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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月17日 (月)

当事者としてかっこわるく考える

アスペルガーの人と言ってもほんとに千差万別、という感覚が私の中で日に日に強くなっていく気がします。これって、どういうのか、たとえば昔白人の人を見慣れない頃は、みんな似たような顔に見えたり、アフリカ系のアメリカ人を見ても、ほんとに一緒の顔に見えたりしたけど、だんだん見慣れてくるとそれぞれ個性的に見えてくる、というのと似たようなことかも知れませんね。よく知らない人たちについては、自分たちとの違いの面が「過度に」強調されて、その他の個性的な部分が見えなくなってしまう。異文化の人を理解するときでも同じですね。みんな「○○人」で一色単に見てしまう。

だから、アスペルガーと定型がうまくいくのか、というような一般論はやっぱりちょっとおおざっぱすぎるところがあって、アスペルガーでもあるAさんと定型でもあるBさんはどうなんだろう、という、そういう具体的な問題として考えることがとても大事なんじゃないかと、そういう感覚が私の中でだんだん強まってきました。もちろん「アスペルガー」とか「定型」とかの共通性の部分に意味がないとは言いません。それはそれでたいせつではあるんだけど、でも<でもある>ということの重要性と言いますか……

いや、私は他の方と比べれば障がいを持った子どもとかと接する機会やその親御さんと話をしたりする機会もわりとあったし、学生時代以来障がいを持った知り合いもそれなりにあって、そんな経験からも「まず個人としてみる」ことの大切さ、みたいなことは一応頭の片隅にはあるのはあるんですけどね。にもかかわらず、改めてアスペと定型という問題については今更のように少しずつそういう感覚が強まりつつある、というのは不思議というか、情けないというか。

もしかすると(もしかしなくても?)、自分自身がその問題のど真ん中で当事者になって感じたり考えたりすることと、その問題に関わったとしてもある程度は距離を置いて関わる場合の決定的な違いなんでしょうか。これもよく言われることなんだと思うけど、結局ひとのことなら頭で考えていくらでもきれい事は言えるけど、自分がいざ当事者になったらそんな簡単な問題じゃない、ということなんでしょうね。

そう考えると、偽善とまでは言わないにしても、過去の自分の浅はかさとか情けなさを改めて思うし、今だっていろんな問題についてそうなんだろうし、と思えます。でもそういう自分をこれから克服出来るとも思えないですけれど。いつまでたっても場面を変えて情けない思いを繰り返すんだろうなあと思います。もし可能なことがあるとしても、そういう自分として何ができるのか、ということ以上ではないんだろうと思います。

あ、すいません。自分のリハビリのためにという、基本的に自分本位の理由で始めたブログなので、自分の情けなさを書き連ねるという、これも情けない話になってますね。ただ、そいういうのにもし意味があるとすれば、第三者的にかっこよくこの問題を考えるスタンスではなくて、当事者のひとりとしてウジウジしながらかっこわるくこの問題を考える、ということに居直ることの必要でしょうか。まあ自分が鬱状態になったのも、かっこつけて頑張りすぎたからという部分も確実にあるわけですし。それで解決に至ればいいのかもしれないわけだけど、そんな力は自分にはなかったですしね。そして結果として多くの方にほんとに迷惑をかけてしまったわけだし。

うん、目指せかっこ悪さ!(というか、単に自分の本来のかっこ悪さを「自覚」しろ、ということなんだけど (^ ^;) )

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コメント

パンダさん、おはようございます。

今日のパンダさんのこのブログの内容は、かつての私にとっても一番のネックになっていたところです。

自分のそれまでの生き方と、夫に対して自分のあり方が大きく矛盾しそうになったこと・一時期はおそらくは本当に矛盾してしまっていたこと・・・そこが私にとって、一番苦しかったことなのだと思います。

でも、

夫を傷つけ、その痛みがすべて自分に戻って来ていることに気づき、
夫が私を傷つけ、その痛みも夫に戻って行っていたのだと聞いたあと、

夫の痛みは私の痛み、私の痛みは夫の痛み、
夫は私、私は夫、
あなたは私、私はあなた、みんなは私、私はみんな

・・・そんな境地に徐々に至りました。

そんな中にあって、夫との関係が、私の生き方の中にスッととけ込み
私は、自分の中になんの矛盾のない人生を送れるようになったのだと思います。

すみません、いろいろ他にも思うところがありますが、用事を済ませに外に行って来ま~す!

あれ〜?
振り返りパンダさんがいる…

「よぉーく考えよ〜♪旦那は大事だよぉ〜♪ルル、ルル」

何をナイーブになっているのでござる?

「♪その道ィはぁ〜いつか来た道… ♪そうだぁ…かあレンさんも通った道ぃ〜」

大丈夫かな?私。
パンダさんが移ってきちゃった…

あれ〜?
振り返りパンダさんがいる…

「よぉーく考えよ〜♪旦那は大事だよぉ〜♪ルル、ルル」

何をナイーブになっているのでござる?

「♪その道ィはぁ〜いつか来た道… ♪そうだぁ…かあレンさんも通った道ぃ〜」

大丈夫かな?私。
パンダさんが移ってきちゃった…

カレンさん みみさん

 何か濃い緑茶は健康に良いとかで、本日はお茶をどうぞ japanesetea japanesetea

 ちょっと反省モードに入ってご心配をおかけして
 申し訳ありません&ありがとうございます 

 このブログを始めた頃から、ようやく地に足が降り始めた感じで、
 鉛のようなしんどさもずいぶんと軽くなってきました。
 改めてネットの「少数派」にとっての可能性も実感しています。
 
 カレンさんの乗り越え方、改めてほんとにすごいなあと思いました。
 これは自分自身の生活の中で、じっくりと身体で考えていきたいことですね。
 その上で、少しずつ私なりの言葉にしていきたい気がします。
 掲示板の方でちょっと書かれていましたが、
 カレンご夫妻の対談本とか、是非読みたいと思いました。
 お互いにどんな風にズレながら、その中で対話が成立していくのか、
 これは画期的な本になるのではないでしょうか。

 「一緒にいてもひとり」はパートナーが読んだ後私も読んで、
 別の所で感想も書いたことがありました。
 あそこにも夫が最後に文章を書いていましたが、
 ある意味面白かったのは、やっぱり内容は応答にはなってなくて、
 自分の考えを書いて終わり、みたいな感じでしたけど、
 カレンご夫妻の対談はそうならないと思うんですね。
 ずれるんだけど、ずれてることもふくめて対話になる。
 そんな世界が展開するような気がします。
 実現すればとほんとに楽しみなんですが。


 みみさん、なんか伝染し始めたみたいですみません。
 私のは素直ないい方には感染力が強いらしくて、
 (私が素直で良いということでは全くありません!)
 ある私の友だちも、もともとすごく賢かった人なのに、
 今はもう見る影もなくアホになってしまって、
 それを見て私が呆然としたりしています。
 ほんとにご愁傷様なことでした。

 どうぞ症状がこれ以上悪化しないうちに、
 hospitalに行ってみてください。
 手遅れと言われないことを心より願っております ヾ(_ _*)

過分なお褒めのお言葉に恐縮しつつも、

私のように、そして私たちのように、
ずっと、ずっと、長いこと悩んできている方たちのために、
そして、そこにつながる次世代の人や子どもたちのために、

何かできるといいと、本当にちょっと考えて始めています。

対談本、私もその形態が一番いいなぁ、と家事をしながら
なんとなく考えていました。

でも、実際に本の形に行き着くのに、どれほどのノウハウ・
手続き・段取り・時間・労力 etc. etc, が必要なのかと思うと
・・・さて、どうしよう、う~ん、と言った感じで・・・。

ASのことを公表することで、生活に外部からのいろんな反響
が影響することも予想されますし、子どもたちとの話し合いも
含め慎重に勧めていくことも必要ですしね。

ということで、今のところ、なんとも言えませんが、実名で実態
を知っていただいた方が、知らないがゆえのASへの偏見のよう
なものは、減らしていけそうな気はしています。

顔の見えない匿名の世界って、いたずらに恐怖や不安を煽る
ところがありますから。

カレンさん

「私たちのように、ずっと長いこと悩んできていらっしゃる方たち」ということの中には
多分アスペルガーを含むカップルの中にもそれに当てはまりにくい人もいるけれども、
逆にカレンさんご夫妻が抱え、共に激しい葛藤の中から紡ぎ出してこられた歩みが、
「アスペルガー」という枠を越えていろんな葛藤に苦しんでいる状況に対して
何かをヒントとして提供していただけるようなものもあるのではないか、
そんな気がしています。

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