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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月14日 (金)

アスペルガーという理解の共有について

配偶者の会の掲示板でKSさんがAstonさんと言う人のAspergers in Loveという本(まだ邦訳はないみたい)の冒頭の部分を以下のように紹介されていました。

===========================
「診断の有無はどちらでも良いが、カップルの両者が自分達の間の問題はアスペルガーが原因かもしれない、と気づいていれば、そのカップルは前に進めるし、彼らが直面している困難と取り組むことが出来る。しかし、アスペルガーかもしれないパートナーが自分に障害があるかもしれないことを認めず、2人の関係で生じる問題を、すべて他のことや他人のせいにするようなら、この関係が生き残るのは難しいだろう。しばしば、責めはアスペルガーでない方のパートナーに向けられる。これは、両者と、その関係に破壊的影響をもたらす。」(要約してあります)
===========================

ちょうどそろそろこの問題を書いてみようかなと思っていたところだったので、この本は私は読んでいませんけれど、KSさんのここの紹介を使わせていただいてその問題を私なりに考えてみたいと思います。

ここで書かれていることは、カップルのいずれかが第三者(経験のあるお医者さんとかアスペを知っている人とか)からみて「アスペルガーだな」と判断できるような場合、そのカップルご本人がどう思っているかで事態は随分違うよ、ということですよね。理屈から言えば次の四パターンがあるわけでしょう。

1.カップルの二人とも、アスペルガーのことを知らない
2.定型の方の人が、相手がアスペルガーだと気づいたが、当人は知らない
3.本人はアスペルガーだと気づいているが、定型の人は知らない
4.両方知っている

定型の側から見たとき、1の状態の時は、何人かの方がブログその他でも書いていらっしゃるし、私もそうでしたけど、最初、恋愛関係にあるときには、「個性的な人」くらいには思うだろうけど、でもその個性がまた魅力に感じたりする部分もあったりして、結構ハッピーだったりもします。でも付き合い続けていくうちに、何か不思議なズレを感じてきて、それが半ば無意識的な感じで自分の中にオリのように少しずつ溜まっていく感じになる。

まあそれでも無事ゴールインと言うことになって、引き続き二人はハッピーな状態も続く。定型の側は愛する伴侶を得たわけですし、アスペの方の人も、それまで人間関係で違和感を感じ続け、人からはじかれたり、いじめられたり、いろいろ苦労してきている人が多いわけですから、初めてその自分を受け入れてくれる人がいた、という感じになったり、嬉しいわけです。(あ、この辺は微妙にひとひとで違うかもしれませんけど)

で、「暗雲」はまずはその二人の外部との関係から見え始めるような気がします。というか私の場合は思い返すとそうだったと思えるんですが、たとえば定型の側の実家との関係。本人達はまだあつあつだからそんなに深く気にしないことでも、さめた目で見ている周囲の人は、やっぱりアスペの人の言動を見て驚かされたり、ということがあるわけです。なんかそのあたりで周囲を巻き込んだ関係の中でぎくしゃくしたものが生まれ始める。

定型の側はなんだかわけのわからない違和感がだんだんと胸の内に成長してきて、そこに実家の人間が触れてきたりすると、逆に必死で否定して怒ったりとか、そんなこともあったりするようになる。当然アスペの方の人も、だんだんと得体の知れないしんどさが出てくるでしょう。子どもができない、または作らないで続く夫婦の場合は、こういう違和感がいずれ何かのきっかけで衝突を生むようになるはずです。

私の場合は、これも思い返せばそれが非常にはっきりと出てきたのは子どもが出来てからですね。私の場合は特に赤ちゃんとか幼児大好き人間で、スキンシップしまくり (^ ^;)。 で、子どもの頃は大人との共感的関係って大事だと思うし、私自身そういうのが好きなので、別に無理するわけでもなく、喜んでそういう風になる。何かできたら一緒に喜んだり大げさに褒めてやったり、からかって遊んだり、一緒に笑ったり驚いたり。子どもの喜びを一緒に喜んでそれをのばしてあげる、とか、子どもの悲しみを一緒に悲しんで支えてあげる、という感じになる。そしてそれがほんとに大事だと心の底から感じている。

ところが、その一番大事だと思えるところで、定型の側から見れば「え?」という関わりを相手が繰り返すことに、いろんな場面で少しずつ気がつき始めるわけです。仮に同じような質のことを自分にされても、微妙な違和感はあってもまあ我慢できることであっても、相手が子どもと言うことになれば心中穏やかでいられなくなります。で、それはまずいんじゃないか、というようなことを遠回しに言ったりするけど、いっこうに定型の視点から見て「改善」されない。で、だんだん強く言うようになったり、あるいは「こういうふうにしたらいいんじゃないか」と具体的にやってみせたりするんだけど、全く効果がないし、受け入れられた感じがしない。

そうなってくると二つの不安が頭をもたげてくることになります。ひとつは切実な問題として、子どものことが心配になってくる。もうひとつは自分の言うことをまともに聞こうとしてくれていないのではないか、自分が拒否されているのではないか、という思いが出てくる。

このあたりは細かく書くときりがなくなるので、たとえばそういうような、ということですませて次にいきましょう。とにかくそんなことをきっかけに年を重ねるにつれ、こじれ始め、しんどさが溜まってくるわけですね。けれどもそのしんどさの原因が何なのか、得体が知れない状態が続くわけです。それで相手の人格を疑うようになったり、あるいは自分の対応が悪いから相手をそういう状態に追い込んでしまっているのではないかと思ってみたり。

さらに自分との関係でも共感的に支えてもらえなかったり、あるいは支えようとしてもそれが拒否されるように見えたり、という状態が続いていって、そんなこんなで鬱状態になったりもします。アスペの側の人も、職場や周囲の人々との関係で自分には理解しがたい攻撃や排斥を受けて苦しむし、家庭でもパートナーから責められたりすればますます追い詰められてやはり鬱になる人も少なくないようですね。

で、場合によって2か3に移行するわけですね。私の場合は2に移行しはじめたのがせいぜいこの2年以内くらいだったのではないかなと思います。あまり明確に「そうだ!」となったのではなく、そうではないか、と思い始めた感じで、最終的に間違いなく「そうだ!」となったのは私の場合は4の状態になって、パートナーが自分自身で納得したときでした。

2の段階ではやはりこの問題が理由で苦しんでいた子どもとそういう話ができるようになって、なんでそんなふうになってしまうのかを話し合う中で「アスペルガー的」という理解が成り立っていった。けれども本人との関係で確かめたことでもないし、そういう形で本人を問い詰めるようなこともできなかったので、「的」という感じが続いたわけです。でも、こちら側だけに共有された「的」という判断であっても、「ああ、そういうことだとすればわかるよね」という了解が出来る部分が少し出てくる。「なるほどね」とか。そうすると、多少は「ああやっぱりまたこれか」という感じでその都度の違和感やショックを多少和らげて受け止めることが出来る部分も出てきます。

けれども、こちらの側で一方的に「そうかもしれない」という理解が成立したとしても、当然のことですがパートナーとの間で状況が大きく変わるわけではない。もしそうなら無理もない、あるいは仕方ない、とこちらが勝手に思ったとしても、やっぱり傷つくことは傷つく。そしてそのことで相手を追い詰めない方がかえって改善するだろうと期待しても、常にその期待は裏切られ続ける。ある意味ではますます絶望的な気持ちになっていくわけです。

私の場合はとにかく子どもを支える、ということに必死になり、なんとか子どもが精神的に自分の力で歩んでいけるところまで来たところで、もう力尽きた感じになりました。その延長に二度目の、今度はかなり本格的な鬱状態になり、そういうプロセスの中でパートナーが自分がアスペルガー(苦労しながらも仕事は続けられるレベルですが)であることを自覚したんです。そうだとすれば、これまで自分が腑に落ちなかった過去のいろんなことがとてもよく理解できるということで。そうやって4の状態になりました。

そうすると、事態はかなり劇的に変化することになります。どんなかたちであれ、とにかくお互いの違和感や葛藤を、相手のせいとか自分のせいにしてしまうのではなく、アスペルガーと定型のズレ、という問題として共有できる可能性が出てくるからです。ただ、私の家の場合はそういう共有にすぐになるわけではなく、まずはパートナーが「すべては自分のせいだ」と自分をひたすら責める状態になってしまったのですけれども。

この辺りの展開は、同じアスペルガータイプの人でも、男女差や個人差が大きいかも知れません。どういう育てられ方をしたかもものすごく大きな影響があると思います。そのあたりはアスペルガーライフblogの狸穴猫さんが「二次障害を防ごう」と一所懸命になっている部分でもありますが、私のパートナーの場合、子どもの頃からの「二次障害」で自己否定的な傾向が著しくなってしまっていたように思います。

いずれにせよ、ここではじめて「問題が共有され始めた」ということになります。だから、その「共有された問題」にお互いにどう向き合うのか、どう折り合いを付けるのか、ということが「共通の課題」として捉えられる可能性が出てくる。「可能性」と控えめに言わざるを得ないのは、状況によってそれを拒否するパートナーもいるだろうからです。

このときも定型の側が男性か女性か、というジェンダー的な問題も影響しやすいように思えます。私の家の場合はやっぱり私がリーダーシップをとる形で「共通の課題」にしようとしたわけですが、それは自分の方がやはり男性という強い立場にあるからで、弱い立場に置かされている女性の場合はそれも困難な場合が多いのではないでしょうか。もちろん絶対とは言えませんが。

私の場合はそういう状態になってから10ヶ月ほどかかって、ようやくこのブログをリハビリのつもりで始められるところまで自分自身を持ち直してきました。というか、ようやく谷底に降り着いたという感でしょうか。ギブアンドテイクの問題もなんとか話し合えるようにもなってきています。もちろん結論はわかりません。結局お互いが本当に必要とするテイクは得られない、ということが納得されるのかも知れないし、なんらかの折り合いがつくのかも知れないし。ただそういうことが一つずつ、ようやく共通の課題になってきています。

ではなんで4の状態の意味が大きいのか、そこに至るのと至らないのではものすごく大きな違いがあると思うし、また至った後もその至り方でその後の展開に大きな差が出てくると思うのですが、そのあたりがどういうことなんだろうか、ということを、またぼちぼち考えていきたいと思います。

(お断り:私について書いている部分は当然のことながら「私の目で見て、私が語った」ことにすぎないので、定型の見方の特徴とか、私個人の物の見方のひとりよがりが入っているはずです。当然、私のパートナーを含め、他の方やアスペルガーの人から見たら事態はまた違う側面を見せるのだろうと思います)

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コメント

joです。このblog読んで、初めて共感者にめぐりあいました。おいおい過去記事も読ませていただきます。配偶者の掲示板を3年ぐらい読んでいて、参考にはしますが、みなさん女性で、自分のケースと一般化することができませんでした。

まさに、うちも書かれているとおりです。何か奇妙だとは思っていたけど、自分は我慢できた。対外的には困りましたがね。決定的だったのは、赤ん坊に対する信じ難い仕打ちでした。私はやむなく仕事を犠牲にし、自閉みたいになってきた子供のことで児童相談所、発達障害支援センター、医療機関とかけずりまわるうちに障害の知識を得て2のパターンに至ったのが、子2歳の時です。そこから、なんとか妻の受診をと躍起になりました。私なにか変?とうすうす気づいてる感じですが、診断で明らかにされるのは怖いようです。拒否を貫き、気付かないことを決め込んでます。療育所やいろいろな施設に通ううちに、まともな仕事は遠ざかっていきました。家の中は破壊そのものでした。

うちは、まだ2のパターンから、4年ほど進んでません。6歳になった子供は、それでも少し落ち着いてきたところです。検査結果はすさまじいプロファイルでしたが、その特性なりの処世術を身につけはじめているところかと想像します。つまりAS?

ぜひ今後、情報交換、交流させてください。よろしくお願します。

パンダさん、こちらでは初めまして、です。
初めてのお宅を訪問するときのような感じで新鮮、そして、ちょっとドキドキしています。

「パンダっていったいどんな方?なんだかすごい人・・・!」というのが、パンダさんのブログを最初に読んだときの私の印象であり、夫も「パンダさんって、なんかすごいね。何者?」と言っていました。(「何者?」という言い方は、直接言うと失礼かと思いましたが、夫の言葉をそのままお伝えしています。)

上で紹介されているAspergers in Love の中でも、ASの男女比は8:1だと推定されるというようなことが書いてあり、ASの女性を配偶者に持つ男性は、心から共感しあえる相手がとても少なくて辛いだろうなぁ、などということは私も考えていました。

先にコメントをされているjo♂さんの、配偶者の掲示板への書き込みを読みながら、AS配偶者が女性である家庭の様子に、私なりにいろいろ思いを馳せてもいました。

昨年12月にNHKの夜8時からの福祉ネットワークで、ASの女性・ADHDの女性とその家族についてのレポートが2夜連続であったのですが、それを見ながら、jo♂さんのご家庭はこんな感じなんだろうか? などと思ったりもしていました。

男性であれ女性であれ、ASの配偶者との生活がとても似ていることにあらためて驚いたり、もし私がASの女性を配偶者に持つ男性だったら、ということを考えたりしながら、読ませていただいた今回です。

あ、それから、先日読ませていただきたときに、私のことを「夜と霧」に絡めて書かれていた文章があったと思うのですが・・・? 別居のこと等も含まれていたあの文章です。
あれは、削除されたのでしょうか?

あの文章は、自分自身のことを振り返るとき、とてもわかりやすくて(本人がこんなことを言うのもへんかもしれませんが)、私の中で、これまでの「まとめ」みたいなことができるような気がしました。もし、再現できるのであれば、何かの形でどうかよろしくお願いします。もし、データを削除しておられる等で再現不可能であれば、私の心の中で自分なりに再現してみます(^^) 


joさんこんにちは

> このblog読んで、初めて共感者にめぐりあいました。

 そうだったんですね……。私もこの世界は新参者でまだよくわかってないのですけれど、少数派なのかなとは感じてました。

> まさに、うちも書かれているとおりです。

 基本的には自分の個人的な経験から、他のブログなどで学んだことも比較したり参考にしながら考えて書いてみたんですが、やっぱり単に個人的なものではないんですね。そういうことを教えていただけて、それがまた大きな手がかりになりそうで、とてもありがたいです。

> 6歳になった子供は、……つまりAS?

 もしそうだとすれば狸穴猫さんが訴えている「二次障害」を防ぐ、ということが大切になると言うことでしょうか。私のパートナーの場合は家庭の条件が悪くて、親が個人的に悪い人では決してないんですが、ASなりに支えられる、という環境がないことで、すごく苦労したように感じています。

> ぜひ今後、情報交換、交流させてください。よろしくお願します。

 こちらこそどうぞよろしくお願いします 

カレンさんようこそむさ苦しい我が家においで下さいました。
まずはお茶でもどうぞ cafe ←お茶がないみたいですみません (^ ^;)

「何者?」かについてウィキペディアで調べてみました。
パンダというのはネコ目クマ科ジャイアントパンダ亜科ジャイアントパンダ属
だそうです。
ということで、私はその「偽者」あるいは「まがい者」ということでしょうか…… (^ ^;)

> ASの女性を配偶者に持つ男性は、心から共感しあえる相手がとても少なくて辛いだろうなぁ、などということは私も考えていました。

なんか、だんだん自分が可哀想になってきました (T T)

でも、そう書くと、パートナーの方も、訳のわかんない世界で
誰にも理解されず、しんどい思いで生きてきたんだろうなということも思ったり……

> あ、それから、先日読ませていただきたときに、私のことを「夜と霧」に絡めて書かれていた文章があったと思うのですが・・・? 別居のこと等も含まれていたあの文章です。

「カレンさんと夫のつながりの例」でしょうか?前に書いたものは順にアーカイブ(書庫みたいなもの)にしまわれて行くみたいですね。
で、それならカレンダーの1月5日のところをポチッとしていただきますと、出てくると思います。
そのほかの探し方としては「バックナンバー」というところの「2011年1月」をクリックすればその月のものが全部出てきますので、そこで見つけることも出来ます。
その記事のアドレスは一応以下の通りです。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-0bf7.html

> あの文章は、自分自身のことを振り返るとき、とてもわかりやすくて(本人がこんなことを言うのもへんかもしれませんが)、私の中で、これまでの「まとめ」みたいなことができるような気がしました。

 私はほんとに自分の勝手な印象だけで書いていますけれど、もしそれが少しでもお役に立つのだとすれば、書いた甲斐がありました (^-^)

 またごゆっくりお遊びに要らして下さい。こういうのbeerとかこういうのbarとかこういうのwineもありますし……

 あ、私今まだお酒飲めないんだった (T T)

さっそく、ご返信くださり、ありがとうございました。
cafeまでごちそうしていただいて、恐縮しながらも喜んでいます。

元気になった今では、週に1~2回はbeerwine、その他のアルコールなんでも(?!)夫や友だちと楽しんでいるので、こちらでも出していただければ遠慮なくいただきます(笑) パンダさんも、またお酒飲めるようになるといいですね。

ところで、1月5日のところをクリックしたら、ありました、あの文章・・・というか、私も夫も、PC音痴なので、見つけ方がわからなかっただけなのですが(^^;) 教えていただいてありがとうございました。さっそく、今また見てきました。

あちらでも書きましたが、パンダさんの洞察力には脱帽です。時系列関係の細かな点で少し違っているところもありますが、そこは大勢に影響はありません。

当事者本人は、本当に当事者であって、その時その時のことを記してきただけですし、

これまでの自分のことを自分自身ではわかっていても、他の方の視点からこんなにも客観的に、20数年間の、あるいは、もっと前からのことにも及ぶような自分を見せていただいたことは初めてです。ありがとうございます。

カレンさん

> 元気になった今では、週に1~2回はbeerwine、その他のアルコールなんでも(?!)夫や友だちと楽しんでいるので、こちらでも出していただければ遠慮なくいただきます(笑) 

う、うらやましい……despair
それじゃあ、心の狭い私は、悔しいからお出ししません。

> これまでの自分のことを自分自身ではわかっていても、他の方の視点からこんなにも客観的に、20数年間の、あるいは、もっと前からのことにも及ぶような自分を見せていただいたことは初めてです。

 自分としてはあんまり客観的に、というより、感情移入的にというのか、共感的にと言うのか、そんな感じで理解してみたような気がします。これまでもいろんな友だちとつきあってきたので、そういう経験も理解の助けになっていんでしょうか。

 でもそんな風に言っていただくと、なんだか恥ずかしいような、申し訳ないような、ありがたいような、なんとも表現が難しい感じがします (^ ^;)ゞ

> あ、私今まだお酒飲めないんだった (T T)

これを読んで勝手に想像してますが、、、私は2年間ほど抗鬱剤を服用しました。1年ほど前から離脱しました。それは子の療育所通いを終えたあたりでした。本当に厳しい時期は、通過したのかな、と思いたいです。

♀ASご一家としては、NHK に出演されました神戸の笹森さんご夫妻がおられます。ご本も出版されています:「へんちゃんのポジティブライフ」。

joさん

あ、もうお酒飲めるんですね。ではどうぞ一献 bottle 冬はこれに限る (^ ^;)

子どもの成長ってすごいですよね。今は私もむしろ子どもに支えられることの方が多いような気がします。本の情報もありがとうございました。いまちょっと「中見検索」で立ち読みしましたが、すごいバイタリティーのある奥さんなんですね。

テレビで見たことあるんですが、笹森さんは奥さんリストカットまで行ってしまったことあって、お子さん2人とも♂ASでなかよし学級のようです。(はっきり覚えてないのですがそれに近い話だったような)。なので、うちより厳しかったことは確かです。

テレビに映る笹森さん夫の内心を想像して、涙が出ました。笹森さんはバイクのツーリングクラブで知り合われ、夫さん曰く、「いい意味で気をつかわないで気楽(中性的)と思ってた」。私も同じです。女らしい女と違い、「私を女として扱え」みたいな圧力を感じなくて気楽だと思ったんですね。その本質的な意味がわかってくるのに数年かかりました(笑)。

♀ASは社会的な性差を学習し損ねてると思います。そこに劣等感がつもり積もってるから、人格の問題かと、、、障害の知識を得た今でも、、、心は感じてしまうことがある。それを遠まわしに伝えても、定型相手とは全く異なる伝わり方をして、信じられない反応が返ってきたりします。じゃあ直接的な表現だと伝わるかというと、それはより強硬な反発に合う。そういうことも50回や100回なら耐えられても300回、500回になるとさすがに絶望的になったりしました。(私、男にしてはものすごく忍耐強いと思います)

そして、パンダさん同様、私も子供大好きです。子供もわかるようで保育所に迎えにいくと、よその子にも人気あります。忍耐強いし受容的だし、ある意味、母性的なんですね。どういうこと?私らもジェンダーの獲得が弱いんではないでしょうか。私自身、うっすらASとかAS残存症候群みたいな可能性も私は視野にいれています。精神科の主治医にもそのことは相談してますが、医者は遠まわしに否定してますが。

AS♀が問題になることが極端に少ないのは、ひとつには定型♂はそれほど受容的ではないから、AS♀は、離婚されて、はい終わり。それを社会もある程度容認してるのではないでしょうか。テレビなんかで発達障害♀が扱われるの見るとたいてい離婚してる。社会役割のジェンダーのちがいのため、現象としての離婚の見え方がAS♂の場合とAS♀の場合でずいぶん違うと思います。

もう一つ、DV被害者の♀はかなりの割合で発達障害がいると思います。これは、AS♂配偶者で悩んでる知り合いが、同士を求めてDV被害者の会に出たんですが、違和感を感じて帰ってきました。それで、私が、男の立場から考えるとすぐわかったので、それDV被害者の会ってのは発達障害当事者の会と重なるはずだよ、と話すと、「あっそうか!」の状態でした。

自閉さんとやりとりしてると、フツウは怒りの発作に苦しめられます。私もこれには参りました。今でも持て余してます。怒りの中枢を逆撫でされます。何年か前、自閉症施設の施設内のいじめや暴力が問題になりましたが、ああいう施設で働く人らは、社会福祉なんかを専攻されたもともと使命感の強い人らだと思うんですが、その人らでさえ…。新聞はずいぶん叩いてましたが、私は自分の経験とか心情に照らし合わせると、彼らをそんなふうに攻めることはできないだろうと感じました。

なんかパンダさんの分析力に頼って思い出すまま書きなぐっちゃいました。

女性の方がわりにボーイッシュで、男性の方が母性的、というお話は、ああ、やっぱりそうなのか!という感じがしました。私の場合もサバサバした雰囲気に惹かれたところがあります。それと私も多分どっちかというと我慢強い方で、パートナーの言動が納得いかない場合とか、その関係で実家との軋轢が生じたりするときも、なんとかパートナーの考え方を理解しようとし、頭から責められないと思っていました。

彼女の生育歴などずいぶん苦労もあったので、そういうことがあれば、無理無いのかもと考え、もしそうならもっと共感的に接していかなければ、と考えたりしてました。そしてむしろ実家との軋轢では自分が壁になってパートナーをかばってたりしてたんですね。もちろん実家の方で疑問に感じることは、私自身身に染みてわかることなので、非常に葛藤を感じながらだったんですが。

ところが後にわかってまたしばらく寝込むぐらいにショックだったことは、そういう風に私が壁になってかばっていた、ということについて、「自分と同じ考え方をしているからだ」と彼女が理解していて、それを疑わず、その背後に私が抱え込んでいた苦しみはほとんど伝わっていなかったということなんです。まさかそうなっているとは想像もしませんでした。

もちろん、彼女の私に対する精一杯の気遣いも、私には気遣いと気づかないようなものだったので、やっぱりお互い様ではあるんです。でもほんとにショックで、そういうのがいくつかあって、私の状態もどんどん落ち込んでいくという感じになりましたね。今まで自分が費やしてきたあの膨大なエネルギーは何だったんだろうか?という感じになってしまって。

今はお互いの気遣いを気遣いとして理解しあうことの模索が始まっているという感じでしょうか。

我が家の場合は子どもがもう大きくなりましたが、結局すごく苦労をかけているわけで、苦しい時を過ごし続けてきたわけです。そこで子どもが苦しんでいる、ということは見てわかる状態でした。彼女と私の間ではなぜ子どもがそういう苦しみを抱くのかは理解が共有できなかったのですが、「苦しんでいる」という事実は共有できたし、そのことには彼女もとても心を痛めていたので、最終的にはそこがぎりぎりつながりを保てる部分になったかもしれません。

もちろん、そのことについてすら、私の説明は全く通じず、却って彼女を混乱させて強い拒絶にも合いましたし、私の方は彼女がどう理解しているのか、なぜ相談さえ拒絶するのかが全くわからず、ほとんど絶望状態にも何度もなるという経過の後にやっとですが。それを思うに付け、その厳しい状況の中で、よく子どもたちがここまで頑張って自分を見つめながら何とか生き抜き、自分の足で歩み出してくれたと、ほんとうに申し訳なく思い、また感謝の気持ちで一杯ですね。ほんとに偉いと思います。

カレンさんの場合もある意味そうなのかなと思ったりもするのですが、こういう関係では相当の時間をかけて(カレンさんも私も20年余り)矛盾を積み重ね、「絶望状態を共有する」ということを、いずれかの段階で経ることが、お互いが向き合うためには必要だったりするのでしょうか。ただ、joさんの場合、お子さんの問題など、抱えていらっしゃる状況にも違いはありますし、その厳しさが加わる分、あるいはもっと早くに何らかの意味で「煮詰まった状態」に到達するのかも知れませんし、そのあたり、まだよくわかりません。

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