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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年4月 1日 (金)

ご無沙汰のご挨拶

みなさん

 ご無沙汰してます。
 コメントはすべて読ませていただいていて、わーすごいという感じなんですが、
 みなさんの間でどんどん展開していることもあるし、
 ちょっとお任せしてしまっていて、まだお返事もせず、どうもすみません。

 ここのところちょっと私事で(悪い話ではないです)ばたばたしていたのと、
 原発事故が新たな段階に入った気がしているので、
 それにどう対処すべきかを考えたりしていて、こちらに書けませんでした。
 それらが一段落したらまた書きますので、失礼の段、お許し下さい m(_ _)m


 あ、そういえば今日はエープリルフールではないですか。
 ではここで一発皆さんを騙さないといけないですね!

 さて、何が騙か、おわかりの方はコメントに解答を下さい。
 正解者には何か賞品を差し上げましょう(内容は期待しないで下さい)。
 (ただし、贈り方をお教え下さった方に限りますけど)

 では又しばらく失礼いたします m(_ _)m

 

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コメント

パンダさん
はじめまして。ブログ読んでます。
今アスペ疑いの彼と距離を置いています。
私が体調の悪いとき全く心配しない割に、優しさを感じることもあり正直戸惑います。
共通の友人に彼のアスペ傾向を指摘され、あちこち検索してここに来ました。砂漠と水の話ほか、全てが実感できます。
パートナーとしての不安もありつつ、彼の優しさは私に居心地が良いのです。ただ彼は私じゃなくても誰でもいいのかも(笑)
ブログの更新楽しみです。前向きにパートナーとの関係を見つめるパンダさんに勇気をもらってます。

まふゆさん

 ようこそいらっしゃいました。
 「前向き」とか言われると、なんだか自分の実態を振り返ってお恥ずかしい感じですが、
 とにかく後ろ向きも横向きも前向きも、いろいろ向きながら、考えていきたいです。

 一体自分は必要とされているんだろうか?
 ということへの確信の持てなさ
 というのは実際なかなかしんどいものですよね。

 またコメントなど、どうぞよろしくお願いします。

私も、夫はべつに相手が私でなくても、私と同じような機能を果たせる(?)人であれば誰でもよかったのではないかと深刻に悩んだ時期がありました。

でも、アスペルガーと定型のカップルの組み合わせのパターンを知れば知るほど、

はっきり意識しているかいないか、あるいは、口に出すか出さないかの違いだけで、

アスペルガーの夫が配偶者である私に対してある種の理想像を描いていたのと同じように、実は定型の私自身、夫に配偶者としての理想像を描いていたのではないかと思うようになってきています。

少なくとも「アスペルガー」という概念すら知らずに夫と結婚したのですから、今思えば、私としては当然「定型としての男性像」を描いて夫と結婚していたわけで、夫の実像を知って夫の実像を受け入れて結婚したわけではないのです。

でも、物理的・精神的・心理的に、100%ではないけれでも、結婚するにあたってなんらかの条件を満たす相手がたまたま(?)夫だったのでは、と今は思っています。

もし私が別の時代に生まれていたら、別の所に住んでいたら、職業が違っていたら、どこか別の時代や場所で、夫と同じような条件を持った人と結婚してたのではないか、という気がしているのです。

「夫と私」という「1:1」の関係の中だけでは思いもつかなかったことですが、「アスペルガーと定型のカップルに共通するもの」を知ってから、そんな気がし始めました。

実際の相手を知ってから・・・それからがそれぞれのカップルのスタートなのかもしれません。

パンダさん、お体の調子はいかがでしょうか?

関西に住んでいるけど、精神的に調子がよくない状態が続いていましたが、少しずつ回復し始めています。

大震災の影響は、第1弾本が印刷できないと言うことになりました。確保していた紙がおじゃんになったり印刷所が計画停電の影響を受けるところにあって、いつ完成なのかは未定でした。

何とか代わりの紙を確保し印刷ができて、今日、第1弾本が届きました。届くまで本当に大丈夫なのかと思いました。一安心した感じです。

本の発売日はわかっているのですが、大震災の影響で発売予定日より遅れるかもしれません。今編集者に聞いています。

今年1年間(4月から来年の2月まで)、自閉さんのパートナーへのサポートなどについて課題研究レポートが認められて、研究に入っています。※この課題研究レポートと言う科目があって、過去に課題研究レポートを取った学生のリストを見たら、発達障害っ子関連を研究した学生はいたが、私みたいに大人の発達障害者の家族にスポットを当てて研究した人(学生)は誰もいません。

始まったばかりなので、記録を取ったりしないといけません。

大人の発達障害向けの本はあるが、(当事者が変わっていくためには)家族が変われば当事者は変わると言うことを書いている本が多いのだが、家族(特にパートナー)への支援が必要ですよと書かれている本が見あたらないので、パートナーにも支援は必要ですよと出していきたいですね。

こんな感じです。

パンダさん

お返事ありがとうございます。
そうですね、全方向ながら前寄りといった感じですかね。(笑)
いろいろな独特の、そして話しても理解されづらい苦労がおありだと思います。
これからもよろしくお願いします。

カレンさん

お返事ありがとうございます。
いただいたメールでふと我に返ることができ「じゃあ、私は彼のどこが好きなのか」
という問いをすることで、自分を俯瞰して見ることができました。
「私にとってこの人でなくても良かったのでは?」という問いは
そのまま自分にも返ってきました。

人と人とのコミュニケーションに自信の無かった私にとって
同じような「傷」を持ったようにみえる彼の優しさの表現が好ましかったのに、
仲良くなればなるほど後回しにされる感覚、とでもいいますか、
近寄るほどに、自分が人に好かれる価値がないような扱われ方に、
次第に不整脈が出て、今は自分を守るために距離をとったのかな、と思いました。

人と人との暗黙の了解が通用しない相手との
間違った信号やプログラムの連続に、データが処理しきれず
止まってしまった状態が今です。

それでも前に進むのか、後ろに戻るのか。
そこまでして何を求めているのか、という答えは案外自分の中にありそうです。

ややもすると被害者意識ばかり募っていたのですが、
(なんで~してくれないんだろう、的な)
カレンさんの文章を読んだら、感覚としてすーっと落ちるものがありました。
長年のご経験からのお言葉、本当にありがとうございます。


パンダさん、お元気ですか? お忙しいだけならまだいい(?)のですが、何かと変化の大きいこの頃ですし、どうかご自愛くださいね。

Rosamonndeさん、いろいろ大変な中で一歩また一歩とご活躍なさっているご様子、頭が下がります。私も、私の持ち場で、自分にできることを着実にしていこうと考えています。

まふゆさん、前向きに受け止めてくださってありがとうございます!

実は、上のコメントを書きながら&書いた後、「かつての私は想像もつかないくらい、よくもこうドライと言っていいほどの考え方に至ったなぁ」とか「ここに書くにはちょっとドライすぎたかなぁ」と苦笑したりしていました。

まふゆさんも、いろいろな葛藤を抱えてこられたんですね。

私は、この頃、「アスペルガーと定型の結婚」という枠にはまらず、もっと広い範囲で、「結婚とは?」ということも考えています。

今、映画 「食べて 祈って 恋をして」の原作 "Eat Pray Love" に続いて、その続編 "Commited" を読んでいるのですが、

「そもそも結婚とはなんぞや?」「国や時代による、結婚の考え方の違い」「結婚の歴史」「恋愛のみに基づいた結婚のもろさ」とかいうことがとてもユーモラスに描かれていて、笑いながらすごく勉強になっています。(まだ今、半分くらいです。) 

「アスペルガーと定型の結婚」ということだけに囚われていると見えなくなってしまうようなことに気づくことも多く、「近くで細部を見ること」と「俯瞰的に全体像を見ること」のフィードバックの大切さをあらためて感じています。

私自身、正直なところ、まだまだ葛藤はありますが、1日の終わりには「ありがとうございました」と言えるような毎日を送れるよう努力しています。

これからもよろしくお願いします(^^)

みなさん

 ご心配ありがとうございます。

 福島原発の状況が綱渡り状態で、来週にはまたある程度の汚染拡散が予想され、まだしばらくは原子炉本体の爆発という最悪の事態になる危険性が持続していますので、そちらの状況把握とか、対処法の整理などに頭が行ってしまっています。仮に不幸にして爆発しても、対処をしっかりすれば、確実に被害を少なくできることは分かっているので、なかなか気が抜けません。http://blog.livedoor.jp/bijiben-npp/

 鬱になる前と今とでほんとに違うなと思うのは、前なら複数の結構ハードな仕事を並行してどんどん切り替えながらできたのが、全然できなくなってしまいました (T T)。切り替えるのにすごく時間とエネルギーが要るんですね。こんなことで社会復帰できるのかとちょっと不安になったりもしています (^ ^;)ゞ


 それはさておきカレンさんと繭さん、さらにまふゆさんの間にすごい深い共鳴の関係が見えたりして、「すげ~」と驚いています。ますますそういうの深まっていけばいいなと、そんなことを思ったりします。

 私の方は、子どもが一人暮らしを初めて家に夫婦だけになったのですが、なんかすごく変化が大きいです。パートオナーはあんまり意識してないみたいですが。やっぱり子どものあるなしって、きっと大きいんですね。
 
 

パンダさん、鬱の状態のときに、それ以前と同じように活動できなくなるのは当然です。

逆に、薄皮をむくように、何かが徐々に、あるいは、ふっとよい方向に向かったりすることもあるので、鬱から元気になるプロセスの中には、楽しみもいっぱいですよ(^^)v

以前と違う、以前のようにはできない自分を責めたり情けなく思ったりすることは、当然のプロセスなので、どうか遠慮なさらず堂々と楽しんでください。鬱とか、それに付随する諸々のことは、楽しもうにも、なかなか自分の意志で経験できることではありませんから(?!)

「こんなチャンス、めったにない! ラッキー!」と思えた時点が、私にとってのターニングポイントのひとつだったかもしれないと、今思います。

うちも昨年ひとり、大学生になった娘を外に出したので、パンダさんのご家庭の超バタバタのご様子、とてもリアルにわかります。

でも、これまた私はどうしてここまでドライになったのか、と思いますが、娘がよそで一人暮らしを始めても、寂しくないんですね~・・・全くと言っていいほど。

「大きな世界を見ておいで」と、ずっと思いながら育ててきたせいか、家にいない寂しさよりも、広がっていく娘の世界・広がっていく世界の中での娘の成長を見守るのが楽しいというか。周りの同年代の女性を見渡すと、こんなにアッサリしているのは、どうも私ぐらいのようなのですが・・・(^^.)

近くにいるか遠くにいるか・・・は、私にとってはあまり関係ありません。むしろ、遠くに出てからの娘と方が、しっかり関係ができているような気さえしています。

とは言え、順調にいけばうちも2年後には、下の子ども巣立っていって、夫と2人だけの生活になります。あらためて2人のオリジナルの関係を見直す&作っていく・・・そんな機会になっていくのかもしれませんね。

ともあれ、パンダさん、どうか、ときにはじっくりは休みながら、動けると時には1歩でも半歩でも。休むこと動くことも、どちらもOKなんですよ、きっと。

すみません、間違いなく私の方が若輩者なのですが、経験としてはちょっと先をやってきているようなので、ついつい老婆心(?!)からです(苦笑)

パンダさんもカレンさんも子育てプロジェクト終了間近で問題が表面化したのですね(うらやましいです)。

うちは、生活の中に子供が入ってきた段階(プロジェクト初期)で表面化してしまいました。子供がくる以前から、配偶者は、何でも自分の都合だけで動いたり(自律??)、他人を責めたり(定見あり??)見下したり(自尊心あり??)するのに、私からのアドバイスは頑固に(一貫性??)ききいれず(信念の人??)、私から見ると責任感が欠如していて(自分に優しい??)、なにかを一緒にやるのはとても困難な人だとは思っていましたが、一人一人が一緒にいる状態でも耐えられないことはありませんでした。配偶者は、それまで経験した異性と(同性とも)かなり異なったタイプの人でしたが、こんな人もいたのかと諦観も持ちながら暮らしていました。

ある時期(高齢出産の境界付近)、配偶者が脅迫的(私の仕事に影響がでる程度)に子供を欲しがり、それで責任感が成長する可能性に私も賭けてしまった感じだったです。でも、ミルクをあげるとか、オムツをみてあげるとか、あやすとか、赤ん坊の都合にあわせてしてあげるはずのことが、(私から見ると完全に)自分の都合でやってる感じ。自分がしたい時だけ。これには仰天しました。それを補なうのは、私。

話をしようにも「私は(自分のしたい時には)やってる」から、「きちんとやってる。何も悪くない」…這い這いするようになってからの私の心労はものすごかったです。使った刃物がその辺に転がしていることとか、後追いして来てるのにピシャッ戸をしめて閉じ込めたりとか、、、

本人に自覚がない虐待やネグレクトがどのような状況で起きているのか、それを発見するのが、いかに困難なことなのか、そのころにようやくわかりました。複数の人が同時に現場を押さえないことには、配偶者の話だけでは表に出ても誰も信じないということも。「躾けの名のもとに体罰」を起こしやすい性質の人がいるということも。子供の命に直接危険が及ばない年齢になってきても、幼年期の親子のやりとりが殺伐としていました。家族の問題として私が関係機関に相談に行き、わりと早期に療育が受けられたのは幸いだったと思います。

うちの配偶者は、ちょっと触れるだけでいかにも落下するような物の置き方を(刃物もですよ)するのでずっと不思議に思い、何度も口をすっぱく注意していたのですが、ちっとも変わってくれなかったです。自閉の療育所の子供たちが、おやつのコップなどを積み上げて倒れるのを見ては、嬉しそうにケラケラ笑うのを目撃してハッとしました。これだったのかもと。

相談の過程で発達障害支援センターでは、その疑いを指摘してもらってましたが、配偶者に自覚してもらうことは今もって成功していません。そのうち私自身の機能低下が深刻になりました。欝ですね。

パンダさん > 鬱になる前と今とでほんとに違うなと思うのは、前なら複数の結構ハードな仕事を並行してどんどん切り替えながらできたのが、全然できなくなってしまいました (T T)。切り替えるのにすごく時間とエネルギーが要る

視野狭窄、単一焦点、モノトラック、逐次処理、、、

自分が欝の症状を経験したときから、発達障害と欝はものすごく似ていると思っています。欝状態になると情報のインプットも狭い範囲からに限られるので、認知や知識の体系も、広範囲からのインプットに支えられて発達した人とはずいぶん違ったものになっているだろうと思います。

発達の反対相に老化があり、初老期欝というものもあると知って、自分が二度と回復しないという可能性も視野に入れないといけないと思います。むしろ体力、脳力ピークだった??歳の自分が再び出現するとは考えられないですね。

災害のような出来事のPTSDから来る欝と、緩慢なPTSD=長期にわたって繰り返し繰り返し嫌な思いを経験したことによる学習性の無気力や欝のことも興味あります。

ちゅららさんがどこかに書いてらしたように、自分のポンコツ脳との付き合い方を身につけていかないといけないのかもしれません。

joさん

joさんの言われる「問題の表面化」の中の「問題」が、どの部分を指していらっしゃるのかと考えていたのですが、

夫と私2人だけのときにはあまり問題にならなかったけれども、妊娠・出産・子育てに関する諸々から端を発していた事柄を「問題」とするならば、我が家もずっと「問題は表面化」していました。

ただ、いかんせん、それらの問題が何に起因しているかがサッパリわからないままに20年を過ごしたので、本当に混沌とした中で、夫・私・子どもたちそれぞれの、やり場のない怒りや悲しみが渦巻いていたような感じです。

「問題」を、「私が大きく体調を崩し退職することを余儀なくされたこと」と取るならば、「問
題の表面化」は5年前、ということになるのでしょうけれど。

もし、ASとわかったことを「問題の表面化」とするならば、それは、我が家にとっては「問題」というよりも「福音」でした。この「福音」があったからこその今の私たち家族です。

一番気になっているのは、この混沌の中にあって初めから大人であった夫と私はともかく、この混沌の中でずっと過ごしてきた子どもたちのことです。本当に、子どもたちには大きな傷を繰り返し負わせてしまったと、どうしようもなく自分を責めた時期もありました。

でも、子どもたちのことは救いたかったんです、どうしても。

「そのためには、自分が元気になることが先決。自分が立ち直れないままでは、子どもたちを引っぱり上げることはできない、とにかく、元気になりたい!元気になろう!」・・・4年前、そこから始めました。

小さな子どもたちがいる生活の中で日々起こる"わけのわからない危険"にハラハラしたり怒ったりしながらも、基本的に私の体調がよく物理的な生活がうまく回っているときには4人で楽しい時間もたくさん過ごせていました。このことは、子どもたちのことを考えたとき、私にとって大きな救いですし、

徐々にではありますが、子どもたちに、いろんな思いを吐き出させてやれる機会を持てるようにもなっています。それでも今後、子どもたちからは、人生のいろんな折にいろんな思いをぶつけられることになると思いますが、親の責任として、そのあたりは夫も私も甘んじて受ける覚悟です。

一時期は「もう遅い・取り返しがつかない」と絶望的になったこともありますが、「それでも、まだ・・・!」とやってきています。

まとまりませんが、自分のことを書くことで、joさんへの声かけ(?)とさせていただきました。

カレンさんへ

「福音」 とてもいい言葉ですね。
そうですね・・・ 「福音」 として受け入れていらっしゃるカレンさんが、とても、まぶしいです。

私は、主人の事業の失敗で多額の負債。その月々の返済等、結構な苦難を、-辛抱-の信念で頑張ってきました。ところが、2年前、私が体調を崩して、治療が必要になった時が始まりです。
ここが、私の「問題の表面化」ですね。カレンさんと似ています。

結局、結婚してから20年、いろいろ問題をかかえながらも、私が経済的に自立していたし、精神的にも人に頼らない強さを身に付けていたから、まあ家には母親がいればいいという感じで、主人とのことは、先延ばしでした。

ところが、自分の体調に不安を感じた時、初めてパートナーの精神的な支えを必要としました。ここで、正面から主人に向き合う必要が生じたということです。

ASとわかったことを福音と受け止められるとしたら、この福音は、人と人(夫と私)が、一緒に生きていきたいと願ったときだけに訪れるようです。

自分ひとりでも生きていけると傲慢にすべてを取り仕切っていた私ではけっして見つけられなかったと思います。自分の弱さや不完全さに気づいた時、私もやっと、夫婦としての一歩をスタートできたかもしれません。

子供については本当に不安です。
長男は「自分は父親とは違う」という確証がほしくて、大学の一年間バイトをし続けて自分を追い詰めました。そして、私に言った言葉は「お母さん僕は、お父さんとは違うよ。ちゃんと働けたよ」(社会で普通に生きていけるということ)
ところが、大学は留年という結果です。また、自信を失います。

私たち夫婦の矛盾を背負って成長した子供たち。本当に申し訳なく、幸せになってほしいを願うしかありません。
今は、私が夫の弱さも受け入れて尊重し、自分の傲慢さを認めた姿を子供に見せること、そして、母親がやっぱり元気になり幸せになることですね。

思いを吐き出す・・・
カレンさん、うちも、2日前、夫と長男が大喧嘩をしたんです。初めて真正面から。家族がやっと見えた気がしました。前に進みたいです。

※まずは・・・いろいろ考え考え書いていたら、ものすごく長くなりました。すみません。


kemeさん

メッセージありがとうございます。

最初の3行を読んで、ぶわ~っと赤面しました。「まぶしい」という言葉が、それこそごくありふれた凡人である私にはまぶしいです。

でも、「福音」だったと思っていることは本当です。2年前に初めて夫がASだとわり、それでもいろいろもめた時期もありますが、疑問や不安が出てくるたびに喧嘩をしたり尋ねあったりしながら、なんとか今の平穏な生活に至ったのですから。

病気で心身共に弱り切ってしまっていた時期を除けば、私たちは元々は、それこそ対等に自分の意見や考えをやり取りする関係にあったので、

疑問・不安・・腹が立つこと等々があれば、とにかくとことん、双方納得が行くまでバンバンやりあったり話し合ったりしてきている・・・この本音でやりあったり話し合ったりの繰り返しが、私たち独自の生活スタイルを作ってきているのだと思います。

そして、なんと言っても、「AS的思考や感覚というものがあること」「定型的的思考や感覚のというものがあること」を知り、だんだんそれに習熟してくることで、本当に日常生活が楽になりました。今では、話し合いはしても喧嘩にはなりません・・・ほんの2年前までのことを思うと、自分でも信じられないことですが。

(ASのことがわかるまでは、いつか掲示板の方にも書きましたが、それはそれは激しい闘いでした・・・双方、譲りませんでしたから・・・(^^;)・・・)

kemeさんも、とてもご苦労されてきたのですね。他の皆さんそうですが(私も含めて)、本当にそういう中をよく生き延びてこられたと思います。

でも、kemeさん、「先延ばし」にしていたことが見えたというのは、ものすごい福音ですよ!・・・というのも、私自身、もしあのまま、少なくとも体だけは元気で元の仕事を続けていたとしたら、夫との問題はずっとずっと先延ばしになっていたと思っているからです。

そして、もし先延ばしになっていたとしたら・・・

子どもたちのケアをしたり、ASと定型ということを通して私たち夫婦が学んできたことを子どもたち伝えたり、子どもたちに対してずっと今後の人生を生きていく上でのヒントを与えるなどということはもちろんできず、それどころか、それこそ取り返しのつかないような傷を与え続けていたと思うのです。

なので、私は今、体調を崩したこと・元の仕事をやめたこと・夫とやりあってきたことetc.etc.・・・とにかく、これまでのすべて流れは、私にとっても家族にとっても、よい流れであったのだと思っています。心から「あの時があったから今がある」と思えます。

kemeさんのお子さんも大学生とのこと、うちも大学生と高校生なので、お子さんの状況わかる気がします。

そうなんですよね、大人になっていくにつれて、子どもたちは自分の中に「父親的なもの」「母親的なもの」があることを強く意識するようになり、逆に私たち親は子どもの中に「夫的なもの」「妻的なもの」を意識するようになるんですよね。

「このへんはお父さんに似てる」「このへんはお母さんに似てる」「このへんはどっちにも似てない(?)」などということを、この頃、それぞれの子どもと話すことも多いのですが、

夫も私も、「AS的・定型的ということも含めて、何がどうどっちに似てても似てなくてもいいんじゃない」と思っていますし(ちょうど昨夜、夫とこの話をしたところです)、子どもたちに対しても同じようなことを言っています。

たぶん、ASのことを知らず、なんだかわからないままに夫と喧嘩ばかりしていたら、今頃私は子どもたちの中の「夫的な部分」を否定していたでしょう。

夫と私が、それぞれのことを認めたり諦めたりして折り合いをつけてきたこと&いくことは、子どもたちにとっても、自分の中のいろんな側面の折り合いとつけていくことにつながっていくのだと考えています。

気がかりではありますが、私は私の持ち場でベスト尽くし、あとは子どもたちの生きる力にまかせるのみ・・・そんな心境でもあります(実際、私にできるのはそれだけですし)。

kemeさん、ご主人と息子さんの大喧嘩もあったみたいですし、一歩前進ですね。少なくとも息子さんの思いを吐き出す場となったこと、とても大切なことだと思います(^^)

カレンさんへ

お返事ありがとうございます。
またまた、カレンさんちの歴史<笑>をお伺いできて興味深かったです。

>そして、なんと言っても、「AS的思考や感覚というものがあること」「定型的的思考や感覚のというものがあること」を知り、だんだんそれに習熟してくることで、本当に日常生活が楽になりました。

私も・・・・そういう事なのですね。どう表現すればいいのか難しいのですが、人を見る時の気持ちに幅ができました。そして、話をするとき、その人に一番伝わる言葉を選んだり、話を聞いたとき自分の解釈を入れないで聞く事を意識する場合があったりと、
初めは、こんなにも意識を操作しなくちゃならないなんて、たまらないなあ、と思っていたのですが、結局それが、人との付き合いをすごく楽にしていると体感するようになってきました。

この主人と、うまくいくようになれば、もう苦手な人なんてないぞ、って感じですか(笑)

〉あとは子どもたちの生きる力にまかせるのみ・・
なんですね。(o^-^o)

三番目の子(男)は発達障害の遺伝の話題を出したとき、
「もし、俺がそうだとしても、オレはオレ。じぶんの性格だから、別にいい!」(反抗期真っ最中)
子供は子供なりに、何かを感じとっていってるようです。

家族そして子供の話題までお話できて、楽しかったです。
それでは、また。

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