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2011年1月12日 (水)

アスペと定型のギブアンドテイクの意味(2) 「気持ち」編

次に気持ちのギブアンドテイクの問題に進んでみます。

共感の関係は定型の場合ギブアンドテイクを成り立たせるための大事な前提だと考えられるかも知れません。というのはお買い物のようなギブアンドテイクは基準が「値段」みたいに目に見える形ではっきり決まっていますから、売り手と買い手の感情的なやりとりはなくてもいいわけですが(定価があるものは)、プレゼントでもそうだし、さらに会話みたいなギブアンドテイクの場合は、やりとりされるのは「気持ち」という面が大きくなり、「このプレゼント」とか「この話題」とかが相手にどういう気持ちを伝えることになるか、相手が喜んでくれるのかどうか、ということは「値段」のように「誰でも一緒」とはいかない。その相手の気持ちになって考えてみる、みたいなことがどうしても必要になる。

「これをもらったら相手が嬉しいだろうな。相手が嬉しいと自分も嬉しいな」という感じのプレゼントが理想的なわけだけど、そういうのは共感的な関係を求めていることだし、相手の喜びを想像するというのも共感的な関係の一部といえると思います。で、もちろん「読み間違い」はあって、相手が全然喜んでくれなかったりもするけど、そのときは贈った側ががっかりして、次は良いものを、と考えたりするのはそんなに不自然なことではありません。定型の方はそういう相手との気持ちのすりあわせ、共有みたいなことをずっとやり続けて、ずっとその力を鍛え続けるわけですよね。言ってみれば一生の間。

で、ここの部分が定型とアスペの間の鬼門になっているとされているように思います。何がどうずれるのか、私にはまだよくわからないんだけれど、とにかくうまく共感の関係を共有できない。いや、いろんなブログ(当事者の人のも含む)に強調されているように「全然ない」、みたいな話ではないと思うんです。少なくとも同じテレビを見て一緒に笑ったりとか、自分のせいで相手の傷つく姿を見て自分も傷ついたりとか、そういうようなことは(人によってそのレベル、強さに違いはあるでしょうが)あると思える。

ひとつ例をあげれば、先日自分がアスペルガーであるということを公言しながらドラマーをされている、金田ゆうじさんのブログを紹介させていただきましたが、このブログのその記事を見て、金田さんがツイッターで「とてもうれしいです」という言葉と共にアドレスを流して下さっていました。うれしいということの中身が書かれていたわけではないので、具体的なその中身は想像するだけですが、でも何か共有されるもの、伝わるものがあったのではないかと私は感じたんですね。そして少なくとも私の方はその金田さんの言葉でとてもうれしくなりました。なんらかの感情の行き来がそこにはあったと思うんです。

それからアスペの人同士での感情的な激しい対立とかもあるわけですよね。たとえば先にご紹介したnonono12345さんのブログにある、同じくアスペルガーと思われるお父さんとの厳しい対立関係なんかもその例でしょう。もちろん喧嘩を共感とは言わないけれど、でも気持ちの激しいやりとりではある。だから少なくともこの例では対立的な形ではギブ(怒りと攻撃)アンドテイク(怒りと反撃)が成り立っているわけです。

それだけではありません。アスペルガーライフblogでのアスペルガー当事者同士(本人の表明ですが)のやりとりを見ていても、たとえば「定型ってなんであんなに<共感>とか<一緒>とかこだわるんでしょうね?」と不思議がる、ということでお互いに「共感」しあったりされているように私には見えますし、また周囲に理解されないことでの苦しみのパターンも、多くのアスペルガーの人が同じような経験をしているので、それを書き込み、読むことでやっぱり一種の「共感」が成り立っているようにも感じられる。あのブログが大人気な理由の少なくとも一部は、そういう「共感」に見える展開でアスペルガーの人も何らかの意味で救われるからではないかと思うんです。

ただそういう感情の行き来が定型間のそれと大体一緒なのかどうかもよくわからないし、またそこで一種の気持ちの交流が成り立った状態が、定型の期待するような形では次に展開していかないということはあると思います。それがどうずれるのかも、まだうまく言葉にならないのがもどかしいんですが。で、多くの場合はそもそも共感関係が出来ないという感じになってしまうし、アスペの当事者の方自身も(回りのみんなから常にそう言われ続けるからかも知れませんが)自分たちはそういうもんだとほぼ断言するような感じになっています。

ということで、アスペルガーの人に共感がないかどうか、気持ちのやりとりがないかどうか、ということについて、ここでは何か否定的な決めつけのようなことはしないでおきたいと思います。ただ、少なくとも定型の期待する気持ちのギブアンドテイクがほんとになかなかうまく実現しない、ということはこれはもうどうしようもなくその通りだと思うんですね。ですから、そういうことを前提に、次はその上でのギブアンドテイクってなんだろうということを考えてみたいと思います。

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