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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年2月 5日 (土)

他人の気持ちは本当にわかる?

 「対話と翻訳と解釈と」に対して、アスペルガー傾向と言われる繭さんから頂いたコメントに、何か触発されるところが多くて、今日はちょっとそこから考えさせていただきたいなと思います。

 以下、頂いたコメントをそのまま順に見ていきたいと思います。

> 私は「あなたにとっては、そう(感じられる)なのだね」という言葉がとても好きです。
> これを親しい人に言われると、とても安心します。自分の大切な人にも言います。

 この言葉、学生時代にちょっと興味があって、よその学部に潜り込んで臨床心理関係の授業を聞いたとき、カウンセリングをやっている講師の人が「こういうふうな言い方をするといい」と言っていたのですが、なるほど、とすごく印象に残った言葉なんです。その意味はこんなことでした。

 その講師は「相手の話を受容的に聞く」ということを一番強調する、ロジャース派というやり方があるんですが、その派の人で、「受容的に聞く」とか「共感的に聞く」というのはどういうことか、ということをわりと丁寧に話してくれたんです。で、日本人って「受容」とか「共感」が大好きなので、ロジャース派はウケが良いし、その他のカウンセラーも基本的には「受容」とか「共感」をすごく大事にしてるみたいです。

 ただ、その講師が言うのには、日本で言われている「受容」とか「共感」というのは、ロジャースの言うのとはちょっと違って、すごく日本流だと言うんですね。(これは私の喩えですが)言ってみれば「男はつらいよ」の世界で「なんでも受け入れてあげる」「私はあなたのことは何でもわかってあげる」みたいな、そして違いを言うと「それを言っちゃおしまいよ」と言われそうな……ちょっと乱暴な喩えですが、そんな感覚で理解されている。

 でも、カウンセラーだってひとりの人間で、相手の人が話すことを心の底から受け入れるなんてできるわけないし、何でもわかっちゃうなんていうこともあり得ない。極端な話、「私、何をやっても駄目で、もう死にたいんです。」とか言われて、「ああ、わかります。そうですね。もう死ぬしかないですね」とか、「共感」して「受容」は出来いないわけですよね。それとか「もう憎くて憎くて、殺してやりたいんです」と言われて「その気持ち、よくわかります。もう殺すしかないですよね」とも言えない。もちろん「共感」して「私もお手伝いします」なんてあり得ない。

 でも「あなた何を言ってるんですか!そんな弱気なことでは駄目じゃないですか!みんな苦しみながら頑張ってるんです!あなたももっと頑張らなければ!」とか、そういう言い方はこれもまた最悪の受け答えになります。全然相手の人の死ぬほどの、あるいは殺したいほどの苦しみを受容せず、一方的に否定しているわけですから。

 で、受け入れることも出来ないし、否定も出来ない、という時に「理解」を示す言葉、それが「なるほど、あなたはそう感じるんですね」という言い方になるわけです。これは「私は必ずしもそう思わないけれど」という意味を含みながら、でも「あなたの立場に立てばそういう気持ちになることは理解できる」という態度を示していることになるからです。それは「私とあなたは違う人間なんですよ」ということを前提とした言葉です。

 だから、場合によって「あなたの言うことは私にはよくわからない」と伝えることも、ロジャースの共感的な受容的な聞き方では重要になるわけです。よくわからないのに「ああそうですね」とは言ってはいけない。それは本当の共感ではないことになります。わからないときにはわからないと伝えた上で、それで拒否するのではなく、さらにわかろうと努力する態度を維持することが受容的ということだろうと思います。

 まあ、聞いた話なので、この理解でどこまであってるのかわかんないんですが (^ ^;)ゞ 、私の場合、そう理解して面白いなあと思ったし、大事なことだなと思ったんですね。

 ですから、繭さんが

> 今日までの記事を読んでいて、上の言葉が浮かびました。

 と書いてくださったことは私にはとても嬉しいことでした。ひとりひとりみんな生まれも育ちも感じ方も考え方も違って、相手を完全に理解するとか受け入れるなんていうことは逆立ちしても不可能で、でもそういうそれぞれに個性を持った人が、自分を否定するのでもなく、相手を否定するのでもなく、かといって適当になれ合うのでもなく、お互いに自分と相手を大事にしながら少しずつでも理解を深めていくという姿勢を維持していく場。このブログもそんな場になってくれればなというのが私のささやかな願いなので。

 さて、そういう私にとってはとても意味を感じる「なるほど、あなたはそう感じるんですね」という言葉ですが、実際の生活の場でこの言葉を使うときはやっぱり難しさもあるように思います。これは特に「全面的に受け入れてもらう」ことをすごく重視する日本の人間関係ではそうだと思うのですが(欧米や中国などでは言ったことにばんばん反論が来ますしね)、言い方によっては「あなたはそう感じる、私はそうでない。だからあなたと私は合わない」と、突き放され、拒否されたように感じられてしまうことがあるからです。

 「突き放してる」のではなくて、「もっと理解したいと願っている」ということがうまく伝わるかどうか。もしかすると特に日本の人間関係では、そのことをさらに付け加えて態度や言葉で表現することが必要なのかも知れません。「今はまだわからないところがどうしても残るけど、また考えてみるし、教えてね」など。そういう態度がお互いに取れるようになれば、多分関係はずいぶんと変わると思えます。ここでもやっぱり「お互いに」ということが大事だと思うのですけれど。そうでないと、たんに「なんてお前は物わかりが悪いんだ!」と一方的に決めつけられておしまい、ということにもなりかねません。

 もうひとつ、次の文章

> 私は子供の頃、周囲との摩擦が大きかったので、自分と周囲への違和感の自覚は早くからありました。なんというか「自分の見ている世界はおそらく他の人の見ている世界と違うだろう。そして、きっと皆それぞれに違う世界を見ているのだろう」というような。
> そんな認識でしたので、私には誰かの考え、感じていることを想像まではしても、確信を持つことは出来ませんでした。

 パートナーと話していても良く言われることなんですが、「他の人がどう考えているかはわからない」ということをアスペルガーの人はかなり強調することが多いように感じるんです。で、それは「アスペルガーの人は他者の気持ちを理解する能力がない」というふうに解釈されることが結構あるように思えます。でも、このブログでも何度か考えてみましたし、よく話を聞いていると、定型とは違いがあるかも知れないけれど、実際はアスペの人なりに他者の気持ちを理解したり、共感したり、あるいは「思いやったり(定型語)」しているように私には思えるのす。

 だから私にはなんだか「他の人の気持ちはわかるはずがない」ということを、アスペルガーの人はある意味「過度に強調している」ように感じられたりしたんですね。で、なんでなんだろう?と考えていて、最近感じ始めていたことが、ちょうどここで繭さんが書いてくださったことのような話だったんです。

 定型の人間だって、「私はあの人の考えがよくわかる」とか「あの人の気持ちがよく伝わってくる」と言うことはままありますが、もし面と向かって「本当にわかるんですか?それはあなたが想像したに過ぎないんじゃないですか?どうしてそう言い切れるんですか?なにか証拠があるんですか?」とかしつこく聞かれ続けたとすると、多分ほとんどの人は、「まあ、絶対とは言えないですけどね。多分そうだと思うんですが」みたいな言い方になっていかないでしょうか。

 実際、理屈から言えば、私と他人は違う人な訳ですから、「完全に同じ」ということはあり得ない。だから「完全にわかる」ということもあり得ないわけですね。でも定型同士の関係では多少のズレがあったとしても、そこにはあまりこだわらずに「同じだ!」と感じたり、言ったりするわけです。逆にそこにこだわりはじめると、「まあ絶対とは言えないですけどね」の話になっていく。そうするとある意味ではアスペルガーの人と同じ言い方になるわけです。ただそこまでこだわらないことで定型の日常生活が作られている、とういうにすぎないとも言える。

 つまり、アスペと定型の間では、どちらも感情の理解や共有ということがあるのだけれど、その仕方になにかズレがあるために、少数派のアスペの人は回りとうまく共有できない体験を子どもの内からいやというほど繰り返し、逆に共有できた体験はとても限定的なものになって無視されてしまう。そういうことの結果、「理解できない」「共有できない」ということが基本である、という感覚になるのではないでしょうか。で、逆に定型に「わかる」と簡単に言われると、「そんなことあり得ないじゃないか。なんていい加減な」という気持ちにもなる。

 もしそうだとすれば、「アスペルガーの人は感情理解が出来ない」という決めつけ的な見方を少しほぐして、理解の仕方が定型とズレる、という観点から、もう一度お互いの理解の仕方を考え直してみる必要があるように思えるのです。

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コメント

おはようございます。
繭さんのコメント、それに対するパンダさんのコメントを興味深く読ませていただきました。

「周囲に対する違和感」は私も物心ついた時からありました。そして、ここが私の「変わってる」ところなんですが、「みんなそう」だろうし「それが当たり前」だと思っていたんですね。だから、自分一人だけが居心地が悪いとは全然思っていなくて、「みんながそれぞれに」居心地の悪い思いを抱えながら生きているんだろうと思っていました。

長ずるにつれて、少しずつ「周りが見えてくる」と、どうも考えていたのとは違うようだと感じるようになり、「模索」というか「試行錯誤」をするようになったのではないかと、高校時代・大学生の頃を振り返って思います。
特に対人関係において、中学生までとそれ以降では明らかに、自分の「人に対するふるまい」が変化しています。何か大きな事件があったというのではなく、事前にそれを回避した感じでしょうか。
いわゆる幼馴染によく言われるのが「お前変わったよね」「昔のおまえだったら、絶対そんなことはしなかった・言わなかった」「昔のお前は『無敵』だった」という類のフレーズです。

ここまで書いて、はたと考え込んだのですが、私には「ちゃんと」幼馴染がいるんですね。
いろいろな書物やブログなどに綴られる、ASの方たちの幼いころからの人間関係における苦しさやつらさ。私自身は、そんな感情をそれほど、もとい、ほとんど感じていないのです。それはなぜか、少し時間をかけて考えてみようと思っています。

私のブログに書くか、パンダさんの所に書くか、迷ったのですが、皆さんにも読んで頂きたい事だったので、パンダさんのコメントに書かせて頂きます。

今回はバリバリ自閉側のみみになって書いてみますが、(私は皆さんの心を痛めたいわけではないので、心が痛くなってきた方は、どうか読むのをお止めください)

私は、パンダさんをはじめ、定型と主張する皆さんが何を求めているのか、さっぱりわかりません。(否定ではなく、よくわからないから知りたい。という意味)
共有、とか、共感を求めてる…とか言っていますが、空想…と言ったら失礼に当たるのかも知れませんが、自分の現実をスパッと離れてしまって、空想の世界のみだけで共有や共感を手に取ろうとしているだけのように見えてしまいます。それは、雲をつかんでいる、ような感じです。(現実つかんだ気になって実はつかんでいない…というか…)

その点、AS傾向がある、とおっしゃってる、繭さんは、「パンダさんとの共有をご主人にすぐ試してみたくてしょうがなくなり、でも、ご主人の気持ちも考えて、とりあえず我慢しました!」みたいに書いていらっしゃいましたが、その気持ちには、私は、凄くよく共感できました。私が納得できた、というか…

本当に失礼な言い方かもしれませんが、私にはよくわからないんです。
多分、繭さんは、ここのコメントで疑問から始まり、実践まで、素直に、わかりやすく、1から10まで、書いてくれたんだと思います。
パンダさんとかは、実際の共有、という気持ちの思いは、1から10まであるんだけど、1から5とか、7とか、その辺までしか言葉で書いていないだけの話なのかな???
要は、ここで「共感共有できました」と言ってるなら、実践して、家でもできるでしょ!って話です。そう簡単にできる訳ではないって?やらないだけでしょう?!ちがう?…そういう訳ではないんだって?そこには、「そうしたい」と思ったって、色んな困難があるんだって??

そうですか…わかりました…でも、それなら、定型も自閉と同じでしょ!「変なとこにこだわる」って事で!

これが、自閉のみみから見た主張です。
要は、共感共有に関してのみ、の話ですが、定型もアスペも同じじゃないの?なぜアスペだけがおかしいとか、変だと言われなければならないの?誰が決めたの?
と言いたいんです。

パンダさんが今日のテーマで触れてくれていますね。

私はネットでお世辞はなしにしています。素直に思った事を、率直に伝えるのは、いけませんか?迷惑でしょうか?

定型はそういうの、嫌がったりしますが、(私は一歩社会に出たら、自分の本音は、極力、ほとんど、笑顔で隠しますが、そうとう疲れます。でも、問題は起きにくい、と学習しているから)
でも、いつも仲のよい友人は、私にどうしてお世辞ばかり言って、本音は言ってくれないんだろう?本当に友人なの?と、常に疑問です。
もちろん、良いも悪いもズバって言ってくれる人は親友になります。少ないですけど。
だから、私は、自分がいいと思って、ネット上ではズバって言う変な人なのかもしれなくて、それは、いけない事なのかも知れませんが、なぜいけない事なのか、わかりません。「あんたはおかしいよ!」とか言ってる訳ではないし…

定型と主張する人って、上辺、理想、空想だけで話をしているようにしか、見えないんです。

失礼なコメント、失礼しました。

カレンの夫さん

 とても大事なことを教えていただいたようで、ありがとうございます。
 少し関連することを考えてアップしてみたいと思います。
 またお考えになることや思い出されたことなどありましたら教えてください。


聖母みみさま

 わ、またみみさまに怒られた! でも「怒られた」というとまた怒られる!
 と少し緊張しながらコメントを拝見していて、最後の

> 失礼なコメント、失礼しました。

 を読んで爆笑いたしました! あ、すみません m(_ _)m

 こんな緊張した文章の中にもユーモアを忘れない聖母みみさまにちょっと感動。

 で、今日は子どもが出かけているので、仕事を早く終わったパートナーが
 実に久しぶりに昼食の外食に誘ってくれました。
 で、ほくほくして出かけて、このブログのこととかいろいろ話をしてました。
 なんか定型の方からも、アスペルガーの方からも
 とてもいいコメントを頂けるようになってきたという話をしてたんですが、
 パートナーからもまた関連していろいろ話を聞けました。
 ほんとに1年前とはまるで状態が変わってしまっています。

 今後とも、聖母みみさまの暖かいご指導をよろしくお願いいたします m(_ _)m

〉パンダさん

怒ってないです、怒ってないです。
私の書き方がいけないんですね…多分。

でも、パンダさんが幸せにならなければ、私は怒りますよ。
今、どっかで噴火している火山のように…
私が言いたい事は、なかなか人に伝わらないんです。多分、怒り口調的、長い、くどい、言いたい事がたくさんある←パンダさんに対してじゃないですよ!社会に対してですよ!

私が言いたかった事は、パンダさんのテーマに対して…定型もアスペも考えてる元は同じ、アスペの共有まで踏み切れない、気持ちもわかって!という事だったんですけど…

書いて損しました。
だって、パンダさん、ちゃんとコツコツと幸せを味わっている感じじゃないですか??もったいなぶって、隠してたんですか
(笑)私も目に見えないと、不安なもので…でも、安心しました!

美味しいもの、食べてきましたか?!
奥さまと、またイラッとしてしまったり、また幸せになってきたり、また衝突したり…誰だって繰り返す事もあろうかと思いますが、人生、そんなもんよ!わたしゃ〜パンダですもの!と頑張っていきましょー!

聖母みみさま

 どうもご心配ありがとうございます m(_ _)m

 おいしいご飯を一杯食べてきました。
 
 私の場合、このブログを始めて、自分でもいろいろ整理し、
 またいろんな方のコメントを頂いて、考えたり、気づかされたり
 そういうことがすごく大きな意味を持っていると思います。
 もともと自分のリハビリのため、ということで始めていますし、
 結果としてもおかげさまでそうなっているかなと感じます。

 アスペの共有まで踏み切れない!というお話しは
 それぞれみんなほんとに状況が違う中で、違う個性で生きているので、
 そういうことだって大切なんじゃないかと思っています。
 あるいは踏み切ってはいけない場合だってあるんじゃないでしょうか。

 これまでも何度かそういうことについて考えてみましたが、
 そのあたりはこれからも大事に考えていきたいと思います。

ミミさんも言われていましたが、私もこちらでは素の自分の言葉で書かせて頂いています。堅いと言われることが多いので、普段はもう少し柔らかい文を考えますが、本当は苦手なのです。
パンダさんや皆さんには、このような場に参加させて頂いて、本当に嬉しく、感謝しています。

>「突き放してる」のではなくて、「もっと理解したいと願っている」ということがうまく伝わるかどうか。

「分からない」は言う時も言われる時も気にしていなかったのですが、「分かる=受容・共感」の反対の意味を持つ可能性を覚えておいた方が良さそうですね。

>つまり、アスペと定型の間では、どちらも感情の理解や共有ということがあるのだけれど、その仕方になにかズレがある…

「共感(感情を共有する意味での)」とは、どのような感覚だろう?とずっと考えていたのですが、先日、夫の言葉を聞いてなるほど、と思いました。
(夫)「人の笑顔を見ると、自分の中にも笑顔が生まれる」
私の感覚では「笑顔はその人がリラックスしていて、楽しかったり、喜んでいるというサイン。それが分かって、自分も嬉しくなって笑顔になる」
ですが、夫曰く、私と同じ感覚プラス「本当に自分の中に笑顔を感じる」と。
偶然ミラーニューロンの話を耳にした頃で、本当に人の表情に反応するんだと驚きました。

私には分からない感覚だなあと思っていたのですが、表情ではないところで人の感情をダイレクトに感じられた経験を思い出しました。
それは「画像」でした。風景や静物の写真・絵を見ていて、説明しがたい強い感情になったことが何度かあります。それは自分でもどこが、何故と説明出来なかったのですが、確かに感じられる、私のものではない感情でした。後になって、その写真や絵が強い思い入れを持って描かれたものであると知ったこともありました。

もし、このような感覚を定型の方達が日常感じているのであれば、それはもう「分かる」と言って過言ではないと思います。
私には「分からない」と思ってしまう理由は、一つはそのような「感覚的に分かる」が無いこと。もう一つは、パンダさんの書かれている通り、成功体験の少なさ。この二つが大きいと感じています。
状況理解的に相手の感情を推測しているので「確信は持てない…」となってしまうのです。

繭さん

> パンダさんや皆さんには、このような場に参加させて頂いて、本当に嬉しく、感謝しています。

 こちらこそ。Rosamondeさんやカレンの夫さんや繭さんや、アスペルガーサイドの方ともちゃんと対話ができる、ということはほんとにありがたいことだと思っています。

> 「分からない」は言う時も言われる時も気にしていなかったのですが、「分かる=受容・共感」の反対の意味を持つ可能性を覚えておいた方が良さそうですね。

 これは特に日本の社会の文化的な特徴による部分も大きいと感じるんですね。「私とあなたは違う」ということを言うことは、「あなたと私はうまくいかない」という最終宣告に近い意味になってしまう場合もあるので。他の社会ではそこまでのところは私は今のところ知らないですね。もちろん知ってるところなんて数が限られてますけど。そういう意味では日本はアスペルガーの人にとってより生きづらい社会になっている可能性はあるなと思います。いま、そのあたり、少しずつ変わりつつあるかも知れませんけれど。

> 「共感(感情を共有する意味での)」とは、どのような感覚だろう?とずっと考えていたのですが、先日、夫の言葉を聞いてなるほど、と思いました。(夫)「人の笑顔を見ると、自分の中にも笑顔が生まれる」私の感覚では「笑顔はその人がリラックスしていて、楽しかったり、喜んでいるというサイン。それが分かって、自分も嬉しくなって笑顔になる」ですが、夫曰く、私と同じ感覚プラス「本当に自分の中に笑顔を感じる」と。偶然ミラーニューロンの話を耳にした頃で、本当に人の表情に反応するんだと驚きました。

 この話はすごく印象的です。但し、ミラーニューロンについての理解は、私も聞きかじりの範囲でしかないですけど、アスペルガーの人にその働きがない、という風にはちょっと信じられないところがあります。だって、ここまで自由に言葉を操って対話が成立するわけですから、理屈から言ってそこにミラーニューロン的な力が働いていないはずはないと思えるわけです。このあたりはかなりあやしげな、わかりにくい話になってしまうかも知れないので、記事で考えてみるかどうかは迷っていますけれど。

> 私には分からない感覚だなあと思っていたのですが、表情ではないところで人の感情をダイレクトに感じられた経験を思い出しました。それは「画像」でした。風景や静物の写真・絵を見ていて、説明しがたい強い感情になったことが何度かあります。それは自分でもどこが、何故と説明出来なかったのですが、確かに感じられる、私のものではない感情でした。後になって、その写真や絵が強い思い入れを持って描かれたものであると知ったこともありました。もし、このような感覚を定型の方達が日常感じているのであれば、それはもう「分かる」と言って過言ではないと思います。

 この話もすごい印象的です。前に哲学の方で、という話をちょっと書きましたが、あの難題を乗り越えようとするときに、まさにこういうポイントが大きな意味を持つように私は感じるからです。

> 私には「分からない」と思ってしまう理由は、一つはそのような「感覚的に分かる」が無いこと。もう一つは、パンダさんの書かれている通り、成功体験の少なさ。この二つが大きいと感じています。状況理解的に相手の感情を推測しているので「確信は持てない…」となってしまうのです。

 「画像」についてはある種「わかる」とも言える感覚が生じるんだけれど、「笑顔」などの「表情」(これもある意味画像の一種だけど、何の画像かが問題なのでしょうね)ではそれが生じない。ここもすごく興味深い(というと失礼かも知れませんが)です。たしかに相手の表情を見て、自分にも相手が表明しているのと同じような感情がダイレクトに生まれてこない、ということがあるとすれば、あとは「推理」という形で考えるしかないですよね。いや、そういうお話しを伺えるのは、ものすごく勉強になります。

繭さん

カレンの夫です。コメントを読ませていただいて、共通点がたくさんあるなぁと感じております。成功体験の少なさということを書いていらっしゃいますね。よかったら差支えのない範囲で、どんな成功体験だったかお聞かせください。

私自身は成功も失敗もないという感じです。言い換えると、何が「成功」で何が「失敗」なのか、子どものころから考えたことがありません。

特に対人関係においてそれは顕著です。気の合う何人かがいて、ほとんど接点のない子が大部分。ごく少数の「自分に害をおよぼす気配のある者」に軽く先制攻撃をかける。

今思い出してみるとその対象は「私にはわからない理由で、手下のような存在を従えており集団の中で一定の勢力を保持している。私一人がそれに与しないので、私に対して敵意のようなものを抱いている」といったタイプです。
先制攻撃と言っても、暴力をふるったり、暴言を吐いたりするわけではありません。はっきりそれと相手に分かるように、「他の子はどうか知らないが、私はあなたを好きではない。だから他の子がするようにはあなたにお追従を言わない」という姿勢を見せるということをしていました。結果として、ほとんど「被害」がなかったのですが、それが成功と言えるのかどうか、あらためて考えています。

パンダさん

>自分にも相手が表明しているのと同じような感情がダイレクトに生まれてこない、ということがあるとすれば

パンダさんはさらっと書かれていますが、と言うことはやはりパンダさんもそういったダイレクトな感覚を自覚されているということですね…。
正直、カルチャーショックです。
私はこれまで、他の人がそんな風に感情をやりとりしているなんて想像もしていませんでした。
ミラーニューロンについては、私も半信半疑です。ただ、その記事を読む迄はそんなことを考えたことがなかったので、とても興味深く、印象的でした。


カレンの夫さん

共通点がたくさんあると書いて頂いて、なんだか不思議な心持ちです。
成功体験をとのことですが、その前にカレンの夫さんのエピソードを読んで驚きました。私も結果以外は、ほぼ同じような体験をしています。

>気の合う何人かがいて、ほとんど接点のない子が大部分。ごく少数の「自分に害をおよぼす気配のある者」に軽く先制攻撃をかける。

だから他の子がするようにはあなたにお追従を言わない」という姿勢を見せるということをしていました。

状況も対象者への理由も全く同じです。違いは、私は言葉に出して相手に伝えたことです。
結果は「被害あり」で、言った相手からの嫌がらせが頻発しました。当時は「相手が幼稚だ」と思っていたので、嫌ではありましたが、私は相手にしませんでした。私のそのような言動が原因だったと思うのですが、クラスで孤立したこともありました。

このような状況を小学~中学生時代まで繰り返していました。
私が自分のアスペルガー傾向による失敗体験を考える時、真っ先に思い出す体験です。
カレンの夫さんは「被害」がなかったとのことですが、仰るとおりそれが「成功」かと考えると、迷いますね。でも、被害がなくて良かったと思います。

それでは、成功体験です。

最も明確で大きな成功体験は高校生の時です。
高校時代に得た一人の友人(多分定型)が、私との「共通言語」を持っていたのです。
この「共通言語」は、当時からその友人と使っている呼称です。「言葉の解釈の仕方や世界観などがとても近しく、少ない言葉や沈黙で意思を伝え合える」といった意味です。この友人との会話には全く違和感が無く、このようなコミュニケーションが出来る人は他に一人もいません。私にとっては奇跡です。

この友人との関係をはじめとして、私の性質を「個性」として受け入れてくれる友人が数人出来て、私自身も少しずつ周囲と穏やかに接することを考えるようになりました。
この高校時代が私にとって大きな転機でした。
その後時間をかけて自分の言動や表情などを意識するようになり、紆余曲折がありつつ、今に至ります。

パンダさん

こんばんは。下に引用した部分について、少し書きます。

>定型の人間だって、「私はあの人の考えがよくわかる」とか「あの人の気持ちがよく伝わってくる」と言うことはままありますが、もし面と向かって「本当にわかるんですか?それはあなたが想像したに過ぎないんじゃないですか?どうしてそう言い切れるんですか?なにか証拠があるんですか?」とかしつこく聞かれ続けたとすると、多分ほとんどの人は、「まあ、絶対とは言えないですけどね。多分そうだと思うんですが」みたいな言い方になっていかないでしょうか。

苦笑しながら読ませていただきました。私はほとんど一言一句違わず、カレンに言っていました。そしてその後に続くのは、「終わることのない『禅問答』」だったり阿鼻叫喚だったり・・・。今はそんなことをせずに済むようになってきたのは本当に良かったと思います。なぜそんな風に変化したのかは、まだよくわからない部分もありますが、知識を持つことの重要性は痛感しております。

繭さん

質問にお答えいただきありがとうございます。私も、ほぼ同じ経験をなさったと知って驚くと同時に不思議な感じを味わっております。

私と貴女の「成功と失敗」を分けたものは何か、とても興味深いですね。性別や土地柄などいろいろな要因があると思いますが、「言葉」にして伝えたかどうかは大きいでしょうね。
だんだん思い出してきたので私の手法をひとつ紹介します。みんなで遊んでいるときにその人物が「自分も仲間に入れてくれ」と、私には横柄に感じられる態度でやってきます。みんながいやいやながらもそれを承認するときに、「じゃあ、おれは抜ける」とみんなに「宣言」してその場を離れるということを何度かしましたね。これは結構「効果」がありました。その当人から「自分が入るから、抜けるのか」と聞かれたこともありましたから。それに対してどう対応したか、そこが肝心なのですが、残念ながら覚えていません。

カレンの夫さん

 そうでしたか。カレンの夫さんの言葉どおりでしたか。
 どうも繭さんとも関心の持ち方が似ているようですし、
 実は私もアスペなのかも知れないですね~。
 これからはアスペサイドで発言しましょうか (^_^)

繭さん

> パンダさんはさらっと書かれていますが、と言うことはやはりパンダさんもそういったダイレクトな感覚を自覚されているということですね…。

 あ、全く無意識にさらっと書きました!
 
> 正直、カルチャーショックです。私はこれまで、他の人がそんな風に感情をやりとりしているなんて想像もしていませんでした。

 たとえば、赤ちゃんの笑顔を見たときとか、
 思わず顔がほころんで「ニタ~」っとしてしまう(表現がお下品ですね!)とか
 そんな感じですね。
 あと、友だちが訳わからないんだけどげらげら笑っているのを見ている内に、
 なんだかこっちも楽しくなってしまうというようなこともあります。
 あと、子どもが転ぶのを見たとたんに「痛い!」と思ってしまうとか。
 いや、冷静になれば痛くないのはわかるんですけど。
 あと、他の人の傷口を見てると「痛々しい」感じになるのもあります。
 ただ、もちろんその「痛々しい」という感じは実際同じ傷を受けたときに痛みとは 
 ちょっと違うというふうには、冷静に考えればわかるんですけど、
 なんか身がすくんでしまうような、顔がゆがんでしまうような、そんな感じにはなります。

 このあたり、「あくびが伝染する」というようなこととも多分関連すると思いますが、
 そういえば繭さんとかはあくびは伝染したりしないでしょうか?

> ミラーニューロンについては、私も半信半疑です。ただ、その記事を読む迄はそんなことを考えたことがなかったので、とても興味深く、印象的でした

 ミラーニューロンのような働きを持つ神経の仕組みがあることは当然だと思います。
 ただ、それをすぐにアスペの人のことに結びつけたりとか、
 ちょっと乱暴すぎるんですよね。私が思うには。
 はやりの脳科学の話って、特にマスコミウケするようなものについては
 眉唾の偽科学みたいな議論が少なくないと感じています。

カレンの夫さん

アドバイスをありがとうございます。
私の「言葉」は、やり過ぎでしたね。カレンの夫さんが書いて下さった手法は、高校生の頃になんとか出来るようになりました。まず「姿勢や態度」で伝えることが大切なのですね。

私の育った家庭では、子供の頃の私が使っていたような「強い言葉での伝達」が普通でしたので、「強い言葉は、相手に強いダメージを与える」ということに気付くのが遅かったことも、一つの要因かもしれません。

子供の頃の自分を思い出すと、自分の言葉や態度がどれだけの強さで周囲に伝わるものか、本当に見えていなかったのだなぁという思いになり、今の私がタイムスリップして、子供の私に伝えに行きたくなります。


パンダさん

>たとえば、赤ちゃんの笑顔を見たときとか、
 思わず顔がほころんで「ニタ~」っとしてしまう(表現がお下品ですね!)とか
 そんな感じですね。
 あと、友だちが訳わからないんだけどげらげら笑っているのを見ている内に、
 なんだかこっちも楽しくなってしまうというようなこともあります。
 
私の夫も同じことを言っていました。パンダさんもそうなのですね。
私は赤ちゃんを見ると「小さいのによく出来ているなぁ」と思ったり、友達が笑っていると「何が面白いのかな?」と原因を知って一緒に笑いたくなったりします。

子供が転んだり、他の人の傷口を見た時は「痛そう」と思います。大きな傷を見て、身がすくんでしまうような、顔がゆがんでしまうような感覚は私にもあります。
ただ、傷口を見て「痛そう」と思う自分と「興味深い」と思う自分がいて、後者は口に出してはいけない…と、黙っています。夫曰く「態度でバレバレ」らしいですが。

「あくびの伝染」は私もあります。それから「目の前の人がお茶を飲むと、つられて自分も無意識に飲む」もあります。人の動きには反応しているようですね。
先日コメントで触れられていた音楽は、私の場合はある程度は分かります。気分が影響を受ける感覚です。

気付いたのですが、私は表情と感情のつながりが弱いのかもしれません。
私は表情が乏しい子供だったようで「何を考えているのか分からない」と言われていました。
それを自覚して表情の練習をしていた頃、作り笑いがつらくて、話し相手がよそ見をした瞬間に無表情に戻ってしまったりしていました。
今ではだいぶ慣れてきて、感情と表情は一応それなりに連動しています。この感覚は、自転車やブラインドタッチを練習した時とよく似ています。
それでも本当は、私が自然体でいることは表情に気を使わないことなので、一人でいられる時間は大切です。

繭さん

> 私の夫も同じことを言っていました。パンダさんもそうなのですね。

 え?繭さんのパートナーもお下品なんですか?
 (というおふざけは面白くないでしょうか? (^ ^;)ゞ)

> 私は赤ちゃんを見ると「小さいのによく出来ているなぁ」と思ったり、友達が笑っていると「何が面白いのかな?」と原因を知って一緒に笑いたくなったりします。

 やっぱり順序が反対という感じがあるんですね。
 私も「小さいのによくできてるなぁ」ということを思うことはありますが、
 まず「可愛い!」とかがあって、そのあとですね。
 うーん、やっぱり私は定型なんでしょうね。

> 子供が転んだり、他の人の傷口を見た時は「痛そう」と思います。大きな傷を見て、身がすくんでしまうような、顔がゆがんでしまうような感覚は私にもあります。

 ああそうなんだ。これはすごく大きな意味がありそうに感じます。

> ただ、傷口を見て「痛そう」と思う自分と「興味深い」と思う自分がいて、後者は口に出してはいけない…と、黙っています。夫曰く「態度でバレバレ」らしいですが。

 ここはなんか私のパートナーに似てる感じがしますね。やっぱり。

> 「あくびの伝染」は私もあります。それから「目の前の人がお茶を飲むと、つられて自分も無意識に飲む」もあります。人の動きには反応しているようですね。

 やっぱりそうですか!いや、そういうのがスムーズに生じないと、言葉だって獲得がむつかしいし、会話だってできない筈なんです。もちろんそのあたりにはミラーニューロン的な神経の働きが深く関係しているはずです。もともとミラーニューロンの話は感情の問題ではなくて、身体の動きの問題なわけですからね。ただ、通常はそういう身体の動きと感情の動きとが密接に関係しているだろうという、一種の思いこみはあるとしても。

> 先日コメントで触れられていた音楽は、私の場合はある程度は分かります。気分が影響を受ける感覚です。

 私のパートナーも音楽は好きです。歌詞の有無は関係ないですね。

> 気付いたのですが、私は表情と感情のつながりが弱いのかもしれません。

 ここも上のミラーニューロンの話とつなげて考えても興味深いです。

> 今ではだいぶ慣れてきて、感情と表情は一応それなりに連動しています。この感覚は、自転車やブラインドタッチを練習した時とよく似ています。

 なるほど。この説明すごくよくわかります。そういう感じになるんですね。ああ、なるほど。

> それでも本当は、私が自然体でいることは表情に気を使わないことなので、一人でいられる時間は大切です。

 マクドナルドの店員さんは「笑顔は無料」とかで、ずっと笑顔を続けなければならないわけでしょう?あれ、疲れるだろうなと思うんですね。だから、家に帰ったら絶対ぶすっとしてるんじゃないかなとか想像したりするんだけど、言ってみればそういうようなことですよね。定型の普通の状態で表情を作ることがそれだけ大きな努力を要する作業になる。

 私もパートナーが仕事から帰った後は、しばらくは一人にしてあげる時間を作るようにしました。ほんとに疲れてるみたいなんで。(定型的にはそこでいろいろ話したりして、気分を和らげてあげたい、という気持ちになるし、そこで「一人にして欲しい」と言われるのは何か「あなたなんか要りません」と言われているようで寂しいんですけど、そこは「我慢」です)

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