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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月15日 (土)

理解の共有を可能にする条件って?

昨日は自分自身の個人的な経験を整理しながら「アスペルガーという理解の共有」の意味について考えてみたんですが、そういう個人的経験を語ることで、それを読んだ方から「自分も一緒だ」と教えていただく、ということが随分大きな意味を持つんだなと、そんなことをしみじみ思いました。

自助グループというのはつまりそういう働きがあるわけですよね。ありきたりの言い方かも知れないけど、「こういうしんどさを抱えているのは自分だけじゃないんだ」と思うことで、それだけで支えられる感じがあるし(この感覚について、アスペルガーの人がどうか、ということはとても気になりますが)、それから「もしかするとこういう思い、こういう感じ方は自分の過剰な思いこみとか、ゆがんだ見方なんじゃないか」という、ある種の不安がなくなっていくことにもなります。ある意味、自分の個人的なしんどさを「肯定してもらった」という感じにもなる。

私の場合、自分が鬱状態に陥って、周囲の方達にいろいろご迷惑をおかけすることになって、そのとき何人かのごく親しい人にこれまでのことをいろいろ聞いてもらえたんですが、そのときもすごく支えられました。ただ、そういう支えられ方とはまたちょっと違った支えられ方ですね。経験が共有されている、ということは。

ああ、定型の側でパートナーのことを「アスペルガーだと理解する」ということも、そういうことと似た意味があるのかも知れないですね。なんというのか、自分の感じ続けてきた違和感、しんどさを「社会的に公認してもらった」みたいな感じになる。そういう違和感やしんどさを持つことは「当然のことなんだよ」と認めてもらえるような意味を持つ。定型の側はショックと言うよりも、ようやく自分の苦しみがわかったような気になって、ホッとする方が大きいかも知れません。

逆にアスペルガーの人の側はそこのへんはどうなんでしょう?言ってみれば「お前は障がい者だ!」という、社会的には決してプラスイメージにはつながらない決めつけをされることになりますよね。人によっては開き直って「どうせ自分は障がいを持っているんだから、何か文句を言われても自分のせいじゃない」というような姿勢になることもあるだろうけれど、やっぱりショックを受けたり、傷ついたりする人の方が多いんじゃないでしょうか。だからそういうある種の「決めつけ」をされそうな状況は出来るだけ避けようとするのも無理はないような気がします。

もちろん、アスペルガーの人もそれまでの理解不能な苦しみについて、ようやく「原因」がわかる、と言うこと自体がプラスの意味を持つこともあるでしょう。それがショックを上回る力があればそれほど問題は無いのかもしれません。でもそうでない場合は?

アスペと定型のカップルが、単なる一方の従属とか「奉仕精神」とかではなくて、カップルとして生き残って行くには、やはり当事者同士でなんらかのギブアンドテイクの関係が成り立つことが必要だと、ここでは考えてきているわけですが、そのためにはどうしても「あなたのギブは私にはテイクにならない」「私のギブをあなたにはテイクと思えない」という、お互いの感覚のズレにまず気づく必要があります。その上でカレンさんのことばを使えば相手のギブの意味を「翻訳」する仕方をまずは知る必要があるし、それだけではなくて、相手のギブが自分にとってテイクとして実際に感じられるようになることが大事だと思える。

そうすると、そのためにはやはりそのお互いの「ズレ」というものを認め合えない限り、話は先に進まないことになりそうです。そこが難しい場合はそれをどう乗り越えたらいいんでしょうか?このあたり、単純な一般論はむつかしそうにも思いますが、でも何かある程度のポイントはあるような気もします。

たとえば本人には病識がない状態で統合失調症で苦しんでいる人を医療につなげようとするときは、「しんどそうだから、ちょっとお医者さんに調べてもらいましょう」みたいな感じで、どちらかというと、曖昧な形で病院に連れて行こうとする、ということも少なくないと思うんだけど、多分そういう形にはならないですよね。ある意味、もっと「対等」な感じで「納得」があって進めていくのだろうと思います。でもそこで「対等」って何なんだろう?「納得」って何なんだろう?

うーん、なんかいろんな問題が絡んでいそうで、すっきりしません。

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コメント

ギブアンドテイクは必要だし、可能だと思います。
妻の表現を借りれば「解釈・翻訳」は必要ですから、そのカップルなりの方法やスタイル・ルールが確立されるまでに時間がかかると思うんですが、1つだけでいいから「これは相手からのギブなんだ」と心から思えるような何かがあれば(=テイク)それ以降はそのアレンジだからいくらでもバリエーションは増えるという理屈です。

何か私たちの場合の具体例を思い出したらまたお知らせします。

パンダさん、こんにちは!
これからは、こちらでも宜しくお願いしますね!
これからは、何度もおじゃまさせて頂きたいな…と思ってるので、コーヒーは飲み放題でお願いします。
あちらで、パンダさんは面白い方ですね!と書きましたが、みんなを、つまらないジョークでシラケさせたり(あ、聞こえました?!) 和ませてくれたり、やりきれなさで切迫している時に、ふっ、と笑いで切迫から解放して下さったり、本当に感謝しています。
のらりくらり…適当に…真剣に!?「だって考えなきゃ、しゃーないでしょ…」という感じで…でも、心から真剣に!?考えてらっしゃるビミョーな感じ(あくまで私の見解)が、とっても私は好きですね!

そして、非常〜に的を得ている。

我が家は、私が子供の頃から「ジョーク」が一切ない家庭でした。私がジョークを言って、「和ませよう」とすると、ムッとされ、「なんでヘラヘラ笑ってるんだ?」と逆に怒られ…
私は結婚したら、「ジョークで満ち溢れた、楽しい家庭をつくろう!」と決めていましたが…夢はなかなか叶いません。今に至ってます。
ツーカーと、ジョークを言い合える…って、大分ストレスが抜けて、ポジティブになれたりするのですが、相手(パートナー)によって、こんなにも難しい事なのか…って実感しています。逆に怒らせてしまったり…
私は、長年彼等と接してきて、うまくいかない原因に、「言葉」は凄く重要なカギだと思っています。そして、「言い方」の問題の他に「受け取り方」の問題も大きなカギになります。その件は後ほど…

また、そんなジョークだらけのパンダさんですが、実際の心の底は、ジョークどころではない、深い、深い悩みを抱えて、少しづつですが、前進しようと努力しておられる所が、私には見えてしまい、何か同じ臭いまでしてしまうのですが…

何かご縁があったのだ…と思い感謝してます。
また、パンダさんの奥様も同様、何かご縁があって、一緒になられたはずですから、カレンさんや、訪れる皆さんで知恵を出し合って、一緒になって、出来る範囲で、頑張っていきましょう!
A A O !

カレンの夫さま

> 「これは相手からのギブなんだ」と心から思えるような何かがあれば

という言葉は、私にはとても大きな意味を持つもののように感じます。
もしカレンの夫さんがそのようなものを得られたのだとすれば(そういうことだと思いますが)、それこそ、いわゆる定型が「共感」とか「感情の共有」という言葉で表現するものとつながるものだと思えるからです。

もちろん、微妙にそこにもズレがあるのかもしれませんが、とても大きな「翻訳」の手がかりがそこで得られるような気がします。
具体例のご紹介も楽しみにしています。

みみさん

当店はセルフサービスとなっております。お好きなカップをお取り下さい。
なおお支払いの方はまでよろしくお願いいたします。
お振り込み口座の番号は92553です。

> 非常〜に的を得ている。

お、そうですか?
パートナーからは何で私の気持ちが伝わらないんだと責められますが……(T T)

> そんなジョークだらけのパンダさんですが、

はい。よくぞ私の生き甲斐をご理解下さいました!
ショーもないギャグを連発してひんしゅくを買い、軽蔑の冷たい目で見られることに
人生の喜びを感じております。
これを普通の人はゆがんだ人格と言うかも知れません (^ ^;)

> 実際の心の底は、ジョークどころではない、深い、深い悩みを抱えて、少しづつですが、前進しようと努力しておられる所が、私には見えてしまい、何か同じ臭いまでしてしまうのですが…

な、なんか必殺なんとかみたいで格好いい気がする! (^ ^;)
あのアホは仮の姿、して真の姿は!……たんなるアホです。
過分なお褒めの言葉、ありがとうございます 
しかし、コーヒー代はいつもにこにこ現金払いでよろしくお願いいたします

それにしても、不快悩みを抱えてぷんぷん臭ってしまっているとは、
もう一度風呂に入って出直して参ります 


 しばらくお待ち下さい。しばらくお待ち下さい。しばらくお待ち下さい。


ただいまお風呂から上がって参りました。パンダです。

> 、「言葉」は凄く重要なカギだと思っています。そして、「言い方」の問題の他に「受け取り方」の問題も大きなカギになります。その件は後ほど…

 これはもうどうしようもなくほんとに大きいですね。しかも説明を聞いて頭では一応わかったつもりになっても、実際にまたそういう場面になると気持ちは傷ついたりしてしまう……。カレンの夫さんの「心から思える何か」にも、注目していきたい今日この頃です。


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