2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 「翻訳」の可能性:joさんとの対話 | トップページ | 対話と翻訳と解釈と »

2011年2月 2日 (水)

本日の大発見!?

 きょう、ななさんからいただいたコメントを読ませていただいて、「やっぱりそうか!」と思ったパンダ版大発見がありました。まずはそのコメントの「やっぱりそうか!」の部分をご覧下さい。

ななさんのコメント

 「そして、わたしも、「夫が見ているのは実際の私ではなく、自分の頭の中に『こうである筈だ』と作り上げた幻の私だ」、と思いました。夫の見ている世界そのものが、現実の世界ではなく「夫の頭」というコンピューター上に作られた、現実にとても忠実に作られた仮想世界、その中で彼はあらゆることをシミュレーションしている。そのシミュレーションを現実であるはずだと思っている。そして、当然生じる本当の現実との差に「なぜだ(怒)?こうなるはずなのになぜならない!?」といつも怒っている。そんな印象を受けていました。」

 ななさんはご自身が定型で、パートナーの方がアスペルガーというご夫婦です。パートナーの方は結局定型の世界で生きているななさんの姿をありのままに見てくれることなく、アスペルガーであるご自身の理解の仕方に無理矢理当てはめてななさんを見ていて、そしてその姿からズレると言って怒る(当惑する)、ということですよね。

 定型同士の間でも、相手が実は無意識に自分の中に初恋の人の像を重ねていたとか、あるいは母親(または父親)を重ねていて、「本当の私を見てくれていない」と苦しむという話にはときどき出会います。手塚治虫の「シュリ」という大河漫画でも、終わりの方にそういう構図を下敷きにした感動的なシーンが出てきます。

 そういうところでななさんは苦しまれていたわけですよね。

 では、次にご自身がアスペルガーで、パートナーが定型という逆パターンの繭さんのコメントを見てください。


繭さんのコメント

 「自分としては、気持ちも行動の理由も説明しているのに、相手にはそのように伝わらない。夫が見て聞いているのは私なのだろうか?それとも彼の中にある得体の知れない誰かなのだろうか?と混乱しました。」

 実に、全く同じパターンではないでしょうか。

 一方は定型の視点からアスペルガーのパートナーの方について感じたこと、そして他方はアスペルガーの視点から定型のパートナーの方について感じたことと、その構図は正反対ですし、もちろん相手も全く別の人であるにもかかわらず、そこで感じる困惑の形(パターン)は全く同じなわけです。

 定型の側からはなぜアスペルガーの人が自分についてそういう見方をするのかがよく理解できない。アスペルガーの側からは定型の人が自分をどうしてそういうふうに見るのかが理解できない。その理解できない具体的な内容はそれぞれ違うものです。ところがこんなふうに「相手は自分の中に別の人を見ている」と感じて戸惑う、その悩み方はほとんど一緒と言えることになります。

 これはアスペと定型のコミュニケーションを考えるときに、すごく大きな手がかりにならないでしょうか?お互いほんとに理解し難いくらいにずれていて違うんです。でもそのズレを受け止める受け止め方、悩み方にお互いにすごく通じる部分が見えてくる。

 いや、実は私がこのブログを始めるに当たって、何よりもまず見つけたかったのは、実はこういう種類のポイント、こういう種類の手がかりなんですね。ということで、他にもななさんのコメントですごい大事なことを感じたんですが、今日の所はこれでもう十分と言うことでおしまいにさせていただきます m(_ _)m

« 「翻訳」の可能性:joさんとの対話 | トップページ | 対話と翻訳と解釈と »

コメント

え、繭さんって、ASの女性だったんですか!?パンダさんの過去の記事は読ませていただいたのですが大急ぎでしたし、皆さんのコメントもあまり読んでいなかったので、知りませんでした。繭さん、ごめんなさい。

実は、今日のパンダさんの記事を読んで、もう一度私が前回コメントした時のパンダさんの記事と皆さんのコメントを読ませていただきました。そして、気づいたのが、私、繭さんのコメントとカレンさんのコメントがごっちゃになった状態でコメントを書いていました。いろいろなところに書かれているカレンさんとご主人のやり取りやカレンの夫さんの「思いやり」に関するご意見とか、本当に私と夫と良く似ていると思うことがたくさんあります。それで、繭さんのコメントもいつの間にかカレンさんのものと勘違いしてたみたいです。
繭さん、またまたごめんなさい。
でも、繭さんの仰ることがそれだけ違和感なかったってことですよね。本当に、もう一度読み直してみても、やっぱり私と夫が交わしたのととてもよく似た会話です。パンダさんが引用なさった私のコメントは、繭さんがASと知らずに読んだ繭さんのコメントの引用の部分に「私と同じだ!」と思って書いたものです。

夫の側も私と同じくらい戸惑い、困惑し、苦しみ、努力してきたことは承知していたつもりでした。でも、それがここまで共通しているものだとは・・・。なんだか、鏡の向こう側とこっち側の住民が、互いに自分の世界のほうが実体だと思って暮らしているみたいな不思議な感覚になりました。

繭さんが書かれたご主人とのやり取り、それはそのまま、繭さんのご主人→私の夫、繭さん→わたし に置き換えられるのですが、でもASと定型が逆になっている。これって、どういうことでしょう?何が共通で、何が違うんでしょう?
夫婦のどちらが会話を主導する側か、ということ?--うちは圧倒的に夫が主導します。
夫と妻、男と女の違い&共通点?--そういえば、Astonさんが、女性ASの夫婦は10組しか知らないが、興味深いことにその夫は全員ASであり、その妻たちの訴えは定型の妻たちとまったく同じでした、というようなことを書いておられました。それも関係あるのでしょうか?

うーん、すぐには考えがまとまりませんが、とにかく分かるのは、本当に本当に「文化の違い」なんですね、ASと定型って。

ところで、さっき久しぶりに夫のAS語を生のまま(?)ぶつけられました。夫のAS語はそのままではやっぱり対応不能です。夫の側がそれを二人の共通語に翻訳して出してくれないと受け入れられません。ただ、いろいろ分かったので、夫のAS語に接しても打ちのめされることはなかったですけれど。
この辺は、翻訳は所詮翻訳、ということになるのだろうか、それとも、定型同士でも感情的になったりしてぶつけるべきじゃないことをぶつけることもある、ただ文化が違うから違和感が大きいだけ、と考えるべきなのか、などとも考えています。
たぶん後者かな、と思いますが、それは単にそう思いたいという私の願望かもしれませんね。

ななさん

いえいえ、お気になさらずです。
私と同じパターンの会話を、反対の立場のななさんが経験されているのですね。
そしてパンダさんはそのまた反対(私の夫と同じ立場)で経験されている…。
なんだか不思議です。

私の夫はおそらく定型です。私から見ると、アスペルガー的要素は感じられず、共感力が豊富にありそうです。ひとつの目安と言われているAQチェッカーの得点は一桁でした。
やっぱり不思議ですね。じっくり考えてみようと思います。


パンダさん

>ところがこんなふうに「相手は自分の中に別の人を見ている」と感じて戸惑う、その悩み方はほとんど一緒

相手を理解したい、理解できている筈という姿勢も一緒なのですよね。
今日の書き込みは、私の処理速度を超えているので、じっくり考えてコメントさせて頂きますね。

ななさん 繭さん みなさん

 お互いの発言がお互いの予想を覆して「一緒だ!」ということにいきなり出くわして、
 「なんじゃこりゃ?」と今までの固定観念がぶっ飛んでしまう。
 そして改めてお互いを見つめ直す作業が始まる……

 もう、私、こういうの大好きなんです!
 こういうところからこそ新しい世界が切り開かれていくんだと思うんですね。

 今、ほんとに幸せ~ happy01
 

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。
またまた過去のテーマにコメントしてすいません~

このテーマは少し気になったので書いておこうと思いました。

私も繭さんとななさんのような経験は幾度となくありました。
対男性限定ではなく女友達も全てです。

何度も何度もそんな風なこともあり色々と学んで分かったのは、
人は何事も正しくみれていないということです。

もうすこし分かりやすく言えば、
「目的に応じて必要な部分しか見えない」と言えそうです。

恋愛相手で言えばとても分かりやすいので、例としますと、

 私と初めから結婚したいと思っていた男性は、
 明らかに「目線」が違っていて、
 求められている全ても、視点も違っていました。
 (3桁デートして分析した結果です~)

これは、定型もアスぺもそうなのですが、
「限られたエネルギーの配分」でjoさんが書いて下さった文章と、

---以下引用(joさん)------------------

>錯覚は、このブログのテーマにすごく大きなヒントがあると思います。フツウの人間の知覚、感覚、(感情も?)は、色々な自動補完機能が働いていて、例えば、光というのは上方から当たるものだ、とか、そういう大抵の場合あてはまるようなことを前提にしてモノが見えたり認識できたりするしかけがある。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-7364.html

----------------------------------

最近のテーマ「パートナーの鋭い人間理解」から推測すると、
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-521d.html

アスぺは、色々な自動補完機能が働いていないことが多いから、
物事を正確と捉えれるという可能性も秘めている。
(※少し統合的一貫性とも関連ありだと予測している・・・)

しかし、優れた色々な自動補完機能のある定型と関わった時、
その物事を正確に捉える可能性は、

受け取り手によっては、「妙」にも、「素晴らしく」なりえる。

ななさんの場合は、それが妙になってしまい、
繭さんの場合は、繭さんが、正確に捉えても、それを誰とも共有できず、
パンダさんの場合は、それを正確に評価できた。

といえそうだと思えましたー

私は、色々な仮説を立てて検証しているだけですので、
何かしらの意見を頂けると非常に嬉しく思います~(*´▽`*)

でも、興味なければスルーしてしまってください☆彡

アスペルガールさん

 おはようございます。

>アスぺは、色々な自動補完機能が働いていないことが多いから、物事を正確と捉えれるという可能性も秘めている。

 「正確と(に?)捉えられる」という言い方よりも、私としては
 「見る視点が違うから、お互いに相手には見えていないものが見えている」
 という言い方の方がしっくりきます。

 それぞれの生きるスタイルの中で、アスペルガールさんの言う
 「目的に応じて必要な部分しか見えない」
 という状態にお互いになっているんだと思うんですよね。
 だから、どちらが「正しい」というようなことは決めるのが難しそうに思います。
 「この視点から見ればこれが正しく見える」ということはありますけれど。

 その中でも、お互いに「ああ、これはこの見方が納得できるよね」 
 というような共通の見方が見つかってくればいいなあと思いますし、
 少しずつそういうのを模索していきたいです。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。
過去の記事にも関わらず、ご返信くださり有難うございました。

---以下引用---------------------

>だから、どちらが「正しい」というようなことは決めるのが難しそうに思います。
>「この視点から見ればこれが正しく見える」ということはありますけれど。

--------------------------------

そうですね(´▽`*)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/38707826

この記事へのトラックバック一覧です: 本日の大発見!?:

« 「翻訳」の可能性:joさんとの対話 | トップページ | 対話と翻訳と解釈と »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ