言葉が初めて理解できた気がしました。
そういう意味での諦めなら、誰に言われるまでもなく、ここの皆さんはとっくにできてると思います。問題は、この第一段階を諦めた後ですよね。諦めた後も生活は続くし、子供は育つ。そこで、一緒にやっていくことを諦めるかどうか。
joさんやパンダさんの場合は、子供を母親から引き離すことが難しく、けど、母親だからこそ子供への影響も大きいジレンマがありますよね。
私の場合は、夫は平日ほとんど家にいなかったし、私が気を強く持てば割り切って子供と楽しく過ごすこともできたのかな、とも思うけど、妊娠や出産という不安で身体も思うように動かせず言わば弱っている時期に無神経な言動に遭うとペシャンコになってしまいました。
状況を受け入れるという意味での諦めは必要だけど、諦めたらスッキリ解決するってもんではないですよね。人生モグラたたきではありますが、モグラがあまりに多いと疲れます。

連投すみません。思い出したことがあって。以前NHKでやってた「チェイス国税捜査官」というドラマで、ARATA演じる幼少時に母親に捨てられ大きなトラウマを持つ詐欺師が自殺しようとしたとき、江口洋介演じる正義感溢れる捜査官が「絶望するな!」と言ったときの詐欺師の言葉。「僕は絶望なんかしてませんよ。希望があるから苦しいんだ。」詐欺師は死ぬまで母親に認めてもらうことを願ってました。無理な展開が多いドラマでしたが、この部分に私は号泣crying
私も以前書いたように夫とは楽しいことも悲しいことも気持ちを共有することができず、もう諦めて感情を持たず死んだように生きようと一度は思ったのですが、子供が生まれて、死んだように生きることなんてできなくなりました。幸いなことです。
ドラマでは、詐欺師にも赤ちゃんが生まれましたが、我が子の清らかさに畏れを感じたようで一度も抱っこすることもできず、妻子を残して殺されてしまいます。抱っこしてれば彼も父親として人生を再スタートできてたかもしれないのに…的な終わり方でした。
話ズレましたが、諦めるって簡単じゃないってことでした。

超亀亀亀コメントですみません。

体調があまりよくなくて、4月から1ヶ月近く寝込んでいました。→寝たきりに近い状態と言った方がいいのかもしれない。

変と言えば、私たち夫婦も変でしょう。

最近のだにぃさんはオタ道に入っているし。→元から鉄オタですからね。

まあ、居直ってしまったと言えばそうなのかもしれませんが。

人と違うことをしているから『変』になってしまうのではないかと。
人と違うことをしている人=変人。※奇跡のリンゴの人がTVで言っていた言葉より。

私が超がつくくらいの変人だから、他の人が変と思わなくなりました。パンダさんが変と言うことを感じたことはありません。マジメ(真面目)だけど、奥深い変人(人と違うことをするから)と言うスタンスの方が楽ですね。※この真面目と言う字は、『真・面・目』と言って、本来持っている物や姿という意味です。

無理をせずに気楽にいきましょう。

P.S.1冊目の本が5月9日から発売されました。

Rosamondeさん

 どうしていらっしゃるかと思えば、寝込んでらしたんですね。1ヶ月はきついなあ。
 
 Rosamondeさんが超変人で、その超変人から見たら私は変じゃない、ということは、私も超変人ということですね (^_^)

 出版おめでとうございます。本の名前とか、教えて下さい!

亀亀亀亀亀コメントですみません。

ここに書いておきますね。


タイトル:これって、大人の発達障害? 人付き合い、家事がうまくいかない理由
出版社:PHP研究所
価格:1200円(税別)

購入先:生協、PHPファミリー、アマゾン 

PHPファミリーのサイト:
http://family.php.co.jp/

(注意)第1弾本は一般の書店には並びません。

内容はネタバレにならない範囲なら:

1.大人の発達障害、特に発達障害者女性、主婦のことを書いています。
2.なるべくややこしい専門用語は使いすぎないようにしています。※編集者が上手く編集しています。
3.発達障害って何?と言う入門書的になっています。上級者にとっては物足らないところもあります。
4.入門書なところがあるので、深刻すぎることは載っていません。

追記:

大学生協から購入ができるんですか?と言う質問が来て、大学生協からの購入はできません。

本書を購入する一番確実な方法として、編集者からは:

 (1)弊社HP『PHPファミリー』【URL】http://family.php.co.jp/    
「トップページ」→「直販書籍・商品」→「暮らし・実用」 という順番で検索していただくと、出てきます。     http://www.php.co.jp/family/detail.php?id=79280  

(2)弊社へ直接お電話いただく 【電話】075-681-8818  という2つの方法があります。

以上の回答です。

アマゾンからは購入ができない状態ですので、上記に挙げた2つの方法から購入してください。

以上、自分のウェブで書いています。

※まだ、生協のネット注文からも注文できないみたいです。

パートナー視点で書きたかったのだが、別の機会でお話ししたり書きたいかと思います。


パンダ兄さん(兄さんと呼んですみません)、変ではありませんよ。気にしすぎないように。

面白い視点があるけど、根はマジメですから。人より面白いところが『変』となって見えているのかもしれません。奥が深いからこう言う面もあるんだなと私は思います。

と言うことで。

Rosamondeさん

 どうもありがとうございました。
 早速注文しました!

パンダ兄さん、注文、ありがとうございます(o^-^o)。

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