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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年2月 1日 (火)

「翻訳」の可能性:joさんとの対話

 joさんからいただいたコメントに、私が今考えていきたい大事なポイントが沢山問題として提起されているように思い、こちらの方で応答させていただきますね。

>私自身が、「定型」というものをある種の幻想、物理の理想状態みたいなもんだと捉えています。うちの場合、私の方が「定型」と称されているものに、たぶん近いだろうという認識です。(標準知能検査をすればプロファイルの凸凹が、より少ないだろうな、程度のこと)。その上で「定型」「非定形」みたいな表現をさせてもらいます。

 知能検査というのは、作り方を調べてみると、要するに沢山の人に問題をやってみてもらって、おおざっぱな言い方ですが平均すれば何点とれるのか(正確に言うとめんどくさくなるので (^ ^;)ゞ )、みたいなところで「標準」を決めてるようですね。だからプロファイルの凸凹がないというのは、要するにめちゃくちゃ平均的、というわけだけど、考えてみると全部の問題で平均点の人ってほとんどいないわけだから、なんだか変な話と言えば変な話なんだろうと言う気がします。「理想状態」という喩えをされているのもそんなことなのでしょうか。ただし人々の「平均」が物理でいう「理想」かどうか、というのはちょっと微妙な感じもします。(物理わかんないんで、すみません (^ ^;)ゞ)

 それはさておき、「定型」か「非定型」かということについていうと、私はやっぱり単に点数の違い、みたいなことではなくて、なんかもうちょっといろんなことが関連してくる「性質の違い」なのかなと思えるんですね。だから、そのお互いの「性質」を理解することに意味が出てくるんだろうなと思います。


>「定型」側に、ある種の耐性が強く備わっているほど、問題がより深みにはまってしまうんではないかと感じています。好意的に解釈して問題を先送りにできる能力みたいな。異文化とか異なる思想、考え方に一時的に共鳴する、深読み能力みたいな。これは「定型語」では「共感」だと思うのですが。「定型×定型」の場合には、小さな誤解は先送りすると霧消することが多いので、これが有効な平和的戦略になり得るはずですが、そこに非定型の「純粋定型批判」みたいな無邪気な論理と、フラッシュ記憶みたいな強力な原始的感覚が介入してきて、先送りしたはずの小さな誤解が、ものすごい破壊力で爆発してしまう。そんな感じってありませんか?

 以前、joさんの経験されていることと、私が経験してきたことに、大きな共通性がある一方で、なにかまだ言葉に出来ない違いも感じる、と書いたことがありますけれど、このあたりはそこに関係しそうな気がします。

 たしかに「純粋定型批判」と書かれているようなこと、つまり、とてもシンプルな割り切り方で事態を理解し、定型がよくやるような「曖昧さ」を含んだ判断が共有されにくい、ということはあると思います。これはアスペルガーの方のブログとか読んでいてもしばしば感じます。

 そこで思い出すことは、一部のアスペルガーの方は、そこに「確率」というような考え方を入れて、理屈でその「曖昧さ」の部分を理解されようとしていることがあるように思えるということです。繭さんのコメントでも「高確率で」というような表現があって、ああなるほど、という感じがしましたし、以前にちょっとだけご紹介したことのあるnonono12345さんのブログでも、定型の曖昧さを含んだ判断の仕方をどう理解したらいいのかということで、物理学の議論とかも参考にしながら、いろんな議論を試みられたりしています。

 で、そういうのを読ませていただいている限りでは、「ものすごい破壊力で爆発」という印象にはつながりにくい感じがするんですね。nonono12345さんなんかはどっちかというとひたすら迫害され、いじめられて反撃も出来ずにブログで怒りをはき出しながら独り言を言っているという感じですし。私のパートナーの場合はそういう「確率」とかの話で論理的に問題状況を理解しようというタイプではないのですが、やっぱり「ものすごい破壊力で爆発」というよりは、内にこもるほうかも知れません。そのあたり、その人その人の性格とか、生活歴とかが効いて、同じアスペルガーの人でもだいぶ個性の違いがあるのではないかという、漠然とした印象を持っています。

>定型が好意的に解釈するための包容力も、負担ゼロで発揮しているわけではなく、先の見通しに支えられて、かなりの精神的負担をしながら先へ進むので、「定型」の側でも耐性の余裕部分がすでに損なわれています。借金状態で自転車操業してる。これは「究極の打算」というように翻訳されるかもしれないものですよね。

 カレンの夫さんがおっしゃっていた「思いやり」についての議論からすれば、たしかに「究極の打算」という翻訳も成り立つのかなと思います。そして、この状態は私の考えではやっぱりギブアンドテイクが成立していない、ということだと思うんですね。だから何らかの形でそれが成立することがどうしても必要に思えます。

 たとえば何がギブで何がテイクかについての視点を変えて、今までテイクと感じられなかったものがテイクと感じられるようになるとか(その一つの究極の形は、以前にも書かせていただいたような宗教的な「無償の愛」を成り立たせるギブアンドテイクだと思います)、お互いにとって現時点でのギブとテイクの理解が違っているから、そこを調整していくように二人でもう一度関係を考え直すとか、そういうことが行われない限り、いずれは関係か、あるいは自分自身が維持できなくなると思えます。

 私にはiroriaさんの超人的な努力と、その裏に隠された自分の命を切り刻んでいくような壮絶な痛み、そしてその先に力尽きたかのようにネットから消えてしまわれた過程というのは、そういうギブアンドテイクが成立しなかったことの結果のように思えてなりません。そこをなんとか乗り越える道を、多くの方のそれこそ命を削るような貴重な経験から考えていきたいんですね。もちろん個々にはその関係を「あきらめる」という選択肢を確実に確保しながら。

>言葉だけでなく、表情とか行動様式とか、服装やらヘアースタイル、それに仕事の出来栄え、結果みたいなものまでも、ともすれば心的態度として捉えられてしまう「定型的」日本社会の文脈の中で、うまく表現しきれませんが、「翻訳」に期待しすぎるのは、どうかな、という危うさを感じますけど。

 これはおっしゃるとおりだと思います。逆に言えば「翻訳」に期待できる関係とはどういう関係なのか、ということを考えていくこと、それから現時点でそれが無理であれば、何がそのような関係を拒んでいるのかを探っていくこと、そこが大事になるのだと思います。

 それからもうひとつ、「翻訳」しあう関係作りにある程度成功してきている方達の経験、カレンさんご夫妻などに学び、また繭さんやRosamondeさんのようにアスペルガーの方から対話的にこの問題に向き合ってくださる方との関係を大事にして、みみさんのように「両方がわかる」とおっしゃる方の見方も参考にしながら、比較的「条件がよい(?)」ところで道を発見し、だんだんより難しさを伴う関係に進んでいく、というやり方もあるかなと思います。

>「翻訳」は、結局、「翻訳」でしかないことを心せよ、ということを、パンダさんも言ってるのかな。

 それはそうだと思います。そして実を言うと、定型同士のコミュニケーションも、広い意味ではそういう「翻訳」で成り立っているんだ、とも考えているんですが……

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コメント

おはようございます!と、元気に書いてますが、実はちょっとやっと気持ちを立て直してここに向かっているところです・・・というのも、前日のブログへのコメント、40分かけて書いたのに、キー操作ミスで、一瞬にして消えてしまったので・・・(T_T)

よし、もう1度!

別居やその後のいろんなプロセスの中で、「結果的に」私たちは、お互いにお互いが、自分の半身のようなものだと、頭でなく心、あるいはもっと深いところで感じるようにりました。なので、今や、「敵」は、互いに、私でもなく夫でもなく、「安易に怒りや悲しみに心身をまかせてしまう以前のようなやり方」なのです。

厳しい言い方になるかもしれませんが、怒りや悲しみに身をまかせるのは、とても簡単なことです。(決して、怒りや悲しみを否定しているのではありません。)

なので、それに安易に心身をまかせっぱなしにしている時にどうなるか、をわかっている今では、夫も私も、「怒りや悲しみに身を任せっぱなしにするということをしないように努力」しています。

「努力」というと、ずいぶん固い言い方ですが、

これは、仕事や趣味の領域・生活の他の部分で「あ、これができた!じゃ、次のレベルに挑戦してみよう!」と思いながらやっているのと、少なくとも私にとっては、あまり変わりません。練習はめんどくさかったりきつかったりもするけど、次のステップに進むのが楽しいとうか・・・。

「耐性」とか「包容力」とかいう表現もあるのだなぁ、と思いましたが、

今の自分を表現してみたら、「お気楽」「知らないとわかったら、知りたくなる」「好きでやっている」「ひとつできたら次に進んでみたくなる」「疑問を投げかけられたら、考えないではいられない」・・・そんな感じでしょうか。

それから、この頃思うのですが、私、いつの間にかマイノリティーになってますね・・・ASの人を配偶者に持つ立場の人たちの中で・・・(^^.)

あ、あ、いけない、時間が・・・!では、失礼します。

パンダさん、私のエネルギッシュな乱筆は、続いてましたよ!
わたし、ブログとか、よくわからないんですが、実は数日前から、書き始めていたんです。
パンダさんのブログは、いつも楽しみにさせて頂いてますが、書きたい事、沢山あって、書きたいのですが、パンダさんと、私は、主旨が違うので、いつも一方的に私の主張を書いて、申し訳ないと思ってました。
私の主旨は…
・アスペルガーや、ADHDなどについて、まだよく知られていなくて、決めつけや、誤解なども多いため、ネットや書物などを読んでいても、「違うんだよ・そこは!一緒に暮らした事もない、カウンセラーや精神科医に何がわかる?!」と言いたい事も沢山あるんです。もちろん、私が正しいとも言いませんが。そこを、自分なりに主張したい、ということ。(もちろん認めなさい!という事ではないです。)

・それと、以前も書いたような気がしないでもないですが、私はアスペルガーやADHDが憎いんです。人じゃないです。
目に見えずに、ジクジクと私たちの幸せをむしばんでいった、それらが…
私は、どうしても、その正体が知りたいんです。「この違和感はなんなんだ?」「悪魔の正体は何なんだ?」と、子供の頃から考えていました。「食い止める事は不可能なのか?」って…
パンダさんの所に書いているうちに、なんか光が見えてきたような錯覚に捕らわれ、(人が人である以上、多分くい止めるのは難しい気がするのですが…)自分なりにまとめていきたい気分になりました。

私は、変な子…もう大人ですね。そう、変わった人なのかもしれません(笑)

多分、障がいに囲まれて生まれて、障がいに囲まれて生きて、障がいに囲まれて、この世を去る運命…ってお気楽に考えています。

障がいに負けない。障がいを受け入れていこう。という考えです。

パンダさんの所には、知恵がたくさんあるので、ちょっと、失敬しに来るかと思います。その時は…見逃して下さい〜
もちろん、今まで通り、楽しみにさせていただきます!
私は…サボる時もあると思いますが…読んでくれるだけで結構ですので、おまちしてます!

アドレスは

http://tmgpwa.blog.fc2.com/

タイトルは…忘れました。
よろしくお願いします!

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