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アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月 6日 (木)

アスペと境界性

ちょっと(だいぶ?)乱暴な議論ではあるんだけれど、アスペルガーの人の生き方と、ある意味でちょうど対極的な位置にあるのが境界性人格障害の人の生き方なんじゃないか、と思えるときがあります。

どちらも対人関係の中で問題にされる「障がい」なんだけれど、いわゆる知的な能力については別に定型発達の人と変わるところがないし、むしろすごい高学歴だったり、社会的にも比較的高い地位(場合によっては世界レベルで高い地位)にのぼる人も少なくない。どちらもコミュニケーションは一応とれるので、少なくとも表面的につきあうレベルでは多少「あれ?」と思えることもあるかもしれないけれど、そういう「障がい」についての経験のない人にはまあ性格の差くらいの感じでも十分受け止められる。身体の「障がい」のように目に見える形であったり、「言語の障害」や「知的な障害」のように明かにコミュニケーションが取りづらい場合にはだれでもお互いの違いをすぐに気がつくんだけれど、アスペも境界性も、どちらも本当はズレながらもコミュニケーションは一応成立するし、人間のコミュニケーション能力の特徴として、多少のズレは気にせずに自分なりにつじつまを合わせて解釈をして、コミュニケーションを成り立たせてしまう、という力がすごくあるから、ますます潜在的な違いには気がつきにくい。

でも、実際は深くつきあえばつきあうほどに、単に個性の違い、というだけでは理解できないようなズレに困惑し始めるし、さりとてそれが何なのかわからないまま、とにかく自分の感じ方、考え方を応用して必死にそれを理解しようとすることが続き、結局それも力尽きて崩壊の危機にいたるという経過をたどる例も決して少なくない。周囲の定型の人々はそうやって結果として激しく振り回され、傷ついてぼろぼろになることが少なくないわけです。(もちろん逆の立場に立ってみれば、アスペルガーの人も境界性の人もそれぞれの在り方で苦しんでいるわけですし、むしろ自分たちの方が多数派から痛めつけられていると感じていたりもするわけなのですが)

そこまでは似てるんですが、じゃあそのズレがなんなのか、と言うことについて、すごく対称的であるように感じるわけです。ごく簡単に言ってしまうと、境界性の人の場合、だいたいものすごく社交性が高い。対人関係の中での不安はものすごく抱えるんだけど、その不安を解消しようと必死で人にすがりついたり、あるいは人を支配しようとしたりする。DVやストーカーなどはそういう問題が絡んでいることが少なくないですね。とにかく人を求め続ける。感性がものすごく繊細で豊かな人も多くて、芸術家になったり、小説家になったりして活躍する人もあるし、いわゆる「カリスマ」的な人間としていろんな組織の頂点に立つ人も少なくない。政治的な世界にもほんとにそのタイプの人を沢山見ることが出来ます。

それにたいしてAS(アスペルガー)の人は基本的に社交が苦手なわけですよね。自分のやり方を周囲に合わせて調整する、ということにも大きな抵抗があるし、しんどいときは人にすがりつくのではなく、むしろひとりになることを好んだりする。境界性の人が自分の感情を激しく表出することで相手の感情を大きく揺さぶり、感情と感情のもつれ合いみたいな状況になっていくことがしばしばあるのに対して、ASの人はそういう関わりは極力避けようとするわけです。もちろん政治的な世界は苦手。けれども職人的な仕事、技術的な仕事にはとても向いていたりする。直接人を相手にせずに、根気よく自分の世界で活躍できるような職業ですね。

で、ASにしても境界性にしても、それが「障がい」という形で括られ、そのように理解されるようになったのはそんなに古い話ではありません。ASなんか境界性よりさらに認知度は低かったのが、最近急速に言われるようになってきたところでしょう。そしてそれは単に「発見された」というよりも、社会の変化と共に人々に要求される能力が変化したり、人々の関係が変わったりすることで、今まではそれなりに社会の中で場所を持っていた人たちが「困った人たち」として定型の人間からはじかれることで「新しく作られた障がい」という面がある。(いや、もちろん定型の人間はそういう状況の中でほんとに真剣に悩み、困るわけですけれど)

この「作られた障がい」という問題についてはまたぼちぼち考えていかなければと思いますが、ASという個性を持った人も、境界性という個性を持った人も、この世の中でその個性にあった位置を占めている、あるいはその可能性を持って生きているんだろうなとは思うんです。定型の人間ともお互いにその位置を認め合って、そしてなんとか折り合いがつくような距離感を模索することで、協同して生きていけるような状況が来れば、どれほどよいかと思います。今はお互いのぶつかり合いの中で実際ほんとうにしんどいことだらけだし、死屍累々という感じな訳ですし、そんなことがどこまで可能なのか、私には全然わからないのですけれどもね。

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コメント

はい、私もパンダさんと同じ、アスペと境界性は似ているんじゃないか、おなじじゃないか?と思ったりします。

私のカチコチ理論によりますと、

アスペは、ダブルバインド、またはそれによる度合いにより、もう自分のもっている、人間の本心、本音みたいなものが、なくなりかけている、またはなくなってしまった…(深く考えるのがめんどくさがりの気質をもつ男性に多い)イコール自然に心を閉ざすようになる、しかし、そんな自分にもあまり自覚がない。又は自覚をもたないようにしている

境界性は、その自覚があって、(何かを知って?!)目覚めてしまった…
自覚があるがために、これではいけないと気づいたりする。イコール、必死で逆行動をとろうと務める。しかしうまくいかない。

ADHDは、元々アスペみたいに、ダブルバインドにより本心の歪みはあるのだけれど、(それでも、じっとしていられない女性の気質などが絡んだり、) あすぺが、「心より頭で動く」に対して、ADHDは「頭より心(感情)」で動く。定型は「(無理矢理であっても)頭と心を一体化させて」動く
こんな感じですかね…

はい、自閉の方は本当は、頭がバリバリいいのです。ダブルバインドを繰り返し、深く物事を考える力が、「実は」すごい身に付いているんです。
ただ、考える事に嫌気をさし、考える事をやめてしまった人もいます。
それに、「言葉」で分かち合う事は難しいので、直感や感覚、感情を頼りに、大切にします。しかし、感情を出してしまうと、トラブルが起きるので、
「トラブルを避けるために、言葉も感情も出せないでいるだけ」なんです…たまにパニックという爆発を起こしますけど!

私の子供は、有り得ないような素晴らしい絵を書きます。アニメから似顔絵から風景画まで。人から頼まれて、よく書いていて、プレゼントしてるんです。その繊細さは、ホントに有り得ないんですよね…

私はピアノが好きなんです。
プロじゃないですけど…
自分の才能に気付くとき、あるんです。
ショパン、ベートーベン、モーツァルト、色々弾きます。
気分がいいときは、モーツァルトやショパンのワルツを(自然に)選んで弾くんですが、悲しい時、落ち込んだ時は、やはり、自然にベートーベンのソナタとか…になっちゃうんですね。
でも、気分がいい日でも、たまたま、例えばベートーベンの悲愴なんかを弾いたりすると…ダメなんです…感情移入してきちゃうんです…ベートーベン様に…
この曲を作った時は、どんな気分だったのか…感情…思い…それらを察知というか、感じてしまうんです。
みんなそんな感じするんでしょうけど、違うんです…
私は曲の流れ(激しい、穏やか)(強い、弱い)(悲しい)とかだけじゃないんです。音色、一つ一つの上がり下がりとか、○の音から○の音に飛んだ一つ一つまでに入り込んで、「今は悲しい場面だけど、今、更に悲しくなった」とか、その逆とか、ベートーベン様の気持ちになってきちゃうんですね…そして、「あー…今ベートーベン様、爆発寸前!大丈夫?とか(笑)よっぼど苦しかったんだな…」とかなって、泣いてきちゃうんです。
もう一年位、ピアノは触っていません。
精神的に重なって、弾けなくなってしまいました。早く、また、弾きたいなぁ…

ごめんなさい、パンダさんは「対極的」と言っておられましたね(汗)

私も言い換えますと…
対極なんだけど、根本は同じ。
という事になります

こんばんわ、あるいはこんにちわ、ですかね?
私もアスペルガー症候群という風に幼い時に診断されたみたいですが、
最近になって「境界性アスペルガー症候群」と言われました。
目覚める。その感覚はあながち間違いではないと思います。というか私もそれです。

今まであれやこれやと過ごしてきたのですが、はやり普通の人、つまり定型との
根本的な誤差に気付くのか、何年かいじめにあいました。
 が、
ある日初めて葬式に行ったんです、友人の父親の。
そしたらそこで「死ぬとはなんなのか。どこへ行くのか。生きるとは?」を、
当時の私は考え始めたんです。
そしたらそこから私はだんだん誤差を埋め始めて、いじめには合わなくなりました。
(時々嫌がらせにあいますが・・・)
多分、この時が境界性アスペルガー症候群になった時期なんだと思います。
そこから、今の私にとって黒歴史になりそうな事とかも色々考えて、
今はもう達観、そう言って申し分ないと思っています。
それでもアスペルガーだけに、「忘れる」ことなどが多いですがね。

経験上、アスペルガー症候群というものを知らない人がほとんどだと思います。
まして、境界性となればそれはもう。
それだけに、普通の人の中に入らざるをえなかったり、入れられたり。
すると、勿論普通じゃないので、困惑・苦労する訳ですよ。
でも、「普通の障害者」ではないのでその枠にも入れない。
…皆苦労するんですよ。 不運にも数千人、数万人の中からはずれを引いて、
その烙印を生涯背負って生きていく。 …消えない烙印を。
境界性であるか否かを除いても障害者であることには変わらないんですから。

少し長くなりましたね、長文失礼しました。
私達のように苦労している人を多くの人が知ってくれたら嬉しいです。

りりさん、こんばんは。
始めまして、ガーディナーと申します。

コメント読ませて頂きました。
私たちの場合、重度の障がいをお持ちの方たちとは違い、
障がいが軽いが故の苦労って、確かにありますよね。

ところで、
「境界性アスペルガー症候群」と診断されたのですか?
私にとっては初めて聞く名称です。
「境界性パーソナリティ障害」とかいう名称はよく聞きますが・・・。
もし差し支えなければ、どのようなものか教えて頂けますか?

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