アスペと定型問題の多様性
昨日joさんとksさんからいただいたコメントを読んで、改めてこの問題を語り合うことについての難しさというのか、微妙さというのか、なんと表現して良いか迷いますが、考えさせられています。
これまでもほんとに何度も繰り返し書いてきたと思うのですが、現実に困難を抱えているカップル(場合によってはalonaさんが書かれているように、そのどちらか一方だけがその困難に苦しみ、それに耐えているというケースもありますが)の今後を考えるとき、絶対に予め「こうならなければならない」という方向を決めてしまってはいけないと私には思えます。それぞれの抱えている状況も、現在までの経緯も、お互いの個性や価値観も、みんな千差万別なのですから、絶対唯一の正解なんかあるわけがない。
カップルの抱えている問題にもステップがあることが見えてきます。まずは結婚から子どもが産まれるまでの間。子どもが産まれた後、まだ物心がつく前くらいまでの問題。子どもが思春期に入る前まで位の問題。思春期に入ってから高卒ないし大学入学くらいまでの問題。それ以降、特に子どもが自立するようになる段階以降の問題。
それぞれの時期で、カップルの問題がどういう展開をし、どういう風に対処されるかについて、たとえば子どもにそのカップルの矛盾が及ぼす影響が子どもの成長段階に応じて異なりますし、また離婚の可能性を考える際にも、子どもの成長の度合いは大きな制約条件になっているようです。「子どものことを考えると……」という言葉を、何人もの方の書かれたものに見い出せます。
お互いのズレに気づき、なんとかそれを克服しようとするけれどもその努力がまるで酬われず、なぜそうなってしまうのかもわからず、泥沼のような思いに苦しむ段階もあれば、そこに定型とアスペのズレの問題があるということに気づいて、改めてそういう視点を持って問題の解決を試みようとするけれども、そういう姿勢が共有できない段階もあるし、共有できて後の段階もある。
多分、共有ができれば、かなりそのカップルが持続する可能性は高くなるんだろうと思いますし、そうなると今このブログに参加されている皆さんの間で展開しているような、「翻訳」で改めて関係を深めていくということにも希望が出てくる。それについてこのブログがひとつの交流の場を提供できていることは間違いないと思いますし、ほんとに嬉しいことです。
でも、そういう共有ができずに苦しんでいる方にとって、本当に必要な交流や議論はそういうこととはまた少し違う訳ですよね。その問題は以前Kemeさんもコメントで関連することを書いていらっしゃいました。みみさんはご自分のブログ「もぐろみみ蔵の・広汎性発達障害の理解と謎・原因を探る」で「愚痴を言う」ことの大切さを書かれていて、それはほんとに大事なことと私も思うし、さらにはやっぱりお互いに「問題の共有」に行けるかどうか、それぞれの人がそれぞれに抱えた状況に足場を置きながら、その見極めをしていくための議論もやっぱりどうしても必要なんだと思えます。
その結果、カップルを解消して新しい人生にお互いに踏み出していった方がよい、という結論に至ることも当然あるわけですが、そうすると今回ksさんがコメントで書いてくださったような、「その後の癒しの空間」の必要性がまた大きな問題となる。
同じアスペと定型とのコミュニケーションに関わる問題であっても、それらはそれぞれにずいぶんと性質が異なる部分を持っているわけですし、語り合うべき中味も違いがあるわけですし、そういう多様性を持った問題についての語り合いの場、交流の場をどんな風に作っていったらいいのか。考え物ですね。それぞれに応じたブログや掲示板がそれぞれの個性を持って立ち上がっていくというのも一つでしょうし、実際現状で一部はそうなっているところもあるでしょう。
けれども、もう少しその多様性が結びつき、刺激しあって何かを生み出すような形も、もしかしたらあり得るのかも知れない。
今の私にはまだ全然わかりませんけれど、なんだかそんな問題の存在を、改めて考えさせられています。
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コメント
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パンダさん、お久しぶりです。
私も、KSさんと同じく、自称非定型といわれる方たちと、
コミュニケーション・会話が、盛り上がっていたので、
ロム専でいました。
でも、定型と非定型の関係を、外国人だと思えば、とか、異文化とか、
ちょっと、ちがうんじゃない?、外国人に失礼だよ、と思うので、バッサリ、
いかせてもらっていいですか?
今、ここで、非定型といわれる人たちと、対話が、うまく成立しているのは、
すべて、パートタイムが、つまり、一時的な関係だからです。
うちの夫も、一時的に接しているだけでは、どこか、変なんて、
絶対、思われないと思います。
でも、私は、医者が、「仕事して、結婚して、子供もいて、アスペルガーでは
ありませんよ」と診断したとしても、まちがいなく、アスペだと、確信しています。
もっと、父親として、夫して、人として、尊敬される人であってほしい、
という私の願いもむなしく、むしろ、願えば願うほど、要求すればするほど、
怒れば怒るほど、関係は、悪化していく・・・
本当に、地獄でした。夫は、地雷のようでした。
何かの拍子にスイッチがオンになると、(もちろん、理由があります)一瞬で、
修羅場と化す・・・みたいな。
ところが、2年前、「アスペルガー症候群」というものを初めて知り、
それから、ネットや本で、調べまくり、夫は、アスペに間違いない、
という確信に変わり、私も、変わる決心をしました。
一切の期待、要求、暴言をなくし、夫のストレスが極力たまらない家庭で
あるように、努力しました。
とにかく、お給料さえ、稼いできてくれたら、それでいいと思うことにしました。
理想の夫も父親像も、尊敬も、包容力も、すべて、忘れることにしました。
不毛な争いをして、心身消耗するよりも、「夫は、アスペ。夫は、障害者。夫は弱者」
と思うことで、定型のプライドで、私は、健常者として夫に接するほうが、
子供たちと私の為である、と悟ったからです。
テレビに向かって、気に入らない場面や、車の運転中など、夫の暴言が始まると、
「お父さんは、ああ言ってるけど、お母さんは、こう思うよ」と、夫には直接意見は、
言わず、子供たちへのフォローは、忘れませんでした。
それから、すべてが、うまく、いきました。
今では、夫の思考回路は、すべて、理解できます。
ここは、怒る、キレル、という地雷がすべて、わかるのです。
夫との会話すら、予想できます。
私が、こう言ったら、こう言う。ああ言ったら、ああ言う・・・
そして、その通りになります・・・
夫との会話すら、私が、操っているかのような錯覚に陥ります。
主演は、夫ですが、監督、脚本、助演女優は、すべて、私・・・
主演の台詞さえ、私が、操作しているのです。
でも、それって、とっても、疲れるし、しんどいし、楽しくないのです。
いろんなことを2人で相談し、お互いを尊重しあって、子育てをするのが、
夫婦じゃないですか?
楽しみは、2倍に、悲しみは、半分になるのが、夫婦じゃないですか?
今の私は、楽しみは、夫と半分こ、しんどさは、私1人で背負う、みたいな図式です。
私の人生って、いったい、何だったんだろう・・・と
毎日、いつも、1人で、考えてしまいます・・・
夫に、告知することは、考えてません。
告知したって、きっと、何も変わらない。夫は、治らない。
もしかしたら、より悪い状態になるかもしれない・・・
だったら、今のままが、マシです。
定型の私にとって、アスペの夫は、自閉症スペクラムの障害者、いわゆる弱者です。
夫を理解することはできても、アスペの夫を、私は受け入れることは、できません。
定型と非定型でも、コミュニケーションは、できますよ。
でも、それは、私の自制と犠牲で成り立っているコミュニケーションです。
我が家の場合は・・・・です。と付け足しさせてもらいます。
以前、配偶者の井戸端掲示板でも、似たような発言をしました。
こちらの、常連さんで、不快に思われる方が、いたら、すいません。
投稿: alona | 2011年2月 9日 (水) 16時28分
alonaさん
お久しぶりです。
上にお書きになったこと、多分「限られたエネルギーの配分」へのコメントでも
事例などはちょっと違いますが、同じような趣旨のことを書かれていましたよね。
すでに15年の苦労を重ねられて、この関係を必死に保たれながら、
あとはお子さんが自立したらご自分もこの関係を解消して
というお考えだったと思います。
やっぱり私が痛々しく感じるのは
「私の自制と犠牲で成り立っているコミュニケーションです」
と書かれている部分です。
もしそうなら(そして実際そうなんだろうと思います)、
やっぱり犠牲になっている方が弱者なんじゃないかという気がします。
そういう犠牲の上に、そのことを全く意識もせずに
あぐらをかいていられる人は強者ではないのでしょうか。
何らかの意味で(具体的にはいろんなパターンがあると思いますが)
ギブアンドテイクの関係(何度か書かせていただいたように、それには
「神」などに支えられる形での「無償の愛」も含まれます)が成り立たないとき、
そこにあるのは支配と服従(強制された奉仕)の関係になってしまうように思います。
そういう関係を変える可能性が現実にはないということであれば、
お子さんが自立された後に関係を解消されるというalonaさんのご判断は
当然のことかなと私は感じます。
なんか、辛い話ですね。
投稿: パンダ | 2011年2月 9日 (水) 20時41分
alonaさん
私のような自称非定型にコメントされることがご不快でしたら、申し訳ありません。
以下は飛ばしてください。
全ての言葉が悲鳴に見えました。
alonaさんの状況を私は詳しく知りません。
けれど、alonaさんが大変な犠牲を払ってでも、今のご家庭(子供さん達)を守りたいと思っておられるのは、分かりました。
他に言葉が見付からないので、ストレートに書きます。
alonaさんが、子供さん達を守りたい気持ちと同じくらい、ご自分を守ることを忘れないでいて欲しい、と思います。
私が、子供だった時に、自分の親に思っていたことです。
無責任な発言を、お許しください。
投稿: 繭 | 2011年2月 9日 (水) 22時35分
上の繭さんのコメント、全く同感です。
まず自分を守り元気でいるお母さんの姿を、子どもは望んでいます。
子どもの立場として親に思っていたこと、
そして親の立場として、自分の子どもから言われたことです。
それから、
その相手と一緒にいるとときに、自己肯定感を持てる関係であれば
そこには愛がある、
その相手と一緒にいるときに、自己肯定感を持てない関係であれば
そこには愛はない
平野啓一郎さんの「かたちだけの愛」(まだ読んでませんが)の中の
平野さんの主張だそうですが、私はこれに全く同感です。
その人と一緒にいる自分が好きなのか、そうでないのか・・・そこが
決め手になるのだと思います。
投稿: カレン | 2011年2月 9日 (水) 23時12分
お久しぶりです。ここのレベルの高さに落ちこぼれてましたが、気を取り直して若輩者なりに思いを書かせていただきますね。カレンさんが書かれていた「何に惹かれて結婚したのか」という問いは私が悩み続けているものです。夫のことも分からないけど、夫と結婚した自分が未だに分かりません!最初の1、2回のデートを除いて楽しかったり安心したことがないのです。付き合い始めてすぐ、私は暗くなり、不眠、食欲減退などの不調が表れました。以前、みみさんに指摘していただいたような間違ったコミュニケーションばかりしてましたから。その頃のことは苦しくてはっきり思い出せないけど、苦しさから逃れるために結婚したように思います。道路を横切ろうとしてて走って来た車に驚いて逆に飛び出してしまった猫。あるいは、ギャンブルで負けが大きくなって取り戻そうと有り金全部突っ込んだ、みたいな。いちかばちか、という投げやりな勢いがあったのは覚えてます。もしかしたら、結婚したら楽になるかも(金銭とかじゃなく気持ち面で。)という期待がありました。でも、そんな気持ちで結婚するかなぁ?自分で気付かない別の何かがあるのか?夫が私と結婚した理由は「自分とは違うタイプだから」カレンさんの夫さんと同じですね。私は恥ずかしながら本質的には献身的でも優しい人でもないけど、お節介かつ「いい人」になりたい願望が強いので、ボランティア活動をしてたりするのが夫には新鮮だったようです。こうして考えると、私には「誰かの役に立たなくてはならない」という強迫観念があって共依存だったのかも。よくない方向でギブアンドテイクが成立していた?そうであれば断ち切るべき関係かもしれません。とりあえず今は、過去と現在の夫の言動を理解する努力だけで精一杯で、二人の将来を考える段階にはいない若輩者です。まだまだ谷は深いみたい。
投稿: チロ | 2011年2月10日 (木) 01時04分
パンダさん
うーん、どう説明したら、いいか・・・
今の日本では、障害者のくくりにある人は、すべて「弱者」扱いです。
夫は、一見、全く、健常者のようですが、やっぱり、アスペです。
アスペは、やっぱり、弱者ですよ・・・
痴呆老人で、説明したら、わかりやすいかな?
自分は、正常だ、と叫ぶけれども、やっぱり、痴呆が見受けられる・・・
どんなに、上から、目線で、強気な言動をしても、やっぱり、
痴呆は、痴呆・・・弱者ですよね・・・
それと、同じことです・・・
本当に、またしても、バッサリ、いきますが、
アスペの、自己中とか、相手の気持ちがわからない、とか、空気が読めない、
とか、はっきり、いって、そんなことは、あまり、弱者の所以ではありません。
もちろん、定型だって、自己中です。
私は、最強の夫に、「この上ない、自己中女」呼ばわりされています。
そして、実際、そうです。我が家は、私、中心で回っています。
自分でも、「自己中だよな~」と思います。
では、アスペの弱者たる所以は、ズバリ、その「精神年齢の幼さ」にあります。
本当に、中学か高校で、止まっているかのような、その発想、思考、意見・・・
まぁ、よくいえば、ピュア、純粋、裏表ない・・・夫もそうです。
それは、つまり、社会に適応するには、あまりに、幼い精神年齢である、と思うのです。
私は、はっきりいって、夫のその精神年齢の低さに、ついていけないのです。
あまりに幼い、あまりに幼稚、あまりに子供・・・
やっぱり、弱者(子供)だよなぁ~と思うわけです。
やっぱり、私って、大人だよなぁ~、と思うわけです。
そして、それは、アスペのくくりに、ほぼ、あてはまるのでは、ないでしょうか・・・
本当に、辛いんです、私・・・
パンダさん、共感してくださって、うれしかったです。
繭さん、はじめまして。
繭さんのコメント、うれしかったです。
バッサリ、アスペを凶弾しているのに、優しい言葉をかけてくださって・・・
こんなに、コミュニケーションがとれるのに、本当に、非定型かも、ですか?
ずっと、こちらのコメントを拝見してて、疑問でした。
私は、大丈夫です。
子供たちは、みな、「ママって、気楽そうで、うらやましい」って、思ってます。
いや、実際、お気楽主婦です。夫のおかげで、楽させてもらってます。
ずっと、ネットして、好きな時に昼寝して、ママ友とランチ行って・・・
って、思ってます。実際、そうです。
最近では、ママ友も、パートの人が増えたので、ランチ行く人も少なくなりました・・・
子供たちは、過去の修羅場をもう、覚えてないと思います。
あんなに、泣き叫んでいたんですが・・・
私は、いまだに、夫婦喧嘩の修羅場で、子供たちの泣き叫ぶ声を、時々、思い出しますが・・・
カレンさん、ありがとうございます。
私は、夫といて、自己肯定感は、ありますが、そこに、愛は、ありません。
夫のおかげで、経済的に保障されて、それ以外のすべての家庭の運営は、
私が、こなして・・・私たちは、やはり、2人で、子供たちを育てているんです。
そこに、連帯感は、あります。
よく、母親が不幸なら、我慢して、いっしょにいるよりも、別れた方が、子供のため、
とかいう説もありますが、私は、別れて、子供たちに経済的な苦労させるくらいなら、
今の状態が、100万倍くらい、幸せです。
なぜなら、私には、経済力がないからです。
社会復帰の壁にぶちあたりました。
あまりに、専業主婦暦が長すぎて、今、私にできるのは、
いわゆる、誰にでもできる仕事、しか、ありませんでした・・・
この上ない、屈辱でした。
別れたシミュレーションをしたら、今のほうが、ずっと、幸せです。
これは、我慢ではなくて、子供たちを一人前に育てて、自立させることが、
私の使命、そして、それが、私の幸せ、だからです。
そして、それは、夫との共通の思いです。
子は鎹。
本当に、そう思います。
でも、生まれ変わったら、絶対、アスペの人とは、結婚しません。
あーー、また、アスペの人を傷つけちゃったかな・・・?
でも、偽らざる私の本心なので、ネットの匿名性で、許してください・・・
投稿: alona | 2011年2月10日 (木) 01時39分
alonaさん
もし、今回書かれていることが、文字どおり本当のお気持ちであったとすれば、
「アスペの人を傷つけちゃった」ではなく、おそらく定型である私は大変に傷つきました。
そして、あの血の出るような繭さんの言葉、気持ちが踏みにじられたと感じました。
どれほど不誠実な言葉に翻弄されたことになるでしょうか?
もし、今回書かれていることが、文字どおり本当のお気持ちであったとすれば、
alonaさんは単にご自分のために純真なご主人を利用しているだけです。
そして子育てのためという用が済んだら用済みになって捨てると言うことです。
私にはそうしか読めませんでした。
もし、今回書かれていることが、文字どおり本当のお気持ちであったとすれば、です。
そうでないことを願わずにおれません。
投稿: パンダ | 2011年2月10日 (木) 03時08分
おはようございます。
コメントは、文字通りの本当の気持ちです。
夫を利用している?
それは、ちがいます。
「大人の責任」です。
夫は、私と子供たちの面倒を見る責任があります。
それに、利用されて、人生をめちゃくちゃにされたのは、私の方です。
私は、元々、総合職で仕事してましたし、
家事や主婦は、向いてない、結婚も別にしなくても、いいと思っていました。
結婚しても、子供ができても、仕事をやめるつもりは、全くなかったんです。
産休直前まで働いて、家事もすべて1人でこなしていました。
でも、育児休暇中に、夫のあまりに育児に非協力的な発言・行動と、
私も、余りに、新生児の世話の大変なことに、すっかり、参ってしまい、
市の認可保育園の空きがでなかったこともあり、それ以上無認可の保育園を
探すこともあきらめ、退職してしまったのです。
本当に、今でも、悔やまれます。
仕事をやめるべきではなかった・・・と。
それに、私は、15年間の積年の恨みは、一生、消えることはありません。
夫の「ぶっ殺すぞ」という怒声と共に、首を絞められたり、包丁をつきつけられたり、
「朝起きたら、私、死んでるのかも・・・」というあきらめにも似た恐怖を
感じながら、それでも、逃げ出す気力も考えも及ばず、子供の横で、まんじりともせず、
朝を迎える恐怖と孤独・・・
多分、これは、パンダさんには、絶対、理解できないと思います。
そして、定型のご主人がいらっしゃる繭さんにも・・・
力ずくで、命の危険さえ、脅かされる恐怖・・・
ジェンダーのちがいです。
私は、今でも、一日に最低でも1回は、子供もこの生活もすべて、捨てて、
1人で、どこかに、逃げ出したい、と思うことがあります。
でも、やっぱり、そんなことは、できるわけもない・・・
それが、「大人の責任」です。
夫にも、私にも、それぞれ、「大人の責任」があるのです。
それでも、夫を利用している、パンダさん、繭さんを傷つけた、とおっしゃるなら、
それは、もう、弁解のしようがありません。
私には、こうするしかないのです。
投稿: alona | 2011年2月10日 (木) 09時24分
alonaさん
私にはalonaさんが体験された恐怖を、そのままに理解する能力はありません。
それはおっしゃるように、体験された方にしかわからないものだと思います。
alonaさんが体験された恐怖や、それをはるかに上回る理不尽な恐怖に苛まれ、
残忍きわまりない、ほとんど想像を絶するような虐待を受け、
そして実際に殺されかけ、傷ついて奇跡的に生き延びた方達の話を
あるいは家族を理由もなく無情に惨殺された方達の言葉を
私はいくつも、涙ながらに身をよじるような思いで聞いてきました。
だから、私がどんなに頑張っても、その恐怖を同じように共有することは
不可能であることも、身に染みて知っています。
共感という言葉の無力さを、本当に思い知らされています。
できることは、その自分の無力さにうちひしがれながら、涙するだけです。
私は、今回alonaさんが書いて下さったようなことが
あるいは背景にある可能性を感じ、そういう場合に、
夫と対話する可能性を頭から放棄されるようなことがあったとしても、
そして現在は穏便に済ませ、子育てが済んだら精算するということが
あったとしても、それは仕方のないことかも知れないと思いました。
それは女性が置かれた社会的立場からも、
おそらくalonaさんが置かれている孤立した状況からも
他に選択肢の無い仕方のないことかも知れないと思いました。
だからそう書きました。そして「辛い話だ」とも書きました。
私はalonaさんが弱者の立場に置かされているとも書きました。
それはalonaさんの、夫を軽蔑することによって、
なんとか自分の傷つけられた状況を支えようとされている
その姿があまりに痛々しかったからです。
そして、そのことによって、alonaさんの夫だけではなく、
アスペルガーの方一般の人を侮辱するような言い方に
自覚されているかどうかは別としてなってしまっていることが
あまりに悲しかったからです。
差別される人間が、その傷を耐えるために自ら差別をする人間になる。
これは悲しいけれど、人の性だろうと思います。
でも、もし少しでも孤立した状況を離れることができれば、
そこを越える可能性も人間は持っていると私は感じています。
先に書かれたことがalonaさんの本心であることは
改めて私なりに理解できました。
子どもの自立後の離婚という選択肢と共に、
今の自分を支えられるぎりぎりの思いとして、
夫に対する激しい軽蔑の念を保たれていることについても、
改めて私なりに理解できました。
それは私がこうなってほしいと願う状態ではないけれど、
alonaさんの状況にとって、今それしかないのだということが、
alonaさんにとって極めてリアルな現実であるということ、
もしそうであるとすれば、そのどちらについても、
私はただ悲しみと共にそう受け止めるしかできることはありません。
けれども、だからといってアスペルガーの人一般を不当に傷つけること、
それは許されることとも思いません。
問題はアスペルガーでもあるalonaさんの夫という特定の「個人」と
alonaさんの間で起こってしまったことです。
そしてalonaさんを孤立させている周囲の定型の人たちとの関係で
そうなってしまっていることです。
そういう状況が作られてしまっていることの原因の一つに
夫のアスペルガーという個性が絡んでいることは間違いないし、
だからこそ、「アスペルガーと定型のズレ」の問題として
少し一般的な形でそれを考えることに意味があると思いますが、
アスペルガーの人だからそうなるのではない。
それは定型の人間が犯罪を犯したからと言って、
それが定型の人間であるからではないのと同じです。
もうそんなことは改めてalonaさんには言うまでも無いことかも知れません。
もうこれ以上言うことは控えます。
ただ、最後にお伝えしたいことは、
もしこの場がお役に立つのであれば、
alonaさんの苦しみや夫への憎しみはそれとして素直にお伝え下さい。
「アスペの人を傷つけちゃったかな」という言葉を抜きにして。
そのことは本当に大事なことだと思います。
もしalonaさんにそういう形でこの場を利用して下さるお気持ちがあるのなら、
私はアスペルガーと定型のズレの問題が、
ある状況に置かれたときに、そういう苦悩を引き起こしてしまう
そういう悲しい、そして貴重な体験として
是非学ばせていただきたいと今も願っています。
投稿: パンダ | 2011年2月10日 (木) 11時06分
alona さんの「正直な」コメントに仰天しているパンダさん。alona さんをバッサリではちょっと……。私にはわかります。少なくともalonaさんに共感するところあります。あまり自信はないけど考えてみます。
>すべて、パートタイムが、つまり、一時的な関係だからです。
>うちの夫も、一時的に接しているだけでは、どこか、変なんて、
>絶対、思われないと思います。
だからカサンドラです。へたするとこっちが悪者にされる。「パートタイム」この問題も、私もすごく考えたことあります。時間のことだったら、フルタイムの職業だって言ってみれば限られた時間なわけです。でも、関係性とか、アイデンティティが関わるところで「自分」なのか、「自分の切り身の部分」で行けるのかって変わってくると思います。
>医者が、「仕事して、結婚して、子供もいて、アスペルガーではありませんよ」と診断
これは「障害」というのが環境との相互作用で出現する、というならそういうことですよ。器質的な部分、性格的な部分はそれ自体が障害とは言えない。パンダさんが「個性」という言葉を使っているのはそのためでしょう。環境が特定の性質(器質、性格、個性、etc.)を障害にしたりしなかったりする。自分自身は配偶者の環境の一部だし、配偶者は自分の環境の一部、それが相互に作用して、双方に障害をもたらしているなら、それは双方にとって不幸なことです。その障害がしんどいことだったらの話ですけど。まわりがしんどいかどうかは又別問題。
有能な高機能自閉がIT業界で活躍できるのは、あの個性が障害よりむしろ能力とみなされる環境があったからでしょう。坂本龍馬だって、生育家庭に恵まれたけど、あれはどう見ても発達障害的個性ですよ。老人ホームの環境の中では、「痴呆」が障害とならない空間があるから救われるのかな。
>いろんなことを2人で相談し、お互いを尊重しあって、子育てをするのが、
>夫婦じゃないですか?
>楽しみは、2倍に、悲しみは、半分になるのが、夫婦じゃないですか?
『理想的』にはね。でも現実はそうじゃない、っていうのも『大人の』見方ですよね。
>だったら、今のままが、マシです。
これ、回避-回避葛藤に繰り返し立たされた生物が取る一般的な防衛です。そして動けなくなる。わかります。私も経験したから。でも、よくみると発達障害の人(私の配偶者)も基本にこれがある。予定変更に弱い。選択肢を選ぶときに身がすくんでいるような頑なさがある。だから示された選択肢が選べない。そっちを試した方が良さそうだといくら説得してもだめです。キャッシュカードが使えない老人と似てる。窓口で判子ついてる方が安心なんだ。破綻すると予想できても今のままでいようとする。迫り来るヘッドライトに目が眩んで道路の真ん中で動けなくなってる動物みたいなもんです。動けない動物が悪いわけじゃない。それにまきこまれる周囲はたまったものではない。その動物につかまれていて自分では逃げられるのに動けないでいる動物の恐怖ですよ、私たちの言いたいのは。頭真っ白になってパニックってる方がある意味、楽でしょうよ。
器質なのか(自閉症)、極めて幼年期に学習したのか(発達障害)、大人になる過程で学習したのか(二次障害や人格障害)、そこはわかりません。器質だとしたら親からもらった遺伝子だし、幼年期の刷り込みだったら第一の環境因子は親だし、二次障害的なものも、そこまで身に着けた認知の枠組みみたいなものまでも考えたら結局、親の問題は大きい。(ここでも多くの方が親との関係性に言及していますよね。)誤解を恐れず言ってしまえば、人間って、親から受けた影響を、周囲の(近くの家族の)人間にばら撒いて生きてしまうんですよね。だから、この種の障害は世代間連鎖する。それを止められるとしたら、これは偉業ですよ。
>アスペの弱者たる所以は、ズバリ、その「精神年齢の幼さ」にあります。
>私は、はっきりいって、夫のその精神年齢の低さに、ついていけないのです。
>あまりに幼い、あまりに幼稚、あまりに子供・・・
>やっぱり、弱者(子供)だよなぁ~と思うわけです。
>やっぱり、私って、大人だよなぁ~、と思うわけです。
ほころびが出なければ、(家の中だけで出る分には)社会生活は一応可能ですものね。『>>>>』て思ってるのはalonaさんの心の中だけなので、まったくOKじゃなですか。せいぜい匿名でネットに吐き出す程度でしょう。それは、「事実」ではないです。だれも知らない事実だから。
>社会復帰の壁にぶちあたりました。
>今、私にできるのは、
>いわゆる、誰にでもできる仕事、しか、ありませんでした・・・
>この上ない、屈辱でした。
私も似た立場だと思うのですごくわかります。私は、何年か離れたら復帰できない専門職でしたから、子育てのどさくさで、失職しました。パンダさんはここを死守したことが大きいですよと前に言ったのは、仕事がやはりアイデンティティに関わる部分だからです。職場の人との関係がセーフティネットだったって言ってたじゃないですか。それがない場合を想像できますか。この場合は、自分自身のパートが壊れたわけじゃない、フルに壊れちゃったんです。パンダさんにはわからないと思う(こんな言い方になってごめんなさい)。カレンさんは、その地獄も見て、パート(職)から修復していかれてます。私はそこの部分を模索中なんですよね。
みなさん共通して、(関係解消も含めて)ご自分の道を探っているとしたら、、、
>別れたシミュレーションをしたら、今のほうが、ずっと、幸せです。
>これは、我慢ではなくて、子供たちを一人前に育てて、自立させることが、
>私の使命、そして、それが、私の幸せ、だからです。
>そして、それは、夫との共通の思いです。
これは、すごく健全なひとつの選択肢だと思います。
元気で能力があった頃バラエティのあった選択肢を一つ一つ潰されて、足を一本一本ちぎられる思いで最後の一本の足で這っている虫たちにとってはね。私もバリバリやってた頃は、テニス教室行ってランチしてるお気楽主婦なんかを蔑んでました。今でも目にすると神経逆撫でされますけど、それは私の心の中だけにとどめて。近所で知らない人はいない育メンです。携帯のメルアドはママ友ばっかりです。異性だから本当の連帯には入れてもらえない事務的なメル友だけどね。今の生活が自分の全てと考えたら part/whole の問題に戻ってしまう。だからライフステージと区切って考えていいと思います。
>alonaさんは単にご自分のために純真なご主人を利用しているだけです。
>そして子育てのためという用が済んだら用済みになって捨てると言うことです。
子育てという大事な共同プロジェクトの仕事を達成する上で必要な協力関係、それが終わったら、「プロジェクト終了、解散、各自次の任務に向かってくれ」こう考えるのは至極まともだと思います。そのときそのツガイが個別に生きていくリソースがどうなっているかは、その時の問題としてあるでしょうけど。
alonaさんの意見は、このツガイにとっての環境(社会)適応の仕方だったんだろうと私には思えます。発見からわずか2年でそこまで行けたのもすごい。
お子さんは、お2人のお子さんなんですよ。だから、パンダさんが「利用」とおっしゃる意味がよくわかりません。稼ぎ手としての夫を立てて、掌で転がし、家計を握って、円満を演出する日本の伝統的な家族の要の母の役割を分担して子育てを成功に導こうとしているだけに見えます。
>子供たちは、みな、「ママって、気楽そうで、うらやましい」って、思ってます。
子供たちがこう思える環境を実現しているalonaさんは、すごいと思います。陰のご苦労はかりしれません。
>子は鎹。
これだって、めちゃめちゃ陳腐な台詞じゃないですか。
なんか、やっぱり支離滅裂になってしまいました。あとはパンダさんの分析といつもの鋭いまとめ方に期待して、すんません、仕事(ジョブ)に戻ります。と、、、時間差でalonaさんが返してました。
>子供もこの生活もすべて、捨てて、
>1人で、どこかに、逃げ出したい、と思うことがあります。
>でも、やっぱり、そんなことは、できるわけもない・・・
>それが、「大人の責任」です。
>夫にも、私にも、それぞれ、「大人の責任」があるのです。
この選択肢は、最後の切り札としてポケットに隠し持っててもいい思います。わかっていらっしゃることは承知ですが。
投稿: jo | 2011年2月10日 (木) 11時12分
joさん
私が投稿した直後にjoさんのコメントが入りました。
ほんとにありがとうございました。
こういうjoさんの視点、すごく貴重だと思えます。
そしてそこは私の弱いところですね。
私のまとめ方に期待をされてしまいましたが
joさんのコメントを拝見すると、少なくとも今は私にその力はなさそうですね (^ ^;)
joさんにおすがりすると同時に、時間をかけて私も考えさせて下さい。
投稿: パンダ | 2011年2月10日 (木) 11時26分
〉alonaさん
はじめて…!?私も、alonaさんの事、よく知らないのに、意見言わせてもらってすみません…何度か読んでいました。
私は、多分…ですが、今の私の家庭の状況などは…alonaさん、カレンさんやななさん、チロさんあたりと同じ位置にいるのではないかな?!と勝手に思っています。
alonaさんの言いたい事、よくわかります。私も、ここ最近は、前向きな「非定型を理解してください」みたいなことを主張させて頂いていますが、これは、事実なんですが、一番に、「私」に向かって言ってるんです。マインドコントロール的な…やはり、そういった意思がないと、私もコロッと、ひっくり返りそうな予感たっぷりだからです。
確かに、言語解釈法や、特性をつかめ、理解できたにしても、だから、やっていけるか?と言ったら、並大抵ではありませんよね。
私も、実際、「おままごとごっこ」みたいな、「はい、じゃあ、あなたは頑張って10分私の話を聞いてくれて、理解し合ったから、あとはゲームをたっぷりして良いですよ!」的な…そこで、「いや、もっと大切な子供の話をしよう」とか期待しても、そうならないし、うんざりする事は多いです。
私も、今、主人に何を求めたいか?と言えば、alonaさんと、全く一緒です。「年相応の大人らしさ」です。そこまでは、ほど、遠いです。
しかし…しかしですよ…
世の男って、みんなうちの中では、実はお子ちゃまなんではないでしょうか?(パンダさん、joさん、スルーしてください!)私も、たまたま今日は自分の方で、こんなテーマを書いていました…
私も、素敵な「大人っぽい」人を選んで一緒になりました。フタを開けたら、無関心の「子供っぽい人」でした。
夫婦って、ないものねだりで、お互いがもっていないものを引き寄せて一緒になって、足りないところを埋め合わせていくものなのかな?そういう風に、成長するようにできているのかな?って、最近思ってきました。
定型非定型関係なく、2人とも大人だったら、つまらないと思うし、2人ともお子ちゃまなら、問題だらけのバカップルになってしまいます。
今でちょうどいい(保っている)のかな?って…ちょっときれい事過ぎますかね…?
私は、他の男の人に、興味がいきません。多分、時を経たらば、同じかな?と思うからです。
それに、カレンさんや、繭さんが、子と親の思いを書いてくださってましたが、私も同感です。そして、子の為に、alonaさん自身が一番大切と思いますが、そこを考えた時に、もう少し、視野を広げた時に、「今まで、何十年も頑張って努力してきたalonaさん」は、ご主人と仮に、離婚して、「後悔」の気持ちはでてきませんか?離婚を選んだ自分を一切責めずにいられますか?私の聞いてみたい素朴な疑問です。チロさんやKSさんにも、ここ、聞いてみたいです。
この掲示板に来ている方たちは、皆、優しさを持っている人達だ、と思うから、尚更です。
私は、後悔や、自分を責めない強い芯(傲慢さとは違います)があれば、離婚もありかな、と思います。後悔がなく、主人もalonaさんも、お互い明るく生きていければ、子供にも悪影響は少ないからです。
でも、頑張ってきた量と、年数、度合いによって、後悔などの幅もついて回るような気が私はしますので、自分は弱いですし、総合的に考えると、離婚という言葉は出てきません。離婚がめんどくさい!というのも正直あります。なら、楽しくやろうかな…しかないんですよね…
私も、勝手な意見、お許しください…
パンダさんも、「アスペを理解しよう」としている気持ちが、伝わってきました。
投稿: みみ | 2011年2月10日 (木) 12時47分
続けてすみません。
〉alonaさん
私は携帯から読んでいるので、コメントが最後の方が、途中で途切れてしまっている時があるので、全部読めません。(パンダさんご確認を!よろしく!)
とんちんかんな私は、以前のコメントも含めて、alonaさんが、「子供が手を離れたら離婚を考えたい」事を主旨にコメントしてしまいました。すみませんでした!
今は、子供の為に、ひたすら耐えてらっしゃるのですね…。
投稿: みみ | 2011年2月10日 (木) 14時29分
みみさん
いつも携帯で大変だと思いますが、どうもありがとうございます。
(パンダさんご確認を!よろしく!)
はい。
「子どもが手を離れたら離婚を」というのはalonaさんが以前書かれていた内容と違いはないと思います。同時に「今は子どものために、ひたすら耐えていらっしゃる」というのもその通りだと思います。
みみさん、また泣いてないですか?ごめんなさいね。
次の記事で、すこしまた考えます。
投稿: パンダ | 2011年2月10日 (木) 14時41分
きのう一時間くらいかけて、alonaさんのコメントを読んで思ったことを書いたのですが、あまりに思いがけず激しい思いがこみ上げてきて、その思いのままに書いたものを投稿していいかどうか分からず今まで迷っていました。
でも、夫とコミュニケーションができ始めていることを心から喜んでいるのも本当の私なら、過去にたくさんの怒りや悔しさ、悲しさを抱えていたのも本当の私。それを実は今も引きずっているところがあるのもまたありのままの私だと気づき、やっぱり投稿することにしました。
不公平にならないように、自分のことも少し書いておきますね。私のADHD(グレーゾーンとの診断)的傾向、生育環境から普通の妻や母親がやることを見ていない・やってもらっていないがために何をどうすればいいのか知らなかったこと、そして性格もあるでしょう、決して良い妻でも母でもありませんでした。夫を知ろうとすることは、自分を知ろうとすることと同時進行でした。
だから、私たち夫婦の場合は、夫だけがひどかったわけではありませんということも書いておかないと、なんだかアンフェアですよね。
昨夜の文章を書いてから今もう一度PCに向かうまでの間にさらにコメントが10以上投稿されているのに気づきましたが、今日・明日ととても忙しいので、まだ読ませていただいていません。時間ができたら読ませていただこうと思っていますが、流れに合わない文章になっているかも知れません、お許しください。
以下が昨夜書いた文章です。
alonaさんのコメントを、1月28日の記事へのコメントと合わせて読ませていただきました。とても心が痛みます。alonaさん、本当に本当に、がんばっていらっしゃいますね。
私のここ最近のコメントのないように矛盾するかもしれませんが、だから、すぐには信じていただけないかもしれませんが、alonaさんの置かれている状況は、かつての私であり、またこの先の私の姿ではないという保障もありません。
夫は仕事先では優秀で、プライドも高く、自信満々の人です。息子が診断されたとき、それなら俺もそうだ、とは言ったものの、ASであることが意味することはまったく理解していませんでした。(私に至っては、そのときはまだ、彼がASであることすら分かっていませんでした。自分の欠点を都合よく障がいのせいにしないでよ、と思っていたんです)
その彼が自分のASを理解するようになってくれたのはまったくの偶然で、あることが起きて、自分に何か問題があることを自覚せざる終えない状況になったためでした。そうでなければ、いくら私が訴えたとしても、自分に問題があるなどとは思ってはくれなかったでしょう。自信を持って断言します。
私の夫も、すべてが思うようにならないとたちまち罵詈雑言を大声で延々と続ける人です。でも、世の中のほとんどのことは思うようにならないものですよね?ですから、ほとんどいつもそんな状態で、実は今でもそれに悩んでいます。
自分のASをちゃんと受け止める以前は、私がいくらそれをやめてほしいと理由も説明してお願いしても、「ななに向けてるわけじゃないから問題ないだろ。」と取り合ってもくれませんでした。
ASを受け止めてくれてからは、少なくとも自分は迷惑をかけているという自覚はして、抑えようという努力はしてくれていますが、正直、不十分です。
この罵詈雑言、こちらに向けられていなくても、暴力そのものです。欝や神経衰弱の立派な原因になります。そうですよね?
それ以外でも、わけの分からない理屈で理不尽な目に合わされたことがどれだけあったか。夫は私の両親(たぶんASです)が私にしたことは虐待だといいますが(そして今では私もそう思います)、それならば夫がかつて私にしたことはDV以外の何物でもありませんでした。
いろいろな偶然が重なって、わたしたちはお互いに理解しあおうという方向に進むことができたわけですが、もし、たまたま夫がASを受け止めざるを得なくなる出来事がなかったならば、そしてまた、そのときに夫がそれでもなお目をそらすということをせずに問題を見ようとしてくれ、関係を良くしようとしてくれていなかったならば、私は間違いなく離婚するか、alonaさんのように子供たちがそれに耐えられるようになるときまでをひたすらしのぎきることだけを考えていたはずです。
私は、ASと定型は文化の違い、と書いた者の一人です。理解しあうことは可能だとの願いをこめていっているのですが、ただ、「文化の違い」、というからには絶対に譲れない条件があります。それは、「私はあなたを理解するためにあらゆる努力をします。しかし、あなたにも私を理解しようとできる限り努力をする義務があります」ということです。もちろん、自閉症の程度が重い人や、知能の遅れを伴う人であれば、その要求は難しすぎるでしょう。けれども、これはAstonさんの言葉ですが、「配偶者を得るだけの能力のあるASの人であれば」、そして、その人が家族を持つことを選ぶのであれば、「その努力をする義務があるのです。」
夫がもし、この先、「こんな努力はもういやだ、やってられない!」と投げ出し、私や子供たちに一方的に犠牲を強いるようになることがあれば、私は迷わず自分と子供を守ります。
すみません、なんか、過去の怒りや悔しさや、いろんな気持ちがまたこみ上げてきてしまって、なんだかひどくきつい言葉使ってますね、私。その一方で、今では一生懸命努力してくれているのに、こんな事言って夫に申し訳ない思いもあふれて。なんだか涙出てきちゃいました。こんな自分、好きじゃないです。
言っていることがわけ分からなくなってきちゃいました。この辺でやめときます。
alonaさん、負けないでくださいね。
投稿: なな | 2011年2月10日 (木) 16時04分
さっきは携帯から改行ゼロの読みにくいコメント、すみませんでした。今回はパソコンからです。
alonaさん、追い詰められて疲れ果ててキツイ言葉が出てしまうのでしょう。
現実を戦っている真っ最中だから、敵をはっきりさせたいですよね。
私も夫に対してい心を鬼にしてやってきました。そうしないと自分が参ってしまうから。
alonaさんは私の何十倍も何百倍も辛い思いをしてきただろうから、なおさらです。
でも、それが、他の人を傷つけてしまったり、そのことでalonaさん自身が損をしているようで、気になりました。
私も毒舌になることあります。
パワハラ上司に心の中で「バ~カ」とか言います。グチもたくさん言います。
そんな自分になってしまったことを悲しく思うけど、正攻法で抵抗しても通じなくて鬱が悪化したことがあり、自己防衛のため。それが自分の器だと今では諦めてます。
でも、上司にまつわるもの、着てる服、出身地、趣味など全てが嫌になりそうなときには、ぐっと抑えます。そうしないと、その出身地の人みんなを敵にしてしてしまい世の中に嫌いなものが増えて自分が窮屈になるから。そこだけは気をつけてます。
職場と結婚生活では全然ちがうのは承知ですが、alonaさん自身が苦しくならないように。
それと、私の夫はおとなしいアスぺなので、暴力的なアスぺというのがよくわかってなくて、すみません。私の父が酒飲んで妻に暴力ふるう人でしたが、アスぺだったとは思いません。あくまで私が認識している「アスぺ」ではないということですが。
夫の問題をアスぺだけに集約するのは無理があるかな、と感じました。私の場合、夫の家庭環境も相容れない一因で、アスぺとの相乗効果だと思っています。
若輩者が失礼しました。
投稿: チロ | 2011年2月10日 (木) 21時53分