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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2010年12月22日 (水)

雑談の難しさ

ASの人と定型の人間のコミュニケーションで定型の側が困惑することに、「反応が返ってこない」という感覚を繰り返し体験してしんどくなる、ということがある。

定型の人間としては何かの話題を投げかけること、たとえば「今日、あったかいね」ということでもいいのだけれど、それは物理的な事実として暖かいかどうか、ということが問題であるよりも、「だから気持ちが良いね」という意味だったり、「もうすぐ春になるのかなあ」という喜びを表していたり、そこに付随していろいろな方向に会話が拡がっていく可能性を求めて話しかけることが多い。

ところがASの人にとっては基本的には「あたたかい」か「あたたかくないか」という事実関係がそこで問題になっている、という以上に理解が拡がっていかないようだし、それ以上に「いろんな可能性がある」「いろんな答え方をしても良い」というような、不確定なやりとりを楽しむ、ということに困難を感じるようだ。

だからそれについてさらなる反応を期待して文句を言ったりすることが重なれば、「何を求められているのかわからない」ということで混乱し、困惑し、しんどくなってしまう。そのことをこちらが理解できるようになると、相手にあまり負担をかけてはいけないと思うから、できるだけ反応を期待しないで話しかける、というようなことをせざるを得なくなってくる。これが今度は定型の人間にとっては大きな負担になってくる。

ASの人はそういう「柔軟」なやりとりは苦手だし、第一そういう曖昧な事について「いい加減に(とも感じるらしい)」曖昧な答えを返す方が相手に悪いと思っているらしい、ということを理解し、またそもそもそんないい加減な答えを相手が期待して待っているとも予想しない、ということを頭で理解したとしても、定型の人間はどうしても反応を期待してしまう、ということから抜けられない。もし反応を期待しなくなるときは、それは普通は相手との関係を解消するときになってしまう。けれどもやはりそういう定型的な発想はASの人には理解が難しいもののようだ。

言葉を投げかけても簡単な一言の反応で終わり、それ以降続かない。何か砂漠に水を撒くような、とかブラックホールに気持ちが吸い込まれてしまうようなとか、そういう感覚を定型の人間は持ってしまう。これがとてもしんどい。精神的なエネルギーが消耗し、あるいは吸い取られてしまうような、そんな感覚に襲われる。定型の人間がそういう環境の中で鬱になる原因の一つだろう。

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コメント

トラックバックありがとう
砂漠に水をまくという表現はよくわかる

しかし、ブログ主は犬を飼ったことはあるかね?
アスペ者でも、イヌぐらいの感情はある
シッポも動かせる耳もないからわかりにくだろうが、
言葉より他のところで、それを読み取るといいこと
がきっとあるだろう。

大切なのは、言葉にとらわれないこと。そして、
身体的なもの、物理的なものに主自身が注目する
ことだ。

それから、老婆心ながら、言葉にするときは、
”あたたかいね”で止めてしまわないことだ。
そうではなくて、
”あたたかくて僕は気分がいい、きみはどう?”
というところまで、はっきりと質問すると吉だ。
初心者の英会話教室みたいだけどね。

そして、”ふつう・・” とか返事されても、
”そうか、ふつうなら安心した。ところで・・・”
という調子で会話を続けられるようなれば、
ブログ主も、たぶん相手も、幸せになれるだろう。

よい年末を。御礼旁々。

随随さん、コメントありがとうございます。
内容についてのお返事はまたブログ本文の方でぼちぼちと。

随随さんと同じ意見でーす!

「あったかいね!」(いわゆるごあいさつ程度なのですが…)

非定型はまともに取って、
(わけわかんない、でも答えなきゃいけない)
「あ、あったかいさ…そりゃぁ(汗)」「……だから、何?(が言いたいの?)」
となるんだとおもいます!

とってもわかりやすい説明だと思います☆

ただ、1つだけ残念!ことがあります。
全体的に「(どちらかと言えば)ザツペ(定型)の人のほうが負担」と書かれているように感じました。

それを言うなら、ASは毎日毎日「ザツペ(定型)の人に何て言っていいかわからない投げかけをされ、困惑している」んです。

そもそも、「何て言っていいかわからない事を楽しむのが普通」で、それができない人がASという病気だと病名をつけた人にも個人的には疑問です。

ASと定型ではなく、「(内容重視派)アスペ」と「(雑談重視派)ザツペ」と言う風に、病名をつけてあげてほしいと願ってます。

ザツペの人が「今日は天気がいいですね」と言った時、みみさんが言うように「まともに捉えてしまう」アスペって多いとは思いますが、
「これは天気うんぬんじゃなく、気楽なコミュニケーションをとるために話しかけてるんだな」って気づいてるアスペも多いと思いますよ!

だから余計に困るのだと思います!

「なんでもいい」が一番困るんですよね。アスペも、ここで気楽に「そうですね、暑いですね~」と受ければ、ザツペは「一言で返すなんてつまんない」ってなるだろうなって思うから、結局「何がお望み?」ってなってしまう。
困っているアスペは多いと思います。

KYOさんのお話、よくわかります。
随随さんの全部言ったほうがいい、というのも同意です。

妻はASとしてはよく推定できるほうに入ると思うのですが、
わかる場合はそれはそれで気持ちが悪いそうです。
定型にとっては双方向のコミュニケーションのつもりでも、
感情の共有などという感覚が薄いAS側から見れば、
「相手の希望を考えて、相手が望むよう応答する強制奉仕活動」
となってしまうのです。
しかも有益情報がないので、時間の無駄と感じイライラ。
最後はお決まりの「いったい何が言いたいんだ!」コースです。

今よりも少しだけお若かったころのパンダさんへ。
こんばんは、ガーディナーです。

なるほどなあ、と思いました。
そういえば私も昔、雑談って本当に難しい、と思っていました。
特に同世代の人たちの集団の中にいて、
特にこれといった目的もなく時間を共に過ごしている時、
本当に何を話して良いのかが分からなかったのです。
だから黙っているのですが、あんまり黙ってばかりだと何か悪いような気がして、
何か言わなきゃ、とか気を遣ってているうちに、時間が過ぎてしまったり
(これ先日のタイミングの記事にもありましたよね)、
あと、やっぱりどうしてもみんなのノリについていけない、
何がそんなにおかしくて笑っているのかが理解できないから、
あいまいに笑ったりして、本当に疲れていました。

大人になってから、
テクニックとしていくつかのパターンを身に付け、そこは何とかクリア。
あと、仕事をするようになってからは、無目的に集まるということが少なくなり、
そういう場面に遭遇することも減りずいぶん楽になりました。
ところが子どもが生まれてから、
保育所や学校の保護者会ではまた大変な思いもしました。
ただ、その頃になると、
そういった中で会話術を磨くのも、一つの課題として悪くないな、
と捉えるようにもなりましたから、それが屈辱的と感じることもありませんでした。
その辺り、オレンジさんの仰った<強制奉仕活動>とは少し違うかもしれません。
でもそのあとの
<有益情報がないので、時間の無駄と感じイライラ>というお気持ち、
とってもとってもわかります。
女同士の井戸端会議のあの長々としたおしゃべりには、
私もイライラすること、よくあります。
一時期はこれに合わせられることこそが成長の証、とばかり、
頑張って参加していたこともありましたが、それはやっぱり間違いでしたね。
そんな時間があったら、
一人になって自分自身の時間を大切に過ごす方がずっと良い
ということに気が付きました。
その方が私も休まりますし、井戸端のほかのメンバーの方たちにとっても、
イライラした人なんかいない方がずっと良いのです。

もちろんそんなことばっかり言ってられないのが大人の日常というもの。
不本意ながら雑談集団の中に身を置かざるを得ない状況も多々ありますよね。
集団では、私が黙っていてもあまり人に迷惑をかけることはないでしょう。
だから無理に話に入る必要も感じません。
それから、一対一の場合は、自分のことを話すという形での雑談は難しいので、
徹底的にインタビュアになってしまうことにしています。
「この人多分こんなことを話したがっているんだろうな」
というイチかバチかの勘で、話をつないでいきます(綱渡り)。
「ここ、多分ウケを狙っているんだろうな」と思われるところでは、笑ったりもします。
頭を使うから、疲れるといえば疲れる作業ですが、賭けの面白さもあります。
相手が気持ちよさそうにしゃべってくれれば、やっぱりうれしいと感じます。

勘の悪さはサービス精神で何とか取り繕っている、そんな私の日常です。

名無しのガーディナーさん
(名前は私のほうで補っておきました!:一度入力して「この情報を登録する」にチェックを入れておくと、その後はそのパソコンでは自動的に名前が入るので便利ですよ。)

 えらく昔の文章を見つけてくださったのですね。もうすっかり忘れ去っていました (笑)

 今読み返してみると、基本的な目の付け所とかは今と変わっていないみたいな気がします。違うのはこのころは「こういうことなのかな?」という頭で推理している感じが強いのに対して、最近はこのあたりについては「まあそういうもんだよね」という感じで、私にとっても常識のようになり始めていて、感覚的にも理解できる感じが出てきていることだろうと思います。

 そう考えると、ここで私がやっていることは、ずっと同じようなことを繰り返して書き続けながら、少しずつ頭での推理から、感覚的な納得の感じへ深めていく、ということなのかもしれません。

 

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