2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 真面目な変人とアスペ夫妻 | トップページ | 共に生きる »

2011年5月 1日 (日)

相手が「アスペ」に見えるとき

 なんか世の中連休ですが、チロさんのコメントで「結婚したことで、私の定型、夫のアスペがくっきり見えるようになった感じです。」というのがあって、これは深いぞ! と思ったんで、なんか書いてみようかなと思います。

 チロさんは、「私もやっぱり真面目で、仕事では完璧主義と言われます。嘘をつくのが苦手だったり、派閥とかの状況を読むのも下手。変わってるとか天然と言われることも。」ということで、今度からは天然チロさんとお呼びすべきか迷っていますが、それはさておき、やっぱりちょびっと、うっすら自閉系にも思えるじゃないですか。この感じ。「天然」は違うかも知れないけど、そのほかかなり私とも似てるとこあるし (^ ^;)ゞ

 で、学生時代とか、発達に遅れのある子どもたちと接する機会が比較的多かったときに、回りの友達とか見てても面白いことがあったんですね。なんていうのか、「気の合う障がいのタイプ」みたいのがあって、なんかいつも話が落ち着かない友だちは多動の子が好きだったり、ゆったりした友だちはおっとり系で社会性たっぷりのダウンちゃんが好きだったり、そんなのがあったんです。で、私はというと、孤独な(?)自閉系の子がなんとなく好みだった。

 類は友を呼ぶ、というのか、なんか自分の中にもある傾向を、すごくはっきりした形で見せてくれる子に、なんとなく親しみを持ってしまうのかも知れないですね。で、その部分でもし自分が多少なりとも苦労している、という実感があったりすると、その性格で「障がい」と呼ばれ、社会的に苦労しているとか、不利な立場に置かれているように見える子どもに対して、思い入れが出来て共感してしまうとか。なんか、そんなことがあるのかもしれません。

 joさんは「釣鐘4分の1」理論でこのあたりを説明されているのかなと思ったりもするんですが。

 これ、もしかすると前もどっかに書いたかも知れないけど、パートナーの選び方の一つに、自分と大事なところで共通点を持つように感じられつつ(これは安心の素?)、でも自分にはない正反対のものを持っている人(これは魅力の素?)、みたいなことが結構あるように思えるんですが、ま、まだつきあって初々しい頃は、そこでハッピーに行けたりもする。

 でもそのうちに段々と生活上のいろんなことを共にするようになって、ある意味利害も対立するようなこととか、お互い譲れないような所とか、そういうこともなんだかんだと積み重なって、特にそれがしんどくなってきたときに、最初に書いたチロさんの深い言葉「結婚したことで、私の定型、夫のアスペがくっきり見えるようになった感じです。」ということが起こるんじゃないでしょうか。

 これ、やっぱり異文化接触の時にも同じようなことが起こるように思えるんですね。自分の体験から言って。最初は似てる部分も感じて共感したりしてるけど、いざその文化の中で暮らしてみると、あまりの違いにびっくりしてしまって、今度は逆に正反対の見方でお互いを特徴付けたりするようになる。前も書いたけど、私なんか海外に仕事でちょっと暮らしたときに、「俺って外れもんの、だけど<日本人>だなあ」としみじみ思いましたもんね。外れ方自体が日本的なんだなあというか。これはちょっと驚きでした。それまで自分は「ぜんぜん日本人的でない!」と自他共に思ってましたもん。

 で、joさんがコメントで「それまでは、他のまちがった??解釈をしてしまっていたり(男だから、女だから、とか---いや、実はそうかも知れないんだけど----)、得体の知れない怖れにおののいていたりするんですけど。ああ、そうだったのかと、ストンと落ちて整合に至る。」と書かれているように、なんかそういう新しい見方をすることによって、「ストンと落ち」るものがあって、それで一気に気持ちが楽になる部分が出来たりするんですよね。

 で、カレンさんの所もそうみたいだし、うちもそうですけど、その「新しい見方」がパートナーとの間で共有されると、そこからまたさらになんだか大きな変化が実際に起こり始めたりする。それが好ましい方向に行くのかどうかはよくわかりませんけど(何が好ましいのかもよく分かりませんけど)、とにかくお互いの関係に変化は起こる。

 なんかアスペと定型の問題って、そういうややこしい、ある意味ダイナミックな変化の連続、みたいなところが大事になるんじゃないかなと、ちょっと実感し始めてます。何がどう大事なんか、と聞かれると、そんな難しいこと聞かれても、わてアホでっさかい…… (^ ^;)ゞ

« 真面目な変人とアスペ夫妻 | トップページ | 共に生きる »

コメント

はじめまして。30代の主婦です。一応定型です。
アドバイスがいただけたらと思い書いています。
未診断ですが、おそらく夫がadhd,アスペルガー(受動型)。小学生の娘がやはりアスペルガー(受動型)。結婚して、いろいろなズレと主人のadhdの渦に巻き込まれ、疲れてしまい、1年目で私がうつになりました。1年間のカウンセリングで何とか回復しましたが、その後も8年間違和感の理由が分からず、夫婦共に悩んでいました。夫はとても優しくいい人ですが、自分の気持ちや他人の気持ちが分からないといいます。8年目にしてadhdが分かり、アスペルガーも持っていることがつい最近分かりました。ようやくこれまでのお互いの辛さの原因が分かり、ほっとしたり、考えさせられたりしているところです。
 
前置きが長くなりましたが、ご相談と言うのは私たちの友人の女性のことです。多分彼女もアスペルガーの受動型と思われます。彼女と知り合ったことがきっかけで、主人や子どものアスペルガーに気が付いたのですが、彼女自身はまったく自覚がないようです。彼女といっしょにいるとおかしなズレを感じ、ずっと一緒にいると心が病んでしまうと感じ、距離をおくようになりました。実際、彼女と関わった人が3週間で、ストレスで疲れ果ててしまいました。基本的におとなしくとてもいい人なのですが、会話がずれたり、感謝の言葉が全くなかったり、ときどき理解できない行動をとったりします。

彼女は結婚をのぞんでいるの人がいるようなのですが、結婚で大変苦労している私としては、彼女が自覚しないままに結婚してしまっていいのか、アスペルガーのことを教えてあげたほうがいいのだろうか、と気になり、悩んでいます。(主人は関心がない様子です)

おせっかいと思われるかもしれませんが、他人事と思えず、もんもんとしています。

もしも彼女に本を紹介するとしたら、どんな本がよいでしょうか。彼女にショックを与えず、彼女のプラスになり、またアスペルガーと自覚できる・・・。

自分たちのことでいっぱいいっぱいのはずなのですが、気が付くきっかけとなった彼女のことも気がかりです。

アドバイスくだされば感謝です。


 

プルーンさんへ。
私も友人の息子さんに対して「あきらかに受動型のアスペルガーだよなぁ〜」と確信をもっています。
それも二人の友人のそれぞれの息子さんにです。
今現在、私が身元保証人になっているアスペルガーの友人(積極奇異型)も、6年前会ったとき、私だけが異変を感じたのに対して周囲の人や昔からの友人は「そういうキャラ」だと思っていたので、当初は私が皆に「障害だなんて、とんでもない事を言うな」と非難されました。

当事者が自覚なく、今現在、生活や人間関係で悩んでいないのなら、本を読んでも「他人事」と、とらえるかもしれません。
当事者が悩んだり、困ったりしている時が「受け入れ時」であり「納得」や「気がついて良かった」という感謝や安堵につながるタイミングだと思います。
こちらの気持のタイミングで意見を言ったり、本などを渡すと、予想外の傷つけ方になるかもしれませんし、実際、私は自分タイミングで黙っていられなくなり診断を勧めて、一時期、友人と険悪な期間がありました。
しかし、友人に事件が起こりなぜか私に助けを求めて来たので、積極奇異型の友人は診断を受け入れてくれました。

ママ友の二人からも相談されたら、その時に自分の意見を言おうと思っています。
息子さんはすでに20歳を過ぎて、母親以外のほかの人間関係に関心がなく、声が母親にだけ解るような小声で表情も乏しく、でも高校は進学校へ通っていたので、母親は「性格」や「育て方の罪」だと思い込んでいます。そう思いたいようにも見受けられます。

プルーンさんはご友人のことですから、言いたいのに言わないのはかなりのストレスになりますが、受容の難しさは後で、教えた側が自分を責めることにもなりかねません。
ご友人の様子に応じて対応するのが良いと思います。

プルーンさんのご相談の件、一概に言えないのでコメントするのに腰が引けてしまいます。とても難しい問題です。トマトさんのコメントは冷静で安定感が感じられました。そこに至るご苦労がおありだったのだと思います。 トマトさんのコメントの中に「そういうキャラ」という表現がありますが、私は、周囲の受け容れ方として、そのレベルでいいという状況もあると思っています。特に「障害」という言葉に過剰反応する(本人も周囲も)ことがありえますので、言葉自体の印象に傷ついてしまうよりは、「キャラ」「個性」というオブラート。第一段階としてOKと感じます。(そのままずっとやっていけるなら、それでもOK)

本人の「受容のタイミング」として少し付け加えるとしたら、「悩んだり困ったり」プラス「うまくやっていくために答えが欲しい時」ですね。悩みにドップリ浸っている時や、症候群との共通点を冷静に考えられるほど「自己分析」を進めていない状態では、受け容れにくいと思いました。

トマトさんも指摘されていますが、周囲にもタイミングがあると思います。周りの方も「悩み困っている」ので支援が必要と考えられます。「本人と一緒に何とかやっていこう」というベクトル、知ることで「やっていけそうだ」に繋がる気持ちがあるときが、周囲の「知るタイミング」と思います。

医療の出す「診断」は、もっと状況変化への決定力があるので、本人の将来への希望や、周囲が「そうであるならば適切に受け入れよう」という環境が整っていないならば「診断してもらう意味がない」と私は考えています。あるいは「診断を受けに行っても、あいまいな答えしかもらえない」かもしれません。診断名が一人歩きして「よい方向に行かない危惧」があれば、診断は出ないはずです。医療は「状態を正確に分析」する側面と「生活に困っている状態を、できるだけ良くする」という側面がありますから、「よくする」を一緒に考えてくれる医療機関を選ぶのが大切です。さらには、診断は変わります。「受け入れる環境が整ったので診断名が告知された」これも診断の変化と言えるのかもしれません。(個人的には、公的支援にぶら下がる意欲満々な障害診断希望者には、診断をつける時期ではないと思っています。余談です。)

このサイトを見る方はご理解が進んでおられますが、定型の方には、「世の中は定型ばかりで構成されてはいない」ということを知っていただく必要があると思っています。定型にも広い幅があるように、非定型には深刻なものから定型に近いものまで幅があります。非定型は下層にあるのではなく、隣人です。人間関係の問題は確かに存在します。人間関係の悩みを一個一個解きほぐす営みは、アスペルガーという言葉ができる以前から何千年もされてきたのではないでしょうか?人間関係に悩みながら生活し、改善に思考をめぐらすのは、自然なことなのだと思います。

プルーンです。アドバイスをありがとうございます。

トマトさんへ
早速のアドバイスをありがとうございました。今まで悩みや相談ができる相手が全くいなかったので、パンダさんのブログを見つけたときに救われたような気がしました。

トマトさんの具体的な体験談をあげての説明、とてもよくわかりました。

(当事者が悩んだり、困ったりしている時が「受け入れ時」であり「納得」や「気がついて良かった」という感謝や安堵につながるタイミングだと思います。)

そうですね。確かに今は彼女は自覚がないし、困っている様子もないので受け入れ時ではないと思います。言ったことで、彼女を深く傷つけたり、失望させたり、また彼女がこちらへ怒ってきたりと、タイミングが悪いといろいろ問題が起こるのですね。
あわてて、彼女に言わなくて良かったです。
こちらとしては、いつでも相談にのるよ、と言う気持ちでいようと思います。

(息子さんはすでに20歳を過ぎて、母親以外のほかの人間関係に関心がなく、声が母親にだけ解るような小声で表情も乏しく、でも高校は進学校へ通っていたので、母親は「性格」や「育て方の罪」だと思い込んでいます。)

この部分にどきっとしました。うちの娘は幼い時から母親のわたしに異常に愛着があるように感じていました。10歳の今、結婚はしない。家族だけで十分。ママが死んだら一緒に死ぬ。と言っています。友人を必要としていない様子やこだわりが強いところ、受身的な生き方など気になるところが多くあります。今からですが彼女の療育が必要だと思っています。
うちは今ホームスクールをしているので、(現在辺鄙な海外在住のため)料理や掃除、家のいろいろなお手伝いは今までもして来ました。アスペルガーと分かったのはつい最近なので、どんな療育が必要なのか読むべき本は何か、いろいろ調べようと思っています。
すみません、質問からずれてしまいました。

すばらしいアドバイスを本当に感謝します!
また、いろいろ教えてください。


ーーーーーーーーーーーーーーー
玄さんへ

早速のアドバイスを感謝いたします。みなさんのアドバイスで、もやもやした悩みがふっとんでいくのを感じています。

彼女のことに関しては、今は時でないと思いました。


(「キャラ」「個性」としてやっていけるならそれでok。)
なるほどーと思いました。うちの主人の場合はのんびりキャラでいい人として周りからはうけがいいです。空気を読むことができるし、社交的な面もあります。adhdもあるのでそのせいもあるかも知れません。周りからあまりに良い人として映るので苦労している私を理解してくれる人がほとんどおらず、誰にも相談できずに今まで来てしまいました。


その友人の場合は、特に一緒に何か作業する、とかない場合おっとりしていて、大人しい、いい人として生きていけると思います。近くで一緒に作業したり、ルームシェアーなどすると相手が精神的に参ってしまって、彼女から離れていく、彼女は全く自覚がない、というようなことの繰り返しのようです。
この場合、キャラ、個性としてやっていけていると言えるのでしょうか?本人が自覚がなく、周りが病んでいる場合。

(周囲にもタイミングがある)
確かに彼女を支えるのは彼女の家族であり、仕事場の人たちであり、友人のわたしたちかと思います。彼女を支えていく思いや覚悟がないのに知らせたら大変なことになりそうです。周囲のタイミングとしても、今はときでないと感じます。


(医療の出す診断は状況変化への決定力がある)
発達障害の医療機関の診断について、分かりやすく説明してくださりありがたいです。わたしたち家族にとって、これからの課題です。

主人の場合、医療で診断してもらおうとは今のところ思っていません。必要を感じないからです。ただ、アスペの自己診断チェックでやったところ39点でました。主人本人は「アスペだと思うし、分かって良かった」と言っています。今までadhaだけでは説明できない生きづらさがあったからです。adhd対策や工夫はこの3年間でずいぶん進み、家族として生き易くなって来ています。

主人と瓜二つの娘に関しては、日本に帰ってから(現在海外在住)専門機関に相談しようと思っています。彼女の将来のことを思うと眠れない夜もあります。


(「世の中は定型ばかりで構成されてはいない」ということを知っていただく必要があると思っています。定型にも広い幅があるように、非定型には深刻なものから定型に近いものまで幅があります。非定型は下層にあるのではなく、隣人です。人間関係の問題は確かに存在します。人間関係の悩みを一個一個解きほぐす営みは、アスペルガーという言葉ができる以前から何千年もされてきたのではないでしょうか?人間関係に悩みながら生活し、改善に思考をめぐらすのは、自然なことなのだと思います。)

本当にその通りですね。
これからもいろいろ勉強させてください。

パンダさんへ

はじめまして。コメント欄で相談をさせて頂いたプルーンです。
ブログのコメント欄にコメントを書くのも初めてで、
ルールも分からないまま、突然に相談を書き込んでしまい
申し訳ありませんでした。

パンダさんのブログを見つけたときに救われたような気がしました。
悩みながらも伴侶を理解しよう、よりよく生きようとしているところに
教えられること満載で、少しずつ読ませていただいています。

うちは主人のアスペが分かったのがつい最近で、少々パニクりながら色々な
ブログを見て、パンダさんのブログが一番うちの状況に似ていたので、
読み始めているところです。コメント欄を含めて、とてもたくさんのことを
教えてもらっています。本当に感謝です。

また、お邪魔させていただくかもしれませんが、
どうぞよろしくお願いいたします。

プルーンさん

 初めまして。よろしくお願いします。
 お返事が遅くなり失礼しました。
 ちょっと出張中なのと、トマトさん、玄さんが素晴らしいコメントを返して下さっていたので
 私の下手なお返事を無理に急ぐこともないかなと思いまして (^ ^;)ゞ

 書いて下さっているように、私自身迷いながら悩みながら、
 でもパートナーと一緒にちょっとずつでも前に向いて進みたいなと思っています。
 皆さんのコメントからも沢山のことを学ばせていただいています。

 お互い刺激し会えるところは刺激し合って、ゆっくり進んでいきましょう。
 またいつでもお越し下さり、コメントを下さるのをお待ちしています。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/39824393

この記事へのトラックバック一覧です: 相手が「アスペ」に見えるとき:

« 真面目な変人とアスペ夫妻 | トップページ | 共に生きる »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ