ほんとにご無沙汰してしまいました。
原発の危機的状態は過ぎ去っているわけではなく、ここ数ヶ月はすくなくとも継続しそうですが、想定される中で最悪の「爆発」という事態になったときにも、ちゃんと対処すれば被害をものすごく少なくできる、ということが分かりましたし(対処しないのとでは後の発ガン率に数十倍以上の差が出るでしょう)、対応の面でのおおよその見通しがようやく立ってきたので、ちょっとほっとして、またある意味で日常に近い状態に戻れそうな気がし始めてきました。
もちろん必要な準備や警戒はしながらですが。知り合いのすごい好意で、緊急時には子どもを一時的に疎開させる手はずも終えましたし。被曝したからと言って20km圏内はすでに避難を終えていますから、すぐに亡くなる方や重い症状になる方はまず出ないはずです。あとは十年とか二十年とか後になって、ガンになる「確率」の問題ですから、被曝したから必ずガンになるわけでもないし、もともと被曝以外の原因でガンになる人の方が圧倒的に多いわけですし、仮にのちにガンになっても、それがどっちの原因なのかはわかりようがありません。
でも特に若い人たちの場合は、そんな危険を少しでも減らしてあげるべきだと思います。その点、福島の子どもたちは本当に心配です。なにしろ福島県の調査で、全県の小中学校の4分の3の学校で、「放射線管理区域」に指定されるレベル以上の放射線量が測定されたというニュースに本当にショックを受けました。「放射線管理区域」というのは、病院のレントゲン室の前によく看板が出ているあれですね。福島の子どもたちの多くが、言ってみればレントゲン室の中のような環境で毎日授業を受け続けなければならない、というような状況になっているということになります。
放射線は目に見えないし一見普段と何も変わらない学校がそこにはあります。でも目に見えない「放射線管理区域」の標識が、実はそこに掲げられているわけです。そういう状況に大人は子どもたちを置き続けているという事態をどう考えたらいいのか。親としての責任ということを考えてしまいます。
さて、今日はほんとに久しぶりにパートナーと二人で河原を歩いてきました。私自身、ずっと家に閉じこもり状態が続いていたので、なんだか1年ぶりくらいだろうか、といいうくらいの感じで「大きな空」を見てきました。
前回も少しだけ書いたのですが、子どもが家を出て生活を始め、もう20年ぶりに二人だけの生活がまた始まったところで、ほんとに驚くほどに状況が変わりました。パートナーに「すごくかわったよね」と尋ねてみると「え?そう?」と最初はわかんない感じでしたけれど、いろいろ話している内に「そうかもしれない」と言うようになりました。
定型の私から見ると、今の変化はこういうことのように思えます。
前にも少し書いたように、そしてjoさんとも少しやりとりしたように、私の場合はパートナーと知り合ってまもなく一緒に暮らし始めて、そのころはとてもハッピーだったんですね。なんかズレはあったんだけど、それはそのハッピーさに隠れてそんなに大きな問題にはならなかった。
最初に問題が出てきたのは実家との関係でです。境界性で、私に対する強烈な精神的支配力と強烈な依存の欲求を持っていた母親(という理解は40歳になるまで分かりませんでしたが)と、そのまるで対極にいるパートナーの間で、やっぱり通常の嫁姑関係とは比較にならないような難しさがあるわけです。でも、母親の言い分も分かるところはあっても、私はまずはパートナーの味方になる形で対応し続けて、まあ夫婦関係自体は守られたわけです。
で、夫婦間で問題が顕在化したのは子どもが産まれてからでした。このこともすでに何度か書きました。それはなんでなんだろうかと考えるんですが、今日パートナーに話して「そうかもね」というふうになったのはこういうことです。
私のパートナーは一対一の関係だと、たとえば会話をしていても一応それなりに話は進みます。もちろんお互いに伝わりにくいこととか、すぐにとぎれがちと言うことはあるにせよ。でも、一対多というか、グループで話し合っている井戸端会議みたいな場ではほんとに理解ができなくなる。これは私のパートナーに限ったことではなく、アスペルガーの方がしばしば自分のこととして語られることでもありますよね。
そうすると、パートナーももちろんいろんな問題を抱えて苦しんでいた子どものことはものすごく心配で、なんとかならないかと必死だったんです。その対処の仕方は定型の私の目から見ると、「それは却ってまずい、逆効果だ」と真剣に悩んでしまうものだったのですが、とにかく本人としてはそうです。つまりここで「一対一(パートナーと子ども)」の関係がパートナーにとっては成立することになる。もちろんその子どもとの関係は彼女にとって私との関係よりも大事なものであったはずです。
ということは、彼女としてはそれでもう精一杯になるわけです。私は私の目から見て彼女のやり方に問題を感じるので、そのことで「どう子どもに対すべきか」と相談をしようとする。でもそれはパートナーにしてみれば「一対二」の関係になってしまう。私の考え方、私と子どもの関係の取り方を理解しながら、なおかつ子どもと自分の関係について考え、その二つの関係を調整することをしなければならない。
井戸端会議ができない彼女にとって、これがどれほどしんどいことであったかという風に考えてみると、分かる気がするんですね。もう子どもに向き合うことで一杯一杯で、そこですごい不安を抱えて身動きがとれない状態が続いているときに、それ以上の関係を私から求められる。
しかも私が一生懸命伝えようとすることは、子育てでの「共感的姿勢」の重要さ、というようなことになるわけです。それを手を換え品を変えて伝えようとするのだけれど、全くと言っていいほど、いや全く伝わらない。なぜこんな簡単なことが伝わらないのかと当惑しながら、私も繰り返しそれを伝えようとせざるを得ない。
そういうことがくりかえされるほど、パートナーは混乱し、その苦しさに私に対して自分を閉ざすよりなくなっていく。で、私はなぜ閉ざされるのかが分からず、子どものために相談しようとしていることがなぜこんな風に拒絶されなければならないのかが分からず、また悩むという悪循環になっていくことになります。
最終的にはこれはパートナーが私という存在を拒絶しているんだ、と思わざるを得なくなっていきました。あ、もちろん子どもとの関係だけの問題ではなくて、ここにも書いてきたいろんな感覚の違いの問題とかも重なってのことですけれど。そして離婚のことも現実的な選択肢として考え続けるという状況が続いてきたわけです。実際、この数年間は、そこまで自分のことを拒絶されるのなら、もう自分はどうにも耐え難い、というような話も何度かした覚えがあります。
そんな中で子どもは思春期の大変な時期を文字どおり命がけの大変さで乗り越え、幸いにしてしっかりと自分の足で立って巣立ちの歩みを始めてくれました。
そして、その結果として、パートナーにとって「一対多」という困難な状況が消えたのです。ほんとにそのとたん、と言っていいほどの速さで、パートナーは私との「一対一」の関係に20年ぶりに戻ってきたということになります。その結果、関係が劇的に変化してきたと思えるのです。
先日かかりつけの医者にこの話をしたら、医者もその変化に驚いていました。そして、驚きながら、とても納得していました。実際私自身が自分で体験してほんとうに驚き、そしてそう理解することでとても納得したのです。
この理解がどこまでうまくこれまでのことをつかめているのか、それは私にもなんとも言えませんけれど、気持ちの上ではかなり納得できる感じがします。とにかく新たに関係を見直していくための、大きな転機が訪れたと言うことは間違いありません。
どこまで一致できているのかは分かりませんが、とにかくお互いの関係について、今回私の説明にパートナーは「そうかもね」と言ってくれました。こんな風に共通理解がある程度成り立つのも一体どれほどぶりのことか、もう思い出すこともできないほどです。やっぱりそれだけ大きな変化だと言うことなのでしょうね。(←またもや「ね」)
…… あ、これは定型の私の側の、私に都合の良い偏った見方に過ぎませんけれども。そう考えると自分としてはなんかすっきりするところがあるし、ある意味楽ちんになれるなあという。だから別の目で見れば何かごまかしがあるのかもしれないし、そこはよく分かりません。
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