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アスペルガーと定型を共に生きる

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2010年12月24日 (金)

「砂漠に水を撒く」という感覚について

随随さんから「雑談のむつかしさ」に対してコメントを頂きました。
(やりとりになるとやっぱり丁寧語になりますね)

>砂漠に水をまくという表現はよくわかる

随随さんがどういう過程でこの表現を私と共有されるようになったのか、つまり、随随さん自身がこの表現に該当するような経験を定型の人間との間にか、またはASの人との間にか持つことがあったということなのか、それ以外の形でなのか、とても興味があるところです。

なぜならば、自分がASの人となんらかのやりとりの中で、こちらが「砂漠に水を撒くような」という感覚に陥ったとしても、相手はこちらがそういう感覚を持つだろう、ということは予想していないように思えるからで、その理由が知りたいからです。とりあえず二つの可能性が考えられます。

ひとつめはASの人はお互いに反応し合うことを強く求めることがないので、相手が反応を強く期待しているということを理解することが困難だし、反応をしなければ「砂漠に水を撒く」という気持ちを相手が持つと言うことを予想できないし、さらに言えば自分の方も相手からたとえ反応をもらえない場合でもあまり気にならず「砂漠に水を撒く」という感覚を体験することがない(または極めてまれである)という可能性。

ふたつめはASの人も相手と反応し合うことを強く求める場合は間違いなくあり、期待している相手の反応が得られない場合には当然自分自身も「砂漠に水を撒く」ような気持ちになる経験を持つのだけれど、ではどういう場合にどういう反応を求めるのか、という点で定型との間に違いがあり、その結果、お互いに期待に添わずに反応を返さないことになる。そうすると定型の人間からはASの人も違う条件では同じ気持ちになると言うことは予想外のことになるので、自分だけが一方的に「砂漠に水を撒く」という気持ちになると理解しているだけの可能性(つまりお互い様と言うこと)。

もし前者であるとすれば、随随さんはなんらかの推論を経て、「砂漠に水を撒く」という気持ちを想像することが可能になったということになりそうですね。もしそうならどのように想像力を働かせることで共有可能になったのかにとても興味があります。

後者であるとすれば、もとから「砂漠に水を撒く」という気持ちになることは共有されているわけですから、あとはそういう気持ちになるときの条件の違いを理解し合うことが、お互いのコミュニケーションを円滑にするためには大事なことになりそうです。

> しかし、ブログ主は犬を飼ったことはあるかね?
> アスペ者でも、イヌぐらいの感情はある
> シッポも動かせる耳もないからわかりにくだろうが、
> 言葉より他のところで、それを読み取るといいこと
> がきっとあるだろう。

犬はないけれど、猫は飼っています。ASの人に感情がないと思ったことはありません。

ただ、書かれているように、その表出の仕方がわかりにくいということはしばしばあり、またなぜここでそういう理解や感情になるのかがわからない、ということも非常に多い。さらにそれは言語に限らず、言葉以外の表情の読み取りなどでも理解がずれることが多く、全く暗中模索です。

ついでに犬と猫という比較で言うと、定型とASの感情の動き方のパターンは、定型が犬的、ASが猫的かなと、そんな風に感じることはあります。


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コメント

うちは、わんこがいます。
アスペのレベルは様々ですが、はっきり言いましょう。「義父だけは犬以下です」
他は「犬レベル」です。(うちは、の場合です)

私の周りは、豪華オールスター勢揃いなので、随随さんの言う事よくわかります。

犬はおりこうです。
私がどうすれば、おいしい物をくれるか、ちゃんと勉強して知っています。
学習能力があり、覚えた事は継続します。
でも…私が寝ている目の前を「プッdash」とやって通っていくのです。
私は言います「もー、臭いよ、やめて!」
でもまた「プップップーdash」とやってくんです。

人間と犬の違いは?
そう…言葉が通じない事、理性がない事、知性がない事、プラス、「ピン!ときた事意外は学ばない、関係ない事」なのです。違いはこれのみなんです。

しかし…これって…けっこう…A○に当てはまってしまったりするのです…
動物本来の欲や感覚や目に見える物だけで行動してしまうのです。
私が臭くて眠れない…なんてワンコくんは考えてくれていません。

私はいつもそう思ってしまいます。
でもなぜこんなに可愛いのか…
「しゃべらないから」かわいいのです!

犬が食べて、寝てばかりいて、「おい、パンダ!酒もってこい、酒」なんて言ったら、可愛くないでしょ?

砂漠のお話ですが、アスペは、ダブルバインドに疲れきって、人との会話をさける癖がついているので、(話が面倒になるから話を避ける仕組みになっているんだと思います)その時、その時、自分が脳に「ピン!」ときた事しか、脳に入ってこないのです。
犬で言えば、「お散歩」とか、「はい、ジャーキー!」とか「お座り」とかですかね…

「砂漠に水を撒く感じ」と言われても、辞書やなんかで「目で見て、耳で聞いて」知ってれば「わかる」と言いますけど、知らなかったら当然…
「は?なんで砂漠がでてくるの?今の話と関係ないでしょ」となります。
自分が同じ思いを感じても、知っていれば、流暢にその言葉を使いますし、知らなければ、「私のやってる事はムダ。意味がない」という風に率直に言うんだと思います。

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