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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年2月25日 (金)

何が共有されるんだろう?

 しつこい風邪でご心配を頂いた皆さん、どうもありがとうございました。おかげさまでようやく7割方戻ってきたようです。ちょっと疲れがたまったことも影響したのかと思います。

 久しぶりに記事を書く気分ですが、まだ、あんまりまとまって何かを書けるという感じではありません。ちょっと気楽にという感じで書き出しています。

 とはいえ、記事作成にお休みを頂いてから今まで、見に来て下さる方の数は、むしろ明らかに増えていましたので、とても驚きましたし、結局この問題について深刻に悩んだり、いろいろ考えたりされている方がそれだけ多いということなのだろうと言うことを改めて実感しました。

 これから、この記事もどんな感じで続いていくのか、今の私にはっきりしたイメージがあるわけではありません。今まで通り、なんとなくそのときに気になったことを書き連ねていくのかな、とも思いますし、その中でみなさんからいただくコメントなどもまた大きな手がかりになるでしょう。

 最近頂いたコメントの中で、とりわけ何か考えさせられていることの一つは、アスペと定型の人の間で「共有」されるものって何だろうか、ということです。具体的に例を挙げて言えば繭さんからご紹介いただいた写真ブログ「羽化」を拝見して、ほんとに驚いています。

 私が下手な文章で紹介するより、一度直にご覧頂くのが一番良いと思うのですが、素人目に見てですけれど、一枚一枚にほんとに驚かされる感じなんですね。「え?こんな色があるの?」「こんな光があるの?」「こんな影があるの?」「こんな広がりがあるの?」「こんな奥行きがあるの?」「こんな命があるの?」……という感じで、小さな一枚一枚の写真に何かそれぞれの世界が感じられるんです。それぞれの物語が感じられると言えるかも。

 で、それってきっと撮影者の繭さんが感じ取った何かがそこに表現されているわけだし、そうやって写真に切り取られて示されたその世界に私の心が揺り動かされるわけですよね。

 撮影者がそこで感じ取ったものと、それを見た人が感じ取るものが全く同じかどうか、それはもちろん分かりません。というか、完全に同じなんて言うことは理屈上はあり得ないでしょう。でも、たとえば「わあ、これ、すごい!」とか、「ふーん、ため息」とか、なんかそういう「感慨」というか「思い」というか、そんなおおざっぱな話で言えば、そこでは撮影者とそれを見る人の間で確かに何かの世界が共有されているわけですよね。

 しかも、そこで見る側が感じる思いは決して浅いものではなくて、一種とても大切な感動を与えられる感じがするわけです。そうすると、アスペルガーの人は定型の気持ちが理解できないとか、共感する力がないとか、そんな風によく言われるけど、一体それって何のことなの?って改めて全然わかんなくなっちゃう、そんな感じがするんですね。だってこんなふうにある種の感動を与えてくれる世界(写真)が共有されたりするわけですから。

 そういう芸術関係って、人の心を振るわせるような力を持っているし、とても深い精神の世界の共有に関わることだと思うんですよね。

 もちろんそういう写真とか、芸術関係のことは相当の部分は持って生まれた才能の問題だし、こればっかりはどんなに努力したってその努力で追いつける部分なんてたかが知れている。私なんか逆立ちしたって他の人を感動させるようなものを生み出す力はありません。 その辺は多少なりとも芸術関係を身近に体験された方なら嫌と言うほどご存じでしょうけれど、とにかく非情なものです。

 そしてその才能というのはアスペだから得られないと言うことは全くないし、定型だからあるなんていうものとも全く違う。アスペだろうが定型だろうが、ある人にはあるし、ない人にはない。

 そうそう、随分前にご紹介したドラマーの金田ゆうじさんだって、音楽という形でそんな世界を作り上げる方なわけですよね。

 うーん、だからアスペルガーの人は感情の共有が下手だとか、なんかそういう単純な話とは全然違う問題がそこにあるんだと思えます。金田さんだって繭さんだって、定型とも共有される深い世界を作りながら、同時にアスペルガーでもあるわけですしね。

 一体これって何なんだろう?

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コメント

flairflairflairflairflairパンダさん…まぶしぃ〜!
冬眠から目が覚めたんですね!
それとも…一時的にお腹が空いて、出てきただけでしょうか(笑)!

とりあえず、ハンパカバ〜ン・ひゅ〜ひゅ〜♪〜(∩ε∈)って感じです。

あー…××いたた…
私はパンダさんとこに来ると、すぐに地がでてしまいます…失礼のないように…気をつけなければ…

外から穴蔵を覗いて待ってました!いびきだけはボチボチ聞こえてたんですが…
でも、風邪ぶり返さないように、まだまだ気をつけてくださいね!
そして、パンダブームで疲れてるでしょうから、休養もたっぷりとって!
もう居眠りしてそうなので…このへんで!

みみさん

 まだ寝起きでボーッとしているパンダです。
 (だれですか?「あんたいつでもボーッとしてるじゃないの!」という
 するどい突っ込みをしてる人は!)

 今日は、久しぶりに一家そろっていただきものの「うどんすきセット」を食べます。
 これでパンダ風邪もよくなるでしょう。 

パンダさん

なんと言ったらいいのか…とても、とても、嬉しいです。
私の写真は、Rosamondeさん仰るところの母国語(第一言語)に近いものです。
翻訳的会話を続けている日常の中で、自分を失いそうな危機感から、自分語の独り言感覚で始めたブログでした。

初めにみみさんが私の写真を見て下さって(私のブログの足跡が付いていたそうです)、「何かを感じる」と言って戴いたことが、とても嬉しかったのです。
それから、パンダさんや皆さんとお話を重ねるうちに、「見て戴きたい」と思う気持ちが強くなりました。

以前は、第一言語の言葉や写真などを人に見せることは、極親しい人以外には、怖くて出来ないことでした。
これは、私の成育環境の影響が大きいと思います。

でも、思い切って、よかった。

自分の第一言語から、何かを感じ取ってくれる人がいるって、幸せですね。

繭さん

 よく音楽は世界共通の言語だ、というようなことが言われたりすると思うんですけれど、
 定型とアスペのコミュニケーション、ということを幅広く、厚く、豊かに考えようとすれば
 そういう芸術的な世界の共有、ということはとても大事になるんですね。
 そういうことを改めて感じました。

 そういえばたしかモーツァルトは、自分は自分の気持ちを音楽でしか表現できない
 というようなことを言っていたような気が……
 映画で見たのかも知れません。
 もしかしてモーツァルトも実はアスペルガーだったりして。

 ただ、このあたりになると、ほんとに個人差が大きくなるのかも知れません。
 
 それにしても繭さんの場合、写真という第一言語が見つかって
 ほんとに良かったですよね。
 知り合いにも紹介しましたが、やっぱり引き込まれるように見入ってしまった
 と言われていました。
 そんなふうに人と共有できる世界が作れるってすごいと思います。
 

繭さんのあの写真の世界が、第一言語に近いもの、とお伺いして、
何かこう、とても懐かしい気がしました。

そして、しばらく考えるうちに「あ、この感覚、私も知ってる!」と感じました。

私の場合は、大人になって行く過程で、そして社会の中で (知恵や知識 ・
虚飾や儀礼・偽善・偽りに塗り固められていくうちに)、本来第一言語で
あるはずのものを忘れてしまっていた・・・そんな感じです。

4年半前に仕事を辞めてから、徐々に、その外側に塗り固められてしまった
いたものがパラパラと落ち始めたせいか、徐々に、木や草花との会話のよ
うなものを思い出し、

4年前の春には、新緑の光が、まるでピーンと張りつめた一条の光のように
して、私の胸の奥の命の部分に飛び込んできて、そして、染み入っていって
きて

その光と感じた新緑の命が、振動を持ったもののようにして、体のすみずみ
にまで少しずつ少しずつ染み渡って行くという、不思議な感覚を経験してい
ます。

普段は、いろんなものに覆われてわからなくなっているだけで、実は、人は何か
繭さんの第一言語と同じようなものを持っているのではないか、と思ったりも
します。 頭の中にではなく、心、あるいは命や魂の中に。

パンダさん

映画「アマデウス」でしょうか、私も随分前にDVDで見ました。
音楽に疎いのに、なんとなく気になって見てみたら、描かれているモーツァルト像にびっくりしました。
あれは一つの解釈で、公開当時は抗議もされたようですが、かなり面白い変人像ですね。私のイメージは音楽室の肖像画止まり…でしたので、更にびっくりだったのですが。

対照的に描かれたサリエリの、人として、音楽を愛する者としての苦悩が印象的でした。

写真は無心で対象を見ている時と同じ感覚で撮影出来て、私には合っているようです。
私が撮っただけでは、ただの独り言ですが、それを共有してくれる人がいることが分かって、ほんとうに嬉しいです。


カレンさん

私の興味の対象は、幼稚園児のころからあまり変わっていないような気がします…。
写真に写っているようなものたちを、いつまでも凝視している子供でした。
石や木の葉や羽根などを持ち帰ると、親にいやがられましたが、大人になった今は、それを止める人もなく(夫は面白がっています)、宝物は増える一方です(^^)

カレンさんの不思議な体験、とても神秘的ですね。
拝読していて、私も新緑の命のお裾分けを頂いたような気持ちになりました。

繭さん

石や木の葉や羽根などを持ち帰る・・・繭さんと私、同じことをしていたんですね!

私の場合は、さらに、昆虫・みのむし・イモリ・ヤモリ・タケノコ・きのこ・おたまじゃくし・タニシ・げんごろう・やご・ふぐ・いそぎんちゃく・ヒトデ・クラゲ・海草 etc.etc・・・とにかく自然の中にあるもの・いるものを、家の中に持ち込んでは観察していました。

今でも、6年前に息子が我が家に持ち込んだ2㎝ほどの小さな透き通るエビを、ひとりで観察したり、時々話しかけたりしているんですよ(笑)。

>私も新緑の命のお裾分けを頂いたような気持ちになりました。

新緑の話、こんなふうに言っていただいたことは初めてで、私の方こそ、すごく嬉しいです。ありがとうございます。

「話しても、人にわかってもらえないだろうな」と思うので、よっぽどのタイミングがない限り人に話すこともありませんし、実際話しても「ふ~ん・・・なんか、わかるような、わからないような・・・」という反応が返ってくることがほとんどだったので。


パンダさん

このコメント↑、どこに書いたものか迷ったのですが、繭さんのコメントの下がいいかな、と思って、ここに書きました。

カレンさん

カレンさんがお家につれて帰った生き物たち、どれも私も大好きです(^^)
家には持ち込めませんでしたが、たくさん遊んでもらいました。
同じ生き物なのに、形も生態も違っていて、不思議が一杯ですね。

私は海から離れた所で育ったので、主に道端や林や野原でしたが、たまに旅行などで海に行くと、潮だまりに何時間も貼り付いて、気が付くと潮が満ちていたり…。
今は夫が黙認or公認なので、色々と持ち込んでいます。

透き通る2㎝のエビ! かわいいですね。
6年も育てられるなんて、すごいです。きっと、脱皮や世代交代も見られたのでしょうね。
私のうっかり環境だと、生き物をひどい目に合わせてしまうので、お持ち帰りは主に餌のいらない状態のものにしています。
最近では、昨年秋に拾った、手のひらサイズの蜂の巣と、写真にも撮った冬虫夏草が一番の宝物です(^^)

新緑のお話、読みながら、緑の光が見えるような感じがしました。
それが体の中に染み通って、指先から仄かに揺らめく光景が(勝手な想像です)、実感されるような気持ちがして、「読んだだけでこうなのだから、カレンさんの体験はすごかったのだろうなぁ」と思っての言葉でした。
大切なお話を聞かせていただいて、嬉しかったです。ありがとうございました。

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