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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年5月12日 (木)

アスペルガー的共感?

 これはパートナーに聞いてみてちょっと分かってきたことで、果たしてどの程度アスペルガーの方たちに共通することなのかはなんとも言えないんですが、前から頭の中にごちゃごちゃしていてよく分からなかったことがひとつ整理されてきた感じがしています。それはアスペルガーの人にとっての共感の問題です。

 相手の人の喜びが自分の喜びになったり、またその悲しみが自分の悲しみになったり、というのは共感的な関係ということでしょうし、そういう関係にある間柄の人はかなり深いつながりを持っていることになる、というのがまあ定型的には自然に感じられることだと思います。自分の喜びや悲しみに寄り添ってくれる、ということが生きることの支えになったりもする。

 だから、「あなたが幸せなら自分も幸せに感じられる」「あなたが嬉しそうにしているときは自分も嬉しくなる」「あなたが悲しそうなときは私も悲しくなる」「あなたが苦しそうにしているのを見ると、自分もつらい」というようなことばをかけられることは、定型的には嬉しいし、支えられる思いにもなるし、逆に言えば自分から相手にそういう言葉をかけるときは、「自分はあなたのことを本当に大事だと感じている」という意味にもなりますよね。

 ところが、少なくとも私のパートナーはこの辺の感覚がうまく共有されません。ぴんと来ないようです。どうしてそういうふうになるのか、分からないと言います。で、そのあたりも「共感性がない」とか「人の気持ちが分からない」と言われたりする原因になるのでしょう。

 でも、たとえば自分が相手のために何かをしてあげたとき、相手がそれで喜んでくれたら自分も嬉しい、ということはパートナーはちゃんとあると言います。彼女は福祉関係の仕事をしていますから、必要なケアをして、そのことで喜んでもらえたら、それは嬉しいんですね。自分のせいで相手が苦しんだり悲しんだりと言うときには、そのせいで苦しむと言うこともある。

 これも相手の人と感情を共有する、という意味では共感的とも言えそうです。もしそうなら「共感性がない」という言い方は出来ないことになるのかもしれないし、基本的に定型と変わらないじゃない、ということになるかもしれない。

 また、アスペの人は相手の感情を理解するのが難しい、ということもよく言われると思うのですが、私のパートナーなんかは小説も好きで、とても良く読んでいます。私はなにしろ教養不足なので (^ ^;)ゞ、小説には(にも)疎いんですが、ロシア文学とか、イギリスのオースティンという作家の描く人間模様とか(私はその超有名らしい作家さえちっとも知らなかったので子どもにめちゃくちゃあきれられましたが)、そういうのもよく読んでいます。

 ある時私がトルストイのアンナカレーニナの映画版をDVDで見て、そのあらすじのあらすじ(もう身も皮もない骨だけのもの、というか、骨の中でも背骨しかないようなもの)を話したら、原作を何度も読んでいるパートナーに「そんな身も蓋もない言い方ないでしょう」というような感じで笑われるというか馬鹿にされるというか、そんなふうにもなりました。

 小説の人間模様を楽しむなんて、登場人物の感情の理解抜きには成り立たないと思えますから、ここでもよく分かんなくなっていたんですね。アスペルガーだから人の感情が理解できないという単純なことでもない。

 まあ、どこまで入り組んだ感情を理解するのか、という見方をすると、それはそれでまた違いが見えてくるということもあるのでしょうが、まあでも小説の中の人間模様を楽しむという、私はあまり得意でないことも楽しめたり出来るわけですし、その辺もあんまり単純には言い切れない感じがする。

 というようなことで、頭が混乱してたんですね。違うのはきっと違うと思えるんだけど、何が違うのかがよく分かんなくなってしまう感じで。

 そこが、今回パートナーと話をしていて、パートナーのこんな言葉から自分なりにすっと整理できた気がしたんです。「相手の人がなんで喜んでいるのか、その理由が分かるときは自分もそれを喜べることはある」というんですね。逆に言うと「何でなのかわからないけれど、とにかく相手が嬉しそうにしている」と言うときに何となく自分も嬉しい感じになる、というようなことはないことになります。そして極めつけは「小説は登場人物がどうしてそういう感情を持つのか、理由が分かるから共感できる」という言葉でした。

 どちらもポイントは「理由がわかるかどうか」というところです。定型の場合はあくびが伝染するように、感情が伝染してしまうことはしばしば経験することだと思います。そしてそのことが人間関係を維持したり深めたりする上で大切な働きをしている。そこで伝染せずに冷静さを保つことは逆にちょっと努力が必要だったりもする。その上で、理由が分かればさらに共感が深まったり、あるいは微妙な色合いまで含めてちょっと「複雑」な共感になったりも出来る。それに対して、少なくとも私のパートナーの場合は、まずは理由が大事なんですね。訳の分からない感情の伝染ではなくて。

 この問題についてはまだちょっと糸口が見え始めたかな、という程度ですけれど、このあたりを考えていくと、定型とアスペの間の「それなりの」共感的関係の作り方、みたいなことが何か分かってくるかも知れないなと言う気がしました。

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コメント

「タイタニック」なんて、「客船が沈没、はい、終わり!」ですね。その手の冗談みたいな動画いっぱいありますよ。「… in 5 sec」で…に作品名を入れて動画検索しましょう。

冗談はさておき、今回のブログを読んでいて、わいてきたイメージを書きますね。架空ですからね、あくまで。

文学の大学教授(??歳、女性)、加山リカみたいな眼鏡かけてて、美人だけど、ちょい冷たい感じで、講義では、『登場人物の感情の理解』して『人間模様を楽しむ』なんて、教えているんですね。読書好きの学生なら自然に湧いてくる感情も、いちいち理由で理解して、できない学生にも分からせてやるような。それで、この先生、私生活……ご想像にまかせます。アスペだったりして。境界性だったりして。

(ああ、なんて素敵な、感情の機微をそこまで理解して、きっとこの人とだったら…)なんて全然誤解して好きになる男もいたりする。一緒に暮らして10ヶ月ほどしてから、ココロが鉄でできてたことがわかる。なんてね。なんかいかにもありそうでしょ。

療育所で自閉っぽい子供らを見ててわかったんです。この子たちの「経験」ってものすごく限定的なんです。見てる範囲がせまいです。専門家と一緒に丹念に癇癪のもとを探っていくと70%ぐらいは私にも納得できたんです。だから対処法もある程度はさぐることができた。でも30%ぐらいは、フツウの人(私!)には理解不能です。だから自閉傾向のある人は、抽象という知的作業において独特な物の見方ができ、それがコダワリのもとであり、成功の鍵ではないのかな。社会の軋轢を超えて成功まで辿り着ける自閉傾向の人はほんの一握りだと思います。大半は苦しむ方が多いだろうと想像に難くない。でもどの人も環境との相性により一握りに入れる可能性はあると思う。

さっきの架空の大学教授も、感情の機微が本の中に収まってくれてる以上は、ほぼ完璧に理解できるんだと思います。処理速度が遅くても読み直すこともできるし。でも、実際に実生活の中で他人の表情や感情をリアルタイムで処理して、自分の行動につなげるのは、次元が異なる。練習したら経験つめばできるようになるのか、他の障害と同じで、生まれつきにできない人もきっと一定数いるでしょう。しかも、それが少しの意識の負担でできて、一晩眠れば毎朝リフレッシュできれば、蓄積した奇妙な性格にはなりにくいのかな。それは結局、本人が納得して知識の中に組み込むことができたかどうかということかなぁ。

「理由がわかる」につながるキーワードは「自動的」ではないですか。自閉症の自伝を読んでもわかるように、努力すれば全然できないわけじゃない。実際、1年やそこらは我慢して、できるふりをすることができたりする。じゃ自動的にできているのかというと、そこは最終的に適応してしまえる人みたいに「自動的」にやってるのじゃなくて意識して「好ましい」と思われるように「見せかけ」ている。だからフツウよりずっと疲れるし、不満は溜るし、でも本人は「見せかけ」てる意識してないし、自然に「自動的に」やってると思い込んでる(未診断、未自覚の状態)。診断がついたり自覚できてる自閉さんは、自分の感覚フィードバックをもう少し客観的に観察して、「今日は人に優しくしたので、『しんどい』はずだぞ、休まなくっちゃ」とか調整できるようになってるんじゃないですか。ニキリンコなんか読んだら、そんな感じがしましたが。

誰でも仕事上でやってることですよね。家庭でそれやるのがしんどいのかな。家庭が安全地帯になりづらいことが一番苦しいのかな。

対処法の中に、引きこもりとか、一時的な社会との断絶とかを含めて『克服できる』という希望があるような気がする…すごい逆説的ですが。

○○さん (すんません、お名前無かったんで)

 5分版タイタニック、感動しました!
 しんぷる伊豆ビューティフル。

 自覚の話とか、すごいポイントのような気がやっぱりしますね。

> 対処法の中に、引きこもりとか、一時的な社会との断絶とかを含めて『克服できる』という希望があるような気がする…すごい逆説的ですが。

 引きこもりって、実は前向きな行動になる可能性をすごく秘めているんだなっていうことは私もそう思えたりします。ま、私も今ある意味引きこもり状態とも言えるので (^ ^;)ゞ

 ○○さんの「克服できる」ということの意味とうまく重なるのかどうか、まだよく分かりませんけど……

パンダさんの奥さんは文学作品を読まれるんですね。私はオースティンを読んだことないのですが、評判などを聞いて知っていることだけで言うと、心理や行動の意味がちゃんと描かれているのではないでしょうか?それと、何が善であるかはっきりとした最終的な価値判断が前提になっているのでは?間違ってたらすみません。
ひよっとして奥さんは村上春樹、江国香織などは苦手なのでは?村上春樹なんて研究本もあるくらい解釈が分かれるし、私もよく分かりません。でも、あの雰囲気を味わいたくて読むことがあります。ひらがなが多くて読みやすいのに立派な文学を読んでる気になれるというのもありますが。
私の夫のことを思い出すと、交際中私がグスグズ泣いてばかりいる頃珍しく私が嬉しそうにしたとき「チロが嬉しそうだと俺も嬉しい」と言ったことがあります。また友人の結婚式でもらい泣きしたこともあります。
けど生活の中で私が暗い顔をしていても夫は楽しそうで、結婚生活を振り返って夫自身が「チロは辛かったかもしれないけど自分は楽しかった。」と言いました。
私は休日には子供と三人で出かけたり団欒したりしたかったのにいつも夫は面倒臭そうで、私が「疲れても寝てばかりじや人生楽しめないよ。自分から楽しむ努力しないと。」と説教したら、夫は休日に友人と釣りに出かけることにし、出掛けに「俺が楽しそうだとチロも嬉しいでしょ?」と。一緒に楽しむ努力をしてほしかった私は「へっ?」となりました。
私なりに立ててみた仮説です。アスペの人が相手の喜怒哀楽に共感するかどうかの条件
1、相手の喜怒哀楽に気付くかどうか
2、相手の喜怒哀楽に自分が関わっているこてが明らかかどうか
3、相手の喜怒哀楽の理由が納得できるものであるか

決めつけはダメですけれど。

チロさん

 パートナーに聞いてみましたが、村上春樹と江国香織は読んでないそうです。特に理由があって読んでないと言うことではないということで、今のところよくわかりません。

> 交際中私がグスグズ泣いてばかりいる頃珍しく私が嬉しそうにしたとき「チロが嬉しそうだと俺も嬉しい」と言ったことがあります。

 というところ、たしかアストンさんの本だったような気がしますが、アスペルガーの夫は恋愛中にはすごく相手を喜ばせようと頑張ったりするんだけど、結婚してしまうとがらっと変わる(ことが多い?)ということを書いてあったように思います。もしかしてそのパターンなんだろうか?

> また友人の結婚式でもらい泣きしたこともあります。

 これは上の話で言えば「理由が分かっている」という状況になるのかもしれないですね。私のパートナーも映画を見て泣いたりとか、そういうことはあると言いますし。

1、相手の喜怒哀楽に気付くかどうか
2、相手の喜怒哀楽に自分が関わっているこてが明らかかどうか
3、相手の喜怒哀楽の理由が納得できるものであるか

 この共感の三条件、三つそろわないとだめ、ということではないのですよね?多分。
 たとえば映画や小説に共感するのは、2はないけど3はあるということなんだろうし、相手に喜んでもらって嬉しいというのは1と2だけど3は無くても良いかもしれないとか。

 このあたり、アスペルガーの方から見てどう思うか、ということも大事な気がしています。

昨日は思いつきでコメントして、後から考えるといろいろ矛盾してました。共感の条件はアスペじゃなくてもあてはまりますね。もっとよく考えるてみます。
村上春樹と江国香織は、私の少ない読書の中で「えっ?それで?」と思ったものです。アスペなら余計にそう思うかな、と。私は「それで?」と思ったままの状態も嫌いではないのですが。

昨日はまた夫と話し合い。特に進展なく、ブログもここのように建設的ではないのですが、自分の記録のためと何らかの参考になればと思い、記事をアップしてます。よかったら読んでくださいね。自分の未熟さや利己主義な所は恥ずかしいのですが、自分をよく見せようとしたり自分を買い被ると、また同じ失敗しそうだから、身の丈でやってます。

夫の共感の仕方・子どもへの対応等々、いろんなことを考えていました。

共感の仕方については、私から見た夫のそれと、パンダさんの奥様・架空の女性大学教授とはほぼ同じなのではないかと思っています。

そして、子どもたちが小さい頃は、

子どもたちがまだ自分では言葉にできない感情を、私が間に入って夫に説明することになり、そこで「なんであなたには、子どもたちが口にしてもいないことががわかるわけ!」と夫が怒り(と、当時は見えていた)、そこからよく喧嘩になっていました。

・・・で、ここで何が言いたいのかと言うと、

感情の理由がわからないと、夫は共感ができていなかったし今でもできていないのだとは思うのですが、

基本的に、夫は情が深い人なんですよね。なので、理由さえわかれば、本当に真摯な対応をしてくれる。

言わないとわからないけれども、言えばとても一生懸命にやってくれる(ここでも、Yes / No は、はっきりしていますが)、生活の脈絡の中でいったん意味をいったん納得しさえすれば、その後はそれこそいちいち言葉で説明しなくても伝わる・・・

そんな感じです。

そして、私は今考えみると、夫が子どもたちに対して深い愛情を持っていることや、夫が子どもたちにとって大好きな父親であるということは、どんな状況にあっても、いつも確信に近い形で感じていました。

なので、子どもたちが中学生の頃までは、健康面や身の安全に関して(その延長線上で精神面に関しても)ハラハラすることや腹が立つことがありましたが、「夫に子どもはまかせられない」とか「私が育てた方がいい」とかいうことは、ほとんど考えたことがないような気がします。

「夫も私も、それぞれにこんなに子どもたちのことを思っているのに、なんでいつもすれ違うんだろう?」「なんでこんなに、子どものことを思えば思うほど、夫と私は喧嘩になるんだろう?」・・・

そんな謎を解いてくれたのが、「アスペルガー=私たちにとっての福音」だったということです。

今では、子どもたちそれぞれに、「これは父親」「これは母親」「これはどちらでも」とかいう頼り分け(?)ができていて、夫と私も、「これは自分が」「これは相手が」「これは2人で」という役割分担ができてきました。

よそのご家庭の個々のケースについてはわかりませんが、「アスペルガー」の部分も含めて、「夫はいい人だなぁ」と思うことの多いこの頃です。

(すみません、自分の家庭のことをこんなふうに言うのは、日本の中では一般的なものではないのだと思いますが・・・。)

チロさん

 ブログ(http://ameblo.jp/chiropuppy/)の最新記事を読ませていただきました。
 社宅のこととか、離婚後のチロさんの生活費のこととかが話題になったようですけれど、相手の方もなんだか自分の気持ちを整理するのに苦労されているのかも知れないですね。アスペルガーの人はそこがとても苦労することが多いようでもありますし。その中で、お子さんをチロさんが引き取られることについては何も言われなくなったというのは、ひとつ整理が進んだということなのでしょうか。もしそうなら、ゆっくりとでも前に進んでいるのかも知れないと思いました。とはいえまあ即断は出来そうにないですけれど。
 チロさんの利己主義的なところとかは読んでいてあんまり気がつきませんでした。相手の方が離婚後のチロさんの生活費について心配されているようである(のに、それに見合った心配を自分はしていない)とかいうことでしょうか。うーん、それだとすれば、それは利己主義と言うことになるのかなあ。そこだけだとちょっとぴんときませんでした。
 何時までに、という期限が明確に決まっていることとは違うのでしょうから、なんだかゆっくり一歩一歩という感じになるのかも知れないですね。

カレンさん

 カレンの夫さんが情が深い人だ、という話、ああそうなんだ、となんだか妙に納得しました。なんか「口べたで、感情表現が苦手で、でも実は情が深くて」というのは、古典的な「日本男児」みたいな雰囲気が漂いますよね。そしてカレンさんとの夫婦関係については「もう幸せな結婚生活は無理だ」とあきらめ、それには黙って(?)じっと耐えながら、子どもさんを深く愛して……。なんか格好いい。高倉健風?

 たしかにそうなら「離婚」にまで至らずに来られたのは分かる気がします。

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