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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年3月 9日 (水)

「ね」の重み

 カレンさんがコメントでアスペと定型の違いについて、こんな風に書かれています。

*****************************
趣味とか関心とかだけでは、アスペルガーと定型の違いを云々いうことは全くできないのだと思います。私の思う決定的な違いは、例えば、上に書いたような趣味・関心について人に話すとき、
・アスペルガーの人は、「これ、楽しい」と、自分の気持ちや感覚を表現する
・定型の人は「これ、楽しいね」と、自分の気持ちや感覚を表現すると同時に、相手に共感を求める
ということなんですよね。
*****************************

 ある意味ほんとに面白いなあと思うのは、「ね」という一文字があるかないか、言葉にすればたったそれだけの違いと言うことですよね。でもこの「ね」の一文字が持つ重みってどれほどのことだろうと思うわけです。まあ、実際にはその言葉を言うときの顔の向け方とか、表情とか、言葉の調子とか、そういうものも加わってのことではあるわけですけれど、それらも含めて「ね」の一文字に象徴的にお互いのズレが現れているということになります。

 なんか、ちょっと馬鹿みたいな事を考えてみたんですが、たとえば私のパートナーに、「言葉の最後に<ね>をつけてね!」とお願いするとどうなるんだろう、とか。まあ、機械的に付け加えてくれることはできるのかも知れないけど、その場合こちらとしてはなんか共感的な関係ができたような感じがしてうれしくなるんだろうか?それとも「なんか変」とか、かえって不自然でおかしな感じになってしまうんだろうか?

 思い返してみると、私は文章の中に結構「よね」とか「ですね」とか「ね」系の言葉を使うんですね(←ほら、やっぱり!)。で、読み返してみると、「ね」ばっかりで目障りな感じがしてカットすることが少なくありません。それって自分の文章の内容に同意を求める(共感を求める)とか、同意するのが当たり前だよね(←また!)、みたいな感じがあるから、あまり多いと文章が押しつけがましいものになってしまうんですね(←!)。

 で、考えてみると、やっぱり自分が文章を書くときには、基本的に読む人の共感を求めてるんだろうなと思うわけです。だからできるだけわかりやすい文章を書きたいと思ったりもするし(なかなか難しいですが)、できるだけいろんな立場の人からの見方につながるようなものへと自分の考えを深めようとしたり、そういうことを意識的にも無意識的にも心がけているように思います。

 もちろん、自分の書いているものについて、なんでも賛成してちょうだいね、というつもりは全然無くて、「それはこういうところがおかしいんじゃないか」とか、「こういうところがたりないんじゃないだろうか」とか、「そういうことよりもっとこういうことが大事なんじゃないだろうか」とか、そういう反論が真剣に寄せられることは嬉しいし(もちろんたんなるいちゃ文付けとか、揚げ足取りとか、そういう「相手を馬鹿にするだけ」みたいなのは嫌いですが)、「その話からこんな事をさらに考えた」とか、自分の書いたことが刺激になって新しいものが読み手の人に生まれてくれるのはもっと嬉しい。

 そういうこともふくめて、対話的な世界が拡がっていくこと、というちょっと広い意味で今「共感」をイメージしようとしています。まあ、あまり言葉の意味を勝手に広げてしまうのも良くないのかも知れませんけれど、もしそういうのがあまり無理のないことだとすれば、たとえば「やっぱり豊かな個性を見ないと……」へのコメントのやりとりの中では、一種の「共感」的な関係が成り立っていると言えなくもない感じがします。

 うーんと、そうすると、この「共感」は「ね」が必要でない共感と言うことなのかな?(←あ、今度は<ね>じゃなくて<な>だ!)

 本日の結論: よく分かりません (^ ^;)ゞ
 

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コメント

昨日の「勝負」&今日の「ね」、両方とも、読みながら爆笑でした。

たった2年ほど前まで、いやと言うほど「勝負」かりしていて、それも、たったひとつの「ね」が発端だったりして・・・でも、今、それを思い出しながら爆笑しているのですから、

人生、本当に、何がどうしてどう変わるのかわかりませんよね(←!)
人生、本当に、何がどうしてどう変わるかわかりません(←の方がいいのかな?)

いろいろ思うところはありますが、今からいろいろ書いていると遅くなるので、今日はこれで終わります。おやすみなさい。

上のコメントの訂正:「勝負」かり→「勝負」ばかり (^^ゞ 

パンダさん、みなさん、お久しぶりです。
2月半ばに風邪をひいてからなんだかずっと引きずって不調でした。いまだにすっきりせず参っていますが、今日はとってもうれしいことがあったので皆さんに聞いていただきたくって。

今年に入ってから、私自身は、風邪をひいたりはしても、精神的にはずっとほぼ安定していたのですが、ずっと一つ気がかりなことがありました。私は夫との関係に安心できるものを見出していたのですが、夫の側がどう思っているのか今一つわからなかったのです。私の側から今の心境を話しても、「そうなんだ。よかったね。俺?うーん…」と自信なさそうでした。

夫の暴言や罵詈雑言には、ましにはなったけれどまだ悩んでいる、というような投稿をこちらのコメント欄や「掲示板」のほうで書き込んでいましたが、数日前、「あれ、なんか最近激減したなあ・・・なんでだろう?」と思ったんです。

私が何かしたというわけではなさそうです。ただ、思い出してみればここのところ、
「俺が怒らないとななや○○(娘)のストレスが減るんだよね?」みたいなことを何度か言われて、
「うん、そうなの。そうしてもらえるとうれしいな」
「努力する…」
みたいな会話をしていました。

それから、
「ななはこのレベルで『怒る』ってとるのか。これは怒ってるんじゃなくて、邪魔(私のことではなく別物)なものを『邪魔だ!』と表明しただけなんだけどな」
「えー、絶対怒ってるよ!いや、私がどう思うかはともかく、あなたは怒っているんじゃないんだね。でも、思うなとは言わないけど、表明しなくていいから。」
「ななはこういう時『邪魔だ!』と思わないの?それとも「表明」しないだけ?それは、「表明」するほどのことじゃないから?それとも我慢しているの?」
「うーん、思う時は思うけど、あなたほどは思わないのかも。思っても言わないのは…口にするほどじゃない場合もあるけど・・・そうだなあ、やっぱ我慢してるんだろうなあ。」
「そうか、やっぱりそれは我慢することなんだ」
「でも、もしかしたら耐えられなさの度合いがあなたのほうが大きいんじゃないかなあ?」
「そうなんだよ!」
そんな会話もしました。

そんなことを繰り返しながら、どんなとき、どんな程度だと私が受け入れられないのか、というようなことを確認しているようでした。

また別の日には、しばらく話をした後、「そうか、こういう表し方なら、今までななが嫌がってきいてくれないと思っていたのと同じ話しでもななは嫌がらずに聞いてくれるんだ。話ができるんだ。」そんなことも言っていました。

そして、「うれしかったこと」というのは、今朝、はじめて夫が
「ななのことも子供たちのことも自分のこともなんか全部すっきり納得できた」
と言ってくれたのです。

頭ではもっと前から理解していたんだと思いますが、それが現実の実感としてわかったんだと思います。ここのところ、今までにないくらい穏やかで、安心して一緒にいられるようになっていた実感と、夫のこの言葉。ほんっとにうれしかったです\(;∀;)/。

なんか一方的なご報告になってしまいました。最近のパンダさんの記事や皆さんのコメントをさかのぼりながら読ませていただいている途中なので、そのお話はまたあらためてにさせてくださいね。

ななさん

 なんか、ほんとに良かったです。
 
 どんなふうな経過でパートナーの方がそんな風に考え方を切り替えて行かれたのか、
 お互いの関係がだんだんと変わって行かれたのか、
 上に書かれたこと以外にも思いつくことなどがありましたら、
 また機会がありましたら是非教えてください。

 そういうみなさんの経験の積み重ねによって、
 さらに何かが見えてくるだろうと思います。

 そういう意味でも、ななさんの喜びは多くの人の宝物ですよね。

カレンさん

 いやあ、このブログで爆笑が出るようになればもう安心 (?)
 シビアな問題ほど、明るく楽しく(も)取り組まなければと思ってます。

 定型とアスペの両方の人が一緒に爆笑できるようになれば
 これはもう最高ですね。

ななさん

お互いに、安心して一緒にいられるって、とてもとても嬉しいことですね(^ ^)
私も嬉しくなりました。

ななさんとご主人の会話が、どちらも歩み寄る気持ちが感じられて、素敵な会話だなぁと思います。

体調、お大事にして下さい。

ななさん、よかったですね!
ななさんのコメントを読ませていただきながら、じわじわと嬉しさが胸に広がってきました。

「・・・全部すっきり納得できた」というご主人のお言葉、なんか、すごくないですか?!
思わず拍手したくなりました(^^)

私は語尾に「ね」を、夫からリクエストをされたことがあります。
それまでは「おいしい!」とか「楽しい!」と言うことが多かったのですが、それでは、と「ね」を付けて言ってみました。
そうしたら、今度は、「『ね』の後で、相手の反応を待とうよ」とリクエストが。
むむ、待つのか…と、待ってみました。
「『ね』を付けて、待つ…」を実行中、
夫「いや、自分のこともしてていいんだよ」
私「同時には出来ないから」
夫「…」

その後、「ね」のリクエストは「付けたくなった時だけでいい」に変わりました(笑)

共感的な感情のやりとりを見ていると、「こだま」のように感情が反響しあっているように見えます。
嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、怒りや笑いも、そうやって反響しあって昇華するのかな、と思って夫に聞いてみたら、彼はそうだと答えました。
なるほど、と思うと同時に、夫の感じるさみしさを垣間見たように思いました。

最近は、上記のようなリクエストや話し合いは殆どなくなって、夫も何かしら納得してくれているように感じます。
私も前より「ね」を使うことが増えたかもしれません。

ななさん
よかったですね。私たちも中身は違うものの、よく似たやり取りを繰り返しています、今でも。
そしてこれからもそんなやり取りが続いていくんだろうと思います。

繭さん
こんばんは。ご夫妻でのやり取り、とてもいいですね。そっくりそのまま私たちが取り入れられるとは思いませんが、参考にさせていただきます。

パンダさん
私も今回、カレンさんとは違う部分ですが、笑ってしまいました。ちょうど、昨日、上司に怒られてムシャクシャして帰宅途中、パンダさんのブログを覗いてみたら、「ね」のオンパレードでなんだか愉快になったんです。電車の中でクックッ笑ってたので、不気味だったかも。
心配していただいて、ありがとうございます。お義父さんとの話し合いなんて正直めんどうくさいし疲れるけど、大丈夫です。私のブログは、記録と自分の考えを整理するためでもあるので、内容がグチや不満中心になってしまいますが、離婚するにしろしないにしろ、明るい方向に向かっている感覚があります。みなさんのおかげです!

ななさん
すごいですね。どんな風にそう思えるようになったのか具体的にはイメージできないけど、雪が溶けるような感じなのかなぁと思いました。本当によかったです。

繭さん
『「ね」をつけて、待つ』を実行する繭さんを想像して、なんか面白いし、かわいい!と思ってしまいました。←部外者のお気楽な感想です。当人にとっては、そんな軽いものじゃないですよね。でも、夫さんも、繭さんがそうやって努力している姿を見て、さみしく感じる必要ないんだと納得したんですね。

カレンさん、カレンの夫さん
お二人そろってコメント。言葉がうまく浮かびませんが、すごいなぁ。。。

今後もいろいろ学ばせてください!

チロさん

 そうですか!電車の中で一人笑ってたんですね!あれ、笑った後で恥ずかしくなったりしますよね (^ ^;)  でも、このブログでそんな笑いが生まれるのはほんとに嬉しいです。

 繭さんのエピソードは私も微笑んでしまいました……というのは嘘で(爆)笑でした (^ ^;)ゞ

夫が昨夜、「繭さんのコメントによると、定型の人相手には少し、"しつこい感じ"でやってみるといいらしい」とか「俺も "しつこい感じ"を試してみる?」などと、本気とも冗談ともつかない感じで言っていたので、「"しつこい感じ"っていったい何のことだろう?」と思いながら、ここのコメントを読みました。

夫の言う、"しつこい感じ"というのは、語尾に「ね」をつけるお話だったんですね(笑)

チロさんが言われるように、繭さんがこれを試していらっしゃる様子は、思い浮かべてみるとすごく可愛らしくて思わず微笑んでしまうのですが、夫が急に「今日は寒いね」「これ美味しいね」「これ面白いね」などと言い始めたら・・・う~ん、私はどう感じるんでしょう(笑)

ちなみに、夫の今の職場の皆さんの雰囲気もあってか、夫は1年ほど前から、人の話に対して「~だよね」という相槌を打つようになったのですが、その「~だよね」を初めて聞いた時の私の驚きと言ったら・・・!(夫本人にも、その驚きは伝えました。)

夫をアスペルガーと認識し始めた私、そして、私を定型と認識し始めた夫、

それぞれが、相手がそういうものとして認識して、相手に対する接し方を変えたら、またそこですれ違ってしまうのかな???・・・なんて、本気半分・冗談半分で空想しています。


チロさん

チロさんのブログで何度かコメントを試みたのですが、私のPCが書き込みを許可してくれなくて(?)、結局1度もコメント入りませんでした。

なので、この場を借りて・・・

子どもさんのことや将来を考えるにしても、とにかくまずは自分の元気が一番ですよ(^^)v

カレンの夫さん、カレンさん

こんにちは。
カレンの夫さんの"しつこい感じ"に、思わず笑ってしまいました(^ ^)
そういえば私も、夫から「ね+反応確認」のリクエストを聞いた時は、「そんなに何度も確認が必要なの?」と不思議に思いました。

結局「ね」はあまり使いこなせなかったのですが、最近は、「(夫)さん、これおいしい? 私はおいしい!」というような言い方をしています。
反応を待つ方は身に付かないままです。
夫からは「感想を言うから少し待って!」と言われたりします(笑)

先日、カレンさんから共通点のお話をしていただき、不思議なような、嬉しいような、ふわっとした気持ちになりました(^ ^)

共通点で思い出したのですが、私達夫婦も互いに「さん」を付けて呼び合っています。
付き合い始めからずっとそうで、家の中では部屋もそれぞれ別に持っています。
何かそういった、心地よい距離感のようなものがあるのかもしれないと、考えています。

チロさん

面白がっていただけると嬉しいです。
その時は一生懸命なのですが、後で離れて見ると、「ショートコントのようだ…」と思うことがあります(笑)

繭さん

アスペルガーか定型かの違い以外のところでは、繭さんと私、そして繭さんご夫婦と私たち夫婦、またまたすごく似ていますね。

「勝負&話し合い」の感じ・かつては物を投げたこともあったこと(←投げていたのは私だけ(^^;)・距離の置き方(←やっとここ数年で置けるようになった)等々。

それから、ご主人の台詞(←「勝負」のところのコメントに書かれていたもの)と夫の台詞もすごく似ているし、でも、なんだか、ご主人の台詞は私の台詞とも似ているし・・・ということは、そういう意味では夫と私も似ている・・・ということなんでしょうね(笑)。四者それぞれの間に共通点が多いとでも言うのでしょうか。

「反応を待つのが苦手」というお話も、繭さんから伺うと新鮮です!

繭さんでもそうなのだったら、夫がそれを苦手とする(と、以前自分でも言っていました)のは仕方がないかなぁ、なんて、思ったり(笑・・・カレンの夫さん、失礼!)

それにしても、繭さんも、物を投げていらっしゃった(!)、そして、ご主人とショートコントをしていらっしゃる(!)・・・なんだか、安心したり爆笑続きだったりしています(^^)

カレンさん、こんにちは。

今頃のコメントを、失礼します。
先程、カレンの夫さん宛に、「がっぷり組み合う」ことについての書き込みをしました。
興味深い共通点が沢山ありますね(^ ^)

カレンさんが物を投げている様…想像してしまいました。私達の場合も、物を投げるのは私で、夫は壁や大きな家具にあたっていました。

以前は物を投げたり、壊してしまうと、強い罪悪感を感じたり、苦し紛れの正当化をすることが多かったのですが、「自分や相手を守るために、身代わりになってもらったんだ。ありがとう」と思えるようになってから、少しづつ、そういった行為を必要としなくなりました。

ショートコントは、しょっちゅうです(笑)
夫と激しい言い合いの最中に、彼のふとした仕草が私のツボにはまり、堪えきれずに爆笑…怪訝な様子の夫に説明して、彼も苦笑い。うやむやのまま平和解決したこともありました(^ ^)

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