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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月27日 (木)

困難さのパターン

 私同様、定型&アスペ夫婦の中での少数派である定型男性、jo さんがコメントの最後にこんなことを書かれています。

「母ちゃんや子供の感じ方や、考え方がどのようにずれていくのか、またそのような偏った機能でもって発達した結果がどのようになる可能性があるかを考えると、母ちゃんの言動のある部分が理解できます。それでも、共存できるか(共栄でなくても)という所では、深いため息をついて、奈落の底へ沈んでいきます。。。。。。。。。。。。合掌」

 私も子どもが小さい頃、まだアスペルガーとかそういう判断が全くなかったときですけれども、子どもの将来への影響にとても危機感を(直感的なものですが)抱いて、子どものために離婚をかなり真剣に考えていた時期がありました。ただ、子どもを母親から引き離してしまうことで新たに生じる問題との兼ね合いで、身動きが出来なかったというのが正直なところです。

 もちろん、「アスペルガー」ということがその段階でパートナーと共有された理解になっていたとすれば、状況はぜんぜん違っていたと思います。でも誰にもそういう理解がない状態で、言ってみれば定型の常識の枠内で自分なりに思いつく形で子育ての仕方についてパートナーと調整をしようとしたのですが、それがほんとにうまくつたわらないし、議論が噛み合わない。もう、子育て観の深刻な対立だとしか理解できなかったので、それならばもう子どものために別れるしかないのではないかと、そんな気持ちに追い込まれていたんですね。(すみません。この辺りはあくまでも定型の私の視点からの話なので、どうしても定型の子育てを正当なものとして書いてしまいます。逆に言えば私の子育ての問題点を見過ごし、パートナーのそれを一方的に不当に貶めている部分も必ずあるはずです。そういう限界のある議論だという前提でお読み下さい)

 結局その後も仕事にかまけて子どもたちを(定型的な視点から見て)ちゃんと支えてあげることも出来ずに、思春期に入る段階になってやっぱり深刻な問題となって現れてしまい、そのことへの自責の念が最初の鬱状態の原因となったりもしました。そういう経験から言って、joさんの上のような言葉はやっぱりすごく重たく響くんですね。

 と同時に、joさんの上の文章にも出てくる、ありきたりの理解や試みを経た後の本当に深いため息や、具体的に書いてくださっている深刻な中味を見る限り、お互いが抱えている状況の違い、という面もすごく感じざるを得ないです。

 私の場合、結果的には子どもは命がけと言っていいすぎでないような大変な葛藤を経て、その困難をほぼ乗り切りました。しかもいわばその体験を深く活かす形で自分の足でしっかり前向きに歩み始めてくれています。そして私自身もさまざまな葛藤を経て、周囲の皆さんにも深いご迷惑をかけながら、大きく変わらざるを得なかったし、また自分の中の矛盾をはき出さざるを得なかったし、さらにパートナーとも問題を共有できるようになってきましたから、その大変な時期を、家族全員にとって価値ある時期だったとプラスに受け止めることも将来的には不可能ではないかもしれない、と感じ始められるところまでは来ています。

 もちろん、そこでは私もパートナーも子どももみんな苦しんで、みんな絶望の淵をさまよって、ぎりぎりの努力の中で家族という形態を危うく維持しながら、ようやく今の地点まで来てはいるのですが、でもその経験が jo さんが抱えられている現実に対してどれだけ有効なんだろうと考えると、正直わかりません。なにか私なんかよりももっともっと深刻な、厳しい条件を感じてしまうのです。厳しさという量的な判断でいうことが不適当だとすれば、状況の性格の違いと言っても良いです。

 アスペルガーと言ってもその自閉的な傾向のレベルはほんとに様々です。価値観も様々だし、パートナーに対する態度あるいはお互いの関係だってそれぞれすごく違う。絶対に一色単には考えられません。もう、このことばっかりこのブログでは嫌と言うほど繰り返し書いているような気がしますが、でもほんとに改めてそう感じるんです。

 とはいえ、まだかすかに予感のレベルで思うに過ぎないのですが、自閉のレベルや価値観の持ち方の違いといったいくつかのポイントに注目すれば、それぞれに応じた工夫の仕方や、関係調整のある程度の可能性の範囲(逆に言えば不可能な領域)と言ったものが、ひとつの手がかりとしてある程度は一般的に整理できるのではないか、という気もします。

 たとえば今までも考えてきたことで言えば、多くの方が言われているように、そして自分自身の経験からも強く実感するように、やはりお互いが「アスペと定型のズレ」という問題を、困難はあっても共有しようとする姿勢が持てるかどうか、そこはかなり大きな分岐点なように思えます。もちろんそこが共有されれば、関係が維持され、さらには良い方向に調整されていく可能性はとても大きくなると思えます。

 それが現状で困難な場合は、何がそれを妨げる要因となっているか、ということを整理してみる必要があるように思えます。社会的なものとしてはジェンダーも大きく関係していますよね。性別によって決まる社会的な役割や権力関係みたいなもの。それにものすごく固執するタイプの人とか、あるいはそれに固執させるような回りの環境などが強固な場合は、夫婦間で対等に問題を共有する、ということがとても困難になるだろうと予想できます。だからそこを克服する現実的な可能性がどこまで見通せるか、ということがいろんな判断を分けるポイントになりそうに思う。

 「障がい」というものに対する抵抗感も強く関係するでしょうね。何がその抵抗感の強さを左右するものなのかはそれもまたいろいろでしょう。その人が育った環境の中で、障がいというものに対して著しく差別的な見方が支配的であれば、当然それに影響されて本人自身そういう理解を拒みやすいでしょう。またパートナーやその実家などが障がいをどう受け止める人なのか、あるいはどう受け止める人と感じているのか、も大きく影響しそうです。もちろん私自身がそこに躓いていたように(当事者としてかっこわるく考える)、口先できれい事を言うレベルの話ではなく、実際に当事者としてその場に置かれたときの受け止め方が問題になるわけですが。

 あと、思いつくままに書いてますが、定型の側の人が持っている価値観や性格との相性もやっぱり大きそうに思える。まだほんとに直感的なことで、具体的には何も言えませんけれど。それによっても可能性の範囲はすごく変わるように思えます。このあたり、いろいろみなさんの経験を読ませていただいたりしながら、さらに継続して具体的に考えていくべき事ですね。

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コメント

>子どもの将来への影響にとても危機感を(直感的なものですが)抱いて、子どものために離婚をかなり真剣に考えていた時期がありました。ただ、子どもを母親から引き離してしまうことで新たに生じる問題との兼ね合いで、身動きが出来なかったというのが正直なところです。

同じです。真剣に考えました。が、幼児の段階では日本の法制度の中で、「母子分離はほとんど不可能」で、ことを起こせば「私が防波堤になることすらかなわなくなる」という見通しを根拠に、身動きできませんでした。

>結局その後も仕事にかまけて子どもたちを(定型的な視点から見て)ちゃんと支えてあげることも出来ずに、思春期に入る段階になってやっぱり深刻な問題となって現れてしまい、そのことへの自責の念が

職を維持したのはパンダさんのえらかったところだと思います。私の場合は、その先に予想される深刻な問題(母ちゃんの兄弟が体現している)と、そうなった場合、自責の念に耐えることができないだろうから、今できること(防波堤)をつとめなければと判断して行動した結果、若い頃から積み上げてきたキャリアが崩壊し、シングルファーザーという選択肢を安定的に実現させるリソースを失いました。不安定な母ちゃんの収入と不安定な父ちゃんの収入を合わせなければ生活が立ち行かない家族状況です。同時に私はアイデンティティ危機にも立たされています。掲示板の多くの人が「ASとの生活で『自分』がなくなってしまう」と書かれているのは、精神的な現象が多いでしょうが、現実的な現象としては、このように現れるという一例でしょうか。結局、子はいろんな形で一人ではできないことを要求しているのかもしれません。

学童期に入って、法に照らした場合の事情は若干かわってきてますし、母子手当から一人親手当へと社会環境も変化してきましたので、今なら母を欠いた条件を、50/50で検討できる条件がそろってきたところです。これパンダさんが見るジェンダー問題のコインの裏側の問題ですね。

時間切れです。また書き込みます。

〉聖母カレンさんへ

パンダさん、スレとはちょっとズレて、カレンさんへの書き込みになってしまいますが、考えすぎて、どこに書き込んだらいいのかわからないので、お許しくださいまし。

〉カレンさん
夫婦、お元気そうで、何よりです。
先日、あちらの掲示板で、レスありがとうございました。
読んではいたんですが、お得意の考えすぎで…なかなかあちらには書けませんでした。
何だか、私、パンダさんの所に来てから、素が出てしまったみたいで…
カレンさんも困惑しているだろう、と勝手に考えています。

私の思いを伝えたいと思います。
先日、あちらで、カレンさんが、
「何か道が見えてきました。暫く読む側に回って、書き込みは少しお休みさせて頂きます…(省略してます)」
みたいな内容を書いたときありましたよね?あの日、私、パンダさんの所に、狂ったように(笑)書きまくったんです。
私、後から気付いたんですけど、パニックをおこしていました。
私は、早くこの生活から脱出したい…って思っている最中で、カレンさんは、いつも、「ちょっと先ゆく先輩」みたいな感じに思ってました。
そんな先輩が、「道(だったかな?!)が見えてきた」というのを読んで、私は、年甲斐もなく想像豊かなので(笑)、何か…こう…卒業式で、カレンさんが、立派になって、花束渡されてウルウル、こちらもウルウル…寂しいな…でも喜ばなくちゃ…良かった、良かった…乾杯(ウルウル)みたいなのを、勝手に想像して、1人泣きそうになっていたんですね。(バカみたいだけど、本当に感じやすいんです)
そこまでは良かったんですけど、
「暫く書き込みをお休みします」を、色々考えちゃって、「ヤバい」みたいな…
「私の事を理解してくれる人が掲示板から1人、いなくなってしまう」みたいな不安に襲われて、多分…相当、パニックをおこしていたんだと思います。
それで、今まで自分が感じていた事をバァーッと書いてしまった…(誰かに伝えないと、わかってもらわないと…自分の気持ち…みたいな感じで…)
パンダ先生には、混乱させて、ご迷惑をかけてしまいました。
当のカレンさんは、多分、私がこんな事考えてるなんて、想像もつかないでしょ?(笑)もしよかったら、想像して、笑ってやって下さい!!
カレンさんが、こちらで私の夢を見た…と書いて下さった時、私は何か…偶然、不思議…本当に思いって通じるのかも?とポカーンと考えていました。
あちらに再登場してくださった時は、「救世主がもどってきた!」(これ、ホントに大げさで書いてるんではないんです)
私、やっぱりおかしいですかね(笑)
そんな人もいる…って思って下さい(笑)
悪い事じゃないから、伝えたいな…と思って、書いてみました。
カレンさんも、色々と頑張ってらっしゃいますし、忙しいと思いますが、生活を基本に、お時間に余裕がある時は、またお話してください。

チロです。私の悩みを一緒に考えてくれて感激です。またヒントを沢山もらいました。
パンダさんの奥さんは弱い立場の人を支援する立場なのですね。うらやましくて、ちょっと嫉妬してしまいました。井戸端掲示板の方も時々覗いてますが、カレンさんの書き込みにも希望をもらいつつ、やはり羨ましく、淋しく感じてしまいました。(心狭っ!)
私はまだ夫のコアな部分が見えていません。以前はロボットのように心が空っぽに思えましたが、繭さんや他の当事者の方達から学び、世間体や借りてきた言葉で隠れてるんだろうと考えるようになりました。夫の両親(やはり少しアスペっぽい)がエリート思考だから夫もその影響を受け、修正されないまま親に褒められる人生を歩いてきたのでしょう。夫が差別的なことを言うときの子供のような無邪気さ(嫌悪とか妬みの感情はない)も、親から聞いたままを言ってるんだろうな、と感じます。夫の両親も私から見るとドライで情が薄く見えるので、もしかすると夫もみみさんのお兄さんのように夫も本当は認めてもらいたくてたまらなかったのかもしれません。人並みに結婚して家庭を持って親に誉めてもらえると思ったのに、妻が離婚なんて言い出して夫は困惑してます。だから、子供のような無邪気さもある夫に申し訳ないと思うこともありました。
でも出産、子育てで余裕のない私はアスペという言葉も知らないまま鬱になって夫と別居し、夫のコアを感じられないままです。カレンさんの言うコアって「赤ちゃん」のイメージですよね?笑いもしない、食べて排泄して寝て欲求するだけ。だけど、尊くてかけがえがない。これを相手に対して頭ではなく心で感じられるかどうかですよね。
私も子供への影響を心配してます。もしまた一緒に暮らして私の鬱病がひどくなるのは仕方ないとしても、子供に影響が出るのは絶対いやです。夫が子供を引き取りたいと主張してるのですが、鬱病とはいえ私は母親なので裁判でも何でもやってやると強気ですが、男性であるパンダさん、joさんはご苦労が多いと思います。
また長くなりました。

〉チロさん
私は鬱の原因は、心だと思います(当たり前か(笑))
ホントはあーしたいのに、こうだから、そうなるとこうなる、だから出来ない…ハァ…この、ハァ…の数によって、鬱っ気、鬱、鬱病、…となってくと思います。
要は、頭と心(感情)の不一致。
私は命のコアも、もちろん大切ですが、心のコアも大切だと思います。
色んなものに、邪魔されて、見えなくなりつつある、奥深く潜んでいる、本心。
例えば、「私はやっぱり旦那が好きなんだ。一緒に楽しくやりたいんだ」とか、
「結婚はしたけど、あの人、全然タイプじゃなかったわ、嫌だ、離れたい」とか… でも、そうなると、好きで結婚したわけだから堂々巡りですね(笑)失礼しました…
それを考えると、「幸せ」「愛」に行き着いてしまうんですよね…

私もカレンさんの意見に賛成で、私もやっぱり彼らを見ていて、どこにコアを感じたかと言うと、繊細で臆病にもかかわらず、何とか「みんなと一緒」を感じようと(本人は自覚ないんですが)社会に一歩飛び出して、順応しようと頑張っている姿が垣間見えた時です。
私もイライラが限界にきていた頃は、他人所じゃなかったけれど、彼らは、た、ぶ、ん、その何十倍ものストレスをあらゆる所で感じているはずです。

先日のチロさんの私の事好き?どういうふうに?に対して、ご主人が「普通」と言ったそうですが、非定型のみみになってみますね!(心の中)
「な…なんだよ(怒)言わなくちゃダメなの?そりゃあ…好きだよ。でも、怒ってばっかりいるし、否定されるから、好きだけど、凄くは好きじゃない、普通だ。優しくしてくれたらもっと好きだよ」「ど、どういうふうに?どういうふうにって言われても…なんて答えればいいかわかんないよ。全部、ここは好き、そこは嫌い、とか言わなくちゃいけないの?ムリだよそんなの」と思います。

「どういうふうに」と言うのは、彼らにとって、一番難しい質問かもしれません。
顔は?スタイルは?髪型は?と一つ一つ聞かれれば、好き、嫌いで答えれるけど、どういうふうに?と聞かれても、「例えば顔も可愛いし、優しいしね!」なんて答えは、殆ど、ご主人じゃなくても、返ってきません。(返せる人も中にはいます)
だから、ご安心を!
コアに関してですが、お時間が有りましたら、「性善説」と「性悪説」も調べて見てみて下さいね!

パンダさん、また、お宅をお借りして、皆様にお話させていただくことをお許しください。

すみません、どこからお話すればよいのか・・・
というこで、上から(?)順に

>パンダさん

いつもそうですが、今日の文章の内容にも、とても共感です。

子どもたちが小さいときは、本当にこちらも命がけでした。
そして思春期に入って以降ずっと、今もでも、子どもたちのことを一番気にかけていると言っても過言ではありません。

夫とのことにしても、「子どもたちにとって、何を一番に考えたらよいか」がスタート地点でした。言い換えれば、子どもたちにどんな未来を残したいか、そのためにはどんな親たちでありたいか、どんな自分でありたいか・・・

そんな逆算をしてきたというか、未来の自分にひっぱられてここまで来たというか・・・。


>joさん

joさんのお気持ちも、全く及ばずながら、自分なりにとてもお察ししています。
と言うか、男女の違いはありますが、私も「仕事」という自分のアイデンティを失って、何年もずっとずっと、心身ともに浮遊していました。

joさんとは、あちらの掲示板でやり取りもさせていただいてきたので、細かいことは今は省きますが・・・本当に、何か、一緒に歩いて来ている方のように感じています。

>チロさん

まずは、すみません・・・辛い思いをさせてしまいましたね・・・。
あちらの掲示板の方は、すべて私のこれまでの思いを共有されている方だと思うので、チロさんの今のお気持ちもよくわかります。

「尊くてかけがえがない」と、夫に対して心で感じられるようになるのに、20数年かかりました。本当に感じられるまでには、文字通り、何度も何度も、ずっと、生死がかかっていました。これは、夫と私の関係性・歴史の中でのみ、当事者どうしのみがわかることなのかもしれません。

少なくとも、私自身、頭のみでは理解できなかった感覚です。

>みみさん

「あちらの掲示板を卒業」とかいう意味ではなかったのですが、ふっ、といなくなるように感じさせてしまってごめんなさい。

聖母でもなんでもない、凡人の私なので、

掲示板も書きたい、でも、実生活の中でしなければならないこと(家事も仕事も)たくさんある・・・そんな実情もあります。

あちらにも書きましたが、書けるときは書くし、書けないときは書けないし・・・ということで、すみません・・・気持ち、伝わっているでしょうか(^^;)

では、それこそ、家事に戻ります!
パンダさん、たびたび、すみませんm(_ _)m


>パンダさん、また、お宅をお借りして、皆様にお話させていただくことをお許しください。

 わあ、また私が「知らないうちに」お花が一杯咲いてうれしいなあ~
 もう私は生きとし生けるものにすべてを与える聖父パンダさまです~
 望めよ、さらば与えられん。我、汝の深き罪を許さん。
 (あれ?許さん、って許さないってことかしら? (^ ^;)ゞ )

             ……すみません m(_ _)m
                以上、ほとんどぱーぷりん状態のパンダでした
                これで、どれほど人の信用を失ってきたことか (T T)


>パンダさん

 はい。

>いつもそうですが、今日の文章の内容にも、とても共感です。

 そ、そうですか?
 いいおっさんが自分をかなりさらけ出してるのでなんか気恥ずかしいかも……

>子どもたちが小さいときは、本当にこちらも命がけでした。
そして思春期に入って以降ずっと、今もでも、子どもたちのことを一番気にかけていると言っても過言ではありません。

 私の場合、思春期以降は子どもとの信頼関係の回復作業から必要だったので、
 ほんとに辛かったですね。
 でも、それが回復した(と思ってるだけ?)ときの喜びは言葉に尽くせないほどですが。

>夫とのことにしても、「子どもたちにとって、何を一番に考えたらよいか」がスタート地点でした。言い換えれば、子どもたちにどんな未来を残したいか、そのためにはどんな親たちでありたいか、どんな自分でありたいか・・・

 逆に言えば子どもが傷つき、苦しむ姿を見るということほど
 自分にとって大きなダメージはありませんでした。
 もう、自分のそれまでの人生は何の意味もなかったような、
 そんな気になってしまうんですね。
 ほんとに辛いです。

>そんな逆算をしてきたというか、未来の自分にひっぱられてここまで来たというか・・・。

 「未来の自分」があった、というのはすごいというか、
 あるいはいつの頃からかできたということなのか……

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