なんか難しい話
joさんからいただいた「猫が犬になっちゃった話」のコメントや、カレンさんの「男と女の違い」の話や、ほんとに複雑だし、大事だし、面白いといえば面白いし、根が深いと言えば深いし、広がりがあると言えばとても広がりのある話だなあと改めて思っています。
私は仕事もあって韓国にも友人が何人かあるんですが(韓国語はカムサハムニダくらいしかわかりませんけど (^ ^;)ゞ )、あっちの方では「恨(ハン)」という言葉があって、すごく大事みたいなんですね。日本語だと「恨めしや~」となって相手をのろい殺すとか、そんな話になりそうですが、同じ漢字でもこの「恨」はだいぶ違って、なんか人と人をつなぐ大事な思いみたいらしいんです。すごくわかりにくい話なんですが。
で、「我々は恨の民族だ!」とか強調するし、若い人はあんまり恨とか言わなくなってるようだけど、でも感覚的に分かるらしいんですね。
で、日常生活の中でも恨という言葉を使って人生の大事な話がされたりするみたいだし、そういう韓国の人たちの生き方のすごく深いところに根付いているように言われる「恨」なんだけど、じゃあ「恨」って何?と聞いてみると、それは説明が難しいと言うことになる。それでもなんとか説明をしてくれて、それを聞いて「ああ、じゃあこういうことかな」と確認してみると、そこにいる韓国人の人たちがそろって、「いや、そうじゃないんだよね」と言ってお互いに納得してたりするんです。
ところがほんとに面白いことなんだけど、その韓国の人たち同士の間でも「恨って何か」ということはなかなか一致しない。それぞれのひとにそれぞれの恨の見方があるみたいで、しかもそれはとても大事なもので、で、(いかにも韓国の人らしい感じですが)非常に熱くお互いにそれを語り合い、ぶつけ合うわけです。でも一致するわけではない。
じゃあ「恨」なんてないのかというと、それは違って、間違いなく恨は我々の魂だ、みたいな確信はあって、実際私の「こういうこと?」という質問に、一致して「それは違う」と言えたりするわけです。なんか基準はあるんですね、きっと。
なんかアスペルガーって何?という議論とどっか似てないでしょうか?
これは私にとってほんとに驚きでしたが、私の個人的な経験を書くと、「私と全く一緒です」とか、そいうことを書いてくださる方が何人もいらっしゃって、それを読むと、「そうか、やっぱりそうだったんだ。これはアスペルガーの問題だったんだ!」という確信が出てくる。だから「アスペルガー」なんて明確なものは無いんだよ、とは到底思えなくなります。ところが「アスペルガーはこういうものじゃないか」という話になると、「いや、そこはちょっとちがうんだよね」という議論が必ず出てくる。
たとえば有名なアスペルガーの狸穴猫さんのブログなんかでは、アスペの人同士で「定型って一体なんであんなふうなんだろう?」みたいな議論がいろいろあったりして、アスペの人たちから見た「定型像」がそこで作られたりもするけど、定型の私の側から見ると、なんかちょっとズレてるなあと感じることも多いし、人によっていろいろだよ、と思うこともあります。当然その逆もそうなわけですよね。定型が「アスペはこうだ」と納得しても、アスペの人から見れば「なんでそんな見方になるの?」とか、「私はそんなんとは違う」とか、いろいろ出てくるのだと思います。
そういうことを細かく考えていくと、結局アスペと定型の違いはどんどん分かんなくなっていく。で、「スペクトラムだ」とかいう考え方も出てくるのかも知れません。「境目ははっきりしなくて、自閉性が強い人から弱い人までいろいろいるんだよ」みたいな話ですよね。だからはっきりした線引きが出来ないという。
そういわれるとちょっと分かった気にならないでもないけど、でも皆さんのコメントとか見せていただいていると、このスペクトラムというのも「自閉性」という、なんか一本の抽象的な物差しできれいに並ぶような感じもしないんです。なんかもっと平面的というか、立体的というか、ほんとにいろんな面があって、人によってどういうところにアスペ的な部分が見えるか、(逆に言えば人によってどういうところに定型的な部分が見えるか)が違ったりする。
だからAさんについて「あの人アスペだよね」と言うときと、Bさんについて「あの人もアスペだね」という時と、同じ「アスペ」という言葉を使っていて、それで「うんそうだよね」とかお互いになんとなく納得できるんだけど、実際はAさんとBさんでは何がどうアスペ的なのかはお互いに見ている部分が違うことだってあるんだと思うんです。
で、だから結論は何なの?と聞かれると困るんですが…… (^ ^;)ゞ
難しいなと言うか、面白いなというか、ある意味豊かだなというか……
ま、ぼちぼちかんがえていきましょう。
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コメント
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猫と犬の話、うちの家族について書いたあと、「本当にそうなんだろうか?」と、疑問が湧いてきていて、
自分のことだけを考えてみても、「昔は犬で今は猫」ということだけで語れることだけでもない、「ある時は猫、ある時は犬」と自分が変身しているわけでもない、
結局のところ、「自分の中に猫的な部分と犬的な部分があって、それが相手との関係性の中でどう見られるか、ということなのだろう」・・・というところに辿り着きつつありました。
そして、それと同時に、日本人から見た私と外国人から見た自分・・・そんなことも、いろいろと考えていたんです。
そんな感じでPCを開けてみると、そこにjoさんとパンダさんのコメントが。それこそ尻尾を
ふるわけではありませんが(笑)、なんだかスッキリです。
あと、話はちょっと違いますが、
20数年勤めた職場を去って、いくつかの場所で非常勤という形で仕事をするようになったことが、私の猫的要素をおおいに育成した(?)のだと思っています。
正規職員として働いているときには大きな組織におまかせだったり甘えていたりしたところも(今思えば)、非正規雇用の立場になってからは、心身の管理をはじめ、こまごまとした手続き・仕事の進め方等々、すべて自己責任になりましたから。
また、いくつかの職場を掛け持ちしたりすると、それぞれの職場のお作法が違う。なので、その部分では、それぞれのやり方の違いを"自分で"学び、その職場に合わせて変えることも必要とされる・・・
けれども、お作法を変えたからといって、それが自分の芯の部分とか自分の存在とかいったものを脅かすものではない・・・そんなことを身を持って経験してたこの数年です。
夫との関係を再構築する上では、私の場合、こんな、家庭以外での経験もとても大きかったです。
(夫は夫で、家庭以外でいろいろと経験を積んでいて、そのこともとても大きかったと思うのですが、それについて私が書くのは控えます。)
なんだか、「なんか難しい話」をさらに難しくしたような気がしなくもありませんが(・・・(^^.)・・・)
「持って生まれたものの他に、その人や、その人の周りの人との関係性に影響を与えるもの、ひとつの例」
「どんな条件・環境が、その人の持っているある側面をより引き出すか」のひとつの例」
といったものとして、読んでいただければよいかと思います。
ここまで書いて読み返し、いろんな面での自分の未熟さにも改めて気づき、反省やらなんやら思うところはいろいろですが・・・ここまで書いたので、投稿します。
投稿: カレン | 2011年4月26日 (火) 16時58分
猫と犬の話から外国の話になって、ふと思い出したことがあります。
アフリカに長く暮らしている日本人から聞いた話です。アフリカというとライオンとかキリンとか色んな動物がいるイメージですが、その国の一般の人は自然保護区域まで旅行するお金がないから本物のライオンなんか見たことがない人が多く、犬や猫をペットとして飼う余裕もない。街にいるのは、ノラ犬とノラ猫。その国の人を日本に連れて行ったとき、街を散歩する様々な種類の犬を見て、いちいち驚いて「あれは何ていう動物だ?」と聞いていたそうです。本当、犬って様々ですよね。チワワからシェパード、鼻の長いのもいればパグもいて、毛が長かったり短かったり。びっくりしたのも頷けます。
前置きが長くなりましたが、、なぜ私はそれが犬だとわかるのか?前から疑問に思ってたんです。アスペルガーとか定型とかいうのも、そういう感じに近いのかもしれませんね。何の答えにもなってませんが。。。ちなみに、私の夫は、子犬と子猫の区別がつかないらしいです。「わかるわけない」と言ってました。
パンダさん、心配&励ましありがとうございます。理想は別として、私は私にできることしかできないし、そのできることは全部こどもに向けたいと思います。
あと前回のトピックですが、周囲からのジェンダー圧力ってありますね。私も、結婚してからも独身時代と同じく残業していたら、周りが「旦那さんのゴハンは?お腹すいたらかわいそう。」と。「大人だから自分で作るかコンビニで買ってくるでしょう。」と返事しましたけど。独身のときの私だってお腹ペコペコになりながら残業してたのに誰も心配してくれなかったよ!!!
パンダはクマ科ですよ☆(ネコ目ではあるけど、それ言うとイヌもアシカもネコ目ですから)
投稿: チロ | 2011年4月26日 (火) 20時13分
チロさん
そうか、クマ科の猫目だから熊猫だったのか! (←怪しい新説)
しかも犬も猫の目だとすれば、犬だか猫だか分からないのは当たり前ですね!
きっと子犬と子猫が区別できないことの方が正しいんですよ!
ということで、これで一件落着!
ジェンダー圧力になるのかどうか、以前、ある職場で
男性は私だけの会議、というのが月一回くらいあって、
会議と言ってもなんだかケーキ食べてお茶飲んで愚痴を言い合って、
みたいなことが結構な割合だったんですけど、
めちゃくちゃ「孤独」を感じたのを思い出しました (^ ^;)ゞ
ま、そのうちに自分も「あそこのケーキおいしいね」という
話題について行けるようになりましたけど……
男性の中で少数派で頑張る女性の苦労がちょっと分かった感じもしました。
チロさんの話とはずれちゃった気もしますが (^ ^;)ゞ
カレンさん
ということで、チロさんからの情報提供で
この件はすべて解決した、ということになりますでしょうか?
それにしても非常勤で猫になったという話はなかなか考えさせられます。
そっか、家のネコも非常勤なんですね!
全然飼い主への忠誠心が感じられないし……
投稿: パンダ | 2011年4月26日 (火) 20時58分