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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2011年1月26日 (水)

障がいと個性

 昨日チロさんからいただいたコメントでも、改めてアスペルガーという「障がい」とその人の個性の関係について書かれていました。それでふと思い出したことがあったんです。

 もう大分前ですが、ある知的発達の遅れを持った子どものお母さんが、そのことを知らされてからほんとに「私はどうしたらいいんでしょう」状態になってしまって、それで、それまで気にもしていなかった子どものひとつひとつの行動がみんな「障がい」のせいなのかも、と思えてしまうようになってたんですね。それで、「この子最近よく笑うようになったんだけど、これも障がいのせいなのかしら」と悩んじゃったりされてたんです。

 もちろんそれはこどもの状態が良くなって、機嫌良く過ごせるようになったし、周りの人との感情的な交流も盛んになってきた、という、すごいいい成長を現していると私には思えたんだけど、でも「この子は障がい児だ!」という思いの中でしかその子を見られなくなってしまっていたお母さんには、きっとすごい不安と共にリアルにそういう心配をされたんでしょうね。

 障がいの問題もそうだし、異文化との接触でもそういうことが起こると思うけど、「自分のそれまで持っていた常識がそのまま通用しない世界」にぶつかると、それまで自分が持っていたすべての常識がどれもこれも全部通用しないのではないか、みたいな不安に襲われるという風にもなるのかなと思うんです。で、あらゆることが「障がい」とか「文化の違い」のせいに見えてきたりする。この状態って、上のお母さんでもそうだし、かなりしんどい気がします。

 でも、改めて素朴に考えてみれば、身体の中を同じ血が流れてるわけだし、家庭や地方や文化によって食べる物や食べ方は違うかも知れないけど、口の中に入ってからあとは同じように消化されていって、で、最後に出てくるもの(お食事中の方すみません m(_ _)m)も、まあ同じようなものが出てくるわけですよね。食べ物によってちょっと柔らかさとか色や「香り」に違いはあるけど(^ ^;)ゞ 。 息をするときに二酸化炭素を取り込んで酸素をはき出す人もいないわけだし。

 ただ、繭さんも言われているように、いろんなことの感じ方とか、それにどう対処すべきかと言うことの理解とかはやっぱりひとりひとり違う。そしてその違いというのは「個性」というレベルで考えられるものもあるし、それを越えて「障がい」と「定型」みたいなレベルで考えられるものもある。Rosamondeさんのところなどは、同じような「障がい」のご夫婦の間で、それぞれになかなか理解しあえない「母語」みたいな自分の世界があって、それを前提に夫婦の共通語という「第二言語」を作る必要もあるくらい、その「障がい」がまたひとりひとり個性的だったりもする。

 なんかその「同じ」というところと「違う」というところの区別というのか、兼ね合いというのか、バランスというのか、組み合わせというのか、なんと言っていいのか難しいけど、そこがなかなかすっとはわからない感じなんですよね。それで苦労することもすくなくない気がします。それでよくわかんない中途半端な状態ってしんどいですしね。

 私自身の実感としては、そのあたり、ほんとに手探りでひとつひとつ確かめている感じです。で、このブログでも私個人の体験を書かせてもらうと、「自分の所と一緒だ!」というようなコメントを頂いたりして、ああそうなんか!と感じたり、あるいは他のかたのブログを読ませていただいて「一緒だ!」と思ったりして、それで単なる個性ではなくて「障がい」というレベルでの共通性を感じることもあるし、逆にiroriaさんご夫婦とカレンさんご夫婦の話を見て、同じアスペルガーの男性でも、全く正反対と言えるほどにこれほど違うんだ!と思えるものもある。

 チロさんが疑問に思われている「夫と価値観が合わないと感じるのは、世間体重視する、弱い立場の人を差別する、エリート意識などです。これもアスペルガーゆえに身につけた性質なのでしょうか?わからなくなります。」という問題などについては、今のところは私は同じアスペルガーでも私のパートナーとはかなり違うなあと言うふうに感じます。たとえばアスペルガーの人って自己評価がものすごく低い人が多いという話をよく見るんですが、私のパートナーもそれには悩まされている感じがします。エリート意識は全然感じません。仕事もいわゆる「弱い立場の人」を支援する方の仕事です。

 ただ、これはすごい一般論からの想像にすぎないんですが、人に対してすごく権力的に振る舞う人って、障がいのあるなしにかかわらず、「相手の人のことを理解することが苦手」な人が多いような気がするんです。だからお互いに納得し合って物事を進めていくよりも、立場や力を利用して強引に従わせようとする。で、それって実はある種の不安や恐怖の裏返しなのかなあと思ったりすることもあるんですね。

 その意味では、アスペルガーの人は特にそのあたり苦手で、そして潜在的には不安を一杯抱えざるを得ないと言うことになるわけですから、そういう苦手を「克服」して不安を押し殺す方法の一つとして、もし自分がなんらかの権力を持てる立場に立てた場合は、それを最大限に活用するという方向にどんどん進んでいく可能性はあるかなという気がします。「男性であること、高学歴であること、大きな組織の一員であること」などはそういう「権力」を社会から保障される立場ですよね。

 そうすると、私の理解としては、権力的に振る舞ったり、そういう価値観になるというのは、アスペルガーだからというわけではなくて、世の中に一定の数そういう人たちはどこにでもいるのだけれど、でもアスペルガーの人は自分の苦手を克服するために、そういう方法をより強く求める場合がある、という感じになるんじゃないかなと思います。いや、具体例として知っているわけではないので、あくまで一般論に過ぎませんけど。そしてもちろんその逆に、弱者の役に立ちたいと思うようなアスペルガーのひともいるのは間違いないと思います。狸穴猫さんなんかもその典型ですけどね。ほんと、あの人すごいなあ。


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コメント

数年前に読んだ、カルチャーショックをめぐる、ある文章の中に、次のようなことが書いてありました。

人は、自分とは違う人・文化・価値観等々と出合ったとき、「恐怖や不安を感じる」「尊敬の念を抱く」「軽蔑する」の中の、どれかの反応を示す。そして、その原因は、それまでの自分の価値観や常識が危うくなり、自分の存在が脅かされるように感じるからだと。

でも、その文章のまとめの部分では、

変えたり合わせたりする必要が生じるのは、表層的な部分でのことであって、自分自身のコアが変える必要はない。したがって、異文化を恐れる必要は何もない・・・と。

「コア」の部分・・・ここを私は、「人間によって作られた価値観をそぎおとした部分」=「命」だと考えるようになりました。価値観は、場所によって・時代によって、どんどん変化していくものだったり、相対的なものだったりするので、そこだけに振り回されているうちは苦しいのだと思います。
(生活する以上、なんらかの価値観が必要だったりするから、いろいろ複雑なのですが・・・(^^;)・・・) 

言い換えると、「自分のコア=命」の部分がしっかりしていれば、そして、「相手の命」が
見えていれば、苦しくもなんともないのだと思います。

そして、私は、その「命」を輝かせることを自然と知っている「夫の個性」に、何か揺るぎないものを最初から感じたし、今でも感じているような気がします。

こんなこと言っていますが、今でも時々、いろんな価値観に惑わされ、自分の「命」を曇らせてしまうことがありますが、そんなときは、心の中で、命に「ごめんなさい」です。


カレンさま

うう~……despair

私が 「人間によって作られた価値観をそぎおとした部分」 について書くと
「同じようなものが出てくる」という下々の話になっちゃうんだけど、
同じことをカレンさんが語ると「命」という格好いいものになっちゃう…… (^ ^;)ゞ

もう、これは持って生まれた人間の品性の違いですね…… crying
ああ、私はなんて不幸な(下品な)星の下に生まれたのでしょう……

>生活する以上、なんらかの価値観が必要だったりするから、いろいろ複雑なのですが・・・

うん。ここですね、私がこだわっているのは。
どうしようもなく利害の対立を抱えて生きている人間ということにどう迫っていけるのか。
ギブアンドテイクという、俗っぽくもあるものへのこだわりは
そのあたりの問題だと思います。

ところで、ご紹介いただいている本、なんて言う本か
もしおわかりなら教えていただけますでしょうか?

>私が 「人間によって作られた価値観をそぎおとした部分」 について書くと
「同じようなものが出てくる」という下々の話になっちゃうんだけど、
同じことをカレンさんが語ると「命」という格好いいものになっちゃう…… (^ ^;)ゞ

目に見える部分で言うと「下々」の数々(?!)だったりもするのですが、目に
見えないもので言うと「命」・・って、かっこよすぎですかね(^^;) 下々の活動は、
命と直結した、尊いことだと思ってます。
(例えば、わかりやすいのは、「赤ちゃん」かな。食べて出して命そのもの。)

利害関係のある云々は、また考えることにして、今日は、寝ま~す!
おやすみなさい。

あ、上に挙げた内容は、数年前に、英語のテキストかどこかの入試問題の内容
です。面白いなぁ、と思って印象に残っていたのですが、どのテキストかプリント
か、わかりません(さがしてみましたが、たくさんありすぎて・・・m(_ _)m・・・)

パンダさん

コメントへのお返事ありがとうございます。
私がパンダさんのブログで最も関心を持っているのは、こちらのタイトル通り「アスペと定型」両者の共存です。

私は自分がアスペルガーかもしれないと知った時に、それまで感じていた自他への違和感の納得と、他者(定型の方々)への関心が生まれました。
それまでパートナーである夫と、理解し難い傷付け合いが数多くありました。けれども、お互いに相手が何故痛がっているのか、すぐには分からない事がほとんどでした。そして思い返してみると、自分の過去の人間関係には同じような事が沢山あったことに思い至りました。

私は人を傷付けたくはありませんし、傷付けられたくもありません。もし、相手を知ることでその両方が回避できるのであれば、その方法を知りたいと思っています。

けれども、アスペルガーについての情報は書籍等で手に入っても、定型の人の心の模様の成り立ちを知る術はなかなか見つかりません。定型の方にとっては当たり前過ぎて、語られることは少ないのでしょう。パンダさんが書かれていることは、私にとっては見えない世界に開いた一つのパンダ型の窓です。

今回の記事を読んでいて、一つのイメージが浮かびました。
カレンさんの書かれている「コア」が中心にあり、その外側を二重に包む膜のようなもの。内側の膜は肉体、外側の膜は生まれ落ちた環境や文化です。コアはその二つの膜を介して外界と触れ合っている…といったイメージです。
いわゆる障がいと呼ばれるのは内側の膜の癖が強い現象と思います。

個人的な印象ですが、上記の例で考えると、チロさんの御主人の価値観は外側の環境や文化から吸収されたものだと思います。そして、その価値観を省みることなく持ち続けたり、緩めたりすることが出来ないのは内側の肉体(アスペルガー)によるところのように思いました。
私自身も不安感が強くあります。不安が強い程、幼い頃に身に着けた術(沈黙)で対応しようとしてしまいますので、なかなかコミュニケーションに結び付かずフリーズしっぱなしになってしまったりします。

カレンさま

>目に見える部分で言うと「下々」の数々(?!)だったりもするのですが、目に
見えないもので言うと「命」・・って、かっこよすぎですかね(^^;) 

 いや、カレンさんて、なんか存在自体が格好いい方なんですよ。
 だからもうそれは無理せず運命として素直に自然に
 受け入れられた方がいいのではないかという気が (^ ^;)ゞ

 別におべんちゃら言って何かもらおうという下心はあります、
 じゃない! ありませんので…… (あやうく下々の素性が出るところだった)

繭さん

 ありがとうございます。
 なんか、繭さんがおっしゃること、私のパートナーが言うことと重なるところが
 結構あるんです。そういうのを知ることが出来てすごくありがたいです。

 それともうひとつすごく嬉しいのは、私が書いていることが、
 繭さんが定型を理解するためのひとつの手がかりになれている
 と感じていただいていることです。

 お互いに何をどう説明すれば相互理解がたとえ半歩でも進むのか
 ということに私はこだわっているわけですけれど、
 とにかく私自身は定型の視点でしか考えられないわけで、
 それでもその限界からでも、書いたことに意味があるとすれば、
 なにか少し希望が見えてくる感じがちょっとしてくるんですね。

 これからも「ここはわかりやすい」「ここはわかりにくい」
 「こういうことをもっと説明しろ」というようなことを
 教えていただけるととても嬉しいです。

繭さん、初めまして。(パンダさん、お宅をお借りして、繭さんとお話してよいですか?)

>カレンさんの書かれている「コア」が中心にあり、その外側を二重に包む膜のようなもの。内側の膜は肉体、外側の膜は生まれ落ちた環境や文化です。コアはその二つの膜を介して外界と触れ合っている…といったイメージです。
いわゆる障がいと呼ばれるのは内側の膜の癖が強い現象と思います。

実は、昨日の「コア」と「その周りの個性」について書いた後、

その「個性」というものは、さらに「障害」と「成育歴」の2つが相まって作られるものなんだろうなぁ、ということを考えていました。

「障害」と「成育歴」の糸が、繊細にねじれ絡まりながら織りなしている膜のようなもの
あるいは、「障害」と「成育歴」の色が混じり合って微妙な色を醸し出しているシャボン玉のような膜・・・そんなイメージです。

繭さんの書かれていることを読んで、上記のような自分の中でのイメージが、さらに発展して、なんだか、少なくとも自分の中ではストンとくるものになりました。ありがとうございます。(「2重の膜」という説明、とてもわかりやすかったです。)


余談ですが、私の30数年来の女性の友人も、たぶんASです。

彼女が、「なんだかいつも周りの人とうまく行かない。○○○(私のニックネーム)だけは、私の話を面白がって話を聞いてくれるけど」と、深刻に打ち明けてくれたときに、過去の諸々を振り返ってみてピンときました。

繭さん、これからもいろいろ、よろしくお願いします。

パンダさん、おじゃましました(^^)

上記コメントの補足です。

先ほどの私のイメージをまとめると、次のような感じでしょうか。

成育歴は、その人が大人なのか、子どもなのかによって、2.3.のどちらに入るか変わるような気がします・・・よくわかりませんが(^^.) 

1.2.3.の間には、何か有機的な行き来・やり取り・循環のようなものがあるような気が・・・。(こう考えれば考えるほど、ぶれないものは「コア=命」しかない・・・すみません、いつもこればっかりで。)


1.コア=命

2.個性=障害も含めた生来の肉体的・精神的要素・(大人の場合は)成育歴

3・成育歴・文化・環境等


>パンダさん、お宅をお借りして、繭さんとお話してよいですか?

 はい、ご丁寧にありがとうございます。もちろんです。
 ご遠慮な……

 ぜ、ぜんぜん遠慮してないじゃないですか! (T T)  ……パンダ


 ったく、これだから定型の言うことはダブルバインドで
 非定型泣かせなんだよな。ぶつぶつ。       …… みみ化パンダ


 いやあ、どうぞどうぞ dollar さえたんと
 お払いいただければもうどうぞご自由に!     …… 耳かきパンダ 
 

パンダさん

私には自分のことしか分かりませんが、それがパンダさんとパートナーさんや他の方達のお役に立てるのなら、それはとても嬉しいことです。

パンダさんのブログは、タイトルを見た瞬間に「これだ!」と思って拝見したのですが、本当に参考になることが多くて、読む度に発見があります。
定型か否かを問わず、他人が分かるとその分だけ自分を見つけることが出来るように思います。そういう意味でも、お互いに理解しあえるということは素敵なことと思えるようになりたいですね。

私は自分の考えをまとめて文章にするのに時間が掛かるので、遅まきになりますが、ゆっくりとコメントさせて頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。

カレンさん、はじめまして。

シャボン玉のような膜…綺麗なイメージですね。命を彩る輝きを感じました。

1~3の間には相関関係があると、私も思います。
生まれた時、それぞれはお互いに影響を受けず、成長につれて情報の出入りと共に1~3はグラデーションのように混じった色になっていくように思います。
そのグラデーションの出かた、色合いがその人らしさになるようなイメージでした。

1のコアが持っているのは、喜怒哀楽のようなとてもシンプルな感情のように私は感じます。
大人になればなる程、コアへ入る情報も、出て行く情報も様々な色の影響を受けて複雑に見えるような。でも、そこには必ずコアの意思が反映されていると思います。
カレンさんの、ぶれないものは「コア=命」しかないという感覚に私も賛成です。

カレンさんがお友達さんの話を面白がって聞いてくれることは、お友達さんにとってはとても嬉しいことなのだと思います。私にもそんな友人がいて、とても大きな存在です。

カレンさん、こちらこそよろしくお願いします。

耳かきパンダさん、場所代はsnailがお届けする予定ですので、しばしお待ちを。

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