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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年4月24日 (日)

ネコ型アスペルガーと犬型定型

 私とパートナーの間で、というより、私にとって本当に長いことシビアだった問題のひとつに、「再会の時の態度」ということがありました。

 たとえばこれは前にも少し書いたような気がしますが、今なら私が家にいてパートナーが仕事から帰ってきたとき、あるいは以前なら私が仕事から帰ってきたときや、特にある程度長期の出張から帰ってきたときなどのパートナーが私に向ける(と感じられる)態度や行動です。

 もしかすると一緒に生活を始めた当初はそれほどではなかったのかも知れないし、そこはちょっと思い出せないのですが、少なくとも今までかなりの長期にわたって、ほぼ確実にと言っていいほど、私が帰るとパートナーはまず不機嫌な顔をしているように見えました。そしてこれも必ずと言っていいほど、何か私を問い詰めるとか責めるように感じられる言葉がいくつか出てくるのです。

 それは些細なことと言えば些細なことなのですが、たとえば洗い物のお皿の置き方が違うとか(私なりの工夫ではあるのですが)、洗濯物のたたみ方がちがうとか、カーテンがどうとか、ゴミがどうとか、どこの電気がついているとか消えているとか、冷蔵庫のものの入れ方がどうとか……、なんだかひとつひとつはよく思い出せないくらいに、ある意味では些細なことでもあり、しかもなぜそこにこだわらなければならないのか、よく分からないようなことが大部分でした。

 だから、ほんとに最近まで、下手をすると憎しみの表情にも見える態度で語られるそれらの文句を、私は「私を拒絶しているサイン」として感じてきました。特に長い出張から帰って来たときなど、久しぶりに家に帰ってほっとしたいし、また再開を喜びたい気持ちはあるわけですが、その都度、本当に必ずと言っていいほど、まずはなにか文句が来るのです。それはとても辛いものでした。久しぶりの旅から帰ってお風呂にゆっくりつかりたいと思っても、「今日は湧かす日じゃなかったから湧かしていない。入らないといけないの?」という感じで迷惑そうに感じられる言葉が返ってくる。

 自分はそこまでパートナーに対して恨まれるようなひどいことを続けているのだろうかと、そういう罪悪感にも苛まれるし、拒絶されることへの苦しみは続くし、しかもその理由がよく分からないので、どうしたらいいのかもわからない。実際ほんとにしんどい状態でした。

 そのあと、去年、パートナーがアスペルガーだという理解が共有されるようになってから、話し合う中でひとつの新しい理解が生まれてきました。それは仕事から帰ってきたときのことについてなのですが、仕事の間はパートナーは苦手な対人関係でものすごく気を遣ってへとへとになって帰ってくる。だから家ではホッとしたい。ホッとすると言うことは、言ってみればそういう自分にはよくわからない気の遣い方をしないことであって、むすっとしていることでもあるし、感じたことはストレートに表現することでもある。むしろ一人になってホッとしたい時間なのだ。そんな理解です。

 そういう理解をするようになってから、私はパートナーが帰る時間には自分の部屋にしばらく閉じこもっていることにしました。そうやって2時間ほどもすれば、だいぶん表情もゆるんでいるし、パートナーもそうしてもらうと助かると言うことだったのです。

 けれどもその理解だけだとやっぱり分からないことがあります。たとえば長期の出張から私が帰ってきたときにも同じような感じになる。とてもじゃないけど、「出張先でこういうことがあってさ」などと話が出来る雰囲気でもないし、そういう「おみやげ話」を喜んでくれる感じもしない。で、逆に責められるような言葉がつらなるわけで、そういうのはパートナーが「しんどい思いをしてきたからホッとして一人でいたい」というのとは違うわけですね。

 それで、つい最近、というか今日、ふと思うことがあって、パートナーに聞いてみたんです。

 家はパートナーが好きでネコを飼っているのですが、そのネコがたとえばとなりの部屋に行くとき、まず入り口で立ち止まってじっと中をうかがうんですね。たとえいつも行っている慣れている部屋でもそうです。そこにえさを置いたときでさえ、やっぱりしばらくはじっとうかがって、それからようやくおもむろにえさに向かう。

 なんでかネコに聞いてみた、というのは嘘ですが、それがネコの習性のようです。新しい場に行くときには慎重に、他のネコが居ないかどうか、危険はないかどうか、とにかく緊張をしてまず確認を怠らない。そういう習性ですね。

 で、その感覚でパートナーのことを考えたら、わかりやすい感じがしたわけです。仕事からパートナーが帰ってきたとき、あるいは私が仕事から、あるいは出張から帰ってきたとき、パートナーにとってはその先の場面も繰り返し経験している慣れた場面であるはずなのですが、でもやはりそれまで居た場所や場面とは異なる、新しい場面に入ることでもあります。その「新しい」場面にどう適応したらいいか、まずは緊張し、そして危険はないかいろいろ探りを入れる。

 いつもと違うところはないか、自分のイメージとずれているところはないか、少しでも危険を感じるところはないか、そのことをじっと探り、そして私に対しても確認をする。ずれていれば不安になって何でそうなっているのかを問いただしたくなる。一通りそうやって自分の周囲を確認して、ようやく安心できるようになる。

 「そういうことじゃないのかな?」と聞いてみたら、パートナーは「そんな風に考えたことは無かったけれど、そうかもしれない」と言っていました。それほど違和感のある理解ではないようです。

 最近、定型の人間は犬型で、アスペルガーの人はネコ型なんかなあと思えることが重なっていたのですが、このことについてもそういう理解でなんとなく分かったような気持ちになれる部分がありました。

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コメント

>私が帰るとパートナーはまず不機嫌な顔をしているように見えました。

ここ、またまた笑ってしまいました・・・かつて私が感じていたことと、まるっきり同じだからです。

仕事から帰ったとき、旅行先から帰ったとき、友人たちとの会食から帰ったとき、スポーツジムで汗を流して帰ったときetc.etc.・・・めげてました、私。目も合わせてもらうことなく、ムスッと「お帰り」と言われた(と、当時は感じていた)瞬間に、気持ちがシュンとしぼんでしまったり、悲しみや怒りを感じたり。

今は、夫の感覚がわかった今ではそんなものだと思っているので、べつにどうということもない、というか、ごく普通になっていますし、

・・・と書きながら、「ん?」と思ったのですが、

これ、アスペルガーと定型のことをお互いに理解するまでは、逆に私も夫に対してやっていたような気がします。いえ、していました。

子どもたちに対しては「行ってらしゃーい!」「お帰りー!」なのに、夫に対してだけはムスッと「行ってらっしゃい」「お帰り」と、無愛想な暗いトーンで言っていたような・・・(^^.)

ちなみに、今は、子どもたちに対してと夫に対してのトーンは同じですよ(^^)

・・・と、ここまで書いて思ったのですが、夫の「お帰り」のトーンも、変わりましたねー。
なんとなく、「お疲れさま」とかいう気持ちが一緒に伝わってきたり、実際によく「お疲れ!」と言葉にしてくれたり。


と、いう感じで今こうして考えてみると、

我が家の場合は、「アスペルガーと定型に違いによる再会の仕方」の違いもあったけれども、なんだかうまくいかないことでお互いイライラしてたことも大きかったのかもしれません。


>そしてこれも必ずと言っていいほど、何か私を問い詰めるとか責めるように感じられる言葉がいくつか出てくるのです。

それは些細なことと言えば些細なことなのですが、たとえば洗い物のお皿の置き方が違うとか(私なりの工夫ではあるのですが)、洗濯物のたたみ方がちがうとか、カーテンがどうとか、ゴミがどうとか、どこの電気がついているとか消えているとか、冷蔵庫のものの入れ方がどうとか……、なんだかひとつひとつはよく思い出せないくらいに、ある意味では些細なことでもあり、しかもなぜそこにこだわらなければならないのか、よく分からないようなことが大部分でした


これも、また笑ってしまいました。反省を込めての大苦笑です。
そして、これ、うちの場合は、私が夫に対してこういう言動を取っていました。

夫は、こういう内容について私にどうこう言うことはなかったし、今でもありません。
(「電気つけっぱなしだった」ぐらいは言いますが。)

このあたりのことは、個々のカップルによって違うのかもしれませんが、アスペルガーと定型の違いというよりは、男性と女性の違いによるものも大きいのでは、という気もします。


あと、パンダさんが書かれている意味での猫と犬とは、ちょっと違いますが、

夫はもともと猫・私はもともと犬で今は猫・上の子どもは猫・下の子は犬・・・だと、私は見ています。

ちなみに、もうパンダさんも読まれたかもしれませんが、アストン博士の研究によると、アスペルガーの人は、犬ほどかまわなくてもいい猫をペットにしていることが多いらしいですね(笑)

今さらですが、パンダさん、元気になってよかったですdelicious
犬と猫は私も思ってました!自分一人で生きてる感じとか、怒られても反省しない感じとか。猫に問題行動を辞めさせるには叱るのではなく、その行動が本人(猫?)にとって悪い結果になることを学習させなくてはならないんですよね。
その点、犬は寂しがりやで、褒められたくて言うこと聞く。
猫の自由さも魅力ですけど、連れて歩いたり、ボール投げで遊んだり、ましてや何らかの役にたってもらおうと思って飼うなら犬ですよね。
私は、犬だと思って飼ってたら実は猫だったってことかな、と感じてました。逆に、夫からしたら、私は猫だと思ってたら犬だったのかも。…と言うか、夫はこの世にも犬が存在すると知らなかったかも。
だから、うまく甘えればいいとか、おだてればいいなどという結婚生活のコツが通じないのも当然。猫に犬のしつけを実践してるようなもの。逆に、夫からしたら住む場所も食べ物もあるのに何が不満なの?というところでしょう。
私は定型の中でもド犬型で、友人からはシッポが見えるとからかわれてたくらいなんです。うまく行くはずがなかった!
パンダさんちは、そうやってお互いの理解の違いを話し合えるというのが素晴らしいですね。
私は、本当のところ夫についてどう思ってるか伝えないまま離婚話をしていることに罪悪感を持ちつつ、今そんなことを持ち出したら混乱して拗れるに決まってるから、そのままにしてます。結婚や子育てに向かない未熟な女だと思ってもらって片付くならそれでいいか、と。結局は私が子供と暮らす権利をとるわけで、卑怯ですけど、私には夫と話し合うエネルギーがないんです。
アスペの人を理解しようとする努力を放棄したくはないけど、夫というのは近すぎて私の生活、子育てへの影響が大きすぎます。長々と自分のこと、すみません。

カレンさん

>これ、アスペルガーと定型のことをお互いに理解するまでは、逆に私も夫に対してやっていたような気がします。いえ、していました。

 多分そうやってバランスを取ったのかも知れませんね。
 昔自閉症が母親の愛情が足りないからだといわれていたとき、
 調べてみると実際自閉症の子の母親は子どもとあまりあそんだりしなかったそうです。
 で、母親が責められたりした。

 でも実はそれは因果関係が逆で、遊ぼうとしても無視されてしまったりするので、
 だんだん遊ばなくなって、それが言ってみれば二人の「バランス」になった、
 その結果を見ていただけだというわけです。

 私の場合は学習能力がないもんだから (^ ^;)ゞ
 そういう「態度」で接しられても、こっちは一生懸命
 にこにこしようと、場を和ませようとしたり、結構し続けてきたんですね。
 それをあんまりするのは止めようと思ったのは、ほんとに最近でした。

> これも、また笑ってしまいました。反省を込めての大苦笑です。
そして、これ、うちの場合は、私が夫に対してこういう言動を取っていました。

 たしかに、ここは男女の違いがひとつにはからんでいそうだなと思います。
 だから、「ほんとに口うるさい小姑のような性格の人だ」という形で
 女性のひとつの典型として理解して納得しようとしたこともありました。

 ただ、やはりそれだけではどうしても理解しきれないものが残ったんですね。
 それは今思えば、ですけれども、背景にある「不安」なんです。
 それは当時の僕から見ると「怒り」とか「憎しみ」に見えた訳なんだけど、
 そうじゃなくて「不安の表現」だったと今は思えるようになってきました。

 小姑の場合はそうではなくて怒りであったり、嫉妬であったり、支配欲であったり、
 欲求不満のはけ口であったり、あるいは(世代を超えての)復讐であったり
 (つまり自分がやられたことを相手にやり返すという形の)
 そういうケースが多いんじゃないかと思うんです。
 でもパートナーの場合はそういうものではないような気がするんですね。
 (いや、もしかすると部分的にはあるのかもしれませんけれど)
 ま、それとは違う、ということが実感として分かり始めたのもほんとに最近ですが。


チロさん

 ご心配どうもありがとうございました。
 なんとか「日常」にもどりつつあります。
 とはいえ、この間の緊張による、鬱独特の疲れは残ってますが。

 チロさんが罪悪感を抱かれるというのは、
 頭ではそんな必要はないと思いますけれども、
 でもやっぱり分かる感じはします。
 私の場合も、ずっと罪悪感(自分にもう少し力があればもっと良い状態になって、
 子どもにこんな思いをさせなくてもすんだだろう)を引きずり続けましたし、
 それは客観的に見ればそれ以上は自分には無理だったのだろうと
 言い聞かせてみても、でもやっぱりその感覚から逃れることは出来ませんでした。

 それでも私の場合は、「男」であるということ、そして社会的な適応力が
 パートナーよりはあることもあって、「社会的立場も圧倒的に強い」こと、
 そういうことでチロさんの立場より「有利」なことが多かったんじゃないでしょうか。

 少なくとも私自身はそういう「社会的立場が強い」とかいう理由で
 パートナーに対して亭主関白的に振る舞うようなことは嫌いな人間ですので、
 そういうことはしなかったつもりではありますけれど、
 でもパートナーの側はどうしても社会的な「力の差」を感じていたようです。
 もともと子ども時代からとても自己評価を低くさせられてきた人でもありましたし。

 そういうある種の「有利さ」を持っていてもひどい鬱状態になりましたし、
 あそこでパートナーの方からアスペルガーであるという理解を共有してもらえなかったら
 一体その後どうなってたか、ほんとに分かりません。
 そう考えれば、やっぱり私から見れば、ですけれど、
 チロさんが罪悪感を抱かなければならない状況では全然無いと思うんですけど。

 ただ、どんなにそう言っても「もう少し自分に力があれば」とか「努力できれば」とか
 そういう考えが頭から完全に消えるのは難しいんだろうとは思うんですが……
 そのあたり、つらいところです。

 とにかくお子さんとチロさんご自身のために、ここは
 「何を優先すべきか」でさらに頑張って下さいね。

 そういえばパンダって漢字では熊猫って書くみたいだけど、
 私は猫なんだろうか?犬だと思ってたけど (^ ^;)ゞ

 

ステレオタイプ(犬型or猫型)を使って話をすることに抵抗を感じつつ。。。

私は、学生時代から社会人を通じて「どちらかというと猫型」(スケール5の4ぐらい)と言われてきたように思います。定型の中にあっては「ひょうひょうと我が道を行く」雰囲気があったのでしょうか?確かに振り返ってみると多数派(ビミョーな表現!?)ではない生き方をしてきてるようです。ここを読みに来てる人にはバレバレですが。

それが、今の配偶者には、ずっとずっと「犬みたい」と言われ続けています。配偶者は、「私の性格」をそれまでの大多数の周囲とは全く違う捉え方をしたことになります。

もしかしたら「感情を表情などに表してしまう」という特性があって、「不機嫌な時にかったるい表情して猫のよう」と思われたのか、「うれしい時に尻尾ふって犬のよう」と思われたのか、、、定型が顔の表情を見る場面で配偶者は私の尻尾だけに注目していたとか、、、

仮に猫型と犬型が対極にあるとして「スペクトラム」と「視点」を導入して考えたら、人間だれしも、自分より猫型の人は猫型、自分より犬型の人を犬型に分類する。吊鐘グラフのまん中よりの人に訊けば、分類は概ね一致してるように見えるけれども、両端よりの人に訊けば正反対の答えが返ってくることになりますね。

仮に吊鐘状に分布していたら、分類するのはちょっとね。そもそも分類そのものが幻想だったということかな?

M型分布になるような特性を抽出するのは誰の仕事? 木だけを見て森を見ない人にしかできませーん。なんちゃて。

あ、私の尻尾つかんだら怒りますよ!

joさん

 仕事の関係でしばらく海外に滞在したことがあるんですが、カルチャーショックがすごかったです。で、そのときのことを思い出しました。

 私もjoさんと同じで、人のことは気にせずに我が道を行く、というところも結構強かったりするし、日本の中では「はずれもん」を自他共に認めるみたいな感じなんですね。そういう意味では「猫」型(群れに入らない型)なのかも知れない。
 
 ところが海外に暮らしてみて、自分はたしかに「はずれもん」なんだけど、じゃあここの(外国の)人と同じかと言えばそれも全然違う。というより、むしろそこの人と比べると、自分の「日本的」な部分が浮き立ってきてしまうんです。

 それでつくづく思ったことは「自分ははずれもんだけど、日本的はずれもんなんだな」ということでした。

 なんか似てません?

だから、パンダさんも私も、ASよりの定型か、定型よりのASか、吊鐘状グラフのまん中から4分の1ぐらいのところにいるのですよ。ほんとにまん中付近の人は、ASなんか見えない、もし遭遇したら、「こいつおかしい、はい終わり」なのでしょう。時代とジェンダーのことがあって昔はAS♀のほとんどが「嫁のもらい手がない」か「出戻り」で終わってたはず。昔の男社会では、AS♂はフツウに機能してたのかも。現代でも、機能不全家族に陥って悩んでいること自体が、やっぱ「なんかへん」(=少数派)な人たちなのかもしれませんよ。自分らはそう気がつかないはずですけど。

で、その4分の1あたりの人が障害かどうかは、家庭生活や社会生活が機能しているかどうかで判定されちゃうわけでしょう。まん中からちょっとでもずれただけでも障害に陥っちゃう可能性もあるわけだし、パーセンタイル1とか99でも障害に陥らずに機能する可能性もあるわけなので、精神や発達の障害問題全般についてですが、定義を後付けする反則(??)をしているような感じが、私はずっとしてるんですがねぇ。

「困った、さあ、どうしよう。できることから一歩づつ」ですかね。ちなみに吊鐘状グラフの中心は、たぶん一人か二人だけなので、この人は、超少数派で、きっと何らかの障害もってるでしょうね。本人気づかないけど。(笑)

joさん

> だから、パンダさんも私も、ASよりの定型か、定型よりのASか、吊鐘状グラフのまん中から4分の1ぐらいのところにいるのですよ。

 ここんとこ、ちょっと頭がこんがらがってしまったんですが (^ ^;)ゞ
 釣り鐘状グラフの真ん中が定型でどちらかの側がASっていう理解でいいんですか?
 そうすると両端がAS?それともどちらかはまた別の「障がい」?

> 精神や発達の障害問題全般についてですが、定義を後付けする反則(??)をしているような感じが、私はずっとしてるんですがねぇ。

 結局「精神」とか(精神の)「発達」とかは、その社会でなんとか生きていけるためのしくみやそれができあがっていく道のりのことなんでしょうから、社会が違ったり、社会が変わったり、あるいは社会の中でのその人の場所が変わったりすると、それに応じて評価が変わっちゃうものなんでしょうね。なんかもともとそういう概念なんだろうなと思います。

 マリリンモンローだって、いまじゃ一種の障がい者になっちゃうし、ジャンヌダルクだってそうだし。私なんて、視力がそれほど良くないから、狩猟をやっている社会で生きてたら障がい者ですよ、きっと。それに色男でもないのに非力だし…… (^ ^;)ゞ または (T T)

>  「困った、さあ、どうしよう。できることから一歩づつ」ですかね。

 うーん、それでとりあえずまずは愚痴を言うことが第一歩とか……。まあ、みんな少なくとも潜在的な障がい者だ、とか考えてみるのもあるのかも知れませんが、それで何か実際に変わることがあるかどうかはなんとも……。

 なんか視点の転換が必要なところがあるんだろうなとは思うんですけど、そうだとしてそれが何か、ですね。

ある特性ではASとADHDが対極でまん中辺りが定型とか、ある感覚では感覚過敏と鈍感が対極にあったりして、そういうのが混在してるのが発達障害で、まんべんなく(人間の平均が基準ってことかな?)発達してたら定型とか。どの性質をとっても定型って分布の中の多数派のことなのでしょうね。どこまでがそうかっていうのは、漠然としていますけど。

いつだったかIQの話しましたよね。IQ100なんて、データ累積して出してるけど、50年前と今だったらIQ100はずいぶん違ってるはずだけど、100の人はたしかにいるし70以下だったら知的障害だから支援があったり、130以上だったら才能があるから特別扱いしてもらったりね。

アメリカ人を日本に放り込んだら、「自己中」で「空気読めない」人になりがちでしょうし、日本人をアメリカに放り込んだら自己主張できない障害かも。

配偶者問題が問題になってる人は、ひょっとしたらド定型ではないんじゃないかな、と思うんです、なんとなく。

「信号は赤です。横断を止めてください。」って合成音声出して言ってくれる信号があるでしょう。あれほんとに視覚障害者のためなんでしょうか。ほんとに目が見えなかったら赤信号の横断歩道の真ん中で止まってしまうと思うんですが。文字どおり解釈しちまうのは自閉症なんだろうか、ASなんだろうか? 子供だからだろうか? 高齢者だからだろうか? 鬱病か高じてもそうなるんだろうか?

眠いので何が言いたいのかわかりませんが、思いつくまま、でした。

ブログの話題とは違いますが、

最近猫を飼い始めましたが、私が近付くと逃げます。しかし自分がかまってほしいときには向こうから近付いてきます。しかしほとんどはえさがほしいときだけ。

もう一匹猫がいるのですが、そちらは甘えん坊でいつでもどこでも寄ってきます。寄ってきたからかまっていただけなのですが、ほとんど寄ってこない猫がやきもちを焼いたことがあります。
かといって私が近付くと嫌がるのですが、だからといってほっとかれるのもいやみたいです。
猫は気まぐれなのと、人との距離を保ちたい子もいるので、猫のペースに合わせた接し方をしていますが、飼い主としてはさびしい部分もあります。

うちの猫のような性質のアスペの方がいます。アスペすべてではありませんが、人との距離は保ちたいから寄ってこられるのはいや、でも愛着の対象にかまってほしいこともあるからそういった時には自ら寄ってくる。
一緒の時間を共有したい定型の方にとっては物足りないでしょうね。

独り言でした。

みつみさん

> 人との距離は保ちたいから寄ってこられるのはいや、でも愛着の対象にかまってほしいこともあるからそういった時には自ら寄ってくる。

 こういうの,定型側からすると,「蛇の生殺し」状態なので,ものすごく辛いんですね (T_T) これが続くと精神的にやられてしまいます。

 ほんとにむつかしいです。

パンダさん

そうですね。大好きな人とは常にとは言わなくても基本的には一緒の時間を共有したいものでしょうね。

ただアスペの中には猫の特性と似たものを持っている人もいるので、それを崩されるとそういった人はストレスを感じて病むこともあるので、それに合わせて生活するしかないんですよね。

永遠のテーマなのかもしれませんね。

みつみさん

 ここはほんとに,ほんとに悩ましいところです。お互い身体感覚みたいな世界ですから,単に頭で考えてどうなるものでもないですしね……

カサンドラって結局は共依存だとkagewariさんのblogに書いてあったような。

本来なら猫のマニアックさを楽しむもので、そこに共感的な関係は持ち込むものではないです。
でなければ猫といるのはむなしいだけかも。躾でどうにかなるわけじゃないし。
重要なのは気まぐれ猫の中にとって自分の存在価値を大きくしていくかということだと思う。

しかしいくら尽くしても餌をくれる時だけしかすり寄ってこない猫がいるのも事実。
もちろん人を好きになる以上は気持ちが簡単に割りきれるものではないことはわかる。
でも現実としては共感し合える犬か、共感してくれる犬タイプの猫を対象に探すべきだよ、あなた自身の中に気まぐれ猫に対して依存的になる傾向があるんだよ、餌の時だけ寄ってくる猫には見切りをつけるべきだよと言いたくなる方はこちらに来ていた方の中にも存在します。
こちらに来ている方はアスペに限らず、定型の方も家庭環境で色々あってACに陥ってる方も多いかなと感じることはあります。
もちろんそんな人ばかりではないだろうけど、ACとアスペの組み合わせは多いと感じますね。

ACから抜け出せた定型の方がアスペを異性として好きになることはあるのでしょうか?
もし好きになる定型さんがいたとしたら、それこそ共依存ではなく、純粋にアスペの人に魅力を感じて好きになったのかもしれないけど。

カサンドラって結局は共依存だとkagewariさんのblogに書いてあったような。

本来なら猫のマニアックさを楽しむもので、そこに共感的な関係は持ち込むものではないです。
でなければ猫といるのはむなしいだけかも。躾でどうにかなるわけじゃないし。
重要なのは気まぐれ猫の中にとって自分の存在価値を大きくしていくかということだと思う。

しかしいくら尽くしても餌をくれる時だけしかすり寄ってこない猫がいるのも事実。
もちろん人を好きになる以上は気持ちが簡単に割りきれるものではないことはわかる。
でも現実としては共感し合える犬か、共感してくれる犬タイプの猫を対象に探すべきだよ、あなた自身の中に気まぐれ猫に対して依存的になる傾向があるんだよ、餌の時だけ寄ってくる猫には見切りをつけるべきだよと言いたくなる方はこちらに来ていた方の中にも存在します。
皆がそうじゃないけど。

私は変わり者だから気まぐれ猫のマニアックさを見ても飽きないですが、共感を求める方にはきついかも。

やっぱりおかしいさん

 共感を求めることの限界を人に言わずにはおれない、というのも、また広い意味では共感を求めていることになるのでしょうね。裏返しの形かもしれませんが。

 定型だろうがアスペだろうが、そういう広い意味での共感を求めることから自由な人はまずいないみたいだ、というのが、このブログをやってきて感じるところです。それが全くない人がもしあれば、そもそもブログなんて覗かないでしょうし、ましてや書き込みをすることはないでしょう。

momokoさんの時にも感じましたが、パンダさんは反対側の意見に否定的なんですね苦笑

気まぐれ猫でも認めてもらいたい気持ちはあるでしょう。ただそれは共感というよりは受け入れてもらいたい気持ちに近いと思います。
育った環境で恵まれてる人はそれだけで満たされているために、それ以降は共感を求めないタイプの人もいますしね。

人によるでしょう。
覗きにくる人皆が共感を求めるタイプの人だという概念も間違った思い込みだと思いますよ。
共感を求めるタイプの人でなくとも、多数派の荒波の中で揉まれたらそれだけでは生きていけなくなりますから仕方なく定型の感覚を学ぶために覗いている方もいるでしょう。

気まぐれ猫を好きになる人って大抵はマニアックさを楽しんでる人が多いです。
そういった人がどこかで共感を求めているというのも間違った思い込みですよ。
共感的な関係を求めるのは間違っていませんが、気まぐれ猫を好きになって苦しむ場合はまずは自分自身をみつめないとお互いに不幸になるだけですからね。

やはりパンダさんの仰ることは今でも?と思いますね。

共感を求めないタイプの人もいますし、こちらに来て書き込みをするからといって根底的には共感を求めている人とは限らないと思います。
共感は求めないけど、生きていく中では定型の感覚を知らざるを得ないから書き込みすることもあるでしょうし。

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