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2011年1月 8日 (土)

アスペ当事者からの解決の模索

アスペルガーズサークルというHPを見ました。アスペルガーである(と診断されたか、自分がそう思っている)人であることが会員になる資格となっています。そうやって少数派として苦しんでいる人たちの間でピアサポートをやろうとしているのですね。

ということで、会員になれない私はそこにある掲示板などは読めないのですが、サンプルのような形で管理人ご本人が投稿しているものがいくつか紹介されています。その中に「人とうまくやっていくには?」という項目もあり、九つの連続投稿内容が紹介されています。

その冒頭には、アスペと定型の間のコミュニケーションを、暴投しあうキャッチボールに喩える話が出てきます。特にアスペルガーの人がコントロールがへたくそで、相手の暴投を呼びやすいのだと理解される。そしてこんな呼びかけに続きます。

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アスペルガーは、コントロールがホントにヘタクソです。なので、「絶対ワザと投げたろ」と思ってしまいます。
アスペルガー同士でも、「ワザとや!」と思ってしまうことでしょう。
こうした誤解を避けるには、アスペルガーであることをカミングアウトすることも必要です。
自分を理解してもらうことも大切ですし、相手を理解しようとすることも大切です。

自分も、相手から暴投を投げられて、今までさんざんイヤな思いをしてきました。
でももしかしたら、自分が気付かないだけで、自分もその相手に暴投していたのかもしれません。
今までは、アスペルガーなんてものを知らなかった。だから、「自分に問題がある」ということは分かっていたけど、「どうしたらいいか」がまるで分からなかった。
今は、違う。アスペルガーであることが分かった。アスペルガーであるという自覚を持つことができた。
自覚を持つことができれば、対策の道も見えてくるもの。その道の一つが、当サイトなわけです。
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このブログでもここに書かれているような「(アスペルガーの相手が暴投を)絶対ワザと投げた」と感じてしまい、ストレートに感情的に反応し、相手に「反撃」してしまう、というパターンを乗り越えるにはどうしたらいいか、という視点で問題を考えようとしています。実際、私たち定型の人間からは「暴投」であることが明らかであり、あるいは「攻撃」であることが明らかであるようなアスペの人の言動に「正当防衛」として「反撃」すると、今度はアスペの人から見れば自分がなぜ攻撃されなければわからないわけですから、「一方的に攻撃(反撃ではなく)された」という思いになるのですし、その限りではどっちもどっちなわけですよね。そこをどう越えるか。

管理人のアスカさんがとりあえず提案する処方箋は以下のようなものです。
5項目が箇条書きにされていて、その内容がそれぞれ説明されています。

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1.相手の言動を、なるべく好意的に解釈する。
2.自分の「当り前」に、とらわれすぎない。
3.相手に「してもらったこと」も考える。
4.すべての人間に、悪意があるわけではない。
5.無口だって、いいじゃないですか。
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このうち1~4までは、実は異文化間コミュニケーションの時にどういう姿勢で臨むべきか、ということにもすぐに応用可能なものですね。ただし1については難しいところがあって、4に書かれていることを裏返すと、「悪意がある人間もある」というわけですから、すべての言動をそのまま好意的に解釈すると、却って問題がこじれてしまうこともあります。そこが異文化間コミュニケーションで難しいところで、逆に言えば、「相手の文化の中でこれは<悪意>と考えられるかどうか」という相手の側の基準が見えてくると、コミュニケーションはかなり楽になります。

実際、多民族が入り交じって生きている中国などの場合は、表面的な言動よりも、その言動の「意図」(悪意かどうか)を判断しようとする、という付き合い方が、普通の生活の中でかなり強く行われています。そのあたりは「この言動は悪意(または善意)を意味する」という関係がかなりシンプルに決まっていて広く共有されてしまっている日本の社会とは全然違います。

ということで、1、2と4を合わせて「悪意かどうか、相手の基準で判断する」ということが現実的にはかなり有効だし大事だと言うことになります。

とはいえ、そもそも「相手の基準を知る」ということ自体、難しいことですよね。定型の人間でも文化が異なると、もう自分の文化の基準でしか判断できないと言う風になってしまうことが普通です。だから2が特に大切になる。

また人間というのはもともと被害を受けた場合には強く記憶に残り、善意でしてもらったことはそれほどは左右されない、という傾向を持つようです。「信用を築くのは大変だが、失うのは一瞬だ」とも言いますよね。だから異文化間で善意と悪意の両方を仮に同程度受けたとすれば、相手の文化に対するイメージは圧倒的に悪くなる可能性が高いわけです。もうすべてが悪のように見えてくることも実際にあるわけです。

だからなおのこと2と、そして3が大切になると思えます。

しかし、そうやって頑張ったとしても、「相手の基準で判断する」ということは難しい。アスペの人は特に「相手の意図を理解する」ことに困難を抱えているのだとすればますますそうです。

そうすると、その難しさをどう乗り越えるのか、ということが具体的には大事なことになります。その一番の近道は、結局「相手に聞いてみる」という単純なことなのだと思います。「私の目から見ると、こういうふうに悪意に見えてしまうんだけど、あなたの目から見るとそれはどういうことなの?」と聞くわけです。

現実にはこのコミュニケーション自体もアスペと定型の間ではすぐにうまくいくとは思いません。数少ないものですが私の経験上はそうです。けれども前にも書いたように、根気よく続けていくと、なんとか「相手には本当に悪意はないようだ」ということが「頭で理解する」レベルまではなんとかたどり着ける感じがあるわけです。

そんなふうに考えてみると、アスカさんがアスペルガー当事者として書かれている模索は異文化間の問題ともつながりうるし、そして定型の側からアスペルガーの人たちと関係を模索するときにも共有できる部分が大きいだろうと思いました。

その「頭で理解する」レベルの先に、何があるのか。
これも先にご紹介したカレンさんの経験はそこに関わる一つの大事な例だと思いますが、さらにいろいろな可能性を考えていくこともまた大切だろうと思います。

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