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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月 5日 (水)

カレンさんの夫とのつながりの例

パパはアスペルガーというブログの管理人さんが場を提供している「配偶者の会:井戸端掲示板」に、夫がアスペルガーのカレンさんという方が、昨日「(アスペルガーである夫と)うまく行くようになりました」という投稿をされています。「今は、最高に穏やかで幸せです」と書かれるカレンさんの過去ログを記事検索で検索して読ませていただきました。

この井戸端掲示板はアスペルガー関係のブログの中では多分大御所になる、そして実際とても面白く、そして考えさせられる「アスペルガーライフblog」の中では、ご本人がアスペルガーである管理人の狸穴猫さんから「配偶者がアスペルガーでうつになったとかいう話しがネット上にはホイホイ転がっている。そして、その中にははっきり言ってアスペルガー症候群者からみたら「ひ…ひどい~ひどすぎる言いようだ!!」と思うような発言がゴロゴロしている。」場所として紹介されているものの一つです。

実際、少し読んでみると、配偶者がアスペルガーという定型の皆さんの悲痛な叫びが次々に目に飛び込んできます。それは定型の側の視点から見れば、「当然そう思うよなあ」と共感できるものが多いのですが、でもやはりそれはあくまで定型の側の視点からなんですよね。アスペルガーの方達の視点から言えば、なんでそんなふうに理解されなければならないのか、なんでそんな風に「攻撃」や「非難」をされなければならないのか、それがほんとにわかりにくいんだろうと思います。

その中で、カレンさんは過去ログの当初は同じように夫に対するやり場のない怒りや絶望感を書かれています。そしてお定まりのように鬱にもなって、離婚も考え、別居もし、そしてそれと同時にいくつかの大事な本と出会いながら、ずっと悩み、掲示板で対話を続けながら考え続けて行かれる。その中でだんだんと変わって行かれるんですね。

もともとフランクルの「夜と霧」(ナチスの絶滅収容所から奇跡的に生還したユダヤ人の精神科医がその体験を書いた本)などに深い感銘を受けていた方のようです。この本では死ぬ運命という極限状態を与えられた人々が自分の生きていることの意味、命の価値を、たとえば樹との対話という形で見いだすに至るような、そんなある種の精神の高みのようなものが示されています。そういう問題に若いときから関心が深かった方と言うことでしょう。

そういうある種の素質を持ちながら、と言うことなのかも知れませんけれど、カレンさん自身の苛酷な体験の中で、いくつかのステップを経て上に書いたような「最高に穏やかで幸せ」と書かれるところまで来たのですね。とりあえず私の印象に残ったものを順に並べてみたいと思います。

最初はとにかく得体の知れない夫の反応、行動に傷つき、なんとかしようとしてもどうにもならず、絶望的な気持ちになる状態を経て、夫との感情的な関わりを断ってしまう、という時期が来たようです。アスペである夫も定型的な形では感情的な関わりを持とうとはしないわけですから、カレンさんもそれに合わせてアスペルガー的に夫に対するようになった、と言えるかもしれません。で、カレンさんは感情を断つこと、ある意味無関心になることで気が楽になるわけです。

ただ、それでは定型の側からすれば、実質的に相手との関係を絶ったのと同じことになりますよね。無関心であることで悩むことが減る代わりに、一緒にいることの意味もなくなっていく。たんに物理的に一緒に暮らしているだけの、いわば他人のような位置になってしまうわけですから。

しかしそこで終わったのではありません。どういう経過と順番かは一通りさっと読んだだけの私にはまだ正確に理解できていないのですが、2年ほど前だったと思いますが、まずカレンさんの方が、自分の悩みには夫の「アスペルガー」という「障がい」がからんでいるということを理解し始めます。これは当然カレンさんにとっては大きな転機の一つだったでしょう。全く得体の知れない苦しみに、名前が与えられ、理解のための手がかりが得られたのですから。

けれども同じように夫がアスペルガーであることを理解している他の多くの方と同じで、自分の方でそういう理解をするようになったからといって、それで問題が解決するわけではないし、苦しみが減少するわけでもない。場合によっては絶望になる可能性だってあります。

その次に状況を大きく変化させたのは、夫自身がアスペルガー関連の本を読むことで、「自分はアスペルガーだったんだ」という理解をするようになった時のようです。なぜそれが大きな転機になりうるのか、といえば、お互いがうまく行かない、ということの理由が共有されない状態から、中身の理解はどうであれ、とにかくそこに「アスペルガーと定型とのずれた関係」という問題が横たわっているんだ、という点で、初めて「問題が共有される」という事態が成り立つからです。それまで共通の議論の足場が全く作れなかった状態に比べれば、それは大きな前進といえるでしょう。あるいはようやく出発点に立てた、と言えるのかも知れません。

もちろん、ここでも「そういう、折り合いのつかない、理解し合えない運命的な関係なんだから、もう何をしても無駄だ」という形での「結論の共有」になる可能性もあります。たとえて言えば、「あなたはガンです」と診断されたとして、それで痛みの原因がわかったとしても、それだけでガンが治るわけでも、痛みが無くなるわけでもないようなものです。「ガンだからもうあきらめるしかない」という気持ちになってしまうかもしれない。

実際、カレンさん夫妻も、一度別居という段階も踏んだようですね。ところがそうやって距離を非常に大きく置くことで、ご本人達が想像していたのと逆の結果が生まれたようです。カレンさんはこれからは心の重荷がとれて自分の人生を生きられるようになるかと思っていたのに、なぜか気持ちに欠落した部分を感じてしまう。夫の方も何らかの意味でそうだったようです。

これは私の勝手な想像に過ぎませんが、結婚以降のカレンさんの20年前後の人生は、良い悪いの問題ではなく、夫との激しい葛藤の中で、作られてきたものです。その中で自分の生きるべき道を探し、価値観を問い直し続けてきた。それはすでにカレンさんの中でそれ自体が自分の存在自体に関わる巨大な何かに育っていたのでしょう。だから、たんにそこをはなれる、ということでは自分の中に積み重ねられてきた巨大な何かが抜け落ちてしまうということだったのではないかと思います。

その後自宅に戻った後、ということだろうと思うのですが、睡眠導入剤でもうまく眠れない時期が来て、その薬でなかば意識がもうろうとした状態で夜遅くに夫に話しかける、ということが二度ほど繰り返されたそうです。意識が半分抜けているので、何を話したのかも翌日よく覚えていないのだけれど、それでも夫が2時間くらい話を聞いてくれていたらしいことがわかる。カレンさんが書くには、無意識に抑圧されてきた部分まで、自分はそこで語っていたのだろうということです。

そうやってカレンさんが改めて自分をさらけ出す機会を経て、夫が「このままではいけない」という強い危機感を持つようになったようです。そしてこれ以降、本当に関係が前向きに変わり始めたのだと思いました。

もちろんそれまでだってカレンさんはカレンさんなりに真剣に自分の思いを伝えようと必死になってきたわけだし、それが伝わらないことへの絶望的な気持ちを味わい続けてきたのだし、夫の側も立場を変えて訳のわからない非難を受けるしんどさを抱え込み続けてきたのでしょう。だから、「改めて自分をさらけ出す」というだけでこの転機が訪れたはずはない。それ以前の積み重ねがここで転機をもたらしたのだと思えます。それが何だったのかを今私が語れるほどに理解することは不可能ですけれども。

ただ、最初にご紹介した最新の投稿の文章を見る限り、カレンさんの中でものすごく大きな転換への準備状態がそのときにはもう十分に熟してきていたのだろう、ということは想像できます。

それがなんなのか、とても難しい問題ですが、言葉としては「魂」とか「命」とか、そういう言葉で語られるような、あらたな次元での人の理解や共感の世界にカレンさんが入って行かれたということは多分間違いないだろうと思います。口で言うのは簡単ですが、「相手の存在をそのままに価値のあるものとして認める」という、現実には極度に難しい姿勢にカレンさんがそれまでの葛藤を経て初めて到達された。なぜそう想像できるかと言えば、「夜と霧」に書かれている生命の価値というのは、そういう次元で成り立つものだと思えるからです。そしてそのとき、カレンさんと夫は初めて「わかり合える」関係になったと感じられたのでしょう。


さて、長々と書いてきましたけれど、この話は昨日考えてみた、頭で理解するレベルではなく、お互いに納得しあえるようなつながりが可能なのだろうか?という問題を考える上でのとても大事な事例のひとつになるだろうと思います。頭で理解し合うのでもなく、気持ちで理解し合うのでもなく、カレンさんの言葉を使えば「魂」の次元で通じ合う、そんな体験の世界を彼女が持てたという(彼女にとっての)「事実」がそこにあるわけです。


カレンさんは元々、求道的な、とか宗教的なとか表現しうるような姿勢を性格的にも持っていらっしゃる方のように見えるので、そのような「魂」の次元でのつながり、という展開に至る可能性をより多く持っていらしたのかも知れません。逆に言えば、そのような関係にはそういう性格を余り持たない方も同じように至るのかどうか、ということは今の私にはよくわかりません。ただ、少なくともカレンさんにとって、そういう展開が現実に存在したのだ、ということを知ることが出来たのは、私にとっても大きなことだったように思います。


 (補) これは私の印象に残ったことのまとめにすぎませんので、もっとさまざまな思いが語られた実際のカレンさんの本文をよろしければお読み下さい。井戸端掲示板の「記事検索」で「カレン」を検索すれば読めます。

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コメント

こんにちは。お邪魔します。パンダさんの的確な考察、敬服いたしました。私自身は妻の書いたものを全部読んだわけではありませんが、限られた材料しかないのに「よくこれだけ把握できるなぁ。」と感心しております。

さて、掲示板のほうに書いてもよかったんですがここに書いておきます。今パンダさんが私にお聞きになりたいのはどんなことでしょうか。

カレンの夫さま

どうも、ようこそおいでくださいました。cafe

過分なお言葉をいただき、恐縮しています。
きっと私自身の体験の中で考えてきたことがひとつの手がかりとなって、
似たような、あるいは共通するものがあったために、比較的少ない手がかりでも、
お二人のこれまでの流れを自分なりに理解しやすかったのかも知れません。

また、わざわざ質問をお尋ね下さってありがとうございます。
今日、久しぶりにパートナーと「共感」ということについてなど、話をしたところです。
なんとなくもやもやとしたままの疑問はたくさんあるのですが、
またもう少し自分の中で考えて、お尋ねしたいことが整理されてきましたら、
改めてお伺いさせていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。

無いと思っていたお茶もありましたのでjapanesetea
よろしければ一服なさって下さいませ。

この頃、私とパンダ医師は知り合ったのですね!

はい、私も、夜中、眠くてもうろうとしながら、コクコク居眠りをしながら、パンダ医師にもうろうと何か訴えかけています。
自覚はあるんですけど…(汗)
すみません。

カレンさん、幸せになってもらいたいですね!(まず自分の事を考えましょー(汗) カレンさんの
「うまくいくようになりました」を読んだ時、何か…言葉では言い表せないけれど、空想で語らせてもらうと、
「天使が舞い降りてきて、読んでいる私に、白い、柔らかい布で、私自身を優しくつつんでくれた…」ような感覚になりました。これにはお世辞も何も含まれていません。
本当にそんな感じだったのです。
カレンさんの人柄も含まれているんだと思います。
カレンさんなら、必ず、幸せを掴める。
私は安心して、そう思っています。
パンダさんもね!

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