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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月23日 (日)

アスペルガーの人の「傷」について

 今、みみさんからこれまでの記事に次々にコメントを書いていただいています。次があるのかもしれないし、全貌はまだわかんないんですけれど、とにかくすごいエネルギーで、ご自身のこれまでの体験からみみさんなりに一生懸命積み重ねてこられた大事な理解を、何とか言葉にして伝えようとして下さっています。

 私の理解力の限界のせいで、どこまでそれを受け止められているのかはわかりませんし、これから書くことも私の誤解とか、あるいは本筋を外して周辺的なことなのかも知れませんが、いずれにしても、これまで私がなんとなく気になっていた問題にぐいぐい迫っていかれている気がしたんですね。

 アスペルガーの人は感情がないとか、感情を理解できないとか、共感がないとか、だから機械のように冷たく論理的にしか考えられないとか、もしかするとありがちな決めつけ的な理解は、アスペルガーの人と親しく接していれば、なんかおかしい、とは感じられると思います。もちろんアスペルガーの人自身もそれを言うこともあります。ただ、定型からすれば「そう見えてしまう」部分があることも間違いない。なんか謎なんです。

 みみさんはその謎を、もともとすごく繊細で、孤独を嫌い、人を求め、その中に入りたいのに、定型の世界があまりにもダブルバインドに満ちていて(このダブルバインドという言葉はすごく深いということで、私はまだちゃんとつかめてはいませんが)、アスペルガーの人には理解しがたく、耐え難く、だからむしろ関係の中に入ることをあきらめて自分の世界に閉じこもってしまい、しかも本人もそういう経過があったということすら忘れてしまっていたりする。という形で解こうとされているのかなと思いました。

 いや、みみさんの言うことがそうなのかどうかも私には自信がないのですが。かなり微妙でしかも大事な部分でもう少し違うことを言われているような気もするし。

 みみさんの議論が私が感じていることになにかひっかかってくるのは、やっぱり、なんかアスペルガーの人が一生懸命訴えてきていることがあると、私自身が感じられることがあるからでしょうか。それは言葉にしてしまうとズレまくって、定型からすれば理解しがたかったり、怒りを生むものであったり、傷つくものであったりする。定型はそのことに驚いて、アスペの人が訴えようとしていることが見えなくなってしまうのかもしれない。

 ああ、そう考えれば、別の掲示板で議論になり(No.3574 - 2011/01/21~)、ここのコメントで改めてみみさんが説明しようとして下さった「アスペの個性」というのは、「障がいの向こうにあるものではない」ということの意味が、私なりにちょっとわかるような気がしてきました。私のその理解は次のようなものになりそうです。

 アスペの人は、やはり他者の理解と言うことについて定型とは違うものを生まれながらにして、あるいは生まれた直後から持っている。でもそれは感情がないとか、人を求めないと言うこととは全然違って、それは確実にあるんだけれど、定型のダブルバインドに満ちた世界の中でわけがわからない状態に置かれ、それに対して一生懸命自分なりになじもうと、対応しようとしていろいろな工夫を重ねていく。その工夫のその人なりの在り方がアスペの人の個性になる。だから、それはあくまでアスペの個性なのであって、アスペの向こうに、そのような「アスペとしての個性的な葛藤や工夫」をはずして抽象的な人間性があるのではない。

 理解がみみさんとずれているかも知れませんが、こういう視点から見ると、何かこれまでと違う見え方がしてくるような気がします。引き続き、ちょっと考えてみたいです。

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コメント

あちらの掲示板は、しばらくお休みにしようと思っていますが、こちらにチョットおじゃましています。

まずは、みみさんの書き込みスゴイですね!
私はナゼか昨夜の夢の中で、夜中ずっと携帯から書き込みをするみみさんの姿を見ていました。あちらの掲示板の方には書き込みがなかったので、「あれ?」と思ったのですが、こちらに来てみて、「やっぱり、あれは正夢だった」と、ひとり納得(笑・・・でも本当です)。

>やっぱり、なんかアスペルガーの人が一生懸命訴えてきていることがあると、私自身が感じられることがあるからでしょうか。それは言葉にしてしまうとズレまくって、定型からすれば理解しがたかったり、怒りを生むものであったり、傷つくものであったりする。定型はそのことに驚いて、アスペの人が訴えようとしていることが見えなくなってしまうのかもしれない。

パンダさんも、ASの人の一生懸命な訴えを感じていらっしゃるのですね。
私も、夫だけに限りませんが、ASの人・他のいろんな方の一生懸命な訴えを、ひしひしと感じます。

例えば2年ほど前、夫に「赤ちゃん時代の子どもたちを抱っこしてあやす時って、なんかとても不自然だったけど、本当に一生懸命だったよね」と話しかけた時などは、

まるで巨大な芋虫を抱っこして、その扱いに困っているかのような、でも、とっても一生懸命に、赤ちゃんだった子どもをあやそうとしていた夫の姿を思い出して、思わず後半は涙声になり、

「うん、あの頃は、見よう見まねで一生懸命だった」という夫の言葉に、また熱いものが込み上げた・・・そんなことを今思い出します。

言葉は大事、でも言葉以外のものを感じ取ることも大事。

相手の言葉が本当は何を指すのかを感じ取ることも大事。

そして、相手の言葉の意味することを感じ取るには、相手に自分を信頼してもらうことが大事。

そんなことが、今、とりとめもなく浮かんできます。

昨日は仕事していたので、じっくり見たりコメントする時間がありませんでした。※昨日の仕事は、『異文化としての発達障がい』と言うテーマで、私が4つの体験を出して、参加されている定型さんの何名かに色々な異文化経験をしてもらいました。

さて、本題へ入ります。

アスペルガーの『傷』ですが、私の場合に限ってになります。

幼稚園の頃から周囲との違和感を“完全”に感じはじめたことが最初になるのかなと思います。

あと、五感の感覚のアンバランスさもあって、『感じすぎる』、『見えすぎる』、『聞こえすぎる』からあえて『閉じる』と言う形でシャットアウトしてしまいます。定型さんの場合は、上手にスルーしたりしますが、私の場合は全部必要な情報だからどれを選んでいいのかわからないので、思い切り全開にするか閉じるかのどちらかです。

私の場合は、目に見えない意味に関しては盲聾者と同じです。見えているんだけど、見えている本当の意味は今でもわかりません。(意味盲)。聞こえているんだけど、聞こえている本当の意味は今でもわかりません(意味聾)。

自閉さんの場合、すべて同じとは限りませんが、人が持っている本来のモノを持っているのではないかと私は思います。定型さんはそぎ落として行きますが、自閉さんが重たくなっていくと大人になっても残っていきます。※あくまでも自閉さん度の重たい私が感じていることなので、当てはまっているかどうかはわかりません。

自閉さんって、シンプルでナチュラルでダイレクトでオネスティー(正直)で繊細なところがあります。

定型さん文化を1つの外国の文化として、第1言語は自分の本来の言語(母国語)と言う。第2言語は書き言葉日本語(文章としての日本語)、第3言語は、耳から聞こえてくる音声日本語もしくは(ジェスチャーや表情など)非言語になるんだなぁと思います。定型さんが使っている第1言語は私たち自閉さんにとっては第3言語以降の言葉です。

自分の母国語文化を奪われ続け、認められないと言う悲しさがあって、自分の思いを相手の中に入って(あるいは相手の体を乗っ取って)伝えようとしているのではないのかと言うような気がします。実際、だにぃさんに「私の気持ちや思いなどをあなたの体の中に入って乗っ取って伝えているような気がするんだけど」と聞いてみたら、だにぃさんからは「お姉さん(私のこと)のパワーと(相手のパワーに)乗っ取られない自分との攻防戦をしている」と言いました。

パートナーたちの書き込みで思ったのは、自閉さん本人がパートナーを通して(乗っ取って)伝えているのではないのかと。困ったことが自分でも見えていないわかっていないけど、伝えたいと言う思いがある。自分で適切な伝え方がわからない。本人はパートナーを乗っ取った意識はないのだが、実際は乗っ取ってしまった形になっている(パートナーたちが訴えていっている)。

長文になりましたが、すべて正しい訳ではなく、私の推測の部分があります。まだ、昨日の疲れが残っているので別の機会でコメントしたいかと思います。

パンダさん、皆さん、お騒がせしてすみません。

パンダスターさん、1000万しかないですが、パンダさんちの玄関にある笹の葉の陰に忍ばせておきましたので、先日の本収録が終わり次第、記者会見を開いてください。
そして、お疲れのパンダ医師を、更に悩ませてしまっている、このアホみみを、どうぞお許しください。

もし、お疲れの場合は、どうぞ、構わずに…
カレンの夫さんが、以前、先にジャブを出して相手の様子を見て、その上で付き合っていく人を選んでいく…ような事を書いてありましたが、私もそうです。

何か訴えて、それを聞いてくれそうな人、理解しよう…理解したい…と思っていそうな人を、私は探していました。何十年も。
でも、なかなかいません。なかなか、なかなか、いないのです。
なかなかいないから、自分で諦めている部分もありました。
そこで、目をつけたのが、掲示板でした。
掲示板なら、言いたい位、言える。

読みたくない人は読まなくていい、読みたい人は読む。

私がプッツンしてしまったアホと取る人もいるし、私の主張を真剣に聞いてくれる人もいる。

時間があれば読む、忙しい時はよまなくていい。
そう思って、「井戸端会議」に行きました。でも、それは…かないませんでした。
(その理由は後で書きます)
そう思った辺りに、現れたのが、パンダ医師でした。(申し訳ありません)

私は毎日悩んでいます…パンダ医師に、カウンセリング料金を払うべきか、払わなくていいのか…払わないですけど!
たまに、お茶菓子はもっていきますね!

でも、よく考えると、へん でしょ?
私はすごく悩んでいる。
パンダ医師もすごく悩んでいる。
どっちも、自閉の事で悩んでいる。でも、私の悩みとパンダ医師の悩みは、対極的な真逆の悩みなのです。

それは、どちらかが間違っているわけではなく、通じ合っていない、ズレているだけなんです。
でも、パンダさんは、何かを得ようと、努力してくれている…

人間、諦めたらだめなんです。諦めたら前にも後ろにも動けなくなってしまう。
変な方向にいってしまう。

今、世の中でどれほどの事件や問題がおきていますか?世の問題も、事件も、家庭の問題や事件と同じなんです。
大小、表に出る、出ない、だけの違いで。私は受け取り方(感じ方)が非常に強い(奥深い)ので、毎日のニュースを見て、本当に心が痛いです。虐待されて殺された子供、虐待して殺した親、どちらの気持ちもわかってしまい、涙がとまりません。どちらも愛を感じれなかった結果のみ、としか言いようがありません。

一人前に働く事だけが大切ではない。
それは一般のお話。
それは自閉やそれを支える家族にとっては「ものすごく」過酷な事。(支援の必要性)
当事者やその家族の悩みを何もわからない人から、それを否定されるとしたら、
「じゃあ、あんた、できるんですか?」といいたくなる。

書くだけでも、読むだけでも、朝お顔を洗ってサッパリするだけでも、少しづつ亀のようにでも前を向いて動く事。
そのためにパンダさんもブログをかいているんでしょ?私にはそれがつたわってきました。

定型が、非定型に、「理解、共有」を求めるとしたら、それは一方的にすぎません。
非定型も、「理解、共有」を求めているんです。
どちらも人間なんです。

パンダさん、悩ませてしまってごめんなさい。
深いものなのですが、深く考えなくていいと思います!
(→因みに、このようなありきたりの会話でも、定型は少し悩んでも、うまくこなすんでしょうが、自閉の場合、感じすぎる(深く考える)ので、ダブルバインドに侵される事なります)
(沢山書き込んでいる、こちら側も、読んで考えて返事してやらねば)と思うが、深く考えなくていいと思います、と言っている…→考えてやればいいのか、考えなければいいのか、訳わからない、という感じで。

でも、ここまでは定型でもダブルバインドは発生しますが、それでも、うまくかわします。(相手にも出来るだけ返事を返す、でも、自分も仕事や家事があるから、返せないときはそれはそれで割り切る)

でも、自閉となると、(ダブルバインドに侵されると)
強く(受け取り)(思った)感じた事が絡んで(人によって千差万別)例えば
・人が困っていたら助けなきゃ、とか
・書いてくれたんだから返事しなきゃ。
・返事も一個一個かえせばいいか?とか
・一個一個返すのは大変だから、どうするか?仕事休んで書こうか?仕事は休めないな…でも助けなきゃ
とか…延々と続き、感じる事が多いんですね。
その感じ方は、自閉でも千差万別で、それは、今までの、膨大な、色々な人から、色々な場面で言われたこと、例えば
・人が困っていたら助けなさいよ!と親に教えられたり、
・この前あなたは返事くれなかった、待っていたのに、悲しかったよ。と、何気に友人からいわれたり、
・あなたって大ざっぱな人ね!と、何気に職場で言われたり、
・私が具合悪くて死にそうな思いをしてるのに、あなたは残業、残業と言って遅く帰ってくる…なんて妻から叱られた経験があったり、それらがごっちゃになって、(ダブルバインドに侵される)状態になってしまって、動けなくなってしまったり、変な行動になってしまったりするんです。

だから、ダブルバインドは日常的によくあることなんです。
でも、自閉においては、受け取り方が独特(感じ方が強い)、そして、情報を脳が溜め込んで行くために、ダブルバインドに侵されてしまうんだと思います。
定型の人は、Rosamondeさんが言うように、ある程度、切り捨てていくんだと思います。(脳の切り替え、転換能力)

そして、脳がアップアップ状態になると、「めんどうな事は、考える事を受け付けなくなる、拒否する」
自閉のこだわりもそんなところからきているんじゃないかな?

難しい話でしょ?奥深いんです。
自閉を理解したい…と思ったら、くどくど、深く考える事は避けて通れないんです。
でも、定型が悪い訳でもないんです。
定型が、優しく接してあげたとしても、受け取る側によって、ダブルバインドに犯される状態が発生してしまうから。
そこに、定型の一方的な傲慢さが加わると、自閉はホントに心を閉じてしまいます。
でも、深く考える必要はないんです。
最初はちょっと大変だけど、特性を知ればいいんです。
「言い方・受け取り方(感じ方)」はホントに千差万別なんだなぁ〜…と。そして、自分を押しつけずに、相手を理解しようとする気持ち、何につまづいているのか、それは予想もつかない事なのかもしれないけど、それを知って、ぬぐい取って、先に進めてあげる。出来たらほめてあげる。それでいいんだよ!といってあげる。ダブルバインドは避ける(言葉、気持ち、行動に、なるべく一貫性をもつように務める)

それでも、必ず定型と自閉の間には矛盾が発生してきます。
何年もダブルバインドを感じてきた自閉の心は、そうは簡単に覆りません。
その時は、苛立たず、わかりやすいように、自分の気持ち、要望を伝える。
時間をかけて…ゆっくり、ゆっくり…
亀のように…パンダのように…

カレンさん

>私はナゼか昨夜の夢の中で、夜中ずっと携帯から書き込みをするみみさんの姿を見ていました。あちらの掲示板の方には書き込みがなかったので、「あれ?」と思ったのですが、こちらに来てみて、「やっぱり、あれは正夢だった」と、ひとり納得(笑・・・でも本当です)。

 最近、みみさん、口から心臓が飛び出そうなくらい、とか書かれてましたしね。大変なんだなあと思ってました。心臓じゃなくて言葉でよかったです (^_^)

>パンダさんも、ASの人の一生懸命な訴えを感じていらっしゃるのですね。

 その訴えが私にはなかなかぴんと来ないようなものだったので、結果的にスルーしてしまってパートナーを傷つけていたんだと思います。

>例えば2年ほど前、夫に「赤ちゃん時代の子どもたちを抱っこしてあやす時って、なんかとても不自然だったけど、本当に一生懸命だったよね」と話しかけた時などは、まるで巨大な芋虫を抱っこして、その扱いに困っているかのような、でも、とっても一生懸命に、赤ちゃんだった子どもをあやそうとしていた夫の姿を思い出して、思わず後半は涙声になり、「うん、あの頃は、見よう見まねで一生懸命だった」という夫の言葉に、また熱いものが込み上げた・・・そんなことを今思い出します。

 正直、ほんとになにか映画の一場面のような……

>言葉は大事、でも言葉以外のものを感じ取ることも大事。
>相手の言葉が本当は何を指すのかを感じ取ることも大事。
>そして、相手の言葉の意味することを感じ取るには、相手に自分を信頼してもらうことが大事。
>そんなことが、今、とりとめもなく浮かんできます。

 これ、異文化理解の時にも一番大切なことを箇条書きにされているような感じがしました。

Rosamondeさん

 コメントやトラバを頂きながら、お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。早速ブログの方は拝見させていただきに行っていたのですが、Rosamondeさんが亀レスとか書かれていたので、私ものんびりいこうかなと (^ ^;)

>昨日は仕事していたので、じっくり見たりコメントする時間がありませんでした。※昨日の仕事は、『異文化としての発達障がい』と言うテーマで、私が4つの体験を出して、参加されている定型さんの何名かに色々な異文化経験をしてもらいました。

 それは面白そう。やっぱり「疑似」ではあっても、体験するって全然違いますよね。

>あと、五感の感覚のアンバランスさもあって、『感じすぎる』、『見えすぎる』、『聞こえすぎる』からあえて『閉じる』と言う形でシャットアウトしてしまいます。定型さんの場合は、上手にスルーしたりしますが、私の場合は全部必要な情報だからどれを選んでいいのかわからないので、思い切り全開にするか閉じるかのどちらかです。

 うん、ここがまず基本なんですね。私は以前カナータイプ(知的な遅れを伴う)の自閉の子どもとの付き合いはある程度あったので、自閉というのを「他の人と注意を共有することの困難さ」という面を基本に理解していました。それで、このお話からいうと、「注意」というのは沢山の情報から何かを選んで集中する、ということなわけですね。それが難しいし、他人と同じものに注意を向けるのも難しくなる。そういうことなのかな。

>私の場合は、目に見えない意味に関しては盲聾者と同じです。見えているんだけど、見えている本当の意味は今でもわかりません。(意味盲)。聞こえているんだけど、聞こえている本当の意味は今でもわかりません(意味聾)。

 私のパートナーの言葉と共通するものがたくさんあります。定型としてはそこはなかなかぴんと来ない、想像しにくい感じなんですね。その意味では定型の想像力なんて、たかが知れたものなわけです。  ……あ、もしかすると定型じゃなくて私だけかも知れません (^ ^;)ゞ

>定型さん文化を1つの外国の文化として、第1言語は自分の本来の言語(母国語)と言う。第2言語は書き言葉日本語(文章としての日本語)、第3言語は、耳から聞こえてくる音声日本語もしくは(ジェスチャーや表情など)非言語になるんだなぁと思います。定型さんが使っている第1言語は私たち自閉さんにとっては第3言語以降の言葉です。

 先日は第二言語はだにぃさんとの共通語と書かれていたと思いますが、そうすると、だにぃさんとの共通語と書き言葉日本語は同じようなものといえるんでしょうか?

>自分の母国語文化を奪われ続け、認められないと言う悲しさがあって、自分の思いを相手の中に入って(あるいは相手の体を乗っ取って)伝えようとしているのではないのかと言うような気がします。実際、だにぃさんに「私の気持ちや思いなどをあなたの体の中に入って乗っ取って伝えているような気がするんだけど」と聞いてみたら、だにぃさんからは「お姉さん(私のこと)のパワーと(相手のパワーに)乗っ取られない自分との攻防戦をしている」と言いました。

 こういうお話は今まで考えたことがない視点なので、ちょっとこれから注目してみます。

>パートナーたちの書き込みで思ったのは、自閉さん本人がパートナーを通して(乗っ取って)伝えているのではないのかと。困ったことが自分でも見えていないわかっていないけど、伝えたいと言う思いがある。自分で適切な伝え方がわからない。本人はパートナーを乗っ取った意識はないのだが、実際は乗っ取ってしまった形になっている(パートナーたちが訴えていっている)。

 私の場合は「乗っ取られた」という風に感じた体験は思い出せません。ただ、定型的に表現すれば、アスペルガーの人は自分のパターンへの「こだわり」がやはり強いので、周囲の人もそのパターンの枠に入れてしまおうとすることがあり、そういうときによく理由もわからずに「制約された」、とか「制限された」と感じることはよくありました。「乗っ取る」と「制限」は強さの違いという可能性もあるかもしれません。定型の子どもはその「制限」に辛い思いをした部分があるように感じていましたが、それはもしかすると「乗っ取り」に近いものであったのかも知れませんし。

>長文になりましたが、すべて正しい訳ではなく、私の推測の部分があります。まだ、昨日の疲れが残っているので別の機会でコメントしたいかと思います。

 私も昨日は疲れてずっと寝ていましたし、どうぞご無理のない範囲でいろいろ教えて下さい。

みみさん

 悩めるパンダです (^_^)v

>パンダさん、悩ませてしまってごめんなさい。
深いものなのですが、深く考えなくていいと思います!

 わあ、ダブルバインドだ!

>(相手にも出来るだけ返事を返す、でも、自分も仕事や家事があるから、返せないときはそれはそれで割り切る)

 はい、私は定型みたいなので、そうします。

>でも、自閉となると、(ダブルバインドに侵されると)

 ここ以下に書かれたことは、私のパートナーとは少し違う感じですね。奥が深い。

>定型の人は、Rosamondeさんが言うように、ある程度、切り捨てていくんだと思います。(脳の切り替え、転換能力)

 忘れるとか、無視する、とかいうのはとても重要な能力な訳ですね。
 で、Rosamondeさんも言われているように、自閉の人も「『感じすぎる』、『見えすぎる』、『聞こえすぎる』からあえて『閉じる』と言う形でシャットアウトしてしまいます。」という形では切り捨てを行うのだとすれば、要するに「切り捨て方の違い」ということが一番大きな問題なのかも知れません。その違いが、言ってみれば定型と自閉のそれぞれの個性を作っているのかも知れませんね。

>それでも、必ず定型と自閉の間には矛盾が発生してきます。
何年もダブルバインドを感じてきた自閉の心は、そうは簡単に覆りません。
その時は、苛立たず、わかりやすいように、自分の気持ち、要望を伝える。
時間をかけて…ゆっくり、ゆっくり…
亀のように…パンダのように…

 「おたがいさま」の世界をそういう異質な人同士の間でどう作れるのか。なんかそこが一番の課題かなと思います。ギブアンドテイクとも書きましたけど、おんなじような意味です。ただ現状では定型が求めるギブアンドテイクと、アスペルガーが求めるギブアンドテイクにズレがあって、そこをなんとか調整できないのか、ということを考えます。

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