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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年4月29日 (金)

真面目な変人とアスペ夫妻

 joさんがコメントで「配偶者問題が問題になってる人は、ひょっとしたらド定型ではないんじゃないかな、と思うんです、なんとなく。」と書かれていることがなんとなく頭に引っかかってきています。なんか言えてる部分があるような気がして。

 アスペルガーの人の割合が1%とか言うけど、それで大体の人がもし結婚するとすれば、2%の夫婦はアスペルガーの人を含んだカップルと言うことになるし、2%って結構大きい数ですよね。で、カレン説ではさらに多いんじゃないかと言うことらしい。

 そうすると、たとえばこういうブログなどに来て下る方は、かなりその問題に苦しんで、鬱になったり自殺を考えたりとか、あるいは離婚を考えたりとか、そういう方が少なくないと思うんだけど、その2%で必ずどちらかあるいは二人共が鬱になる、ということもないだろうなという気がしますし(あんまり根拠無いけど (^ ^;)ゞ )。

 ま、少なくとも一番よくコメントを下さるjoさんもカレンさんも繭さんも、とっても「個性的」な方で(あ、私は「個性的」は誉め言葉です。念のため)、まあ世間的には「外れ者」ですよね。明らかに。なんか私って「正常」だわ、と思えてしまうくらい (^_^)v

 いや、こういうことを下手に書くと、アスペルガーの関わる問題で悩む人間はおかしな奴だ、という新たな偏見を生んでしまうからやばいですが、まあでも、そういう問題にある意味真面目に悩んでしまうタイプの人と、意外にあっさりとかわしてひょうひょうと生きられている人がいるのかも知れない、とは思うんです。(そうか、僕等は「真面目」なんだ!あ、もともと鬱になりやすい人ってそうなんですよね?)

 そう考えてみると、joさんの真面目ぶりなんて、ちょっと桁外れにすごい、という感じがしてきました。釣り鐘型の4分の1とか、随分遠慮なさっている言い方と思えますよ。なかなか世の中そこまで真面目な方はいない。

 うーん、そういえば、そもそもアスペルガーの方も真面目な人が多いんですよね。それを悪く言えば「融通が利かない」と文句を言われたりすることもあるわけだけど、でもそれほどに真面目とも言えそう。そうすると、アスペルガーの人に惹かれる人の中には、そういう真面目さに惹かれる人も結構あるのかもしれない。で、そういう人は自分自身も真面目だったりとか。

 だいたいこの本格的な「真面目」というのは定型の中でも少数派ですよね。だいたいみんな適当に妥協するところは妥協して、適当に流して生きている(ように見える)。ところがカレン夫妻にしたって、繭夫妻にしたって、なんかそういう妥協が全然なく、正面からぶつかってきた感じじゃないですか。私とjoさんはちょっと違う形だけど、でもやっぱり問題に対してはずっと正面から悩み続け、考え続けてきたわけだし。で、ある意味もうぎりぎりのところまで、しつこくあきらめないわけでしょう?確かにこれは「変」ですよね。「多数派」から見れば、あきらめが悪いというのか、往生際が悪いというのか、偏屈というのか……全然誉め言葉にならないじゃん (^ ^;)ゞ

 だからどうなのよ?って言われると今は困るんですが、なんかでもちょっと心にひっかかるポイントになりそう。

 

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コメント

ちょっと見るだけ、と思ってPC開けてみたのですが、

「カレン説」「真面目」「融通が利かない」「妥協が全然なく、正面からぶつかって」に、反応して、またまた、つい書いています(^^.)

まず、「カレン説」について。

正規職員としての仕事を辞して、今のような勤務形態になると(その前に、外に出られるぐらいには元気になることが先決でしたが)、昼間でも時間の取れる友人とランチに行ったり、個人的なつきあいで夜飲みに行ったりすることが多くなったのです。

そして、それがどういういことかと言うと、集団で仕事をしているか集団で飲み会をしている状況とは違って、親しい人たちと、ごくごく個人的な話をできる状況が増えたということ。

そうすると、当然、配偶者のことにも話が及ぶわけで、そこでそれぞれの人の配偶者についての話を聞くと、「え~、この人の配偶者もアスペルガー?!」とか、逆に、「あれ、この人ってアスペルガー?!」と思わざるをえない話が、いろんな人から次々に出てくるんですよね。

しかも、「この人は、なんていいご主人と結婚してなんて幸せな結婚生活を送ってきているのだろう・・・」と、ずっと羨ましく思っていた人からでさえ、あの掲示板で皆さんが書いていらっしゃるようなことが、異口同音に出てくる・・・

あるいは、ある男性の友人は、奥さんから、掲示板に書かれているようなことを日々言われて困っていると言う・・・

その人たちは、学生時代からの友人だったり、ママ友だったり、元職場の同僚だったり、とまちまちで、しかもその大半の人はアスペルガーという概念を知らない人たちです。

それなのに、配偶者のことになると、とてもよく似た表現をするんですよ・・・!
(もちろん、全部が全部ではありませんが。)

「男の人は多かれ少なかれ、みんなアスペルガー的なんだろうか???」とか、「話している本人が(男女問わず)実はアスペルガーなんだろうか???」とか、なんだか面白いというか、わからなくなるというか・・・といったことが多いのです。

でも、このへんの話は、「猫」と「犬」の話のところで、いくらか謎は解けたような気もしています。

個々の人間関係・関係性によって、その人がアスペルガー的役まわり(?)をすることになるの定型的役まわり(?)をすることになるのかは変化する・・・そう考えると、かなりの部分納得でき、アスペルガーという名称がつくかどうかはともかく、それぞれのカップルが、スぺクラムの中のいろんな位置で、それぞれに葛藤しているんだろうなぁ、と思うことの多い最近です。


それから、「真面目」「融通が利かない」「妥協がない」についてですが、

・「真面目」は、人生のこれまで全部を通してずっといろんな人から言われ続けていること。
・「融通が利かない」は、子どもの頃、しょちゅう母から言われていたこと。
・「妥協がない」は、夫との関係の中で自覚したこと、そして、仕事に対する姿勢の中でよく人から言われてきたし言われること。

(↑夫との関係修復の中で、そして、非常勤という形態であちこちを行き来する中で、やっと、「割り切る」ことや、自分のコア以外のところでは「妥協」することを覚えたのかも・・・苦笑)

「猫」と「犬」あたりから、ますます思うようになったのですが、私も(!)たぶん、アスペルガー的要素をふんだんに持つ定型なのでしょうね。

子ども時代から、いろんなカテゴリーにおいて、いろんな世界を常に行き来している私。なんだか風来坊のような、自由気ままなような、でも、なんだかやっぱりとっても真面目ような・・・まとめていうと「変」な人なのかもしれませんね(笑)

(子供たちからも、「お母さんの周りにはいつもいろんな人がいるよね」と言われたりしてます・・・笑)

そうですね。人間は見たいものが見えるようにできています。聞きたいことだけ聞こえるようにできてます。全部が認知に飛び込んできたら、たまりませんから。錯視の絵画なんか見るとわかりますが、物理的に絶対にそうではないのに、どう見てもそうとしか見えない、ということが起こります。聞こえの方では、カクテルパーティー効果なんて言いますけど、選択した人の音声に注意したら、その人が小声で話していて、周囲の雑音の方がボリュームが大でも、自動的に選択的に雑音をシャットアウトして人の話が聞けます。--- ちなみにうちの配偶者はこれが不得手です。私も鬱病になってから、これをやるのが辛くなりました。加齢のせいかもしれません。わかりません。--- 脳が自動的にバイアスをかけて補正してるからです。そういうのは人間の(生き物の?)サガです。物理学者で音速の単位の名前になってるマッハが絵も描いてるんですが、彼の絵には自分の身体の一部がよく入ってます。人間だれでも視界のフチに自分の鼻が見えているはずなのですが、かなり注意しないと見えないし、それは網膜に解像しているけど脳までは報告しないことなんです。それを「見えてる」というのかどうかわかりませんけど。でもマッハは、それが気になったから絵に描いたんだと思います。絵を描くときに自分の視界に忠実であろうとしたら、自分の手やら足やら絶対に入ってくるはずでしょう。でも大多数の人は、そんなものはないかのように振舞っている。大多数の感覚ってそういうもんじゃないですか?私だって指摘されるまで鼻は見えたことがなかった。でも、気がついてからは時々自分の鼻を見るときがあります。あ、まだついてるついてる、なんてね。だからマッハの感覚を持つ人を簡単に排斥できないんですよ。そういうのは少数派ですよもちろん。でも私に気づかせてくれた。いったい何を?真実?真実ではないもの?何かわかりませんが「何か『自分にとっての真実』のたよりなさみたいなもの」をでしょうね。

自閉系障害の一つの特徴として、こういった自動選択がうまくできないらしいということがわかってるようです。それが特定の感覚過敏とか鈍感につながり、多数派の感覚とのズレが生じるようです。うちの子も襟のラベルは今でも切り取ってますし、特定の服の肌触りにコダワリ的な好みがあります。そこで自分の感覚と周囲の反応がうまく整合しないという世界で、彼らは育ってきているのでしょう。少数派だったら自分をごまかして周囲にあわせて生きるしかない状況の中を、ずっとずっと生きてきて、その上、配偶者をもごまかし続けることは、もし私がその立場でも、たぶんできないと思います。これは私の想像にすぎませんけど。そこまで想像して、それでもわりきれないものを私は抱えたままで、生きてきてるわけですが、現実の問題が(収入が激減したとか、世間なみに旅行もできないとか、子供の発達が遅いとか--客観的には--福祉世帯に転落したとか、とか、、、)ものすごく俗なことなんですが、それが目の前に立ちはだかったとき、よっしゃあ、障害枠で優遇措置が使えるぅ、ハッピー!にはならないのですよ、どうしたって。

それから、知らないことは見えない、ということもあります。これは自分でも体験してリアルな感覚があるのですが、詳しく書けません。また改めて。自閉とかアスペとか発達障害とか、そういう概念をかぶせたからこそ初めて見えるとことも、確かにあります。それまでは、他のまちがった??解釈をしてしまっていたり(男だから、女だから、とか---いや、実はそうかも知れないんだけど----)、得体の知れない怖れにおののいていたりするんですけど。ああ、そうだったのかと、ストンと落ちて整合に至る。ただし、そのことと、上に書いたように見たいものが見えてしまう現象とはコインの裏表なので要注意ですけど。

それから、パンダさん、一度「心と身体の関係」をテーマに考えてみませんか。発達障害だとすると、身体が思うように動かないということがあるようです。先の自動選択機能のように、自閉者の自伝などでもよく語られていますが、グローブをつけてボタンをはめるような不器用さが、どうやらあるようなのです。ところが、これも誰しも自分の身体しか経験しえないので、それが不器用なのかどうなのかということについても絶対にわからない哲学的問題の一つです。それでも身体のあり方や調子が、心や意思や意志を左右することは容易に想像できます。図抜けて早く走れる人と人並み以下でしか動けない人では、暴走トラックがこっちに向かってきたときに取る行動、考えることが必然的に異なると思うんですよね。そう考えると男と女、マスとして筋力が平均的に異なるんですから、成長過程で身につける考え方とか行動様式が、文化とかと違う次元で、根本的に異なっていて当たり前だと思うんですね。個々ではなくマスとしてですよあくまで。同じように自閉傾向のあるなし、どこの部分に自閉特性があるのか、(これは遺伝器質的なもの、それが起きた発達の段階なども含めて)などで、きわめて個性的?な性質が出てくると思うんです。--- ものごころ着く前に虐待を受けていたからだとしても、そんなもの誰にもわかりようがないですけどね ----- そのバラエティの幅をどんなふうに受け入れたら、誰も苦しまなくていいのかなんてのは、一考に価しませんか?

> パンダさん、一度「心と身体の関係」をテーマに考えてみませんか。発達障害だとすると、身体が思うように動かないということがあるようです。

 って、書いていただきましたけど、「心と身体の関係」なんて、そんな難しいこと、わてアホでっさかい、無理言わんといて! ……と関西風に逃げを打って (^ ^;)ゞ

 カレンさんの話も合わせていくつかエピソード的に思い出したことがあるんですが、そのうち一つはいわゆるカナータイプの自閉のお子さんを持ったお母さんの話で、ま、カナータイプの場合はよほど小さいときでもなければ、あ、この子は違うね、とみんな思うし、経験がある人なら、あ、自閉さんね、とだいたいはすぐに分かります。
 で、そのお母さんも自分の子どもが自閉だと言うことは知っていて、療育に通ったりもしてたのかな。まあそうやって、最初は「自分の子は障害児だ」とか思うとショックもあるし、心配もあるし、苦労もあったんだと思うけど、でもだんだん慣れてきて、というと変かも知れないけど、とにかく家族の中ではその子の持ってるこだわりとか、いろんなコミュニケーションの難しさとかはもう前提となって、それでなんとなくバランスがとれた状態になっていったらしいんですね。
 で、そうなってからの話なんですが、お母さんが言うには、家の中で一緒に暮らしている分にはその子のいろんな行動とか何とかは、もうその子の当たり前の姿だし、自分もそれに応じた形で自然に応対しているし、違和感がなくなってきて、そしたら時々「え?この子障害児なの?」とか不思議に思ったりするんですって。でも外に出ると、あ、やっぱり障害児って言われるんだわ、とは思うらしいんですが。

 二つ目のエピソードはこれも間接的に聞いた話なんですが、ある脳性麻痺の青年が言っていたことだそうです。よく自分は人から「身体が自由に動かなくて大変でしょう」みたいな見方をされたり、言われたりするけど、自分はそんな風に感じたことはない、というんですね。だって生まれてからその身体で、その身体を前提にして自分のやりたいことをその身体を使ってやってきたわけで、自分としては自由に動かしている、という感覚らしいんです。ただ、他の人の動きとは違うとか、そういうことは思うんでしょうけれど。

 三つめのエピソードは視覚障がいの人の話を読んだんですが、僕等は視覚障がいの人は目が見えなくて不自由だろうな、とか思うわけですけど、で、中途失明の人とかはたしかに「見えてるものが見えなくなった」という「マイナス」体験があるので、「不自由」と感じるわけですけど、でも生まれながらに見えてない人は、最初から視覚というものを利用しないで自分の身体を動かすし、周囲とコミュニケーションするし、それが当たり前で全然違和感ないらしいんです。もともとは。だから、自分が目が見えない、ということも全然知らなかったりするんですね。で、段々大きくなるにしたがって「あれ?自分って他の人となんか違うんかな」ということに気がつき始める。というか、回りにそう言われたりしてそういう理解をさせられるようになるんですね。だからその人はあとから「障害者」になっていったんです。

 四つめのエピソードは、大学で心理学かなんかの授業をとったときに、なんか神経症とか精神病とか、そういう話が出てくるんですね。で、神経症の症状にはこんなのがある、とか。そのとき先生が「こういう話をすると、必ず聞いてる人は、あ、自分はこれだ、とか思ったりするんだ」という話をしたんだけど、実際そうなんです。もう聞いてた人たちみんな自分は何々症だ、とか何々タイプだ、とか自己診断を始めてしまう。で、先生の言うには「それはだれでも心の仕組みとして多かれ少なかれ持ってるものなんだ。」ということなんですね。ただ、前のjoさんの話じゃないけど、結局そのだれでも持ってるものが、実際の生活の中でどのくらい激しく出てくるかとか、バランスを失って生活に困難をきたしてしまう位になるかどうかとか、そこが重要なんだというわけです。

 だからどうだというのか?と聞かれると、「わて、アホでっさかい、そんな難しいこと聞かれても……」 (^ ^;)ゞ

連投ですんません。

「ド定型ではない」から鬱になったのか、鬱になったから非定型の思考回路になってるのか、わからない部分があります。どっちもホントで、両者が相乗効果を及ぼすのでスパイラルに吸い込まれるのではないでしょうか。

脱出するのは難しそうです。そこに、AS型と(もと?亜?)定型との同情、共感が生まれる可能性があったりして。それと、加齢がほぼすべての人を障害に向かって位相をずらせてゆくこともあるし、暦年とは別次元でライフステージも関係するでしょうね。

穴にはまったらムジナか!?

1つ目のエピソードについて。配偶者掲示板とかパンダblog訪問者の私たちって、社会ではどうにかこうにか逮捕されない程度に機能してる配偶者が、家庭では家族(私ら)にAS障害だろうって思われて困られてる状態なわけですよね。機能しなくなる環境を構成する要素になってる場合もある。別に私らの苦悩が不当だというわけじゃないですが、なんかそのエピソードと対比すると居心地悪くなりません?

2つめのエピソードでは反対のケース、というかありがちな話なんですが、を知ってます。その方は生まれつきの障害で車椅子なのですが、ある日、動かない自分の身体を怨み自分の人生を嘆いて、ふと「死にたい」とこぼしました。これは周囲と比べることによって発生した二次障害にあたるんでしょうかね。

3つめですが、私は手が4本ないから不便だとか感じたことありません。当たり前ですよね、生まれてずっとこの手2本で生きてますからね。ただ、うちの配偶者は、「手が4本あったらいいのに」とよく言います。なんか不器用さに劣等感があるから、4本あれば人並みにできるんじゃないかという感覚にとらわれているのかもしれません。加齢による機能低下は、言ってみれば中途失明や中途失聴を伴います。若い頃から比べると、細かい字は読みにくいし、針に糸に通すときなど自分の手がグローブに感じることもあるし。じわじわ来るから、適応してしまえるのかもしれまえせんね。ちゅららさんがポンコツ脳を意識して乗りこなすという話をされてたのを思い出します。

4つめは、ディベートなんかでやるように、立場を決めればそれを支持する証拠とか議論はたいていみつかるのです。それを探しますから。だから「証拠がみつかった!」というのは、実際は、思ったほど強力なサポートではないことが多いです。でも、すごく説得力ありますね、具体的な事例を見せて「ほら、そうでしょ」って言うのは。

だからどうだって、私もわっかりませぇーん。

せっかく深いところで議論がされているのに、ただの感想で水を差してしまいますが。。。私もやっぱり真面目で、仕事では完璧主義と言われます。嘘をつくのが苦手だったり、派閥とかの状況を読むのも下手。変わってるとか天然と言われることも。
普通とか平凡が一番みたいな考え方はあまり好きではなかったのに、結婚してから夫に対して普通を要求してばかりいる自分にガッカリします。そして、夫は夫で「普通が一番」「俺は普通の人間だから普通の結婚がしたかった」と言う。
結婚したことで、私の定型、夫のアスペがくっきり見えるようになった感じです。
定型の中でも飄々とした人ならアスペの人と結婚してもこんなに悩まないだろうし、付き合ってる段階でアレ?と感じた時点で身を引いてるかもしれないですね。

joさん チロさん

 「あんたかてアホなら、うちかてアホや。ほなさいなら~」
 というフレーズをハナ肇がコントの合間に繰り返す番組が昔あったんですけど、
 ここはまあ、そういう乗りで (^ ^;)ゞ

 チロさんが天然系というのも初めて知った貴重な情報ですし (^_^)v
 ちょっと記事の方でなんか書いてみたい気もします。

 書けるかな?

パンダさん、みなさん、こんにちは。
みなさん、お元気そうで…そして、パンダさんのブログも、震災以来、今日、初めて開けて拝見させて頂きましたが、今までと変わらず、活発に様々な意見交換がなされ、何だか、とても、懐かしく読ませて頂きました。

みなさんに、私の近況を聞いて頂きたいと思い、コメントさせていただきます。

3/11に大震災があり、特に、東北から関東は、少しづつ、復興し始めているものの、未だ、ごった返している状況ですが、
私個人の心は、3/11で完全に止まってしまっています。
私の実家は、東北なのですが、
ここでも何度か書かせて頂いた、大好きな、たった1人の私の兄が、大地震の真最中、自ら命を絶ってしまいました。

数年前から、鬱で休業中でした。
頭が良く、熱心で、誠実で、真面目で、 率直なほど素直で…とても繊細な、とても優しい兄でした。
しかし、繊細で、率直すぎるあまり、不器用で、他人からは誤解される事も多々ありましたが、本当に、不器用ながら、優しい、優しい、兄でした。

私が、心を割って、主人や子供の(アスペのことなど)事を、母に相談すると、いつも、
「○○(私)、これ以上、母さんに心配かけて、迷惑はかけるなよ。大人なんだから、自分の家庭の悩みは、自分で解決なさい。誰だって、色々辛い悩みはあるぞ。それを、大人だったら、自分で解決していくんだ。いくら親子でも、そちらの悩みは持ち込むな。俺だって、悩みはたくさんあるけど、誰にも言わず、1人で抱えてきたぞ。悩みは人に言うものではない。わかったか?がんばれな」と言われ…
その時、私は納得できなくとも、「うん」と答えたけど…

でも、ばかやろう…
兄は、悩みを誰にも言わず、1人で抱えて、辛い寂しい思いをして、死んだのか?

大地震で、誰もが怯えて、慌てふためいている最中、母を家の外に避難させ、近所の方と合流させ、飼っている犬を、ゲージに入れて外に避難させ、「大事な物を取りに家に入ってすぐくるから、母さんは、危ないから、絶対家に入るなよ」と言って…戻ってくる事はなかったのです。

数年前、私が、主人のアスペについて、兄に「アスペルガーっていう障害があるんだって」って話してみた後、感想を聞いたら、「ネット見てみたけど、アスペルガーってオレの事だな!って思ったよ!」と少し笑いながら言っていた事がありました。
その後に、私は、ハッと今までの、母や、兄の不器用さの原因にも気付いてしまった訳でした。
その後に、兄とはアスペの話は一切しませんでした。
しかし、近年は、アスペルガー…というより、統合失調症のようにも感じていました。私のブログでも、アスペルガーと、統合失調症の違いについて、触れ始めていた所で、「自閉症、アスペルガー、ADHD、鬱、人格障害、統合失調症など、統一して考えていくか、全く違うものなのか」区別に悩んでいたし、対処法なども、私のこれからの課題の一つでした。

私は悔しい。
私は医者ではないが、統合失調症だとしたらの話ですが、長期の服薬で、予後の良し悪しが、大分変わるという事も最近知りました。
私は、何もしてあげられなかった…
繊細さや、不器用さに気付いていながら、それらに捕らわれて、解釈のされ方に恐れ、優しい言葉も満足にかけてあげられなかった。
どう受け取られても、もっと、優しい言葉をたくさんかけてあげればよかった。
返事がこなくても、もっとたくさん手紙やメールも送ってあげればよかった。
もっと、一緒に楽しい事をたくさんしたかった。たとえ、結果は同じでも…

兄は「辛い」とか、「死にたい」などと、誰にも一言も言わなかった。
「貯金も減ってきたし、仙台辺りでちょっとバイトでも始めようと思うからさ」と言って、部屋の片付けや、ネットや書類やカードの整理をしていました。
身辺整理だったのです。
「鬱はなおったよ!俺、鬱治ったんだよ!」と母に元気そうに言ったそうですが、私は、電話で、母に最近様子がおかしい事、鬱が治ると本人が言うのは、危険な兆候だから、特に気をつけるように忠告してから数日後の事件でした。

私は悔しいです。
世間では弱者と言われ、弱者が自殺なんてできますか?
臆病者が自殺なんてできるんですか?
臆病者だから自殺するの?
兄は、とても穏やかな顔をしていました。中学以来、兄の、心から笑った顔を見たことがありませんでしたが、
お兄ちゃん、こんな顔していたっけ?と思うほど、穏やかな穏やかな顔でした。
武士のような、立派な顔立ちだけど、とても、優しい穏やかな顔でした。

私は悔しい。
私にどうにか、何かできなかったのか…
世間は様々な見方があったでしょうが、私は兄の性格も、悪い所も、優しさも、その理由も、何となくわかっていたので、本当に悔しいです。
ただ、ただ、全てにおいて、率直で素直で繊細な兄でした。

鬱や統合失調症などの精神疾患と言われるものを含め、アスペルガーやADHDなどは、全てを語るのは、とても難しいです。
診断や、対処法なども、生育歴や過程において、千差万別で、本当に難しいです。
また、配偶者、家族の悩みも、相当なもので、簡単に解決するものではないですよね。
自分が思っているより、もっと、もっと、深刻な問題です。

私も、お葬式が終わるまで我慢していて…今日、溜まっていたものを、母に吐き出してぶつかってしまいました。
何が悪いのか、誰が悪いのか、人に理解なんて、求める方がおかしいのか、よくわかりません。
でも、パンダさんのブログを見て、みなさんの頑張っている書き込みを読んでみて、私も頑張りたい…という気持ちに、少しづつなれる気がします。

チロさんの性格、読みながら私のことかと思いました。
私も天然、ちまみに娘も、それに輪をかけたくくらいに天然です。

私の場合は、天然と言われ始めたのは大学時代からなのですが、周りにしっかり者の友人が多かったから、そういう役回りになったような気もしなくはないのですが、

今ではどこで誰といてもいなくても、正真正銘の天然だと自覚しています。

みみさん・・・!

心配していました。震災以来一度もお見かけしなくなっていたので、本当に心配していました。

数年前から、「心配するという気持ち」は、自分にも相手にも負の波動のようなものを送るものだと思うようになっているので、自分の「心配する気持ち」に気づいたときは、その「心配」を捨てるようにしてきているのですが、

時々、ふっと、「みみさんどうしていらっしゃるのだろう」と心配してしまうことがあり、そんなときは、「みみさんはきっと大丈夫」と思い直すようにしていました。

みみさんの辛いご経験を知って、今はどんな言葉をかけたらよいのか、思いつきません。言葉が見つかりません。

ただ、みみさん、ご無事でよかったです。

みみさん

 語るべき言葉がいま見つからないんだけれど、
 「黙祷」という形で哀悼の意を表すというのは、もしかするとそういうことなのかもしれない。
 あまりにも大きな出来事を前に、ただ黙って立ちつくすことしかできないという。

 とにかく今はみみさん自身、ご自分を大事にしてください。
 風邪とか引かないで、消化に良い物を食べて、水分をしっかりとって、
 できれば睡眠もよく取って。

 あと、もし語りたいことがあれば、語れなかったお兄さんの分もこことかでも存分に語ってください。私はそれを読むことくらいしか力はないけど、それでも、もしよければ書いてください。

 お兄さんのやすらかなお顔、ほんとに重たいものを、すーっと降ろされたような、そんな風にも感じられます。ありきたりの言葉だけれど、それでも、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

パンダさん、カレンさん

昨日はちょっと感情的になってしまってごめんなさい。
ブログの流れを乱してしまい…パンダさんとこに書くのも、ためらったのですが、どうしても、聞いてほしかったのです…。私事ですみません。

私は、気持ち的に、パンダさんや繭さんのブログをなかなか開く事ができませんでした。
毎日、兄の事で、落ち込まないように、気を反らしながら、気を張っていていましたが、パンダさんのとこにくると、ドッと現実が我にかえりそうで、恐かったです。
みなさんの優しさがわかっていたからでしょうか…
49日法要までは、気を張っていたい一心でした。
パンダさんやカレンさん、ご心配かけてすみません。
以前と変わらず、お元気そうで、いつも通り、文やコメント等を読んでいて癒されました。
また、落ち込む時もあるかも少ししれませんが、その時は、また、慰めて下さい。

カレンさん
カレンさん、ありがとうございます。
カレンさんの言ってる事、よくわかります。
私も、カレンさんの気持ちを大切にして、大切に受け取っています。
それでも、私の夢を見たり、今回も、フッと考えて下さっていたんですね。
それだけで、本当に嬉しいです…

みみさん

> 私事ですみません。

 って、ここ、私事が集まって出来ているようなブログですし (^ ^;)ゞ

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