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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月18日 (火)

個性的な現実と一般的なパターン

定型同士のカップルでも関係を解消するカップル、状況で別れられないカップル、別れたくないカップルといろいろあるように、アスペと定型のカップルもそれは当然同じですね。その分かれ道がどこで決まるか、ということも、本人達の関係(相性とか)に主な原因がある場合も、子どもの問題が絡んでくる場合も、実家が絡んでくる場合も、あるいは友人関係などとか、さらには場合によって地域が絡んでくることもあるかも知れません。それも一緒でしょう。

どんなカップルでも問題が一度も起きないカップルというのは私は想像できないのだけれど(無いとは断言できないにしても)、その問題が比較的解消しやすい場合も、蓄積していく場合も、一回で強烈なダメージを与えてしまう場合も、いろいろでしょう。そこにも当事者自身の性格や価値観、周囲の人々の態度やサポートのありかたなど、いろんなものが絡んで、その問題が結局どういう方向にカップルを導くかを変えていく。

このブログでは「ギブアンドテイク」が何らかの形で成立するかどうかが大事ではないか、という視点で一応考えてきているわけですが、そのギブアンドテイクについての考え方だって、ほんとにいろいろで、「亭主(女房)元気で留守がいい」というのだって、それを一種のギブアンドテイクと考えてカップルを維持する場合も現実には十分ありうるわけですね。

つまり、結婚は続けてあげる(ギブ)から、「お金だけ持ってきてね」というテイクとか、お金は持ってきてあげるから(ギブ)、「家事とかだけはしっかりやってね」というテイクとかいうドライな割り切り方にする。そういうのは、私個人の感覚からは違和感があっても、その人の置かれた状況などによっては、もしかすればそれが妥当なこともあるかも知れない。あるいはそう思うことにしか現実的な選択肢が残されていない場合とか。

もちろんここでいう「現実的」というのは、その人の目に見えている「現実」ということで、他の人が見たら別の見方も出来るかも知れませんけど、でも本人にはその他の見方に触れる可能性がない、あるいは受け入れられる可能性がない場合は、そのこと自体も広い意味で逃れようもないリアルな現実の一部だと思うんです。

そういえば、アスペの人が書いていたブログの中に、「これ以上どうやって努力しろというのか?」という悲痛な叫びを書かれている人がありました。仕事の中で、アスペ特有の傾向でどうしても定型のようにはこなせないものがあり、それは定型の上司からすれば、全く理解できないものだから、「こいつ、ふざけてるのか」と思ったり、「やる気がない」「怠けている」「努力が足りない」といった見方しかできなくなる。だから叱り方としては「真面目に努力しろ」というような言い方しかできなくなってしまうのでしょう。でもいわれた側はただ追い詰められるだけで、もうどうしようもない訳です。

立場を変えて定型の側だって、アスペの人を理解しろ、とか、配慮しろ、と言われたところで、もう自分で考えつくぎりぎりのところまでやりきって、「これ以上どうしろっていうの?」という所まで追い込まれることもある。もしかすると第三者の目には、別のやり方が見えるかも知れない。でもその当事者にそれがどうしても見えないとき、あるいは置かれた状況が到底そういうやり方を受け入れさせないようなものであるとき、それはその人にとっては絶対的な「現実」なわけだし、そこを足場に考えるより、どうしようもないことだと思います。

自分がなんでこんなことを今うだうだ書いているんだろうかと思うんですが、本当は上のようなことを書こうとしているのではなくて、アスペとのカップルで定型の側が感じる困難には、ほんとに共通性があるんだなあと言うことをあらためて実感することがあって、そのパターンみたいなものを少し自分なりに少しずつ整理してみたかったんです。

で、それはだんだんとやってみたいわけだけど(関係書籍にはもう常識として書かれていることかも知れませんが)、ただ、「こう理解すれば大丈夫」とかは絶対に言えないし、ましてや「こう理解しないのはおかしい」などということはもちろんない、ということを前提に書いていくことの大切さを、改めて自分の肝に銘じておきたい気がするんです。

それは私の理解力が限界があるから、とか、そういう話ではなくて(いや、もちろん限界だらけというか、限界そのものなんだけど (^ ^;) )、なんというのか、生きていくことの「真実」というのは、あくまでもその当事者本人がどう感じるかにあるので、「第三者が客観的に見てどうだ」というのとは根本的に違う話だと思えるんですね。

どんなにすごいお医者さんがすばらしい診断を「客観的」にし、「このようにすべきだ」というような意見を言ったからといって、でもそのことが本人が見ている「現実」の中で意味を持たなければ、それはやっぱり生きた「真実」とは言えないように思う。死んだ「客観的真理」に命はない(……死んでるんだから当たり前か (^ ^;) )。

「こうやったら幸せになれる」と言っても、幸せを感じるのも不幸を感じるのもその当事者本人以外ではあり得ないのだから、他の誰でもないその人にとってどうなのか、ということで判断されるしかないと思えるわけです。

こんなことは言うまでもないことなんじゃないかと自分でも思ったりするんですが、パターンを整理すると言ったって、それはあくまで私から見てそう見えたと言うだけのことで、もしかしたら他の方にもその見方が共有されたり参考になったりするかも知れないし、あるいは全然あてはまらないずっこけのものかもしれない。もちろん今はすごく賛同できるけど、後には見方が変わって、いや違うなあ、ということになるかもしれないし、その逆もありうる。そういういろんな可能性を含めて、今私にはとりあえずこんな風なことが見える、私にとっての「真実」ということでしかない。

なんだか、下手な話をする前に、予め「しょうもない話ですよ」と一生懸命言い訳してるような感じもしないではないですし、実際しょうもない話なんだと思うんですが (^ ^;) 、ひとりひとりが抱えている個性的な現実、ということを私はついつい見過ごして一般化してしまう傾向がかなり強いような気がするので、改めて戒めとして書いてみました。ですから、これからもいろいろ書くと思いますけど、「あんたそう書いてるけど、そんなの私の現実とは違うよ」みたいな話もいろいろあると思うので、是非そのときにはバシっと教えていただければとてもありがたいです。

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コメント

パンダさん、こんにちは。
病院に行ったら「なぜすぐ来なかったんですか?……悪い病気ではありませんが、手遅れかも知れません」と言われました。
病名は「笹の葉症候群」だそうです。
何か笹の葉に関係してるらしいです。医者が首をひねっていました。
この病気は、今後、大変な感染力で増えてくだろう…と言われていると、おっしゃってました。
新型で、まだ表には出ていませんが、今年辺りからチラホラ発見されてきたようです。根元は笹の葉、またはそれに関する何か…という所まではわかっているみたいです。
なんか、「アスペと定型」とかいう、掲示板を紹介され、そこに行くと悪化の原因も治療法も書いてある…と言われました。
まあ、ちょっとアホになる程度で、悪い病気じゃないらしくて、ホッとしています。私も、それによって体調が悪い、とか、不都合が起きる、なんて事はないし、逆にちょっと体調が良くなる感じもしてるので、この病気と気長に付き合っていこうと思ってます。
とりあえず、紹介された掲示板に行ってみてこようと思います!

(おーっと!白々しいですが、この掲示板だったのですね!)

私の場合は、母と離婚した父がADHD(DVあり) 母もADHD 兄がAS、私は笹の葉症候群(クドい)と、思っています。しかも、診断された訳ではないのですが、本当に一人一人、色濃い特徴を持っています。

親戚にもチラホラ色濃い方がいますし、父系の母、なんかも特徴的な人でした。
そして、主人AS、義父AS(診断済)、子供ADHDです。本当に色濃いです。

根拠なくちょっと人と変わってるから、と決めつけている訳ではありません。
本当に、本一冊書けるんじゃないか…とか、ドラマになるんじゃないか…と思う位、今まで、壮絶な有り得ない不思議な事ばかり起こっていました。
私の人生は何十年泣きっぱなしです。
そして、私自身はどうかわかりませんが、とにかく小さい頃から、そんな身の回りを、子供ながら常に「冷静な目で客観的に」みている自分でした。
私の母は、「うちは何か先祖に呪われているのかしらね、?」なんてよく嘆いていましたし、私も「ホントにそうかも」なんて思ってたりしました。
私は何もわからない子供の時は、父や母は「ヒステリー病」なんだ、と思ったりしていました。

実家を離れ、努力し、自分の手で幸せをつかんでいこうと、選び抜いた旦那は、気付けばアスペ、義父も大変なアスペ、産まれてきた子供はADHD。
やはり、よくあるパターン、よく言われているように、何か惹きつけあうものがあるのでしょうかね?

アスペやADHDなんかも、ボーダーラインが難しく、誰にでも当てはまる、要素は人である以上誰でも持っているのですが、私は自分はどうなのか…いつも考えてしまいます。
今では、定型の主張も、当事者の主張もよくわかります。
だから、鬱っぽくなってしまう時がある…「やりきれなさ」と「矛盾」で。

鬱っぽく…と書きましたが、私はどんなにしんどかろうと、意地でも病院には行かない、薬は飲まない、という考えです。
薬の怖さを知っていますし、病院に行って「あなたは鬱です」と言われたら、私は鬱病になってしまう。
行かなければ、診断もされないので、「鬱病ではない」と言える、単純な考えです。
決して、決して、鬱で病院に行ってる方や薬を飲んでる方を否定しているわけではありません。
私は子供の頃から、辛くても、泣けば泣いてごまかしている、ちょっと風邪をひいても気持ちが弱いからだと、薬なんか飲ませて貰えなかったし、そういう所からきているのかも知れません。
人や薬に頼る事は許されませんでした。
それに、精神系は薬を飲み続けても「完治」した人はいないようにも思えますし、
薬は穏やかにしてくれるのかも知れませんが、それこそ私にしたら「偽」なのです。
(でも、医療が進歩している今は、直接な効果をちゃんと証明されたりしていますね)
この障害の存在を知った今は、お薬を飲むよりも、「分かち合う」事が、最高の薬になるんじゃないか…と私は思えています。

そして、私はこの障害は、今大変問題となっている鬱病、PTSD、DV、等のそれら全てに起因している…
世の中のけんか、憎しみ、事件、問題、宗教、戦争にまで及んで、全てにおいて起因しているのではないか?と考えてしまうのです。(障害者のせいで、という事ではありません。いわゆるお互いのズレからです)
さて、ようやくパンダさんのギブアンドテイクのお話ですが、私は、ラッキー!?な事に、超、超、超不思議な義父と出会いましたので、ネットのおかげで、アスペなどの存在を知る事が出来ました。

最初、義父はこれっぽいな→あれ?これまさに主人もじゃない?→その頃色々あった子供の片付けられない部屋に気付く→あれ、ADHD?これまさにうちの子じゃない?(この時点ではあくまで旦那の家系のみにまでしか目がいってない)→兄が鬱病になる→あー、今までの兄のおかしさってASそのものだわ→まって!…兄がASって事は…うちの家系も?→あー、父の行動、DV、母の行動、ヒステリー、あんな事、こんな事、
「すべて、しっくりきてしまった」

じゃあ私は?それは棚の上に置いといて…こんな感じで、何十年も死ぬほど(怖くて死ねなかった)私を悩ませた「何か」が、一瞬でわかった気がしました。

「うちを、先祖代々呪っていたと思われるのは、単なる自閉症スペクトラムだった」
これに気付いて…
今、私の人生の謎が解けた。
私が変わった事で、今は、母も主人も、子供も、周りがどんどん変わりはじめている。
これだけでも、私にとっては大きな「テイク」になります。
散々な身内だったけど、私に人生最大とも言えるテイクをしてくれた…とちょっと感謝しているんです。

私は最近まで、努力してもやりきれないとき、誰もわかってくれない時、(私は全く宗教派ではありませんが)マザーテレサの言葉に大分頼り、助けてもらいました。一度読んでください。

http://www.fruits.ne.jp/~k-style/teresa1.html

辛いとき、気持ちを押さえれないとき、読んでください。
幸せを求めるなら、方法は全てここに書いてあると思います。
カレンさんも同じ事をいっているなぁ…と思い、本当に素晴らしいと思いました。
しかし、年数と、経験を積んで、初めてわかる事ばかりです。辛い経験をしていない人には理解されないと思います。
辛い経験を踏んでのみ、わかる事です。

1人でも多くの人が幸せになれますように
      聖母「笹の葉症候群」より

(続き)
「すべて、しっくりきてしまった」

じゃあ私は?それは棚の上に置いといて…こんな感じで、何十年も死ぬほど(怖くて死ねなかった)私を悩ませた「何か」が、一瞬でわかった気がしました。

「うちを、先祖代々呪っていたと思われるのは、単なる自閉症スペクトラムだった」
これに気付いて…
今、私の人生の謎が解けた。
私が変わった事で、今は、母も主人も、子供も、周りがどんどん変わりはじめている。
これだけでも、私にとっては大きな「テイク」になります。
散々な身内だったけど、私に人生最大とも言えるテイクをしてくれた…とちょっと感謝しているんです。

私は最近まで、努力してもやりきれないとき、誰もわかってくれない時、(私は全く宗教派ではありませんが)マザーテレサの言葉に大分頼り、助けてもらいました。一度読んでください。

http://www.fruits.ne.jp/~k-style/teresa1.html

辛いとき、気持ちを押さえれないとき、読んでください。
幸せを求めるなら、方法は全てここに書いてあると思います。
カレンさんも同じ事をいっているなぁ…と思い、本当に素晴らしいと思いました。
しかし、年数と、経験を積んで、初めてわかる事ばかりです。辛い経験をしていない人には理解されないと思います。
辛い経験を踏んでのみ、わかる事です。

1人でも多くの人が幸せになれますように
      聖母「笹の葉症候群」より

聖母「笹の葉症候群」さま

 すでに手遅れとのこと、さぞかしお力をお落としのことかとお察し申し上げます 
 こういうときはやけbottleでも飲んで、アルコール消毒するに限ります。

 ご紹介いただいたマザーテレサの言葉、とくに一番初めの
 「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。」
 にすごく共感します。このたったひとつのことに、どれほど多くの人たちが悩んだり苦しんだり悲しんだり怒ったり絶望したりしているか。逆にそれが与えられたときの喜びがどれほどのものか。そんなことをしみじみ感じるんですね。

 だからこそ、そこをアスペの配偶者がはっきりわかる形でなかなか与えてくれないことに、定型の人間は苦しみ続けるのでしょう。この逆が言えるのか?一見すると言えなさそうにも見えるけれど、本当にそうなのか。もちろんアスペルガーと言っても「スペクトラム」と言うことですし、濃い薄いがありますから、単純には言えないだろうと思いますけれど、やっぱり考えていきたいことの一つですね。

 それにしてもみみさんのご家族も豪華というのか、オールスターというのか、多士済々というのか。私も私のパートナーも親では苦労してきた方なので(でもそれは随分たってから初めてわかるんですよね。子どもの頃は「家とはこういうもの」と思いこんでるので (^ ^;) )、大変だったろうなあと思います。まあようここまで育った!というか。前も書いたかも知れないけど、「親はあっても子は育つ」というのが(自分の子どもの苦労を見ても)実感です。

 あと、「ズレ」からいろいろな葛藤が生まれるという話、私も賛成です。そこ、いろいろ考えていきたいと思うんですね。

 薬については、使い方によるかもしれません。薬で「治る」というものではないですが、ただ極度にしんどい状態を緩和して、精神的なエネルギーを蓄えるためには一定有効だと感じています。で、そのエネルギーを上手に使って自分のケアとか、環境をととのえるとか、だんだんとやっていければ、薬は使う意味があるように思います。だから薬だけに依存するのは私はいいとは思いませんけれど。私の場合、こうやってブログをやるのもそんな「自分のケア」の作業のひとつだと思っています。

 ということで、聖母「笹の葉症候群」さまは、そろそろアルコールが回ってきたところでしょうか?お伝えするのが遅くなってしまいましたが、ここは悪徳ぼったくりバーと世間では言われておりますので、ちょっとばかり値が張りますが、まあいつもにこにこ現金払いdollar、でよろしくお願いします。もしお手持ちのお金が足りないときは、若い者をおつけしますので、きっちりみみearを揃えて、どうぞよろしゅうおたの申します。

聖母「笹の葉症候群」さま

 先にご紹介した感染者の方からメッセージを頂きました。
 「ちょっとアホになる程度」ではなく、「かなりアホになる」と断言されていました。
 症状としてはやたらと簡単な英単語(アンドとかバットとか)を連発して
 喜ぶ、というものもあるそうです。
 多分、感染する内にウイルスが進化して強力になるんでしょうね。
 その方を見ていると、自分はまだましなほうではないか?
 と思ったりしますものね。ほんとにご愁傷様です。

 ただ、あのご紹介を見て「これは自分のことだ」と確信されたようですので、
 自覚症状は伴うものと思われます。そこは少し救いでしょうか?
 聖母さまもどうぞご自愛下さい。

昨日はナイーブになってしまって、お騒がせしてしまって…
1人で騒いでたんですけど…

申し訳ないと思い、今日は、パンダさん一家にケーキを持ってきました!
みんなでどうぞ

えーと、奥様には「底酒洋梨タルト」と思ったんだけど、これはちょっとマズそうだったので…「チョコット・ヤ・メロンパイ」

お子さまには…桃の形をした「モンブラン食お〜モンブラン食お〜ケーキ」

どーぞどーぞ!で、パンダさんには…
………?あれ、ない…。
あ…パンダさんの分、忘れてた…

聖母□さま (なんで名前が□になってたんかな?)

 私の分のケーキ、忘れてませんよ、一番最初に出して下さったじゃないですか。 
 ほらね 

                   cakeshine


 自分のしたことを忘れるのは「笹の葉症候群」の一部でしょうか?
 新に発見された症状かも知れませんね~。
 リハビリ、頑張りましょうね~ (^_^)v

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