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2011年1月12日 (水)

アスペと定型のギブアンドテイクの意味(4) 「子育て」編

さて再び現世に戻ってきました。「子育て」です。

生まれて初めて親というものをやっている人間にとって「子育て」がいろんな意味でどんなに大変か、ということについては、経験者の方には共感できる方が少なくないと思います。アスペルガーの人も、子育てで悩んでいる方は多いのではないでしょうか。「うんそうだ」と思っていただけたら、定型的にはそれを「共感が成り立った」と表現したりしますけれど。(「うんそうだ」の内容が微妙にずれていたりするかも知れませんけれどもね)

「子育てにおけるギブアンドテイク」という問題を、すごくドライに考えると、今育ててやって恩を売っておき、年取ってから世話をしてもらうという形で恩返しをさせるためだ、という見方もあります。実際老後の社会保障がない社会などは、子だくさんにして将来の安定を図る、ということがあったりするわけです。この考え方をさらに深めて儒教なんかは「孝」を基本にして社会全体を支える、というような理屈を作り出したりもしています。「孝」の考えが色濃く残っている社会では、その人が信用できる人かどうかを判断する重要な基準に「親を大切にしているか」というのが実際あったりします。

でも老後は社会保障で、という社会では子育てをしないかというと、もちろんそんなことはありません。このあたりは生物学の方から言わせれば、「自分の遺伝子を残すためだ」という説明になるのでしょう。もちろん人間も生物ですからベースにそういう力が働いていることは当然でしょうけれども、その仕組みはさすがに人間はものすごく複雑で、その結果「子供を作らない」という考え方の夫婦だって決して少なくはないわけです。それを単に「例外」と無視してしまうことは人間の社会の大事な部分を見ないことになってしまいます。

人間社会は「個人の利益」というものをいろんな形で犠牲にする、ということをたくさんやることで成り立っている。奉仕の問題などその典型でしょう。先に書いたように、そこにもギブアンドテイクが絡んでいるだろうとは私も思うのですが、それは「自分の遺伝子を残す」という枠を越えてしまうし、また物質的な利益を得る、という範囲も超えて精神的なレベルで成り立つものだったりする。(回り回って間接的に利益になる、という話はもちろんあり得るのですが、直接と間接の違いは大変大きく、そこにこそ、人間社会の仕組みのキーポイントがあるんだと思っています)

あ、少し脱線してしまいましたが、とにかく子育ては大変 (^ ^;)。新生児を抱えた家庭など、夜中にあの泣き声で何度たたき起こされるか。泣きやまない子どもをだっこしてどれだけ部屋の中をうろうろさせられるか、おろおろさせられるか。赤ちゃんに対する虐待だってぼちぼち生じてしまうほどに、やっぱり大変なわけです。でも、そういう虐待してしまう親の中にも、泣きやんで眠っている子どもの寝顔を見て、ほんとに可愛く思い、泣いて自分を責めるという人もあったりする。このすごい矛盾みたいなことが子育てなんだろうなと思います。

で、素朴に考えてこのしんどい子育てを、それでもなんとか続けられるのは、やっぱり「可愛い」からなんですよね。あのにこっとほほえんでもらったと思ったときのうれしさ(ある動物行動学者は「実はあれは赤ん坊がうまいこと親を籠絡したと思ってほくそ笑んでいるんだ」と面白いことを言っていましたが)。後追いをされたり、帰ってきたらにこにこと喜んで向かえてくれるときのうれしさ。はじめて子どもが言葉を話したときの喜び。それはやっぱり子育てというギブに対する親の側のテイクになるのは間違いないと思います。

ただし、大人同士のギブアンドテイクと決定的に違うのは、やりとりの方向が一方的だと言うことです。世話をするのはあくまで親の方であり、子どもは「笑顔」などのご褒美を下さるに過ぎない。お小遣いだって一方的にあげるだけで、子どもがそれで家事をやってくれるわけでもない(やらせている家庭もありますけど)。物質的なことで言えば、親はひたすらすねをかじられ、しゃぶられるだけで終わります。だからといってそういう親子の関係を「おかしい」とか「不当だ」というふうに考える人はまずないでしょう。もちろん時代を遡れば、ある程度成長すれば子どもの内から親と一緒に働く、という時代もあったわけですが、まさか乳児の時から働かせるところはありません。

一方向的なギブアンドテイク、ということでは子育ては「奉仕」にも似ていますが、でも「子育ては奉仕である」と言われたらまあ多くの方は違和感があるでしょう。やっぱりそこには違いがあるはずです。ここではその違いを「万人に対する奉仕」と「特定の子どもに対する子育て」というふうな言い方で考えてみたいと思います。奉仕の精神は、基本的には特定の人を選ばない。でも子育ては人を選ぶわけです。自分の子どもである場合もあれば、養子である場合もあるでしょうが、とにかく特定の子どもと特定の大人の間の特別の関係です。

というところで、いくつかのギブアンドテイクのパターンを私なりに多少整理してみたところで、次にアスペと定型の間の大人同士のギブアンドテイクについて考えてみたいと思います。

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