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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年5月19日 (木)

誠意って何?

 このところ「頑張っている振り」とか「誠意を見せる」とかということについて、コメントがいくつか続いていますけれど、何が誠意を見せることになるのか、何が信頼を表すことになるのか、逆に言えば何が誠意を裏切り、信頼を壊すことなのかっていうのはすごくむつかしいですね。

 私の場合、異文化の人とのコミュニケーションでそういうことを嫌と言うほどに体験してきました。自分としては誠意を見せているつもりのことが、相手にはとても不誠実なことであったり、その逆もそうです。こういうことをやるのは信頼を裏切る行為だ、と激しく憤りを持つ行為が、実は相手にとっては信頼を示す行為だったり。もうこうなると悲劇と言っても良いようなものですね。

 で、このところだんだんと実感が深まっているのは、アスペと定型の間にそういうことがやはり起こるんだと言うことです。アスペの人が誠実に応答している(正直にと言っても良いですが)ことが、定型から見ると相手のことを考えない身勝手で不誠実な応答に感じられる。逆に定型が相手のことを思いやってやることが、アスペの人にとってはなにか嘘をつかれたような、騙されたような、とても不誠実な行為に思える。

 ただ、世の中「定型の天下」で、だいたいは定型がえばってますから(ひとつひとつの家庭の中では男女の力関係で逆転したりしますけど)、アスペの人は「こんなの不誠実なやり方に思えるんだけど」と感じながら、それでもなんとか定型に合わせてその不誠実に感じられるやりかたをまねしないといけなかったりするわけですね。定型の方はそれが不誠実などとは夢にも思わないから、そのままそれをやり通す。

 それと、もうひとつ興味を持つことがあるんですが、そういう定型の「誠実さ」とか「思いやり」とかは、実はものすごく日本的なんじゃないかと思えることなんですね。たとえば相手の欠点などについてもできるだけストレートには言わない。相手を傷つけないようにする。もちろん見ず知らずの人や親しくない人ならそれは当然なのかも知れないけれど、相当に親しい人同士の間でも、なんか遠慮があったり、遠回しに言ったり、あるいは本人には言わずに周りの人に愚痴のように語って、それが回り回って本人に「あなた、誰かからこんな風に言われたりしてるみたいよ」という警告として間接的に伝わるようにする。「誰が言ってるの?」と聞かれても、「うーん、なんか噂だけど。ちょっと気をつけた方がいいんじゃないかな」みたいな感じでぼかされる。

 海外の映画なんか見ていると、洋物でもアジア映画でも、その点、ものすごくストレートに相手に言ったりしてる場面に何度も出会います。なんかびっくりしてしまう。逆に日本的定型のそういう回りくどい(あるいは相手を配慮して慎重な)やり方はむしろ不誠実に思われてしまったりする。

 ちょっと漫画チックに言えば、日本以外の多くの文化の人たちはけっこうアスペ的な人間関係を作っていて、日本だけが特別に定型的なんじゃないか、という感じさえ持つことがあります。

 ま、もちろん海外でも定型とアスペ、という、区別はちゃんとあって、その比率もそんなに変わらないだろうし、みんながアスペ、なんていうことは全く無いわけだけど、日本的定型の目から見ると、海外の定型的行動にアスペルガー的な部分が感じられたりすると言うのか、日本的にはアスペの特徴と表現されている行動の仕方を定型の人がやってたりすることがぼちぼちあるような気がするわけです。

 もしかするとその辺のことと、前ににじいろ管理人あ~あさんがコメントで「しかし、社会が変わると状況もかなり変わります。文化の異なるカナダですべて言葉にしなければならない環境で夫と暮らした時はずいぶん楽でした。」と書かれていたことにもなんかつながってくる問題があるのかもしれません。よくわかんないけど。そういえばカナダでしばらく暮らしたことのある方に聞いたことがあったけど、向こうで暮らしているとほんとに周囲に一生懸命気を遣わなくて良くて、とてもいごこちがよいのだけれど、日本に帰ってくると、とにかく回りにものすごく気を遣わなければならないから、しんどくて仕方がない、とおっしゃってましたね。体調を崩すくらいだと。

 で、その気の使い方は、違う文化の人から見ればなんだか不誠実にも見えるし、そしてまたアスペの人から見ても不誠実に見えたりする。異文化の人のその見方とアスペの人のその見方が全く同じだ、とは私も言う気はないですが、でもどこか重なる部分はありそうです。

 

 

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コメント

Caution! ASと定型の問題を『異文化』に転嫁することに少し危うさを感じてます。「周辺情報の受け取り方=文化習得」になんらかの(文化的差異)に回帰できない「特異さ」を感じます。もちろん外国にもASはいるわけですし、日本にもASにとって居心地よい社会(IT業界みたいな)もあるわけですし。周辺社会のもつ基準の違いはあるでしょうけど、周辺社会の「掟?」を感じる力、それを行動に反映する力とか、そこらへんに何かありそうな気がするんですけど。だから「発達」障害の一種だと位置づけられることがあるのでしょう?

外国にいったら開放感があったから、というのもその社会では受け入れられたと勘違いしないほうがいいと思います。その社会でお客さん扱いされている間は、掟を守ることを期待されていないのですから。「最初はいい人みたいに
見えた」というコメントが多いことは、その裏返しが映っているのだと思います。

も〜最近、色々と忙しくて…
パンダさん曰くエネルギッシュな?!?書きたい病を抑えています。

カレンさん、繭さん、以前お返事ありがとうございました。うずうず…お話した心境でしたが、何度も投稿しそびれてしまいました。

私は…主人と共に、私の実家に引っ越しを決意しました。それで、色々と忙しいのです…

繭さん、またたくさんお話しましょう!
辛いこと、楽しかったこと、疑問…?何でも語り合って、みんなで意義あるものに変えて頑張っていきましょうね!

カレンさん、是非「カレンの夫・名?謎?珍語録」聞いてみたいです!
もちろんカレンさんのも!毎日1日ひとつづつとか(笑)!
私は単純ながら…ここ数年は、水前寺清子?!の何とかマーチ?!がよく頭に流れてきます。
♪幸せは歩いてこない…1日一歩、3日で三歩…と…あの歌、本当に元気が出ていい歌です。マイナスになっている時は、暗いバージョンで「三歩歩いて10歩下がる…」と勝手に替え歌しています。
カレンさんのも、1日一つづつでも聞ければ…!

私は、誰かと話や接する時は、プラスで受け取るようにしているので、どんな言葉でも態度でもわりかし平気です。
人それぞれ、背景、事情、考えや思い、気持ち、伝え方はみんな違うので。

何日か前のパンダさんの記事やコメントにもありましたが、
「言い方と相手の受け取り方」や「振る舞いやそれに対する解釈の仕方」は、本当に難しいですね。ふむふむ…と読んでいました。
どちらが悪い…とかではなく、それらが双方でピッタリ合わないと、

定型の立場でも、非定型の立場でも、え〜??どうしてそういう事になってるの?とか、え〜そんな事全然言って(思って)ないのに…とか、本当にとんでもない事にもなりうるので怖いです…
言い方もみんな違うように、人の解釈なんて、人の数だけあると思います。

よく、人のうわさ話に枝葉がついて、話が大きく変わったりするのも、個々の、言い方と解釈のしかたが絡んでいて、面白いしくみです。

私は主人との関係では、私の言い方、主人の解釈の仕方に大分とんちんかんのズレがあり、それと、無関心、それがケンカの原因でした。
でも、主人は、ゆっくりはっきり丁寧な言い方(指示・命令系でお願いする言い方ともいいます)だと、言った事はやってくれるので、悪意は全くないとわかりそれなりに丸くやっています。が…

ただ、今日のjoさんの書き込みを見て、(joさんの言いたい事と、微妙にズレてるかも知れませんが)、是非私も書いておきたい…と思いました。
確かに、私も異文化などでくくるには、無理があると思うし、異文化という問題とは全く別物。違うと思います。
皆さん、丸々くくっている訳ではないでしょうが、ちょっと危険性を感じます。
それは、定型・非定型どちらの立場から見ても危険だと思います。

長くなるので、今日は省略しますが、(joさんの今後の意見に期待して…!)

私の意見の結論から言うと…
異文化的で済ませられる程度の非定型と、絶対に済ます事は出来ない非定型がいる。という事です。
それにしても、異文化とはちょっと違うと思います。

人と人との関係…真の?深の?!心や気持ちに異文化とかは関係ないと思いましたが…出来ればみなさんの意見も聞いてみたいです

しばらく読み専門になってしまうと思いますが、パンダさんの記事や、皆さんのコメントも、時間を見つけて、参考に楽しみによんでいます。
パンダさんも、暑い季節がやってきますが、体調を管理しながら、今後とも、よろしくです。

なんか、みみさんに期待されちゃった。ので何か考えます。

この問題を「異文化」とみなすことが、対症療法的には、目下のところ可能性のある対策に見えることはよくわかりますが、たぶん実はそれは姑息的であり、根はもうひとつメタなレベルにあると思います。たぶん、こういうことだと思う。

社会の成員として迎え入れる・成員になろうとする場合

周囲の社会
1)ルールを示す
2)規範に従った言動の期待を示す
3)フィードバックする
4)同化するように働きかける

個体の側
1)ルールを察する・・・・・・・感覚の過敏や鈍感、誤った理解
2)規範に従った言動をする・・・ストレス耐性、我慢不足
3)フィードバックを受け取る・・・再び過敏や鈍感、誤った解釈
4)同化するよう行動調整する・・・ずれた言動

で、ずれ方の解釈によって周囲のフィードバックも変化するが、どの段階でずれてるのかの評価が社会(定型)の側でも誤解しがちなことから、フィードバックがうまく働かないことが多い。その国に根を下ろさない(お客さん扱い)の外国人の場合だと、どのレベルにおいてもルールと期待が殆ど働かないということです。

それと、この「周囲の社会」というのが、一次的には家族なのだけれど、その家族の反応というのが「その外側の一般社会(文化)」の反応を代表してる(=家族からの反応を通して社会での振る舞いを学習できる)のが機能してる正常な家族のはずなのだけれど、機能不全家族ではそれが働いていないから、問題が世代を越えて受け継がれていくのでしょう。

こういうことなので、文化によって同化が容易だったり困難だったりするという軸は、幻想なのだと思います。ある文化でAS問題を起こしていれば、外国に行ってもAS問題は、たぶん起きます。ただしそれは、そこに根を張る覚悟で生活をして初めて起きることだから、殆どの場合はAS問題が解消したかのような錯覚がおきるでしょうね。あるいは、それが再び起きるのはその社会の大人の社会的役割を獲得しようとするときまで待つことになるでしょう。

独身で、個体と一般社会が直接に接している間はどうにか機能していても、生殖家族を始める段階で突然問題として浮き上がったように見える理由もこれでいくらかは説明がつくかもしれません。

あと、ASが成功する職業として、翻訳家がありますが、これはなぜか、もう明らかです。前のコメントに登場した文学部AS教授と同じことです。同化とか同化の実践をする必要のない異文化の中で機能しやすいのは、視野の限定や過集中がプラスの要因で働くことが多いからだと思いますね。

分割になりました。

チロさんが就職したときにずれまくった行動して、学習して修正していく過程はどんなにズレが大きくても定型的だと思います。私も就職したてのとき、上司をさんづけで呼んでえらい叱られました。それまでは役職で呼ぶ社会があることは知ってたけど「これがそれだ」とは思わなかったです。それに、後年IT系に転職したときは、みんな「さんづけ」でやってるのに驚いたです。あわてて修正。いづれにせよ、そうやって多数派に染まっていくしくみを持っているのが「定型」で多数派に染まっていかないしくみをもっているのが「非定型」。良い悪いではなく世の中にはどちらも必要。坂本龍馬もエジソンもアインシュタインもビルゲイツも、いなければ今の日本、今の世界はない。でもそこまで突き抜けた非定型を、社会が生み出すためには烏合の非定型がすさまじい軋轢を定型との間に繰り広げてる。社会全体でみれば少数でしょうけど。

みみさん、というわけで、非定型の程度の差ではないと思うんです。質的な違いに見える、少数派になるしくみを持った、という感じではないのでしょうか。たぶん種の進歩発展に一定数必要なしくみ、、、なのでしょうね。

当事者はたまらんけど。天才を支えるピラミッドの礎石の下敷きになってる砂粒みたいなもんでしょう。そう考えても耐えられるもんじゃないでしょうが。

みみさん joさん

 危険動物パンダ です~ (^_^)v

 joさんの「多数派に染まっていくしくみを持っているのが「定型」で多数派に染まっていかないしくみをもっているのが「非定型」。」という言い方がわりとしっくり来ます。ただし、「しくみをもっていない」というところがポイントで、アスペの方たちの中には自分には訳の分からない多数派に合わせようと七転八倒して、それでも怒られ続けて、鬱になっちゃったりとかいう方も少なくないみたいなので、「意志がない」ということではないんでしょうけれど。アスペの方がその意見にどう感じるかは聞いてみたいですね。

 で、それを前提にして文化という話を改めて書くとすればこんなことかな。つまり、異文化に暮らしてみると、自分は少数派になるわけですが(ほんとに言葉もまともに出来ず、生活の細々として事もどうやって達成したらいいのか分からず、仕事の考え方も違い……)、多数派に合わせようとしてもどうしたらいいのかよくわからない。自分にとっては「ひどいやり方」と思えることがたくさんあったりするし、そういうところでの抵抗感もあり、形だけ合わせてみるけど、心はこもらないし、しかもその形も微妙な使い方が全然わかんないから、結局すごい変なことになったり……。

 なんというのか、たとえば10年以上、日本に暮らしていて日本のやりかたもよく分かって、日常生活も周囲にとけ込んである意味「差」を感じなくなったような韓国の友だちがいるんですけど、いろいろ話し込んでいくと、なんかすごい基本的なところではズレがあって理解できない、という思いを抱いたりしてるんです。そのへんも「努力」でどうなるというものではなくて、もうほんとに小さい頃に植え付けられてしまって修正が効かない「仕組み」みたいな気がしています。アスペと定型の関係との違いは、そういう「仕組み」が子どもの頃に出来るのか、それとも生まれる前から違いがあるのか、というところかな。

 というわけで、いわゆる文化差とは違うんだけど、でも同じでもある。というの、どうでしょう?

最近のみなさんの活発な議論を読んで、自分が思ったことを箇条書きにしてみました。

1、「異文化における定型の「ズレ」と「定型文化におけるアスペのズレ」は、よく似ている。なので、異文化においては、アスペのズレが見えなくなり、異文化におけるズレに集約されてしまう。
2、社会の暗黙のルールなどの文化は、子供の頃に植えつけられ内面化されており、異文化に長く住んで表面上はズレが見えなくなっても、深いところではズレが残る。(定型でもアスペでも)。
3、アスペにとって馴染みやすい文化というのはあるかもしれないが、おそらく深いところでは上記の定型と同じようにズレが残っているのではないか。
4、そして、自分が生まれ育った文化でもズレがあるのがアスペである。
5、定型でも、大人になってから新しい文化に入っていくと新しいルールを察して身につけていくということが繰り返されるが、アスペはそれを察したり身に着けたりすることが脳のしくみ上、定型にくらべて難しい。
6、けれども、所詮は定型も生まれながらに自然にルールがわかっているわけではなくて育つ過程で身に着けていくのであって、アスペも定型以上に苦労を伴うものの、ある程度は療育やカウンセリングによって身に着けることは可能かもしれない。

アスペと定型のズレは異文化でのズレと症状は同じだが、原因は違う、というところでしょうか。

ここで対照したいのは、『10年以上、日本に暮らしていて日本のやりかたもよく分かって、日常生活も周囲にとけ込んである意味「差」を感じなくなったような○○国の友だち』で、『いろいろ話し込んでいっても、すごい基本的なところでもズレがなくて理解できる』ような人です。いないでしょうか?もしかしたら、そっちの方が多かったとしても、探してないから、あるいは完全に溶け込んでいるから、見つからない、ということかもしれないですよね。

「文化の差」ではなくて、根っこにある「文化習得の得意度の差」が結果として「文化の差」として現れてるのを、「文化の差」にくくるのはなんかしっくりこないんですね。

「文化習得が得意な人」と「それが不得意な人」という『文化』があるのではないでしょう。不得意な理由はさまざまで、「気付きが難しい」であったり、「行動調整が難しい」であったり、「フィードバックの理解が難しい」であったり、「同化欲求がない」であったり、「異端化欲求が強い」であったり、、、それらが脳内の特定トランスポーターの過不足によるものだったり、訓練とか経験の偏りによるものだったり、幼少期の刷り込みであったり、それらの因果関係が逆転してたり、、、

だから療育が効果的だったり、投薬が効果的だったり、運動作業療法が効果的だったり、、、一から他の文化習得の方がスムーズだったりするのは途中の二次障害的なものが積み重なっていないからだったりするかも。

遺伝子レベルの自閉症が確かに一定の割合で存在するように、遺伝子レベルの高機能群も一定の割合で存在するとは思いますよ。きちっと調べないとわからないでしょうが、でも乳幼児期の環境因子による「自閉症」様の発達障害とか高機能群もある一定の割合で存在すると思いますよ。特に、機能不全家族が世代をまたがってる場合なんか、かなりの確率でそうなるだろうと想像します。

自閉「系」当事者の方たちの方でも、「自閉文化圏」とか「共和国」という言い方をよくしているようですが、遺伝要因から環境要因までの間がずーっとグラデーションになっている、その上に積み重なってる(と私が思う)ものを「文化」という比喩で表してしまって齟齬が起きていないのかなあ、、、なんてよけいなことでしょうけれど。

何かに気付いたときパズルのピースがパチッとはまるように氷解したならば、自閉症ではなく文化の差だったことがわかるかもしれない。でも文化の差だったらそういうふうに氷解するとは限らない。最後まで文化の差異を深い深いところにしょい込んだまま終わるかもしれない。その個体にとって区別する意味はないでしょうけど、「でも同じでもある」、かどうかについては、うーんと唸ってしまいますね。

深いですね〜。

私は、仕事の関係でたまに外国に行きますが、欧米圏ではトラブル時に、日本的には「偉そう」にしゃべらrないとラチがあかないというがあります。日本だと、自分が顧客であっても「お友達」「対等」なフリして表面的にはフレンドリーに話すけど、欧米だと下手に出てるとどこまでも「なめてくる」ようなとこがあって。「偉そう」に「怒ってみせる」とか「脅す」(「これはマネージャーにお話ししないとラチあかないかもしれませんねぇ」「この件が片付いたら本社に苦情のお手紙書かねばと思います」など)とかすると、手のひら返したように相手が下手に出て来たりするのよね。(そう言えば、夫に対しても「偉そう」に話したら話がすいすい通じたことがあったなぁ)

こっちでは「偉そう」にしないと仕事進まないって分かってるから「芝居」も含めてやるけど、日本人的態度がしみついてるし、特に私はAC的に「いい子」しちゃうタイプだから、心の底でじんわりと疲れます。

それでも、joさんがおっしゃる「よそ者」なので、相手の期待値も高くないし、期待されないという裏には「差別」もあるでしょう。私は、見るからに「アジア人」だからね。

パンダさんの韓国人のお友達は、見た目「日本人」でしょうから、まわりも容赦なく日本的行動を期待するというのもあるでしょう。もし、見るからに「アメリカ人」だったら、日本人の側も「どうせ外人さんだから分からないよね」と手加減するし、まだまだ日本社会に根強い「欧米コンプレックス」もあって、こっちが下手に出て、あっちの基準に「合わせる」というのがあると思います。

トランジットがうまく行かず、韓国経由で日本に帰国したことがあるんですが、乗客はほとんどヨーロッパから自国に帰る韓国人。私は、見た目「韓国人」と区別つかないから、すごい孤独だった。韓国語の方が言語的には日本語に近いはずなのに、韓国語の機内アナウンスは全然分からなくて、ほとんど意味不明なフランス語でさえ韓国語よりは「親しい」感じがした。「(見た目)同じ」なのに「違う」っていうのはものすごい孤独なものなのだと思った。

「見た目」で分かる「障がい」と、「見た目」で分からない「障がい」の置かれてる位置とも、ちょっと通じるところがあるのかな?と思います。

>みみさん
お久しぶりです。以前みみさんに言っていただいた、「相手のことを理解するのは無理でも、相手が言っていることを理解しようとしては?」という助言、いつも心の中にあります。自分の心身の状態が回復して、その時点で、夫に対してそうしたいと思ったらば(相手がアスペだから「可哀想だから」やるのではなく、「この人とだったら関わってみたい」と思えるようなら)、これをやってみようと、この言葉、いつも心の中にとどめてあります。

連続投稿ごめんなさい。みみさんへのレスを投稿した後で、ふと思い出したので。

私、あっちの掲示板にも書いたように目の悪い人を何人か知っているのですが、彼女たちの一人が言うには、「一番傷つくのは同情にみせかけた優越感」だそうです。障がいのある人と接する時、私がいつも肝に銘じねば、と思ってるのはこのこと。

人は、時に、「自分の満たされない気持ち」を「満たす」ために「何かをやって『あげている』」ということにすがろうとする。私は、出来るだけ「自分で自分を満たした上で」「この人と接したい」と思って人と接したいと思います。そういうおつきあいの中で、「KSちゃん、これやってくれると助かる」と言われたことをする。「これをやってあげたら、その人がもっとラクかも」と思うことをする。

私の側も必要な場合、「(可能な範囲で)これやってくれると助かる」とSOSを発信できる人になりたい。これも前にあっちの掲示板に書いたことだけど、私のカウンセラーさんは「必要な時に助けを求めること、助けを受け入れることも自立のうちですよ」と言ってました。


またまた連続投稿失礼します。なんかうゎ〜っと色々思いついてしまって・・・。

・・・ということは、joさんの指摘される「療育」というのは、外国語教育みたいなもんですね、きっと。

まわり韓国人ばっかの飛行機で、美しいスチュワーデスのお姉さんから「着陸だからシートベルト締めろって言ってるんだよ、おらぁ!」って怒鳴られ続けた場合、「なんか私悪いことしてるんだろうか。お姉さんきれいなのにこわい・・・。どうやら韓国語でしゃべってるらしい。帰ったら韓国語勉強しよう」と思うタイプと「うっせ〜な。何訳わかんない言葉しゃべってんだよ! 日本語喋れっつうんだよ!」と逆ギレするタイプに分かれるのかもなぁ。

日本政府は「日本人だからと言って日本語が教えられるという訳ではありません」と日本語教師の資格などをもうけているくせに、多分、それよりもっと難しい「療育」(大人に対してであれ、子どもに対してであれ)を「家族なんだからやって当たり前」と言うのね。ひどいな〜。はっきり言って無理です、それは。

多分、シロウトの日本人が外国人に日本語教える方が、発達障がいの人に対人スキルを習得させるよりずーっと易しいと思う。

「日本語教授法」ならぬ「発達障がいの家族を抱えた人のための療育講座」みたいのが、必要なんだ、きっと!と思う。

無理なことを続けていれば疲弊する。病気になる。国民の健康レベルが落ちることは国力の低下です。日本語教授法も大事だけど、「療育教授法」はそれに勝るとも劣らず大事です。(>管首相 聞いてる?)

小学校1年生程度の勉強だって、教育を受けた専門家が教えます。家族に任せることはない。それは、将来の国民の「質」を確保するためです。シロウトの家族にはそんな大事なことは任せられないのです。

発達障がいの家族を支える人をサポートしつつ、やっぱり専門家による公的支援は絶対に必要だと思います。障がいがある国民の「底上げ」だって、立派な国力。障がいをもつ家族が笑顔で暮らせることも立派な国力の「底上げ」。

(私は別にナショナリストではないですけどね)

チロさん

> アスペと定型のズレは異文化でのズレと症状は同じだが、原因は違う、というところでしょうか。

 うん、なんかこれ、近い感じがします。ズレと症状が全く同じというわけでもないんだろうけど、見た目似ているところがある。それとそのズレがどういうところで目立つようになるか、というのが文化によって違うんじゃないかという気がします。だからたとえば日本ですごく問題になる部分は、イギリスではそれほどには問題にならないとか、韓国ですごく問題になる部分が日本ではわりにスルーされてるとか、そんなことはあるんじゃないかなという気がするんですね。

joさん

> 「文化の差」ではなくて、根っこにある「文化習得の得意度の差」が結果として「文化の差」として現れてるのを、「文化の差」にくくるのはなんかしっくりこないんですね。

 「文化の差として現れている」という言い方が私にもしっくり来る感じがします。たとえば「男の文化(生き方)」と「女の文化(生き方)」みたいのがあったとして(実際よくそういう言い方が有ると思うけど)、それって体のつくりとか、もっといえば遺伝子のつくりの違いから来るわけですよね。だけどそれがまた「文化の差として<も>現れる」みたいな。

 「文化の差」にくくってしまうとおかしくなるのは、「じゃあ習慣を変えれば(文化を変えれば)どうとでも自由にすることができるのか」ということになりかねないからかな、と思います。「男と女の間には深くて暗い闇がある~」じゃないけど、やっぱりどうお互いの関係の形を変えてみても、形を変えてどっか違いは残り続けるし、その違いが意味を持ち続けますもんね。あとはその違い方がプラスの意味をお互いに持てるか、片方はプラスだけど他方はマイナスか、両方マイナスか、そのあたりがシビアな問題になるんでしょうか。

KSさん

> 「見た目」で分かる「障がい」と、「見た目」で分からない「障がい」の置かれてる位置とも、ちょっと通じるところがあるのかな?と思います。

 海外の話、ああ、KSさんもそういう経験をされているのか、と思いました。(あ、私は韓国のスチュワーデスさんにそんな怖い言葉で怒鳴られたことはないですけど (^ ^;)ゞ~)

 たしかに書かれているとおり、欧米人とはもう見た目が違うから「違って当たり前」というのがあるんですよね。感覚的に。それとやっぱり欧米コンプレックスが未だに強い。そろそろ卒業してもいいと思うんですけど、まあ事実はそうです。逆に「東洋!」というとなんだか見た目も習慣も一見似てるから「同じで当然」と思いこんでしまっていて、でも実際はびっくりするほど違うから、めんくらってしまって、その結果お互いに「裏切られた!」とか思って怒りだしたりしてます。別にどっちも裏切ってるわけじゃなくて、もともと違うのを知らなかっただけなのに。(ここも定型とアスペの間に生じる誤解とそれによる対立に似てますよね)

 見た目同じなのに、実はすごい違いがある、というとき、やっぱりそんなの経験を積んだ人じゃないとわかんないよ。というのもそうだなあと思います。だからこそ、経験者の経験の交流とか、そういうことが大切な意味を持ったりするんでしょうね。

収束しているところに失礼します。

>「文化の差として現れている」

私も、これがしっくりと来ます。

私自身の感覚では、OSが違うんだなぁ…と思っていました。
定型文化を身につけるのは、エミュレータで別のOSを走らせるようなイメージです。

私は最初に触れたPCがMacintoshで、その後も、職場も私用もMacだったので、初めてWindowsを使った時は訳がわからなくて、びっくりしました。
マウスのボタンが2つある!?とか、C:\…C円??とか。
今でも良くわかっていませんが、普通に使用することは出来るようになりました。

見た目も、機能も、ほとんど同じPCですが、中身は深いところまで違う。
この感じが、定型とアスペルガーに通じるような気がしています。

後は、私が頻繁にフリーズするMac(Power Mac時代)に親近感を持っていた、というのも理由のひとつかもしれません(笑)

>「(見た目)同じ」なのに「違う」っていうのはものすごい孤独なものなのだと思った。

些細なことで、こんな感覚を味わうときがあります。
正確には、「『異質』と思われる」ことによって、自分で違いを感じるのではなくて、周りから距離を持たれる孤独です。
そういうとき、「違うことはいけないことなのか…」と思います。
実際には、私の表し方に問題があったり、ひとから受け入れられる「違い」も沢山あるので、そればかりでは全くありません。

みみさん

ご主人と一緒に、ご実家にお引越しを決意されて、色々と大変なことと思います。
でも、お忙しいのは良いことかもしれませんね。
ご無理をされませんように。

ひと段落着かれて、書きたい病が発現するのを楽しみに、お待ちしてます(^ ^)

繭さん

> そういうとき、「違うことはいけないことなのか…」と思います。実際には、私の表し方に問題があったり、ひとから受け入れられる「違い」も沢山あるので、そればかりでは全くありません。

 ここなんですよね、むつかしいの。「違うことはいけない」わけないんだけど、なんか「違い方の作法」みたいなのがきっとあるんですよね。で、その作法は文化によって随分違うように思いますけど。アメリカなんかも違いのアッピールがすごい重要だったりするみたいだし、意外と日本だって「世界で一つだけの花、ひとつひとつ違う色に咲け」とかいうのが大流行するわけだから、そんな感じの「違うこと」は望ましいこととされていると思うんだけど、でもそこがすごく微妙。帰国子女の人なんかも、日本ですごい不適応を起こしたりする話を聞きますしね。実際いじめられる子の多くは何かの意味で「違う」という理由なんじゃないかな。

 それはさておき、パソコンでのたとえ、わかりやすい!

はじめに違いを生み出した作法(学習するための事例もいっぱい遭遇できて、たぶん特徴も(定型視点的には)明瞭で、気付きやすいし実践しやすいと思われるはずの作法)に気付かなかったから違っちゃってるんだから、違い方の作法(少数派の中でも微小数の好ましい違い方をしている事例が示している微細な特徴)に気付くことは期待できませんねえ。やっぱり最初の違いを認めて受け入れてしまえるための何かを探す旅になりそうですねえ。

帰国子女が不適応をおこすと目立ちますよね。でも帰国子女がみんな不適応おこすわけじゃないし、不適応おこさなかった帰国子女なんか見えませんものね。それに帰国子女じゃない子もすごい不適応を起こしますけど、帰国子女じゃない子の不適応の率と帰国子女の不適応の率を比べないといけないんだろうけど、帰国してで適応した子は見えなくなってるわけだから比較もできないという状況で、帰国子女の不適応と帰国じゃない子の不適応は別のカテゴリーだというきめつけがありますものね。

フツウの人は理由がわからないと不安なんでしょうね、きっと。その不安に耐えられないから、何か不適応があると「非定型」だからだ、とカテゴリーにくくってきめつけて安心したいところもあるかもしれないですね。その中には定型が不適応に陥ってるのも含まれてるんでしょうね。

一方の非定型(ホンモノ少数派)は、理由のわからない世界をずっとずっと歩いてきて、カテゴリーでくくることをあきらめたというか、くくらないですますことに耐性がついちゃった、というか、、、、うーん、ちがうなあ、独自の概念体系を発達させてきてるような印象がある。

そういう人って、ちょっと話をする分とか、仕事で知恵を貸してもらうときなんかすごい重宝するんだけど、同じチームでずっとやっていくのはしんどいんだよね。なんだろ、そのしんどさって。

肝心のところで同意がそれる、とか、それたときに、すり合わせが効かない、そんな感じがする。ここは、あわせないと先へ進めない点だよ、というのに気付いてくれない、それを説明しても頑固にまげない、そういうところがフツウの多数派に嫌われちゃうところ。

「これが、そういう点だよ」というのを気付かせてあげさえしたらスッといける場合もあるだろうし、気付いてるんだけも意固地になってる場合もあるだろうし、それはみんなが気付いてないことを気付かせようという意思が強いということかもしれないし、、、わかんないっす。

joさん

> 一方の非定型(ホンモノ少数派)は、理由のわからない世界をずっとずっと歩いてきて、カテゴリーでくくることをあきらめたというか、くくらないですますことに耐性がついちゃった、というか、、、、うーん、ちがうなあ、独自の概念体系を発達させてきてるような印象がある。

 なんかそんなかんじがありますよね。定型同士だとお互いにずれたところをすりあわせようとすることをいつもやってるから、「概念体系(ものの見方?)」みたいなものもわりに共有された感じになるんだけど、アスペの人はやっぱり個人的にいろいろ一人で考えることが多くて、積極的にはそれを人と交流しない人が多いみたいだから、その傾向が強いほど、「その人独特のものの見方」になって、他の人と通じ合いにくくなるのかもしれないですね。

 逆に言えば、「その人独特のものの見方」がどういう独特さなのか、少しずつでもその人の見方によりそう感じでこちらにも見えてくるといいんだけど、そこに行くのが大変ですよね、きっと。そもそも絶対無理なことだ、という考え方もあるだろうし。だから会話の中で少しずつ手がかりが得られるといいんだけど、一時の私の所みたいに会話そのものが拒否されるような状態だとそれもできなくて八方ふさがりになってしまう…… 

 いやあ、なんか他の方の事例からでもいいから、なんか小さな糸口が見えてくるといいんですけどね。

joさん、チロさん、パンダさん、ksさん、繭さん、色んな意見を聞かせて頂いて、ありがとうございました。
う〜ん…ksさんじゃないけど…皆さん、深いですね。

みなさんの意見を読んでいて、一番先に感じたのが、「ところで、やっぱり、アスペってなに?ん…何だろう…?ん?なんだ?」でした。

私が、先日あわてて意見を求めたのは…
(joさんの書いていた主旨と少し違ってしまって、joさん、申し訳ありません)

やはり、アスペルガーを異文化で済ますには危険性を感じているからです。

先にこちらを書いておくべきでした。
私の考える理由をあげると、統合失調症が絡んできます。

・アスペルガーやADHD、統合失調症などは違うもので区別されていますが、考えれば考える程、私の中で違いが全く理解できません。(度合いや強く浮き出る症状が違うだけで同じ結果になってしまいます)

・要は、アスペではなく統合失調症であれば、または、アスペ当事者の程度が統合失調症位のレベルであれば、異文化で済ますのは大変危険だという主張です。
(いつも持論を一方的ですみませんが)

・ご存知の方もいるかもしれませんが、統合失調症は、以前は精神分裂病といわれていて、
自閉症は「先天的または出産時または直後」といわれているのに対して、
統合失調症は「後天性(思春期・大人)の自閉症」とも言われていました。
それらの論は、様々な視点から、間違いだった(別物)とされ、今では「似ていて間違いやすいが違う」とされています。

統合失調症は字のごとく、思考(や行動)がまとまらない(統合に欠ける)病気です。

100人に1人くらいの割合でかかる、ありふれたものです。

早期からの服薬で、予後はかなり改善される場合もあるそうです。

今は、100%ではありませんが、原因には遺伝が重視されています。

私の兄は、「鬱と診断された」と自分では言っていました。薬も一時期飲んでいたようですが…ここ数年、薬は絶っていた様子だったので、睡眠薬の他に何の薬かは、知りたいですが、わかりません。
私は、兄を「まさに典型的なアスペルガー」だと思っていました。

でも、私たちや実家の家族は、鬱は快方には時間がかかって当たり前…という理解から、誰も兄を問い詰めたり、責めたりする事は何もなく、むしろ、みんな上手に理解していたつもりでした。
兄は殆ど自分の部屋にいる事を好みましたが、引きこもって家族と話さない…という訳ではなく、釣り仲間と出掛けたり、口数少なくて不器用ですが、普通に家族と接していました。

しかし…なくなるほんの数ヶ月前から、ジワジワと一気に妄想が入ってきました。(それまでは明らかに変な妄想は皆無でした)
どんな妄想かと言えば、幻覚・幻聴ではなく、被害妄想的でもなく(かな?)、誰かに狙われているという観念の妄想でした。
それは、あり得ない話(近所とか、知人などからではなく)例えば、どこかのスパイだとか、そんなレベルの話です。

何かしら根拠はないわけではないと思いますが、ありえない話だし、典型的な統合失調症の症状が出てきたように私は感じました。

それと、義父について、こんな事がありました。
義父は診断がおりていますが、
・はじめは内科、精神科、神経科、痴呆など、どこの病院を何度回っても、医者は首を傾げて「何かなんだろうとは思うが、何にも当てはまらない。けど、何かだろう(普通ではない)」と不思議がっていて、診断は何年もしばらく不明でした。

・大学病院でADHDの検査をしてもらい…たかったのですが、ADHDは子供のみの病気だという事で、門前払いでした。

・とある大きな精神科で、1ヶ月程「検査入院」(普段の生活を見るため)すれば、何らか診断がおりるでしょう。と言われ、行った結果、途中では「最初、統合失調症かな?と思ったんですが…ちょっと違うんですよね。経過をみます」と言われ、1ヶ月後は「発達障害」と診断されました。
その時、アスペの知識があったので、
「発達障害と言っても、様々あるのではないでしょうか?」と尋ねたら、
「うーん…もしかしたら、アスペルガーかなぁ?はっきり何とはいえないけれど、それら何かの発達障害な事は間違いないと思います」と言われました。
私はADHDだと思っていたんですが…
とにかく、家族が大変だと理解して下さって、それからずっと入院させています。

・ところが今月、高熱と肺炎を患い、内科に一時転院しているのですが、そこへの紹介状には「統合失調症」と書いてあったのです。
病歴を確認していく際に、看護婦さんに「統合失調症はいつからなったんですか?」と聞かれ、「は?」と思ってしまいました。
診断が変わった事、まだ医者には聞いていませんが、そのうち、なぜ変わったか、聞いてみようと思っています。

でも、以前言っておられましたが、アスペルガーと統合失調症の区別は難しい。医者でもなかなか判断つけれない場合が多い。はっきりした幻聴幻覚があれば、ある程度判断をつけられたり、幼児期からの事を知っている本人以外から話を聞ければ、ある程度は判断つけれる場合もあるが、それも定かでない場合も多い。という事でした。
そして、私自身も、最近はそんなこんながあり、アスペルガー等と統合失調症が、混同して全く区別がつかなくなっています。

以前から、私は定型だったり、自閉のみみとか、ACとか、読んで下さる方はチンプンカンプンの方もいらっしゃるかも知れませんが、更にチンプンカンプンにさせて申し訳ありません!
でも…統合失調症のみみは…とりあえず!勘弁(汗)!
私は、自ら色んな視点から考えたいだけです。(という事にしといて下さい!)

私は、自己、他者、アスペルガー等を疑ったりしている方には、併せて同時に統合失調症の知識も身に付けておく必要性を感じました。
なぜなら、薬で治るものもある…と知りましたし、
先ほども書いたように、私たち家族は兄を責めたりしていませんでしたし、上手に理解もしていました。これでもそれぞれベストを尽くしたつもりです。

私は異文化を否定したいわけではありません。とてもよい表現で、それで対処してうまくいける方もたくさんいるでしょうし、皆さんの意見は、どれも参考になりましたし、今後も参考にさせていただきます。
私は異文化で結果、丸く済まされなかったのです。

そして、アスペルガーと統合失調症は、でもちょっと何か違う…自分が感じた、その違う部分をうまく短文にするには難しいです。

でも、掲示板などを読んでいても、アスペと言え、度合い?タイプ?!いつも二種類?三種類?あるような気がして読んでいます。

パンダさん場をお借りして申し訳ないですが、
出来れば、再度皆さんの意見もお聞かせ下さい。

それと、義父について、こんな事がありました。
義父は診断がおりていますが、
・はじめは内科、精神科、神経科、痴呆など、どこの病院を何度回っても、医者は首を傾げて「何かなんだろうとは思うが、何にも当てはまらない。けど、何かだろう(普通ではない)」と不思議がっていて、診断は何年もしばらく不明でした。

・大学病院でADHDの検査をしてもらい…たかったのですが、ADHDは子供のみの病気だという事で、門前払いでした。

・とある大きな精神科で、1ヶ月程「検査入院」(普段の生活を見るため)すれば、何らか診断がおりるでしょう。と言われ、行った結果、途中では「最初、統合失調症かな?と思ったんですが…ちょっと違うんですよね。経過をみます」と言われ、1ヶ月後は「発達障害」と診断されました。
その時、アスペの知識があったので、
「発達障害と言っても、様々あるのではないでしょうか?」と尋ねたら、
「うーん…もしかしたら、アスペルガーかなぁ?はっきり何とはいえないけれど、それら何かの発達障害な事は間違いないと思います」と言われました。
私はADHDだと思っていたんですが…
とにかく、家族が大変だと理解して下さって、それからずっと入院させています。

・ところが今月、高熱と肺炎を患い、内科に一時転院しているのですが、そこへの紹介状には「統合失調症」と書いてあったのです。
病歴を確認していく際に、看護婦さんに「統合失調症はいつからなったんですか?」と聞かれ、「は?」と思ってしまいました。
診断が変わった事、まだ医者には聞いていませんが、そのうち、なぜ変わったか、聞いてみようと思っています。

でも、以前言っておられましたが、アスペルガーと統合失調症の区別は難しい。医者でもなかなか判断つけれない場合が多い。はっきりした幻聴幻覚があれば、ある程度判断をつけられたり、幼児期からの事を知っている本人以外から話を聞ければ、ある程度は判断つけれる場合もあるが、それも定かでない場合も多い。という事でした。
そして、私自身も、最近はそんなこんながあり、アスペルガー等と統合失調症が、混同して全く区別がつかなくなっています。

以前から、私は定型だったり、自閉のみみとか、ACとか、読んで下さる方はチンプンカンプンの方もいらっしゃるかも知れませんが、更にチンプンカンプンにさせて申し訳ありません!
でも…統合失調症のみみは…とりあえず!勘弁(汗)!
私は、自ら色んな視点から考えたいだけです。(という事にしといて下さい!)

私は、自己、他者、アスペルガー等を疑ったりしている方には、併せて同時に統合失調症の知識も身に付けておく必要性を感じました。
なぜなら、薬で治るものもある…と知りましたし、
先ほども書いたように、私たち家族は兄を責めたりしていませんでしたし、上手に理解もしていました。僅かな時間でも仲良くしていたし、これでもそれぞれベストを尽くしたつもりです。

私は異文化を否定したいわけではありません。とてもよい表現で、それで対処してうまくいける方もたくさんいるでしょうし、皆さんの意見は、どれも参考になりましたし、今後も参考にさせていただきます。
私は異文化で結果、丸く済まされなかったのです。

そして、アスペルガーと統合失調症は、でもちょっと何か違う…自分が感じた、その違う部分をうまく短文にするには難しいです。

でも、掲示板などを読んでいても、アスペと言え、度合い?タイプ?!いつも二種類?三種類?あるような気がして読んでいました。

パンダさん場をお借りして申し訳ないですが、出来れば、再度皆さんの意見もお聞かせ下さい。

みみさん

 統合失調症の方については身近な経験がとても少ないので、本で読んだ知識程度のことしかわからないというのが正直なところです。

 アスペルガーと統合失調症が違うものだ、というのは、私もそう思います。もしかするとアスペルガーの人で統合失調症にもなった、という場合はありうるのかもしれないけど、一応は別のものかなと。

 昔自閉の子(カナータイプ)のことを「小児分裂病」などと呼んでいたことがあったような気がするんですが、人とのコミュニケーションが難しくて「自分に閉じこもった」ように感じられるものを当時は細かく区別できずにおおざっぱに一緒に見てしまったのかなあとも思います。今ではそういう言い方はもう多分しないはずですよね。引きこもりの子を「自閉症」と大手の新聞が堂々と記事で書いていたのもそんなに前の話ではないし、このあたりはほんとに変化が激しく、なか素人はますます振り回されてしまいますね。

 精神科医もいい加減な人はものすごくいい加減だと実際思います。知り合いでも診断を全くまちがえられたまま、薬を与えられ続け、しかもきかないからやたらと薬をとっかえひっかえして、それでも改善しないので、とうとう担当医のお師匠さんに放り投げられてしまった人もありました。で、その結果全然精神病圏の話ではない、ということになって、投薬は終了してカウンセリングに移行。そういうの、いくらでもありそうです。お医者さんは選ばないとほんとに大変ですね(それが難しいわけですけど)。

 異文化という見方で見えてくる部分と、それでは見えない部分があるというのは、私も賛成です。joさんもそういうご意見のように私には読めました。その両者の絡まり合いがちょっとややこしいんですよね、きっと。同じ所と違うところをうまく分けていくことがやっぱり大事だと思います。

 

〉joさん

joさんのコメントは、いつも本当に読んでいて、勉強になります(と言って学習ささってなかったらごめんなさい(汗)。
本を読んでいる(以上かも?)かのように、 身が詰まっています。でも…難しい!でも、ためになる中身が豊富なので、いつも、時間をかけて、書いている事を理解しようとしながら、頑張って読んでいます。

質的な違いに見える少数派のしくみをもった…質的…異質…
確かに私も、非定型が、異質に感じる時があります。(下の方に主人の例が…)また、違う意味で?!自分も異質に見られているかも知れないな…と思うときがあります。
文化の差ではなく、文化習得の得意度の差…そうですね…私もそう思います。それが結果、違いで出る。
だって、私よく驚くんですが、主人との会話…
「明日○○だから、ウチ何時に出る?」
「無視」
「今の話、ちゃんと聞いていてくれてた?」
「ちゃんと聞いてたよー」とすぐ怒る
「じゃあ、答えて!」
「何が?何を?」
「は?さっきの返事!」
「あ…ごめん、聞いてたけど忘れた。何?」「えっ?忘れたの?聞いてなかったんじゃないの?」
「聞いてたよ〜。聞いてたけどいちいち全部覚えている人なんかいないじゃん」
「えー?おかしいよ…」
「お前の方がおかしいよ。もう一回言えば済む話じゃん。何で話面倒くさくするの?何でいちいち固執するの?」とか…(昔は)
毎回これで、これってどっちが変なのですかね…
つまり主人には、聞くという概念すらないのです。
聞いて、よく聞いてね、よーく聞いてもらいたいんだけど…対応、全部同じです。
だから、全てにおいて、こんな感じがします。やはり、文化の前に、異質的な差があると感じます。

上司をどう呼ぶか?のお話も、面白いですね。確かに…あるあると思いました。
TPOとか、暗黙の了解とか、環境の変化とか…ごうに従えとか…そこで非定型は、全員さん付けの会社に行っても、カチンコ頭で○○部長!とか呼んで、変に優越感に浸る人もいれば、自分は部長に、○○さん!と呼んで良いのかどうか不安になったり、以前の頭で、全く周囲に気付かなかったり、様々なんでしょうね。

joさんがパンダさんにレスしていたお話…私には多国籍で知り合いが沢山いますよ。ある人は、日本人妻をもらい、20年位日本に住み続けていて、生粋の日本大好き、日本に惚れたような男性がいるのですが、たまに主人と数名で食事に行きますが、ムリですね…やはりあくまで異文化の人です。だって、いつ見ても顔が黒いんですもの…!!それと、日本語は当たり前に流暢ですが、発音しにくい音や…発声のしかた?!も違うような…「さ」を、「んさ」みたいにしか言えない…みたいな。でも、それらが改善しても、やはり異文化的ですよね。
幼少期からのお国柄が強く出ます。例えば本当はお箸より手で食べた方が絶対おいしい、とか。男の子は絶対にサッカー選手にさせたい…とか。
でも、性格や考え方事態は、私たちと何も変わらず、異文化ではなくなるような気がします。ただ、それでも異文化と感じる所は、女性が男性より強かったり、女性がすごく強い(国が結構ある)、という所かな。
それと、外国人でも、アスペやADHDなどは、日本国内で、どちらも異文化人なのだけど、ちゃんと定型と非定型でくっきり別れてでていると思います。日本人と変わりません。

〉チロさん

こんにちは。
チロさんの意見、これも、私も近いと思います。
2と3(引用できず、すみません) うーん、ここ深いと思いました。
特に3、チロさんはよく気付かれたな…と思いました。読んでいて、確かにそうかも…と思い、だから結局、常に心がすごく疲れてしまったりするんでしょうかね…。

4にきて、当たり前の事なんですが、新発見のように妙に納得。当たり前の事を納得しすぎて、何だか笑ってしまいました。

5と6、私たちは、少しでも、改善を期待したりして頑張ってるけど、私は繭さんが言うOS、WindowsとMacの違いがなんかしっくりきました。
でも、少なからず(1つわかるために、こちらの100以上のパワーが必要な感じ)身に付ける事も可能ではあると思いますが…

チロさんも色々と頑張っていると思います。私はDVあり以外、基本的に離婚には反対派ですが、最近になって、DVとモラハラは、本当に同じなんだなぁ…とようやく思ってきました。私はモラハラを知ってるようで、知らなかったのです。モラハラをモラハラだと思っていない自分がいました。

まだお子さんも小さいし、以前、ksさんがいうように、離婚だって立派な大仕事です。
以前、努めていた職場を辞めたい時があり、信頼できる上司に相談したところ、叱られる!と思っていましたが、
「辞めれる人は羨ましい…。辞めたら不利になるし、次の保証も確実にはないから、みんなビクビクしながら会社にしがみついているのに、辞める事を考える…って事は、自信がなくてはできないし、すごい勇気ある事なんだよ…」と言われ、キョトンとしてしまいました。(以前どこかで書いたかも)
私は、自信も0で、勇気もなくて、先の事はあまり考えず、ただ辞めたいし、辞める事を考えていないみんなはいいなぁ…羨ましいなぁ…と思ってたのに…人の解釈は様々なんだなぁ…と思いました。
私も上司のように、チロさんやksさんを見ていると、そう思ったりします。

離婚を選ばない人も、選ぶ人も、同じという事ですね!共に頑張りましょう!

〉パンダさん

実は…文章をまとめるのに苦労して、昨日ほぼ1日、パンダ宅に滞在してしまったみみです。
書き溜めしてしまいました。
パンダ節も微妙に移ってしまいました。

文化のお話ですが、パンダさんは韓国の友人がいる…という事で、私は韓国の知り合いの方は、いないのですが、国によってまた性格など違ってきたりするかも知れませんね。楽天的とか、まじめとか。

国柄の気質、法律や宗教なども大きく絡んでいたり。

ちなみに、今回の震災で、東北人は辛抱、我慢強いので、頑張って乗り切ってほしい!みたいなのが、よくテレビにでていたようですが、個々には、実際は色んなタイプの人がいるのですがね、確かに…関西人などから見れば、「東北人」は、そう見えたりするかもしれませんね。
joさんのいう、カテゴリーも、分け方で全く変わってきて、面白いです。また、昔はよく関西に行きましたが、やはり、行くと、異質さを感じます。異質なのは、言葉や全てが新鮮だからですかね…
窓から外の景色を見て、お〜と思って、新幹線を降りて、売店で何か買って「おおきに」と言われた瞬間、ん?なんか変…異質感になります…なんか、嬉しいけどしっくりこないけど、嬉しかったり…。

統合失調症については、私ももっと勉強してみますね。違いについて、パンダさんが知っている事や、わかった事があれば、また教えてください!

〉KSさん

お久しぶりです。
どこかでカレンさんも書いていましたが、私もKSさんは、いつも素敵な女性像が浮かんできます。例えば「スーツが似合う世界をまたぐキャリアウーマンで、実生活もそれなりにこなして自立している」女性のイメージがあります。ACと聞いて、えー?そうだったの?って思いました。
勝手な私のイメージなんですが…その裏には、KSさんの努力がたくさんあるんだなぁ…と心から思います。KSさんが色々情報を発信してくれなければ、KSさんは私の中で、「自立したしっかりした強い女性」のような観念で通ってしまったかもしれませんが、心や気持ちは、強いとか弱いとかではなく、みな同じと実感しています。

文化の話じゃなくてごめんなさい。
自分を満たすために、他人に「やってあげたり」…私にも自覚がないまま、またはそれは素晴らしい事だと勘違いしたまま、そんな事をやってきた事がたくさんあると思います。それで、私は素晴らしいと優越感にひたったり、当たり前に見返りを求めていたりしたら、相手からしたら、ただの迷惑…要らぬ事ですね。
それは、ちょっと、今までのうちの場合のアスペ主人とAC妻の関係とも似ている感じもします。
だいぶ前には、見返りを求めるのはいけない!と気付いたのですが、今度は見返り求め無しでそれをやっていました。
それも間違いですよね。相手には、心の負担は残りますからね…難しい…けど、
私はこれから、頑張って肝に命じていきますね!
ACの話題が出ていた時に気付いたんですが、私の場合は人に対する「好意、優しさや思いやり」に対して、「自分の身を削ってまでやる事」で初めて「発生」する事だと、ずっと思っていました。それが、当たり前、誰もがそうだ(そうでなければ優しさじゃない)…と思っていました。
心、お金、気持ち、物…全てに対してです。
AC、過保護の特徴でしょうか?
自分が身を削る(被る、不利になる)→その分相手にいく、みたいな。
だから、私は身を削って優しい、みんなは冷たい…あなたもそうするべき!とかね、考えれば、私はなんとおばかだったのか…ただの傲慢なお人好し?などと思われて当たり前…トホホです。
これでは、傷ばかり負って、相手には迷惑がられて、良い事一つもなく、傷ばかり残ってしまいます。まず自分を満たしてから…ですね!ようやく実感してきました。頑張ります!
まだ主人(アスペ)の事でお話したい事があるのですが、またあとで、お付き合いください!

〉繭さん

繭さん、こんにちは。
まだ義父が内科に入院中で転院のめどが立たないし、ゴタゴタ中ですが、書き溜めしてしまいました!
私も繭さんのパソコンのお話、Windows多数派、Mac少数派、外見、性能、などぴったりきました。
繭さんて、発想が豊富でとても面白いですね!感覚として、お部屋から繭さんの身体がはみ出して出ちゃう時があるんですか?!
私の場合は、繭さんが風船みたいにどんどん膨らんで、はみ出しちゃったのを想像して、面白いです!でも、なんとなくわかります!私も今、引っ越しのため、部屋を一部屋づつ整理して空っぽにした所にお布団をしいて寝ていますが…なんか、見方によっては…白い壁と私が異様に一体化して、私は壁…私は部屋…みたいに感じました!(壁と同じ真っ白な服を着たガリバーが小部屋で暮らしているような…)

私は繭さんのお写真も好きですが、最初のほうの喜劇の感想も大好きです。
私は喜劇はあまりみた事はありませんが、繭さんの感想や文章がとても嫌みがなく、まとまっていて、本当に面白いです。
喜劇はわからなくても、ああ、喜劇ってこんなに面白かったんだな!ってストレートにこちらに伝わってくるんです。私は喜劇の感想を書いている時の繭さんのイメージが大好きなんです。
繭さんの感覚や気持ちは写真達のように感じます。でも不思議!喜劇じゃなくても、やっぱり言葉が何行かつくと、写真のイメージも変わってきます。(一枚の中で、私が見る所、目の行き場、感想が違ってきます)言葉の大切さ?不思議さを感じます…

でも…しつこいですが、繭さんはASなんでしょうか?謎です。
私自身、ずっと、どういうのがASなのか、わからなくなっていますしね。
同じアスペにしても、写真や、お部屋のお話等からの、感覚の違い…それらも、端からみれば、異質に感じる人もいるかも知れませんが、異質とは変わった、悪い、嫌な、事だけではないと思います。
異質…びっくり!、新鮮…とか、私はそういう感じで繭さんの感覚に関しては異質に感じる時があります。ぜんぜん素敵で良いと思います。
ただ、主人の話の流れ方…内容?!などに関しては、変な、あまり気分の良くない独特な異質さを感じます。
なんか変ですね!

みみさん
お久しぶりです。きっかけがしばらく書き込みがなかくて、どうしてるかな?と思っていんですが、お兄さんのこと、大変でしたね。私には想像できない色々な思いがあると思います。統合失調症については、私も病院でちょっと会っただけの人ですが雰囲気がアスペっぽいと感じたことがあります。アスペの定義自体、私の狭い見聞でそう思ってるだけではありますすが。みみさんの問題提議は貴重だと思います。

すみません。お久しぶりですの次の「きっかけ」の部分は、みみさんにご挨拶するきっかけがなくて今頃になってごめんなさい、と書こうとして変になってしまいました。

みみさん

> パンダ節も微妙に移ってしまいました。

 あ、なんか私のオッサンギャグとか、どうやら伝染性らしいです。そういえばこのブログでは控えてる方だけど、それでも感染するんですね。どうぞお大事になさって下さい。社会不適応を起こします (^_^)

> 文化のお話ですが、パンダさんは韓国の友人がいる…という事で、私は韓国の知り合いの方は、いないのですが、国によってまた性格など違ってきたりするかも知れませんね。楽天的とか、まじめとか。
国柄の気質、法律や宗教なども大きく絡んでいたり。

 いやあもう、こんなに違うのかとw(゚o゚)wです。
 以前外国の障がい児の施設を見せていただいたことがあるんですが、子どもの姿が全然違うんですよ。自閉(カナータイプ)の子でもまったく様子が違う。びっくりでした。そしたらたまたまフランスの話も聞く機会があって、やっぱりフランスでも全然日本と違うんですって。もちろん「自閉」というのは分かるんですけどね。でも全然違う。

> 窓から外の景色を見て、お〜と思って、新幹線を降りて、売店で何か買って「おおきに」と言われた瞬間、ん?なんか変…異質感になります…なんか、嬉しいけどしっくりこないけど、嬉しかったり…。

 はじめて大阪駅に降りて改札の人になんか尋ねたとき、答えてくれたんだけど、なんか怒られているように感じてちょっと怖かったことを思い出します。今は全然ですけど。

> 統合失調症については、私ももっと勉強してみますね。違いについて、パンダさんが知っている事や、わかった事があれば、また教えてください!

 なんか統合失調症っていっても、すごくいろんなパターンがありますよね。私が直接お会いしたことがある統合失調症の方三人ほどを思い浮かべてみても、みなさん全然違いますもん。話してたら急に「おお、今妄想が見えてきた!」とか言い出す人もいたし、初めて会ったのに、にこにこしながら顔を寄せるように至近距離に迫ってこられて、こっちが息苦しくなって後ずさりしたらまたぐーっと迫ってこられて、みたいな、この方とは会話はしませんでしたけど、そんな人もありましたし。それこそ寝転がって体を硬くして全く動かないような感じになって何時間でもその姿勢を続けたりする人もあるとか聞くし、ほんとに分からないです。それこそものすごくそれぞれに個性的なのかも。

 ああ、でも今は統合失調症は脳の神経物質との関係とかはある程度見えてきてるみたいで、そのせいで少なくとも早期から投薬すればかなり効果のある薬が出てきてますよね。すべてのタイプに効くのかとか、どの程度効くのかとか、あんまり詳しいことまでは知りませんけど。そうすると、アスペルガーの人にその薬が効果があるかどうか、というのはひとつの区別の仕方になるかも知れないですね。その辺はみみさんの方がお詳しいそう。

みみさん、こんばんは。

お引っ越し準備や、お義父さまのことなど、お疲れさまです。
小部屋のガリバーみみさんの様子、想像してしまいました(笑)

喜劇の感想を、楽しんでいただけて嬉しいです。
お芝居は、時折見に行っているのですが、なかなか感想がまとまらなくて、後で書こうと思っているうちに、書くことを忘却…という風になってしまっています。
また楽しいお芝居を見たら、書いてみますね(^ ^)

それから、写真のコメントを沢山ありがとうございます。
もさもさとか、にょろにょろとか、苦手な方にはびっくりさせてしまっていますね(^ ^;

みみさんが書かれていること、ひとつひとつ考えながら、読ませていただいています。
また改めて、コメントさせて下さい。

統合失調症は、一時期、自分の可能性を考えたことがあります。
身近な知り合いに発症・診断された人がいて、特徴的な症状(幻覚・幻聴)を知った時です。

私が幼い頃~大人になっても、頭の中で自分ではない人の声が聞こえていたことと、視界の二重写しのような感覚があったこと、常にある、意識に張った膜の感覚が主に不安の材料でした。

結局、「声」は自分で現実の音と明確に区別できること、視界の件も幻視とは違っていることがはっきりして、ほっとしました。そもそも、自分で病識を持てないことが多いらしいので、その時点で少し安心して良いのかなとも思います。
精神科には定期的にお世話になっているので、怪しかったら、きっと医師が気付いてくれるだろう…という希望的観測もあります。

みみさん

私の異質さを、良い方で受け取って下さっていること、とても嬉しいです。
でも多分、現実世界でやりとりをすると、良くない方も沢山見付かると思います。
アスペルガーかについては、診断を受けないと分からないことなので、どう受け取ったものか、考えてしまいました。

私にも、みみさんのご主人のエピソードのようなことがあります。
意識が他に向いている時、一生懸命聞いているけれども音を追うので精一杯になった時、疲れている時などに、音としては聞こえているけれども、意味が読み取れなくなります。

私には、「自分は劣っている」という意識がこびりついているので、相手から問題視された場合は、自分に問題がある可能性を、まず考えます。それでも納得できなくて、「お話し合い」になることも多いです。
みみさんのご主人との違いは、「異質さ」ではなくて、それをどうフィードバックするかの違いが大きいのではないかと思いました。

私のやり方は、表から見ると、摩擦が起きにくい方法ですが、実際には自己否定感に基づく考え方なので、私の中でそれが堆積して行きます。そのバランスをもう少し、中間地点に移動させたいと思っています。
反抗期です(^ ^)

アスペは本当に人の誠意を踏みにじる行為を平気でします。
アスペだだから、、、と思っても何度も何度もやられると、正直
心ははなれます。「アスペから見て定型は、、、」などという
詭弁は通用しません。

?さん

 大変ですね……。

 いただいたコメントをパートナーに紹介したら,
 「そういう見方は普通のことでしょう」と言っていました。
 私もそう思います。

 またなにか新たに考えることがありましたら
 ぼちぼちコメントしてください。 

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